news-button.gif (992 バイト) 68  「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐつどい」のご報告 2010/02/15掲載)  

 長いガンとの付き合いをしながら、活発に活動を続け、昨年暮になくなられた樋口篤三さんを慕う会合は、「ご案内」201号でおしらせしましたように、2月6日に開催されました。私も参加しました。その模様を事務局から「ご報告」が送られましたので、以下にご紹介しておきます。

「樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐつどい」
ご 報 告

「見果てぬ夢を語り継ぐつどい」事務局

 2010年2月6日午後5時、「つどい」は終わりました。参加者一人ひとりの胸に、別れの悲しみとともに言いしれぬ深い感動を残し――。正面には樋口さんの笑顔の写真(2008年)。これを参加者が囲むようにして設営された会場。参加者は259人におよび、補助椅子を数度にわたって運び込むほどの超満員となりました。
 この日、1時30分過ぎ、小谷野毅・全日建連帯労組書記長の開会・司会でスタートした「つどい」は、最初に樋口さんのご子息二人、拓さんと竜さんによるそれぞれ「お父さん」との日々のこと、思い出、学んだことなどの紹介から始まりました。そして、奥さんの喜美枝さんをはじめ、孫たちを含めて総勢7人の「樋口一家」が檀上に並びました。樋口さんは病床で「樋口家はいい家族だったな」とことばを残したそうです。
1993年、はじめて胃ガンが発見され入院となったとき、樋口さんは遺書を書いたといいます。そこでは「おれの葬式は明るくやってくれ」と記されていた。それを小谷野さんが紹介すると、それに応えて発言者は、思い思いに、自由に、樋口さんと共にした「見果てぬ夢」の数々を語りました。会場は終始なごやかな雰園気で、時には笑い声や共感の拍手が起こり、熱気につつまれました。
 進行の関係で「夢を語り継ぐ」発言は二部構成とされ、(その1)では、平湯紘一(東久留米市民新聞編集長)、小塚尚男(生活クラブ生協・神奈川顧問)、吉岡達也(ピースボート共同代表)、アンドレス・バジェステル(キューバ大使館参事官)、若森資朗(パルシステム生協連合会理事長)、保坂展人(前衆議院議員)、戸塚秀夫(労働問題研究者)の各氏。次いで、(その2)では、大和田幸治(田中機械支部委員長)、矢沢賢(都労連顧問)、佐野ウララ(親族)、鈴木邦男(一水会最高顧問)の各氏が発言。ドイツの友人A・ベッティーナらのメッセージを加藤玲子さん(キューバに自転車を送る会)が代読し、最後に丸林輝丈氏(静岡商工会)が発言しました。司会からは、全国金属本部書記長だった平澤柴一氏や、小沢一郎氏と懇意の平野貞夫氏(第一部まで)らが参加されていることも紹介されました。
 樋口さんの81年の生涯のどこかで、ある人は長期間、ある人は最近の数年間、ある人は生協運動の中で、ある人は労働運動の現場で、ある人は沼津や東久留米のそれぞれの時期の地元で、キューバで、あるいはドイツ、イギリスで、ある人は「篤さん」と呼び、ある人は「樋口大先輩」と呼び、姪のウララさんは「叔父さん」と呼び、それぞれの人が「夢」を語り継いだのです。
 発言(その1)と(その2)の間に上映された、生い立ちから晩年までの樋口さんのたたかいをつづったDVD『けつまずいても ころんでも〜樋口篤三さんのあゆみ〜』(15分)、また、この日に間に合うように発行された『樋口篤三さんの見果てぬ夢を語り継ぐ』(四六判224貢頒価1000円)で綴られた109人の思い、証言とともに、すべてが樋口さんが私たちに遺してくれたすばらしい「贈り物」でした。おそらく発言者を含めて参加者は、そこに「(自分が)知らなかった」「思ってもみなかった」樋口さんを発見したことでしょう。
 最後に、元連合大阪副会長の要(かなめ)宏輝さんが閉会のあいさつ。まさに樋口さんの「見果てぬ夢」であった戦略的な構想、労働運動・社会運動の横断的な統一のた糾こ、小異を捨てて大同につこうではないかと訴えました。
 「つどい」の第二部は献花。参加者はキューバのラテンリズムが奏でられるなか、一人ひとり、赤いカーネーションを遺影に捧げ、樋口さんとお別れをしました。
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