1990年12月発行の『朝日人物事典』(朝日新聞社刊)より吉川影絵1.GIF (2011 バイト)

吉川勇一      よしかわ・ゆういち
1931.3.14.― 

 
 市民運動家。東京都生まれ。1952(昭27)年東大を退学処分。在学中に離島や山村調査を通じて民俗学に関心を持つ一方、朝鮮戦争から講和・日米安保条約締結という戦後政治の反動的再編期に東大学生自治会中央委員会、全学連、日本平和委員会などで活躍し、理論と実証と実務を兼備した戦後派リーダーとして注目された。51年東大学生自治会議長となり、ポポロ事件で官憲と闘う。63〜64年の原水禁運動の方針の相違から日本共産党を除名、その後べ平連に参加、66年から74年の解散時まで事務局長役を務める。べ平連は米紙への反戦意見広告、ティーチイン、脱走兵援助、『週刊アンポ』発刊などのユニークな活動で広範な支持を集めたが、この間の吉川の尽力は大きかった。予備校教師をしながら、80年小田実らと「日本はこれでいいのか市民連合」を、88年には「市民の意見30の会」をつくり、社会変革と未来像を探る新政治勢力としての市民運動の形成に努力している。
 (吉岡忍)

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