20 連れ合いが死んで1年になります (2006年06月07日 午後2時半 掲載)

納骨のこと
 
連れ合いの祐子が死んで、今日でちょうど満1年になります。仏教で言う一周忌です。昨日、 私の妹二人と一緒に小平霊園に行き、小さな骨壷に分けた骨を吉川家の墓に納骨して来ました。遺骨 の大部分は大きな白い壷に入ってまだ自宅においてあります。これは、いずれ、どこかの海に散骨したいと思っています。彼女が一度行きたいと言っていて果たせなかった沖縄を考えているのですが、沖縄となると、そう簡単に行けません。
 最初は、墓に入れないで、全部散骨するつもりだったのですが、私の家では、毎年春秋のお彼岸と、7月のお盆には、母を含めて私の兄弟姉妹たちが小平霊園にある墓に花を持って訪れ、お線香をあげる ことを続けてきました。祖母や父の納骨してある墓地に参るのですが、そのとき、祐子の骨だけがそこにないのも何だか変だと思い、小さな壷に分けた遺骨を昨日、納骨してきたのでした。墓石にも名前を彫りました。戒名はつけていませんので、 「吉川祐子(旧姓 南條)」あとは死んだ西暦の日付と年齢です。この埋骨と彫刻の費用は9万円弱でした。

 
紫陽花のこと
 この時期、私の自宅の小さな庭に植えてある紫陽花(あじさい)の花が真っ盛りとなります。澄んだ紺色の実にいい色合いで、私は大好き、祐子も気に入っていました。昨年のことを思い起こしてみたのですが、 去年、この花がどうだったか、まったく記憶にありません。病院に詰めっぱなしで、7日には帰宅したのですが、そのあとは葬儀の準備にあわただしく、紫陽花は目に入らなかったのだと思います。
 
 
クラス会や同期会のこと
 また、この時期には、同窓会やクラス会が続きます。5月末には、旧制中学、埼玉県立川越中学校(現在の川越高校) の同期会があり、一昨日は、九段にある富士見小学校のクラス会がありました。中学の同期生は288名いたのですが、すでに72名が鬼籍に入っています。前回の同期会以後の2年間に8人も死んでいました。出席は59名でした。
 小学校のほうは、幸い、この1年間、死者はありませんでしたが、50名以上いたクラスメートのうち出席は12名。不参加通知の多くは、療養中、入院中とか、手術直後だとか、リハビリ中などと伝えていました。昨年 のクラス会は、連れ合いが危篤状態のときで、私は欠席したのですが、今年の会では、友人たちからお悔やみやお見舞いの言葉をもらいました。いろいろなことが話題になり、談論風発となったのは、 いつもと同じでしたが、今年は、私の連れ合いの死去と関連して、延命治療のこと、遺産配分のこと、遺言書の作成のことなどが、熱心にやりとりされました。
 小学校のクラス会では、その中の一人、佐藤荘次郎君が、すでに戦災で焼けてしまった私たちの通学当時の学校の教室の配置図や、やはり空襲前の私たちが住んでいた九段や飯田町の詳しい地図(一軒一軒の店の名前まで復元したもの)を記憶にもとづいて書いてきて、その記憶力のすばらしさに一同驚き、ここはああだった、いや、この隣はなに屋さんだったはずだと、話は大いにはずみました。その学校の見取り図 (左)と飯田町の地図の一部(右)を掲げておきます。 どちらも、現在とはまったく違う今から60年以上も前のものです。同級生の方はそれぞれの図をクリックしてみてください。拡大してみることができます。 

川越の街とお土産の感想のこと
 旧制中学の同期会は、小江戸と呼ばれるようになった川越市の古い大きな料亭「山屋」でありました。大いに飲んで、帰りは足元がいささかふらついていたのですが、ゆっくりと土蔵造りや「時の鐘」のある古い町並みを 歩いて、通学のときにも毎日利用していた西武新宿線の本川越駅まで歩きました。途中、「呑龍さん」とよばれる蓮謦寺にも寄り、境内に昔からある焼き団子屋に入って、焼き団子を1本だけ食べました。以前、祐子と一緒に川越を歩いたとき、この団子屋にも寄ったのでした。
 日曜日だったこともあってか、通りは観光客がいっぱいでした。土産物屋も結構繁盛している様子でした。これまで、川越で同窓会やクラス会があり、私一人で来たときは、 必ず帰りになにか川越名物のお菓子などを土産に買って帰ったものです。でも、今年は、買って帰る相手がいないわけで、寂しい思いをしました。言っても仕方のないことですが、何かにつけては、死んだ連れ合いのことが頭に浮かんできてしまいます。

お花 やメールでのご挨拶をたくさん、ありがとうございました
 この文章をパソコンで打ち込んでいる最中に、玄関のチャイムがなり、近くの花屋さんが大きな生花の花束を届けに来ました。埼玉県のK・Kさんからでした。花瓶に入れて、祐子の写真の前に飾り終わったとき、またチャイムが鳴り、花束の配達でした。今度は、昨年の葬儀のお世話をしてくれた「武蔵際浦和会館」からでした。それを飾ったら、また……という具合で、お昼までに、写真の前は花でいっぱいになってしまいました。   
 また、メールでも、昨年の葬儀の際に司会をしてくださった吉岡忍さんほか、多くの方から、命日に当たってのご挨拶や安否を問うご連絡を、いただきました。ありがとうございます。お礼が最後になって失礼しました。
 位牌は作らないことにしていますし、写真の前には、蝋燭の火もお線香立てもありません。ただ、香炉がおいてあって、それで、時々、日本香堂製のお香、「伽羅 大観」を焚いています。