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「改革を止めるな」?

2005年10月10日Web掲載

〔2005年12月16日更新〕  ← ここをクリック


【「改革を止めるな」?】に関しては、【旧】と【新】は同じ内容です。

【2005/10/10記載】
 2005年9月11日の解散総選挙は「改革を止めるな」をキャッチコピーにして戦った自民党・公明党が衆議院の3分の2を超える議席を獲得するという圧勝でした。
 この選挙結果等々に関する分析・論評は色々なところで行われており、今更私が記載することでもないのですが、「ちょこっと一言」言ってみないな・・・ということで・・・。

 この「改革を止めるな」の「改革」というのは、何のことかを十分理解して投票されましたか、ということを言いたいのです。

 ここでいう「改革」というのは、グローバルスタンダードの旗印の下に推し進めているものだと、私は理解しています。
   「市場競争原理が働くように、聖域を設けずに、規制緩和する」・
   「官から民へ」・
   「小さい政府にする」・
   「努力した者が報われる世の中に」
等々がキーワードになっている「改革」です。

 で、上記のキーワードそれぞれについて解説するべきなのでしょうが、最後の「努力した者が報われる世の中に」について、私の理解するところを記載します。
 これは、実にそのままの内容で、例えば所得税について言えば、「累進課税ではなく、高額所得者も低所得者も同一の税率にしましょう」といったことです。アメリカではブッシュ大統領が言っています。日本でも、累進課税の税率が、富裕層に有利な税率になってきています。そして、「税金は、税金を支払った人のために使いましょう」ということになって来ていると私は理解しています。

 実にシンプルです。で、今度の選挙結果をみると、この主張に賛成する人が増えてきたのですね。
 これが何を意味するかといえば、「首都圏等の大都市で集めた税金は、税金を支払った大都市の人の為に使いましょう」ということにも繋がると思っています。そして、だからというわけではないのでしょうが、公募で受かった地縁・血縁も無い人が落下傘のように地方選挙区に立候補してきているのです。この件に関しては、「党議拘束」というコメントに記載した「『代議制民主主義』ではなく『政党政治』になっています」に通じるものだと思っています。(※地縁・血縁のある人が、地方選挙区には立候補すべきだ、と言っているわけではありません。)

 こうなれば、過疎地というのか、地方で選出された議員が、税金の分配で地元の為に働くということが出来なくなってくる、ということです。
 もっとも、700兆円を超える借金を抱えた身であれば、「税金の分配」などというある種の贅沢はいえない状況ですので、今更ということかも知れません。

 私の見るところ、今回の選挙で郵政民営化に反対した自民党の議員の多くは、地方で選出された議員で、族議員等と言われながら税金の分配が地方(特に地元)の有利になるように働いてきた議員だと思っています。
 私自身は、「自分が選出された地元の為に」という部分は好ましくないと思っていますが、税金を地方に分配するという点に関しては、必要なことだと思っています。「『大型の公共事業』を誘致し、税金が地元の為に使われるようにする」などということは、好ましくないですが、一定の比率で、過疎地には手厚く分配する等の配慮があっていいということです。
 多分、今後はこのような機能は働かなくなるでしょう。「三位一体」といわれる税金の分配に関しても、「地方に厚く」などということは通用しなくなると思っています。

 さてそこで考えなければならないのは、この「改革」が好ましいものか、ということです。私自身は、好ましいくない、と思っています。「勝ち組み」「負け組み」等が言われていて、社会構造が2分極化している世の中ですが、このように2分極化しているのは、税の分配がうまくいっていないからだと思っています。

 人間が生きていく上で必要なものとして「衣食住」が言われています。ひとりの人間が必要とする「衣食住」に関しては、そう大きな違いはないと思っています。富裕層の人は貧困層の人の100倍の所得があるから、100倍のお金で「衣食住」をまかなうということではないでしょう。とすれば、2分極化していくということは、経済規模が縮小していくということにも繋がるのではないか、と思ってみたりもしています。
 まぁ、「勝ち組み」の人も、その勝ち組みというのを謳歌できるのは、「負け組み」の人の蓄えがなくなるまでのことでしょう。また、少子化ということで、人が少なくなれば、経済も縮小するのは当たり前ですし。

 このように考えると、このグローバルスタンダードというシステムは、今後、何十年もは続かない仕組みだと思えてきます。貧困層の人も、食べられなくなれば、どこかで弾けるのは当たり前でしょう。皆が皆、餓死するということを選択をするとは思えません。これを抑えるためにも、軍隊は必要ということでしょうか。(※日本では起こりそうも無いことですが。)
 もっとも、アメリカでは超大型ハリケーン「カトリーナ」の被害で2分極化した社会の問題点が露呈しましたので、変化があるかも知れません。

 で、分からないのは、今度の2005年9月11日の解散総選挙で、地方・過疎地の人は、どうして「改革を止めるな」に賛成したのか、ということです。
 地方・過疎地の人も、グローバルスタンダードの「改革」が好ましい、と思っているということでしょうか。
 それとも、私の上記の理解が間違っているのではないか、と思って見たりもしていますが・・・。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

参考資料
[封印される不平等](橘木俊詔 編著)
[封印される不平等]に掲載されている図 

所得税率の変遷



  
【2005/12/16記載】
 毎日新聞2005年12月16日朝刊3面13版「06年度与党税制大綱」
 より、下記の表「所得税の新たな税率構造」を追加。

2006年度与党新所得税税率構造



【「改革を止めるな」?】に関しては、【旧】と【新】は同じ内容です。