hon-small-orange.gif (121 バイト) 次の世代に伝えるために――現在につながる戦争遺跡の事典と絵本の三冊(02/10/02)

『しらべる戦争遺跡の事典』(柏書房刊、三八〇〇円)、
『星が丘の星は何の星』
および『戦車は止まった』(どちらもアゴラさがみはら出版刊、各一〇〇〇円)

 今年の八月九日、文化庁の近代遺跡調査等検討会(会長・鳥海靖中央大教授)が選定作業を行なってきた戦争遺跡五〇件の内容が公表された。戦争遺跡とは、日本の侵略戦争の中で、戦闘や事件、空襲などの跡を遺す建物、遺構、跡地などだ。この作業は、各自治体から報告された近代遺跡五四四件(幕末・明治維新期の二四件を含む)などから、今後地域別詳細調査の対象とされる五〇件を絞り込んだもので、松代大本営予定地地下壕(長野市)、南風原陸軍病院壕(沖縄県)などが含まれている。これらの遺跡は、すべてが国指定史跡となるものではないが、自治体や地元研究者らと協力しつつ今後調査が進められることになるという。

 重要な遺跡で今回のリストに含まれなかったものはまだ多い。例えば、川崎市の旧海軍通信隊蟹ケ谷分遣隊地下壕、松本市の里山辺地区地下工場跡(名古屋の三菱重工業の航空機製作所を入れるためのもの)などなどである。沖縄からは約一七〇件が文化庁に報告されたが、今回残ったのは僅か二件にすぎない(『朝日新聞』815日)。しかし、こうしたところでも地元住民らによる調査活動、保存運動が開始されている。

 これにあわせ、八月二四日から二日間、甲府市の山梨学院大学で戦跡保存全国シンポが開催された。これには全国から、戦跡調査や保存運動に関わってきた人々約二〇〇人が参加、選定から落ちている重要遺跡を追加させるよう文化庁に働きかけること、遺跡の保存、活用などの取り組みなどについて討論が行なわれた(『赤旗』825日)。

 これら戦争遺跡、国内外の一〇二件を地域別に取り上げ、詳細に解説紹介したほか、戦争遺跡の調査、保存等の意義、方法等も詳しく述べた事典が出版された。戦跡考古学研究会代表の山梨学院大教授・十菱駿武と群馬県埋蔵文化財調査事業団主幹の菊池実両氏編による『しらべる戦争遺跡の事典』(柏書房刊、四二一n、三八〇〇円)である。海外のものでは、中国にある第七三一部隊の遺跡など多数や東南アジア諸国・太平洋諸島にある遺跡、そしてベトナムで日本軍が起こした悲惨な事件の跡地多数までが記述されているほか、全国の資料館、研究運動ネットワーク、関係団体一覧、文献目録なども含まれている。

 高齢化、死亡などにより、次第に戦争体験の直接的継承が困難になっている今、本書は、時宜適切な出版。反戦運動、歴史教育、総合学習に大いに役立つ一冊である。

 それと関連して、二冊の絵本を紹介したい。どちらも「アゴラさがみはら出版」によるもので、一つは『星が丘の星は何の星』(文・にしおけんじ、絵・みむらみわこ)。全国に星が丘、緑が丘などの地名は多いが、ここで取り上げられているのは、相模原市の星が丘。仲良しのユウコとマモルがたまたま畑の中の道で転んでしまう。つまずいたのは、四角い御影石の杭。それには「陸」という文字が刻んであった。その「陸」とは何かから話は始まる。そして、二人の住む「星が丘」という地名の「星」とは何かが明らかにされるところで話は終わる。その謎が解かれるために、六〇年の歴史がさかのぼられる。詳細はぜひ、本書にあたってほしい。まさにこの絵本は、軍都だった相模原の遺跡を発掘、保存、継承してゆくための一書である。

 そして、それが単に過去の歴史的遺物にまつわる話では決してないことを示してくれるのが、もう一冊の絵本『戦車は止まった』(文・にしおけんじ、絵・やまだひろみ)である。今から三〇年前の一九七二年、相模原の米軍補給廠からベトナムに送られる米軍の戦車を、市民の力で一〇〇日間にわたって阻止した有名な「戦車阻止闘争」を、事実にもとづいて生き生きと描き出した絵本である。本書の最後の言葉を紹介しておこう。「補給廠から戦車はなくなったけど 基地はまだ残っていて 湾岸戦争や今度のアフガン攻撃でも米軍の後方支援で動いている 30年前の戦車闘争の経験を これからも活かしていきたいね」

 戦争遺跡がまさに現在の戦争・平和の問題であることを、この二冊の絵本は見事に教えてくれる。難しい漢字にはルビがふられ(後者ではすべての漢字)、小学生でも理解できる表現になってはいるが、大人も十分に考えさせられる良書である。(ただ、後者では一箇所23nのベトナム「解放区」の記述が不正確であることだけは指摘しておきたい。)

なお、私はまだ見ていないのだが、全国の戦跡を訪ね、モノクロフィルムに収めた写真集、安島太佳由の写真・著『日本戦跡』(窓社刊、三八〇〇円)も最近出版されている。          (吉川勇一)
 
『市民の意見30の会・東京ニュース』No.74 に掲載