第6章

ヘブライ語訳のテキストの源泉

 ヘブライ語訳の中にあるテトラグラマトンに与えられる中心的立場のゆえに、クリスチャン・ギリシア語聖書とテトラグラマトンの研究は、それが由来する翻訳とそのテキスト源泉を評価しなければならない。

ヘブライ語訳が見つかる

 テトラグラマトン研究の早い段階には、入手できる「J」文書が調査の的となった。その結果、ヘブライ語訳J18が地元の図書館で発見された。しかしそれはその重要性がはっきりした2年ほど後、J18の題のある頁を見直したすぐ後だった。数年後に次の図書館でその第二版が見つかった。

 ものみの塔は、全般的に訳(version)を翻訳(translation)のつもりで使っている。ある言語からほかの言語に文章を訳する事が翻訳であり、一方、その結果生じた本は訳(version)と呼ばれる。英語の聖書は聖書的言語(ヘブライ語、アラム語、ギリシア語)が英語に訳される聖書である。英語の聖書はそれぞく訳文である。ジェームス王欽定訳や新世界訳聖書もそうである。同様にヘブライ語訳は、ヘブライ語に翻訳されたクリスチャン・ギリシア語聖書から成る(明らかにクリスチャン・ギリシア語聖書だけはヘブライ語に翻訳されるだろう。ヘブライ語で書かれたヘブライ語聖書は訳ではない)。

 J18の何たるかがそれである。J18は翻訳である。それはギリシア語からヘブライ語への翻訳である。

 ヘブライ語訳としてのJ18だけがそうなのではない。「J」脚注に引用される多数のヘブライ語訳の一つに過ぎない。しかし研究のために入手できることになったヘブライ語訳だから重要なのだ。

J18の評価

 新世界訳聖書委員会がテトラグラマトンを置き換えるために用いたヘブライ語訳の一つがJ18である。王国行間逐語訳1969年版はJ18について28頁に次のように書いている。

J18


  ヘブライ語のギリシア語聖書。1885年、ロンドンでクリスチャン・ギリシア語聖書のヘブライ語訳が出版されたこの新しい翻訳はイサク・サルキントンによって始められ、その死後、クリスチャン・デェビット・シンスバーグによって完成された。もっとも古い写しは1891年の第3版である。1939年ロンドンでトリタリアン聖書教会によって出版された訳に近い。さらに同協会から1941年に出版されたヘブライ語−英語新訳聖書とも近い(王国行間逐語訳1985年版は日付を上げていない)。

 新世界訳聖書にある脚注資料に基づいて、ヘブライ語訳の中にテトラグラマトンを見つけるだろう。237回に上るエホバの記述を研究すると、脚注の大部分がJ18を引用する。予想した通り、新世界訳聖書に上げられたように確かにテトラグラマトンが認められるだろう。77頁に複写したルカ1:16−34の箇所を注意深く読みなさい。ルカ1:16、17、25、28、32はすべてエホバを記述している。これらの聖句のそれぞれでテトラグラマトンの使用が検証できる。王国行間逐語訳に現れる脚注は次の通り。

 16、17、Jehovah,J7-18,22-24,Lord,AlephAB

 25 Jehovah,J5,7-18,22,23,Lord,AlephAB

 28 Jehovah,J5,7-18,22,23,Lord,AlephAB

 32 Jehovah,J5,-18,22-24,Lord,AlephAB

 

 私たちにとって幸いなことに、へブライ語文章の中でテトラグラマトンやほかの材料であるか識別できように、J18には、該当の頁に英文の文章が並立して含まれている。しかし読者は気がつかなければならない。これらの訳は、すべて現代ヘブライ語に翻訳されたのだから、「J」参照の訳ではテトラグラマトンはすべてヘブライ語の母音のドットをふくんでいる。その結果、成りゆきとして書かれた形式は、ものみの塔の出版物で見慣れているものとは、ちょっと違っている(ものみの塔協会は母音なしのテトラグラマトンを再現する。母音の説明は第1章を見よ。もっと完全な情報は、『参照資料付新世界訳聖書』1570頁付録3Aも見よ)。

 しかし私たちは、J18として識別されたへブライ語クリスチャン聖書訳にある表紙の裏の頁の情報に注目しなければならない。下記に再現したタイトルのページはことのほか重要だ。p76.jpg

  THE
NEW TESTAMENT

OF
OUR LORD AND SAVIOUR
JESUS CHRIST

Translated out of the original Greek;and with
the former translations diligently compared
and revised, by His Majesty's special command

  私たちの主及び救い主イエス・キリストの
新訳聖書

 本来のギリシア語以外から翻訳した。陛下の特別
の命により、以前の翻訳と勤勉に比較し、改訂した。

 あなたはヘブライ語の源泉としている資料に言及している箇所に気がつきましたか。もう一度見なさい。

 本来のギリシア語以外から翻訳した。‥‥
‥以前の翻訳と勤勉に比較し、

 以前観察したように、訳(version)という語は単に翻訳を意味している。けれどもこれらヘブライ語訳のクリスチャン聖書に書いてあるテトラグラマトンを研究している時は、私たちが古代ギリシア語ギリシア語テキストからの翻訳について語っていることはまれである。

ギリシア語聖書に由来するヘブライ語訳

 ヘブライ語訳は、ヘブライ語以外の言語からヘブライ語への翻訳にすぎない(多くの場合、ヘブライ語訳はコイネー・ギリシア語から翻訳された。J9はラテン語聖書から翻訳された。第5章でシェム・トブのマタイ福音書(J2)はマタイのヘブライ語福音書の新しい校訂本とする好奇心をそそる可能性を考察した。それが本当なら、J2は翻訳というより、本来の文書として区別されなければならない。加えてシェム・トブのマタイ福音書の校訂版は、翻訳の改訂版というよりも、本来のヘブライ語文書の校訂版として区別されるだろう。それらの校訂版には、J3もJ4も含まれるかもしれない)。もちろん、これら特定のヘブライ語翻訳者たちが彼らのヘブライ語訳の中でテトラグラマトンを用いたことは興味深い。しかし、私たちはヘブライ語翻訳者がどの語を選択するかに主要な関心があるのではなく、ヘブライ語訳が翻訳されたテキストの文章の書記者によって用いられた特定の語に関心がある。クリスチャン・ギリシア語聖書を書いている時、霊感を受けた書記者は、ルカ1:16、17、25、28、32のような箇所で、テトラグラマトン(ヘブライ語ではyhwhla.jpgと書かれた)を用いたのか、ギリシア語kyrios(matt2710.gif)を用いたのか。

 この特製のヘブライ語訳は、どのテキストからどれが翻訳されたかを私たちに教えている。J18は「本来のギリシア語以外から翻訳された」。クリスチャン・ギリシア語聖書の著者が237回もテトラグラマトンを用いた証拠をどこに求めればいいのか。私たちは、ギリシア語聖書自体に目を付けなければならないのに。すでに発見したように、ものみの塔が所有するもっとも信頼できるギリシア語テキストは、これら237回の箇所でそれぞれ、kyriosを使う。ウエストコットとホートのギリシア語テキストには1か所もテトラグラマトンが現れない。そのうちの223例では、その同類の形式でギリシア語kyrios(matt2710.gif)を明確に用いている。13例ではギリシア語theos(theos.jpg)用いられ、そのうちの一例では再帰的にkyrios(matt2710.gif)を指し示す文法上の一致に由来する。

 訳としてのヘブライ語テキストの関係を考えなさい。シェム・トブとその校訂版を除くと、テトラグラマトンがクリスチャン・ギリシア語聖書のテキストに存在していたと主張するために新世界訳聖書が用いるヘブライ語のテキストの源泉は、すべてギリシア語テキストそのものから翻訳される。

 特に注記しない限り、ヘブライ語訳がすべてギリシア語写本に由来したことを疑う理由はないだろう。しかし「J」文書自体を個々に調査をしていないのに、次の事が言えるだろう。まず、シェム・トブのマタイ福音書とその校訂版の現実的な例外はあるが、古代のヘブライ人のクリスチャンの文書で現存しているものは一つも知られていない。二番目に王国行間逐語訳(1969年、85年版)は次のリストを上げる。J5は、「ギリシア語から訳された」。J7は、「ギリシア語聖書からの翻訳」。J6、J11、J13、J15、J17、J18、J19、J24は「翻訳」。J8、J12、J14、J16は「訳」。J2、J22、J23、J25、J26、J27はその源泉を上げていない。J3、J4、J10はほかの「J」参照の校訂版。J9は「ラテン語福音書からの翻訳」。J1は「ヘブライ語のマタイ福音書の古代写本からの訳」として上げられ、J21はエンファチック・ダイアグロット(ギリシア語文にkyrios(matt2710.gif)を用いるが、英語欄でエホバを示す)。J20は『ギリシア語聖書語句辞典』であり、ギリシア語ΚΥΡΙΟΣ(matt2710.gif)の見出しの下にすべての記載項目を上げる。『聖書全体は、霊感を受けたもので有益です』の読者は、これらすべての訳(J9を除く)がギリシア語テキストを源泉としていることには何の疑いも持たない。

  少なくとも14世紀以降、ギリシア語聖書のヘブライ語訳も刊行されてきました。その幾つかは神のみ名をクリスチャン聖書の中に復元しているので、興味深い訳です。新世界訳は、上付き番号のある「エ」の記号を用いて、それらヘブライ語訳を何度も参照しています。(319頁)


 309頁で、新世界訳聖書を描いている図のある箱組の中で語られていることは、「23のヘブライ語訳‥‥‥‥ギリシャ語またはラテン語ウルガタ訳からの翻訳」。しかし前にも書いたように、J2は実際、クリスチャンのヘブライ語福音書かもしれないし、J3、J4はその校訂版の改訂かも知れない。

 テキスト上の資料の現在の評価として、いまや、私たちはテトラグラマトンの存在を検証するために供された26(おそらくは23)篇のヘブライ語翻訳は、それ自体テトラグラマトンが書かれていない既知のギリシア語テキストから翻訳されことに気がつかないといけない。

 テトラグラマトンを支持するために用いられる証拠

 私たちはもはや本来のクリスチャン・ギリシア語聖書を持たないのだから、目下、入手可能な約5千以上の写本からテキストを再構築しなければならない。その作業を完成するには、何らかの仕組みが工夫されなければならない。一般的には、最善の古代のテキストと現在受け入れられているギリシア語テキストの間の相互関係の仕組みから実行される。もっと簡単に言うなら、古代の写本から現在のギリシア語テキストに変遷するテキストの源泉の列として描かれる。もっとも信頼できる写本は、受け継がれた現代のギリシア語テキストの源泉となる。しかし現代ギリシア語テキストは、その正確さを評価されなけばならない。現在のギリシア語テキストからもっとも信頼できるギリシア語写本へと、文章上の変化を遡って、支持している証拠に帰ることによって行なわれる。

 この最古の現存するギリシア語写本と現代のギリシア語テキストの相互関係は、霊感を受けたクリスチャン著者の書物の信頼に足る再現となるのか。クリスチャン聖書への全面的な信仰は、証拠収集の仕組みに依存することは明白である。この本の目的はテトラグラマトンであって、聖書的な書物の集大成ではない。また、私たちはクリスチャン聖書の一部の確かさは全体の確かさと大同小異だと認めなけばならない。クリスチャンギリシア語聖書のテキストの伝達過程を疑うことなしには、237例のkyriosのテキストの伝達を疑うことはできない。もしクリスチャン・ギリシア語聖書を神から人への価値ある伝達であると分かれば、今日だれも知らない写本の中にテトラグラマトンが痕跡さえ残さずに取り除かれた点だけを例外にできない。私たちは、神のことばの確かさは個人の理解に依存すると暗示してはいない。しかし、もしテキストの伝達過程がクリスチャン・ギリシア語聖書全体に対する古代写本の注意深い研究を経て擁護されるなら、クリスチャン・ギリシア語聖書は、237例に上るテトラグラマトンと均しく信頼性を得るはずだ。

 図4は、イラストを使って証拠の仕組みを表わしている。エラスムスともっと最近のウエストコットとホートのためのテキストの源泉の一群は、古代ギリシア語写本に由来する。この図に示されたように、入手できる最古のギリシア語テキストは、新世界訳聖書で見つかる237例のエホバの箇所の大部分でギリシア語kyrios を用いる。このギリシア語書物のどれもがテトラグラマトン(yhwhla.jpg)を用いない。ウエストコットとホートのテキストにあるkyrios (matt2710.gif)を支持する証拠の山は、ギリシア語書物のうち、入手可能な最古の写しに遡るのだということもこの図から読み取れる。

図4 Kyrios(matt2710.gif)と『新世界訳聖書』で用いられているテトラグラマトン(yhwhla.jpg)のテキスト源泉

fig4.jpg

 しかし、この図は、新世界訳聖書のクリスチャン聖書にあるような神の名に対するテキストの源泉の山に関して、とても違ったものを示す(この図は、テキストの源泉と新世界訳聖書の中のテトラグラマトンを支持する証拠の山だけを示していることに目ざめよ。テトラグラマトンを除けば、テキストの源泉と新世界訳聖書の残りを支持する証拠の山は、ギリシア語写本の最古の写しを追跡できる信頼あるウエストコットとホートのギリシア語テキストに拠っている。新世界訳聖書はクリスチャン・ギリシア語聖書の中で神の名を用いる237例のうち、236例でテトラグラマトンのテキストの源泉として、26(または23)篇のヘブライ語訳を用いる。その結果、テキストの源泉を支持している証拠も同一のヘブライ語訳である。これ以外に支持する証拠はない。これらの訳はエラスムスのギリシア語テキストから翻訳されたことに注意しなさい。テトラグラマトンが用いられるかどうか決めるために、これら237箇所の各々にエラスムスのテキストを明白に研究できる。今日、それは存在しないのだ(エラスムスのギリシア語テキストの再現については付録Eを見よ)。

 現時点でのテキストの証拠と歴史的な証拠を展望して見ると、新世界訳聖書の翻訳者は、「本来のギリシア語写本は、これら237例の箇所でそれぞれどのようなことばを使うのだろう」と自問したはずだ。その答えは、容易に得られる。王国行間逐語訳は、新世界訳聖書のクリスチャン・ギリシア語聖書の中にエホバを挿入した237例のうち、223例で本来のギリシア語聖書書記者たちがkyrios の語を用いたのだと示している。

 テキストの証拠を評価すると、ヘブライ語のクリスチャン聖書は、現在喪失された比較的信頼できる古代の源泉に由来したとは論じられないことも発見する。「J」参照として用いられたヘブライ語のクリスチャン聖書はすべて1573年以降に翻訳された。もっともよく引用される古いヘブライ語翻訳は1599年に出版された。それらの本は古代の喪失された文から翻訳されたのではなかった。それらヘブライ語翻訳は、1611年に翻訳されたジェームス王欽定訳が用いたのと同じギリシア語テキストから生じた。

 クリスチャン・ギリシア語聖書におけるテトラグラマトンの個人的な理解を評価するとき、単なる翻訳としてのヘブライ語訳の意味深さを把握してこなかった。新世界訳聖書の中で「神の名の保存」のために用いられる脚注の証拠は、結局はギリシア語テキストそのもの(その翻訳は疑わしいが)に基づいていることをしばしば見落としがちだ。

 私たちは、この章で調査の大切な分野を掘り起こした。もしヘブライ語訳が現在喪失された古代ギリシア語写本に基づいているなら、これら古代の文書を再現するために研究を注意深く追求する必要があるだろう。そうすることで、霊感を受けたクリスチャン書記者がテトラグラマトンを用いたことを証明する写本上の証拠をヘブライ語訳が有しているかどうか、決めるだろう。

 しかし、反面、ヘブライ語訳が今日容易に試みることのできるギリシア語写本に基づくことを私たちは発見した。これらギリシア語写本は、テトラグラマトンよりもはっきりとkyrios の語を用いる根拠を与えている。


この章のまとめ

 ヘブライ語のクリスチャン聖書には二つの源泉がある。それは校訂版か翻訳のいずれかだ。第5章で私たちは古代ヘブライ語福音書の校訂版を評価した。この章ではヘブライ語訳を評価するときの重大な話題を考えた。必要上、ヘブライ語訳はほかの言語の写本から翻訳された。つまりそれは、霊感を受けたクリスチャン書記者がテトラグラマトンを使うことについて私たちに重大な情報を与えてくれるであろう元になる言語の写本である。

 ヘブライ語訳は、すべてクリスチャン・ギリシア語聖書の古代ギリシア語写本を源泉にして写している(ラテン語ウルガータ訳に由来するJ9は唯一の例外)。これらの訳は、16世紀以降に出版されたのだから、その源泉として用いられたギリシア語テキストを検証できる。223例では、テトラグラマトンではなく、むしろ、ギリシア語kyrios(matt2710.gif)の語がギリシア語テキストの中に見つかる。これらヘブライ語の翻訳の中で用いられたテトラグラマトンは、決してギリシア語テキストの中でのyhwhla.jpgに由来してはいなかった。

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