住民投票への疑問に答える 

                     吉川 勇一

 13日の結成総会の席でも出た問題ですが、合併について住民投票を求めようとする運動について、つぎのような疑問が出されることがあります。

 両市の議会では、合併に賛成する議員が多数を占めている。それら議員を選んだのは、両市の市民、私たちなのだから、合併が進むのは当然ではないか、さらには、両市の市長とも、合併を公約にして選挙に臨み、そして当選した。市長を選んだのは、市民なのだから、もう、市民の意思は明らかになっているのであり、いまさら住民投票をやるのは不必要ではないかなどです。

 結成総会の席では、この問題について、二人の出席者から要旨以下のような意見が出されました。

(1) 日本国憲法第96条を見よ。その改訂には、国民による投票が必要であるとの規定がある。もし、賛成議員が多数だから、あるいは合併を主張した首長が当選したのだから、いまさら住民全体の投票は必要ない、という論理が通るならば、国会で改憲派の議員が多数を占める、あるいは、その議会が、改憲を主張する首相を選んだとしたら、それで、改憲はとおってしまうということになる。いったい、何故、日本国憲法は、改訂についてわざわざ国民投票を定めているのか。それは、国の根幹を定める重要な憲法というものの改訂には、議会だけでなく、主権者全員の直接の意思表示が必要だとみとめているからだ。自治体の合併問題というのは、そもそもその自治体の根幹にふれる重大な意思決定であり、市民が選んだ議員が決めればいいというだけの問題では、決してない。

(参項)「日本国憲法」 第九章 改正
 第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

(2) 市会議員の選挙の際、各候補者は、多くの公約を掲げて立候補する。投票をする際、有権者は、その公約のすべてを支持してある候補者に票をとうずるということではない。公約のうちの一つ、あるいはいくつか、自分にとってもっとも関心のある項目について賛同できれば、その候補者にとうひょうするのであって、投票したあと、すべての問題についての決定する権利を、議員に与えてしまったわけではない。しかも、前回の市議の投票のとき、すべての候補者が、合併についての賛否を明らかにして立候補したわけでもない。とすれば、合併のような重大問題に際しては、改めて、全有権者の意思を問うことが必要だ。

 私はこれらの意見に賛成ですが、もう少し基本に立ち返って、問題を考えてみたいと思います。今年の春、私は明治大学2部文学部の入学式の際の講演のなかで、要旨、以下のようなことをのべました。この問題に大いに関係があると思うので、少し引用してみます。(その全文は、このホームページの「市民運動」欄に掲載されています。)

 第1は、世論とは何か、ということです。

   社会学が教える「世論」によれば、世論が成立する条件には三つあるといいます。

  その一つは、イッシュー(問題)が明確に提起されること、第二はそのイッシューについて、必要にして十分なデータ、判断の素材が提供されること、そして第三に、最後には世論を形成すべき人びとの間で、十分な意見の交換、議論が成立することです。

  しかし、政治の世界、とりわけ選挙となると、この三つのすべてが極端に曖昧にされます。争点ははっきりせず、候補者の主張はみな同じようになってしまいます。不利なデータは意識的に隠され、調子のいいイメージだけが薔薇色に提示されます。かつてあったような、候補者と複数の有権者との間の質疑応答、討論の場を提供するような機会はほとんどなくなっています。テレビの上の討論番組が、その代行をしているのです。しかし、テレビ討論がいかに面白おかしく筋立てられていようとも、それは主権者の自主的議論の代わりになるはずがありません。つまり健全な世論が形成されるような条件がほとんど欠如させられているのです。

 もうひとつは、代議制民主主義の問題です。現在の政治の多くは、間接民主主義の方式をとっています。この場で、その是非などを論ずることはできませんが、少なくとも、代議制民主主義、あるいは間接民主主義が、選挙での投票だけで完結するものでは決してないことは確かです。

  直接民主主義にも、間接民主主義にも、それぞれ、すぐれた点と欠点とがあります。代議制民主主義の欠点を補うには、選挙の後も、主権者がたえず世論を形成して、議員にその意思を伝え、それを議会の審議に反映させることが必要なのです。ジャン・ジャック・ルソーが皮肉って言っているように、投票とは、自分の全意思を、生命まで含めて左右する権利を、議員に委ねてしまうことでは決してないからです。

  投票時にはまだ登場していなかった新しい問題や、意図的に隠されていた問題などが表面化してきたときには、あらためて世論に問い、それを政治に反映させるということが、どうしても必要なはずでしょう。

  ここで主としてのべたのは、国政にかんする問題でしたが、地方自治体の政治と選挙の場合にもまったく、これは当てはまります。

 世論を形成すべき第1の必要条件である、問題点と資料がすべて有権者に提供されているという点では、保谷・田無の合併問題については極めて不十分です。また、第3の要点である、世論を形成すべき人々の間での自由な討論ということも、ほとんど行なわれていません。

 私たちが、住民投票運動を提唱したのは、まさに、この点から改めさせ、市民が主人公であるような市政を作り出したいと考えたからです。議会の多数が合併に賛成だから、あるいは、選ばれた市長が合併賛成派だから、というだけで、合併が無条件に進められていいはずはないのです。