閉ざされた心を開く

第1章 清い言語が会話を閉ざす



 言語――それは人を励ましたり、希望をもたらしたり、喜びをもたらしたり、平安に導く原動力になります。反面、人をけなしたり、絶望をもたらしたり、失望をもたらしたり、不幸をもたらしたり、苦痛をもたらします。よく言われているように、言語は社会の変化をもたらしたり、個人の関係の衝突をもたらします。
 言語は思考するための道具でもあります。思考から信仰が始まり、行動に影響し、世界の文化を特定します。外国語には食物とか、音楽とか、祝典の意味があります。言語は文化を唯一、代表するものです。特に聖書は一つの言語で語りかけてます。
  創世記11章には地上には一つの言語しか話されなかったときがあったと書かれています。共通した唯一の言語は団結をさせ、共通の目標を形成し、一つの心を持つように思考し、語らせます。次のように人類を描いていました。

れんがを作ってよく焼こう。……町を建て、……名をあげよう。

 名は目的を一体化し、文化を特定します。
古代の民が自分たちで「名」を上げようと決めるとすぐに、神は次のように反応しました。

神は仰せられた、一つの民、一つのことばで今や彼らがしようと とどめられることはない。さあ、降りていって、彼らのことばを混 乱させ……(創世記11:6-7)

 統一された言語があるとそれによって新しい機会が与えられます。バベルの古代の民にとって、その機会には神のために何かをすることは除かれてました。
 人類が情報を受け取るやり方を変えました。一つの言語から成る社会を廃止しました。人類の使える言語を混乱させ、人は一致していたのにばらばらにしました。
 創世記11章の民のようにカルトの組織は一つの考えをする社会を創設し、一つの言語を作り、自分たちの規則を作ります。その規則や団体の信教に反対する者は沈黙します。急進的な政治改革があるところでは文化は指導者の意を汲んで独自のものにされます。新しい政治的な言語や社会の言語に反対する者は中傷を受けたり、再教育されます。極端な例では処罰されます。そうした変革は常に人民の思考と行動を疑い、再度定義してから始まります。するとそれは政府の理想や基準や行動を反映します。
 通常、カルトは指導者への全面的で完全な服従を求めます。それは信者をその家族や友人から分離する意味があります。母の日、父の日、祝日は家族がもっとも親密になる日です。カルトの組織は信者にはその家族以上に組織に忠誠を尽くしたり、組織を愛するように求めます。
 完全な統制をしている規則を一つだけ定めます。政府やカルトは一つの心、一つの目的、一つの言語を作ろうとする危険をはらんでいます。そうした社会はまもなく神と自由を取り除き、創世記11 章にある古代の民にように自分の規則を作ります。一つの心、一つの目的、一つの言語をもつ社会は神を持つ必要はなく、自由の観念を拒否します。
 ものみの塔にはこうした観念が当てはまるのか、いぶかしがる人がいるかもしれません。それがぴったり当てはまるのです。協会から信者に個人的な制限や内輪での制限を課すのですが、それは協会の出版物を見れば分かります。唯一の神の宗教だと主張し、反対する意見や反対する行動は許しません。神権政府で統治する道を切り開きます。

その実例:ものみの塔は「救いのためのエホバの組織」だと主張 します(「ものみの塔」1982/5/15 P.27)。その発足時から協会は世の 終わりを何度も予言しました。そのとき「真理」として自画自賛し ました。「エホバ」の名を用いる唯一の組織だからです(「ものみの 塔」1997/1/15 P.22)。

 この宗教の体制では、ものみの塔に対する反対は許されません。恐怖を用いて信者を教育し、世の証人以外の70億人の人たちの滅亡を展示しているハルマゲドンの恐怖は出版物の中で常に描かれています。証人の数は600万人に過ぎず、世の人口のわずかな割合しか占めてません。その目標は「エホバの組織」に居続けさせるために信者の心の中心に恐怖心を維持することです。その結末は明らかです――完璧な管理です。
 エホバの証人を定義する短い慣用句があります。オーウェルの小説「1984」で使われた「欺瞞的用語」のような、忠誠心を醸し出すために用いられます。特定の言葉を使わせないとか、言葉を再定義したり、特定の奇妙な文句を繰り返し用いて、その集団内の者を感化をします。心理学ではそれを「言葉の詰め込み」と呼んでいます。
金太郎飴の世界にならせるような、忠誠を尽くすため、反復させ、心動かし、人の心を浄化します。ものみの塔協会はある方法を使います。それは「清い言葉」です(「ものみの塔」2001/9/15 P.5-6)。      
 エホバの証人に証しするに直面する彼らの防衛体制としては強力で
す。忘れないでください。言葉は文化や統一性、目的を定義します。
それからまもなく忠誠心が生まれます。依存心が生まれる前兆です。
塀の外にある、この言語以外の言語はすべてよそ者が使う言語です。
聞いたことのない外国語を話す人たちの近くに座っていたことがありますか。不快な感じがしたでしょう。エホバの証人はそれと同じ感覚を覚えます。不快感を持ちます。「サタンの組織」の代表だからです。言葉の障壁があるためにエホバの証人の一致を共有できない世の人です。
皮肉な結果:ものみの塔協会を解体できる唯一の者はエホバ神に奉仕していると信じているエホバの証人自身です。金太郎飴の世界に神がほかの言葉を混ぜ合わせるや否や、たちまち民は散らされ、 一致は解消されました。
  エホバの証人が用いる言葉はものみの塔の出版物の中に書かれて
います。応答する際に用いるべき言語は異なる「言語」です。拒否されます。ものみの塔の考えに一致していないからです。
 このような「言語」はエホバの証人が引用している次のようなものみの塔の出版物の中で発見できます。

独立的考えとの闘い
独立邸思考を避けなさい
神が用いておられるこの伝達の経路と連絡を保たなければ,どれ ほど多く聖書を読むとしても,わたしたちは命に至る道を進むこと はできません
救いのためにエホバの組織に来なさい
自分は組織よりもよく知っていると考え始める人は,こう自問し
てみるべきです。「自分は最初に真理をどこで学んだだろうか。これ は独立的な考えです。この考えは誇りの証拠です。誇りは崩壊に先 立ちます。
エホバを父,エホバの組織を母とみなすことを学んできました。

 ものみの塔協会のメッセージは次のようです。「ものみの塔は神の経路、地上の神の声。ものみの塔は神の代理 人」。一つの声、一つの心、一つの言語によって語ります。
カルトは。思考を動かすために文化的な「言語」を用います。こ の環境で成長する者にとってはこれだけが現実を考える上での拠り 所になります。どう生きるかに関わります。 元証人が次のように語っています。

冗談で次のように言うでしょう。エホバの証人はよその国から来た、私たちと同じ言葉を語らない人たちとは付き合えないのです。 私たちを統一する、霊的な言語を持ってました。私たちエホバの証 人だけが語れる「清い言語」があります。私たちはそうして交わり ます。

実例:
世の人が「誕生日」の祝いをするとき、その言葉は「私たちの言葉」に入りません。神の民の言葉ではなく、異教徒の習慣です。 「恵み」という言葉はいくら美しく響いても、エホバの証人の心 には入りません。ものみの塔はそれをこ過分のご親切に言い換えま す――それが正当な翻訳です。救いに至る言葉であって、この訳に は隠された意図があります。その信者に潜在意識にメッセージを植 え付けると確信しています。ものみの塔の指導者はそれを承知の上 で二匹目のどじょうをねらってその言葉を使っています。
 受ける価値がないのに何かを望むときは、受ける価値があるように努力します。この正当な翻訳には何らかの意図が隠されていませんか。エホバ神を愛する者は、神の過分のご親切を熱望します。過分のご親切のためなら何でもします。恵みのたよりを共有しようとするクリスチャンは残念ながらご親切を選びません。すると証人は偽りの宗教を実行したなと確信します。
 エホバの証人以外の世にいる人たちはものみの塔が心に育て上げ
た「清い言葉」に反していますから「外国語」を用いているようで す。少なくとも彼らの言葉によると「異なる意味」を持っています。 「清い言語」は、証人がどのように考えるか、感じるか、語るか を反映しています。神の組織と神の求め(厳しい服従)を喜んで受 け入れ、神に喜ばれると確信するよう条件付けられています。このエホバの証人以外の世にいる人たちはものみの塔が心に育て上げた 「服従」がいかほど証人を感化しているか、例を上げましょう。
  エホバの証人はものみの塔協会に批判的な文書を読むことを禁止されています。情報を管理して証人のことばを清くします。協会の思考に一致させるためです。
 ものみの塔を止めたらその人はものみの塔以外の文献を読むときに集中心を保って読むことが困難です。例えば難しい複雑な科学の文献を読もうとするときに元証人はどのように感じるでしょうか。――読みにくいのです。 ものみの塔を止めると元証人の多くの人はことばの定義を学習 しないといけません。例えばものみの塔流の「真理」の定義は専ら、 証人自身の文化を定義するために用いられます。証人が仲間の証人 に「どのくらい長く、真理の中にいますか」と話しかけると「私はXX年間、真理にいます」と答えます。
 スポーツチームや企業は親しみのあるロゴを使用します。ものみの塔協会もロゴを使用します。「救いの方舟」を表してます。ものみの塔の「清い言語」は新規の身元保証をします。目的意識の一致を保ちます。しかし証人でない家の人はその証人の愛するロゴの異常さに違和感を覚えます。清い言語が証人との間にそびえ立ちます。
未信者の家の人からの例を上げます。

家の人が嫌らしさを覚える例
未信者の家の人:妻は誕生日を祝いませんし、学校でやるハローウィンなどの祝日に参加しません。
私:奥様はバプテスマを受けましたか。
未信者の家の人:まだ受けてません。エホバの証人と研究をしていました。何か話をするととても組織を弁護します。子どもに「ものみの塔」誌を読ませようとしますし、王国会館に連れて行こうとします。王国会館に行かせたくありません。子どもは行きたくないのです。妻と子どもの話になります。
私:奥様は証人と研究する決心をしたので未信者への態度が変わりましたし、個性も変わったと思います。
未信者の家の人:その通りです。私の一番下の娘は「あなたのパパは悪魔の人とママが言った」と言うのです。そのことばにはうんざりです。もうたくさんです。

結婚してから
未信者の家の人:深刻な結婚の問題を抱えています。二人でデートしていたとき、自分はエホバの証人だとは一度も言いませんでした。そして私たちは結婚しました。王国会館に行き始めました。不意打ちを食らいました。
私:裏切られた感じがしましたか。
未信者の家の人:そうです。結婚すると何でも受入れるでしょう。
でも結婚生活にひびを入れる宗教を受入れたくないのです。

  これは現実にこの問題に直面した人たちのほんの一例です。どのようにものみの塔の「言語」がエホバの証人を感化するかを理解するかを理解することは大事です。何が証人の衝動になるかを学べば 学ぶほど、欲求不満の程度は下がります。なぜ、ものみの塔が信者を感化するやり方やその罠にはまってしまうか、理解できるでしょう。すべて意味があります。勇気を持ってください。鍵をかけられたこころにも鍵を開ける鍵はあります。
  聖書的な話し合いをする、いい意味でのクリスチャンは「しるし」 を指摘します。それがエホバの証人の思考に影響を及ぼしているわけではありません。エホバの証人は、ものみの塔協会の権威に忠誠を誓う要因となるものを信じています。エホバの証人がゆだねた権威がその「要因」です。最初の目標はエホバの証人を突きつけた源泉に的をしぼることです。源泉に集中すると「しるし」が沈静化し、 まもなく解消します。
 エホバの証人の思考と信仰を駆り立てるものを理解するとなぜ忍耐が重要なのか、分かるでしょう。ものみの塔の「言語」は創世記11章の古代の民と同じ言語です。エホバの証人は彼らの「言語」と象徴(組織はバベルの塔)の手段を用いて統一された目標を果たしています。神の力によりものみの塔との一致を解消するため新しい言語を証人に提供しましょう。

究極の考え方
  創世記11:14ではバビロンの民は「われわれは名をあげよう。わ れわれが全地に散らされるといけないから」と語りました。ヘブラ イ語の「名」はshemです。それは名声、有名な人々になるとか、 名誉を受けるとか、権威とか、有名の意味があります。名前が与え られ、民がその属性の元に統一されるとそれらはもはや神の存在が 必要なくなります。創世記の書士は神の固有名詞「主」を用いたこ とに注意するべきです。言い換えると「主」は彼らの団結に反する 立場を取り、統一を解消するために降りてきて、神は散らされまし た。

 現在、ものみの塔は統一の旗の下に「清い言語」を語る証人を有 しています。「王国の実を生み出し,エホバのみ名を告げ知らせてき たので,エホバがそれらのクリスチャンを喜びとしておられること も明白です。神は,その人々が,破れることのない一致のうちにご 自分と結ばれた組織の一部である,ということをはっきり示してこ られました」(「イザヤの預言」P.341段落12)。ものみの塔はその一致を何と名付けたのでしょうか。

「大会に集まった彼らは熱意を抱いて決議(すぐ「ものみの塔」誌 に掲載された)を採択し,その中で次の事を宣言したのです。「わた したちは主なる神が口ずから与えられた名を喜び勇んで抱き,受け 入れるものです。ゆえにわたしたちはエホバの証人…という名によ って知られ,かつ呼ばれることを願うものです」。―イザヤ 43:10-12」(「ものみの塔」1979/7/1 P.7)。その信者を一致させてい る名、エホバの証人は1931年に採用されています。

 バビロンの古代の民が禁止された行為をまさしく、ものみの塔は 行いました。そしてものみの塔は自分たちを一致させた段階に進み ました。神の固有名の後ろに付加して自分らの名としました。バビ ロンの古代の民は自分らの名を命名しましたがそれと同じことをや らかしました。部外者が言うことではありませんが、信者自身が自 分たちの名を命名したとは考えられません。
 なぜエホバ証人と話し合うことが困難なのか不思議に思うなら読 んでみなさい。説得力のある議論をしてもものみの塔の一致を解消できません。神の愛だけがものみの塔の一致を解消できます。

まとめ
・ 言語は思考ための道具です。言語は共同体とその文化を定義し、それらの影響を及ぼします。
・ 創世記11章に登場する文化は単一の言語を語る文化でした。 それは目的を統一しました。
・ 「言語」を有するカルトや体制は人々が思考と行動を一致 させるように計画されています。
・ カルトはうぬぼれが強いのです。自由(即ち神)を必要と しなくなります。
・ ものみの塔は「清い言語」を使います。単一の思考の文化 を定義し、一致させます。
・ そうした共同体に生きる人たちはまもなく自分で考える能力を失います。
・ 一般のクリスチャンはものみの塔の「清い言語」に気がついていません。この「清い言語」によって単一の思考に統一されます。クリスチャンが種を蒔く前にものみの塔が依存している権威の源に対処しなければなりません。


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