30 祐子の死去から満2年がすぎました。 (2007年06月11日  掲載) 

 この6月7日で、連れ合いの祐子が死去してから満2年がすぎました。この前後にあったこと、および、それにまつわる思いなどを、記します。

 毎年この頃になると、垣根のアジサイの花が満開になります。今年も、地元の西東京市であった憲法集会のポスターの脇で、青い花をつけてくれました。

 今年も、多くのお知り合いの方から、写真の前に供えて、といったメッセージとともに、花束やお菓子などをたくさんお贈りいただきました。ありがとうございます。おかげさまで、居間の祐子の写真の前は、花束で埋まってしまいました。(左下の写真)
 2年前の葬儀のときは、浦和市の「武蔵浦和会館」という葬儀社のお世話になり、とても気持ちのいい葬儀ができましたし、散骨のために遺骨を粉にするときもお世話になったのでしたが、そこからも大きな花束を頂きました。2年目の命日にも花を送ってくるということは、普通の葬儀社ではやらないのではないでしょうか。この葬儀社は、反戦市民運動の旧い仲間である浦和の東一邦さんから紹介されたのですが、葬儀を依頼するのでしたら、ここをお勧めします。(連絡先:336-0022 さいたま市南区白幡5-4-18 電話:048-864-0653 URL: http://www.sougisha.co.jp/ )

 2年目の命日は、仏事で言えば三回忌ということになるのでしょうが、無宗教なものですから、法事などはなしで、95歳でまだ元気でいる私の母や、弟妹たち夫妻を招いて、食事会を開いただけでした。

 毎年、ほぼ同じ時期に、小学校のクラス会が開かれています。すでにこの都心の学校は生徒数が激減して廃校になってしまっているのですが、現在の千代田区、当時の麹町区立の富士見尋常小学校でした。名称は在学中に「国民学校」と変更になりました。今年も6月4日に学校の所在地(空襲で私たちが通学していた建物は消失しましたが、戦後再建された校舎はまだあるのです)に近い飯田橋の海老専家でクラス会が開かれました。55人ほどいた仲間のうち、出席したのは14人でした。昨年まで、毎回参加していた二人の親友と、たしか5年生のときだったと思うのですが、一緒に撮った写真を持っていったのですが、残念ながら、その二人とも健康を害したといって欠席したので、渡せませんでした。右がその写真ですが、私がわかりますか? 中央です。

 この当時、私の一家は、飯田橋と水道橋の間で、神田川と省線(今のJR)の線路に挟まれた一本道に沿ったところにありました。父はトラック運送店を経営しており、トラックが4台ほどあり、運転手や助手の青年が何人も同居していました。
 天皇を乗せた列車が、前の省線の線路を通る予定でもあると、事前に警察や憲兵が訪ねてきて、同居人の中に「不逞の輩」「危険思想の持ち主」などはいないか、と聞きに来たのだそうです。また、夜、玄関のガラス戸を通して、家の中をじっと覗き込んでいる目に気がついて、ぞっとした覚えがある、と母はよく言っていました。
それは憲兵が覗き込んでいたのだそうです。

 そういう時代が再現するのか、と思わせるような報道が、このクラス会の2日後にありました。自衛隊が、イラク派兵反対の運動について全国で詳細な調査を行なっているという共産党の発表でした。共産党は、その自衛隊の文書をホームページで公表していますが、驚いたことに、私がもっぱら参加して活動している市民グループ。「市民の意見30の会・東京」もそこに出てくるのでした。この件については、市民の意見30の会・東京のホームページに詳しく出ていますので、ご覧になってみてください。→ http://www1.jca.apc.org/iken30/ 
 
これと関連して、もう一つ
驚いたのは、NHKの報道でした。9日の土曜に、「今週の主な出来事」とかいう番組を見たのですが、年金問題、G8サミットで日本が温暖化防止のために大いに活躍したという安倍首相の自画自賛、そして6大学野球での早稲田優勝などは出てきても、この自衛隊による憲兵活動復活のニュースはまったく触れられなかったのです。「主な出来事」ではなかったというわけです。これは無神経というのではなくて、意図的なものであるとしか思えません。これも恐ろしいことです。