第四章

ギリシア語逐語訳研究(第二部)

 私たちは、3章でクリスチャン・ギリシア語聖書からkyrios(Lord)の語の研究を紹介した。研究では特に、新世界訳がKyrios を「エホバ」と訳している237例を評価する。

 この章では、『王国行間逐語訳』に書かれたJ脚注の命名法に特に注意を払って研究を仕上げるだろう。

J参照の脚注

 『王国行間逐語訳』は、神の名の出現する各々の箇所に、興味深い参照資料と脚注資料を上げている。二つの種類の情報に対する脚注の形式とその記述が特に面白い。一つ目は、特定の古代ギリシア語写本の源泉であり、二つ目は後の時代のヘブライ語訳である。例えば、マタイ1:24の逐語訳にはこうある。

24 Εγερθεισ δε ο Ιωσηφ απο του υπνου

 Having beenawakened but the Joseph from the sleep

εποιησεν ωσ προσεταζεν αυτοω ο αγγελοσ

 did as directed to him angel

Κυριου και παρελαβεν τηνγυναικα αυτου

of Lord and he took along the woman of him  

 右の欄外、新世界訳のはこう、書いてある。

24 ThenJoseph woke up from his sleep and did as the angel of Jehovah*had directed him,and he took his wife home.  

神の名が用いられるから、脚注24がその頁の下の欄に書き加えられている。そこを読むと。

24*Jehovah,J1-4,7-14,16-18,22-24;Lord,aleph,B.

 すべてのギリシア語写本とJの印の説明は、『王国行間逐語訳』の中の「用いられる印の説明」の見出しの下に含まれている。ギリシア写本が書かれたおおよその日付とヘブライ語訳の公表の日付が書かれている。私たちは、研究自体そのものに対して、記録された情報があっさりとしているために、最古のものあるいはもっとも簡単な原文を引用するに過ぎないだけだ。ヘブライ語訳の場合には、最も古い記述が公表された日付を引用するだろう。ギリシア語写本が引用された場合、脚注に表示された最も古い写本だけの日付の範囲を書くだろう(『王国行間逐語訳』の中で引用されたギリシア語写本とヘブライ語訳の完全なリストは付録Aに要約されている)。

 マタイ1:24の脚注は、18のヘブライ語訳と二冊のギリシア語写本を引用する。説明のために、これら二つの記載に注目しよう。ヘブライ語訳J7とギリシア語のAlephシナイ写本は、『王国行間逐語訳』の1969年版、26頁と29頁には、次のように説明されている。

  J7

 ヘブライ語のギリシア語聖書。ドイツのニュールンベルグのエリアス・フッターが1599年、ヘブライ語でクリスチャン・ギリシア語聖書全巻の翻訳を公表した。フッターのポリグロット新訳聖書1599年版の一部であり、キャノナイズされたクリスチャン・ギリシア語聖書全巻の初めての完璧なヘブライ語版である(コピーはニューヨーク公立図書館にある)。

  Aleph

 シナイ写本。コーデックスの形式での4世紀の筆記体のギリシア語写本。元来、クリスチャン・ギリシア語聖書全巻が含まれていたのは明らか。現在、ロンドンの大英博物館が所有している。

 『王国行間逐語訳』の脚注は簡潔で読みやすい。しかし初めのうちは、『王国行間逐語訳』の決め事を基本的に理解する必要がある。「24*Jehovah,J1-4,7-14,16-18,22-24;Lord,alephB.」と書いてある脚注には、次の情報が含まれている。「24*」は、24節のエホバの後ろのアスタリスクを参照する。聖句の表示に続くエホバの語は、新世界訳の神の名の使用を支持する文献の一覧を表わす。その文献は、J1-4,7-14,16-18,22-24である。ヘブライ語訳J1,J2,J3,J4,J7からJ14,J16からJ18,J22からJ24は、すべてその中にテトラグラマトンを含んでいると教えている。脚注は、その同じ聖句でKyrios (Lord)を証明していると『王国行間逐語訳』が識別したギリシア語写本を二冊、引用している。そのギリシア語写本はAlephシナイ写本とB(バチカン写本1209)である。

 『王国行間逐語訳』で脚注参照として用いられたギリシア語写本は、選り好みした数少ない古い標本を表わすに過ぎないことに読者は気が付くだろう。私たちは、すでに『聖書全体は、神の霊感を受けたもので有益です』の319頁のことばを引用した。そこでは5千以上のクリスチャン聖書のギリシア語写本が存在していると教えている。塔協会は、kyriosよりもテトラグラマトンを用いているこれらギリシア語文のいずれをも、差し出すことはしない。

 訳の引用に関する簡単な説明が理にかなっている。『王国行間逐語訳』脚注はLORDを支持する古代の訳(ラテン語、シリア語、そのほかの言語に訳されたクリスチャン聖書)の引用も含まれている。古代文献の研究では、これは共通の慣行であり、有用な慣例である。その訳がギリシア語でなくとも、ギリシア語文の本来の言葉遣いを決定する上で価値のある情報源かもしれない。kyriosに対応するテトラグラマトンの場合には、有用な説明となる。

 ジェロームによるたラテン語聖書はLordを支持して『王国行間逐語訳』の中にしばしば用いられる引用である(Vgと表示される)。ジェロームが用いたラテン語は、その翻訳に用いられたギリシア語の読み方を表示する。西暦400年にジェロームが初めて公表したのだから、彼の用いたギリシア語文は、その年の前のものである。そのギリシア語文にはテトラグラマトンが含まれていたなら、ジェロームはラテン語でヘブライ語文を書き直したり、神の名をラテン語に訳したりしただろう。一方、ギリシア語文がKyrios を用いたのなら、ジェロームはそれをDominusと訳しただろう。どちらの場合でも、古い訳は、古い写本に用いられたギリシア語を力強く表わす(証明ではないが)。

エホバの脚注にある写本の日付

 エホバの脚注は、写本の日付に関する意味のある情報を私たちに教えてもいる。

 その本では、この点から、読者は、ある写本の年代は非常に重要な日付なのだということに目覚めなけければならない。聖書写本研究では「古いものほど良い」の格言ほどふさわしいものは見つからない。比較的古い写本は新しい写本より本来の霊感を受けた聖書の時代になおさら接近しているから、あてはまるのだ。

 与えられたエホバの脚注の注意深く見直すと、文書上の日付の興味深い比較が示される。黙示録4:11は、重要なエホバの聖句である。この本の後半でこの聖句を振り返ろう。しかし、今は、脚注から知ることのできる写本の書かれた(あるいは、公表した)日付の重要な説明となるだろう。

 『王国行間逐語訳』に示される聖句は、次の通り。

11 Αζιοσ ει,ο κυριοσ και ο θεοσ ημεν,

   Worthy you  are,theLord and the God of us,

λαβειν την δοξαν και την τμην και την

to receive the glory and the honor and the

δυναμιν,οτι συ εκτισασ τα παντα,

power, because you created the all (things),

και δια το θελμυα σου ησαν και 

and through the will of you they were and

εκτισθησαν.

they were created

 右の欄外に引用された新世界訳はこう訳す。

11."Youare worthy,Jehovah,"even our God,to receive the glory andthe

honor and the power,because you createdall things,and because of your

will they existed and were creted.

 頁の下欄にエホバの脚注がある。

11.Jehovah,J7,8,13,14,16,18,Lord,alephVgSyh

 聖句脚注11*は、エホバを証明している六つのヘブライ語版(J7,8,13,14,16,18)と、Lordを証明する古いギリシア語写本二巻(Alephシナイ写本とAアレキサンドリア写本)と二つの訳(ラテン語訳聖書とシリア語訳)を一覧に示している。さまざまな訳と写本の日付は脚注に上げられていないが、『王国行間逐語訳』にある「用いられる印の説明」と題する節から情報が得られる。そこでヘブライ語訳の公表日付は各々、1599年、1661年、1838年、1846年、1866年、1885年と書かれている。古いギリシア語写本は4世紀と5世紀の日付があり、二つの訳は、405年と464年の日付となっている。

 脚注にある情報のさらに詳しい説明として、ここの聖句でテトラグラマトンとLordが書かれた各々の参照を区別することは役に立つ。それらは『王国行間逐語訳』の序文の資料にあるように、参照記号、ギリシア語写本であるか訳であるかの識別と日付が一覧になっている。ヘブライ語に訳された様々のギリシア語聖書の訳(それぞれが、テトラグラマトンを用いる)を一覧にした表1の情報からまず手を付けよう。

表1

J7  エリアス・フッター訳、ヘブライ語によるクリスチャン・ギリシア語聖書

1599年

J8  ウィリアム・ロバートソン訳、ヘブライ語によるクリスチャン・ギリシア語    聖書 1661年

J13 A・マッコールなどの訳、ヘブライ語によるクリスチャン・ギリシア語聖書    1838年

J14 J・C・ライハルト訳、ヘブライ語によるクリスチャン・ギリシア語聖書     1846年

J16 J・C・ライハルトとJ・H・Rビーゼンタールの共訳、ヘブライ語による    クリスチャン・ギリシア語聖書 1866年

J18 アイザック・サルキント訳、ヘブライ語によるクリスチャン・ギリシア語聖    書 1885年

 この同じ聖句から一般にLordと訳される語Kuriosが書かれている同様のリストが掲げられる。表2に示す。

表2

aleph シナイ写本。筆記体でのギリシア写本        四世紀   

A   アレキサンドリア写本。筆記体でのギリシア写本   五世紀

Vg ラテン語訳聖書。エウセビオス・ジェロームによる改訂版 405年

Syh   シリア語ペシタ訳                   464年

 『王国行間逐語訳』は黙示録4:11のためにヘブライ語の六つの情報源を引用する。その最も古い訳は1599年、一方、最も新しいの訳は、1885年の日付である。その反面、4世紀と5世紀の二つのギリシア語写本がギリシア語Kurios を支持するために引用される。

度重なる見落とし

 研究を計画するとき、小さいが重要な細かい部分の見方を見落としがちである。ハワード自身が調査をしていた数年間、著者はヘブライ語版とギリシア語写本の間の日付にある重大な食い違いを見落としていた。

 それらの日付が何を伝えているのか考えてみなさい。新世界訳の翻訳者は、1385年のヘブライ語訳が支持している証拠に立って、237回、聖句で神の名を使う道を選んだ。その反面、ギリシア語Kuriosに対して有効な最も古い証拠(『王国行間逐語訳』の脚注で参照される)は、古くて300年の日付のある信頼できるギリシア語写本である。

 新世界訳のクリスチャン聖書の訳文から今や明るみになった原文上の情報と歴史的な情報に対する新しい理解は、私たちを重要な疑問に直面させる。約五千巻の写本を有していて恐らくは三世紀と四世紀に検証されたクリスチャン聖書自体よりも、1385年以降に公表されたヘブライ語訳が、クリスチャン聖書にとって一層の信頼できる原文的な源泉だと考えられるのはどうしてだろう。

                  

研究のまとめ

 研究からデータを集約する時が来た。この情報は、付録Bとその結論としてのまとめに記載された完全な研究から選ばれた。付録Cに再現された714のKurios 引用の本来の研究のため、参照を用意した。

 新世界訳聖書は、クリスチャン・ギリシア語聖書において神の名エホバを237回、用いる。『王国行間逐語訳』の脚注に従ってそれらの各例のまとめを次に記す。

新世界訳聖書での名が出現する回数の合計          237回

ヘブライ語聖書からの引用による出現回数          112回

ヘブライ語聖書の源泉を持たない出現回数          125回

『王国行間逐語訳』でそれに対応するギリシア語

  Kyrios(matt2710.gif)                223回

  Theos (theos.jpg)                  13回

  その他(ヤコブ1:12)              1回

それに対応する『王国行間逐語訳』の語

  Kurios(matt2710.gif)に対して              Lord

  Theos (theos.jpg)に対して               God

  その他(ヤコブ1:12)に対して              he

yhwhla.jpgを支持しているヘブライ語訳の日付の範囲                                   1385年から1979年

matt2710.gifを支持している写本の日付の範囲     200年から400年

 評価のために、クリスチャン・ギリシア語聖書全体でKurios の語が全体で何回出現しているか、上記の情報と比較するのは、興味深い。次のまとめの情報は、付録CにあるKuriosの語の広い研究から導き出された。『王国行間逐語訳』と新世界訳の中にあるギリシア語の英訳を評価すると

『王国行間逐語訳』

  Lordと訳されたKyrios            651回

  LordまたはLordsと訳されたKyrios       62回

  Lords と訳されたKyrios             1回

  『王国行間逐語訳』でのKurios(matt1025.gif)の回数  714回

新世界訳聖書

  Lordと訳されたKyrios            406回

  Jehovah と訳されたKyrios          223回

  Master,master,mastersと訳されたKyrios    53回

  Sir,sir,Sirsと訳されたKyrios         17回

  Lordと訳されたKyrios              8回

  Owner またはownersと訳されたKyrios       5回

  God と訳されたKyrios              1回

  翻訳されないKyrios               1回

  新世界訳聖書でのKyriosmatt1025.gifの記述の合計     714回

 クリスチャン・ギリシア語聖書全体でのKuriosの語の714例に対応して新世界訳聖書でいかにさまざまな英語が用いられたかに注目することは、特に興味深い。しかし、私たちは、英語のLordとJehovahに主要な関心があるのだから、解説はこの二つの語だけに制限しよう。

 付録Cの資料を簡単に評価すると、新世界訳聖書の中でKyriosに対する好ましい訳語の選択はLordであることが示される。KyriosはLordとして406回、出現する。注意すべき稀な例外があって、これら406例はイエス・キリストを指している。黙示録でのヨハネの語の使用に特に注意を払って、読者に注意深く付録Cの資料の研究をしてもらおう。『王国行間逐語訳』が20回、Lordと英訳し、3回、lord(s)と英訳する23の箇所で、ヨハネはギリシア語Kyriosを用いる。一方、新世界訳聖書は12回もエホバと英訳し、8回はLordと英訳し、3回はlord(s)と訳す。

研究を個性的にする

 この本は原文的な情報、歴史的な情報の研究である。結局、著者自身の調査から著者の個人的な結論を表わす概要が与えられるのが適当だ。しかしこの点、しばしば情報収集過程に誤った適用が続く。

 肯定的な見方で与えられた情報そのものを読む者もいる。彼らは著者に賛成するようになりやすいから、情報は信頼できると断言し、個人的にそれ以上の研究をしないでその真実性を受け入れるだろう。

 そのような反応は誤りだ。著者の結論は情報を「真」にしない。結論は研究の実際の基礎について検証されねばならない。たぶん、読者が原文上の調査で用いられた個々の文書を試みることは時間的にも、源泉上もできないだろう。著者の結論を支持する前に、『王国行間逐語訳』に書かれた情報を読者は注意深く研究すべきであろう。

 この件に関し、付録A,B,Cの情報は『王国行間逐語訳』の実際の文章を調べて注意深く試されなければならない。情報をすべて検証すると、読者は著者の意見によらないで自分の結論を安全に形成するかもしれない。読者による検証によっては、著者の書いた情報は読者の情報収集の過程を補うだけにすぎない。形成された結論は、読者自身のものになる。

 一方、否定的な偏見で同じ情報を読む者もいるだろう。この二番目のグループは、著者に反対の傾向があるかも知れないから、彼らは、情報が不正確だと断言しそうだし、それ以上の研究をせずに、肯定的な利益を退けるかもしれない。

 その反応も誤りだ。たぶん、この二番目のグループも、著者が行なった調査を全部、複写する満足な時間も手段も持たないだろう。しかし、このグループは、『王国行間逐語訳』の脚注を注意深く試してみなければならない。もう一度言うと、最後の結論は、著者の記述に性急に反応するよりも主要なデータを個人的に研究することから生まれなければならない。

 どちらのグループの読者も、この研究の経験主義的内容から利益を得るだろう。企画の段階まで、この研究は聖書の解釈に基づていなかった。研究は歴史的データと原文上のデータに拠る(しかし私たちは、歴史的研究も聖書写本研究も、歪められているかも知れないと理解しているのは確かだ)。内容を吟味されかもしれない古代のギリシア語写本が現在、存在するかもしれない。それら写本にはyhwhla.jpgが書かれているのか、Kyriosが書かれているのか。結局は、個々の読者が自ら断定しなければならない疑問である。

 その点、『王国行間逐語訳』にあるそれぞれのエホバの脚注を注意深く研究するために、この本を一時的にそばに置けばたいそう役に立つだろう。エホバの脚注を含む714回のKyriosの箇所の完璧な調査すれば、読者はクリスチャン聖書にある語Kyriosの使用に対する価値のある洞察を与えられるだろう。付録B,Cは聖句の配置を得るために用いられるかもしれないが、結論は読者がすべきだ。クリスチャン・ギリシャ語聖書の中にテトラグラマトンが存在するかは、エホバの助力を得て、読者が自分の結論を下してもよい。

 この短文でこの章を締め括るが、この本の残りにも目を通しなさい。正しい答えがあるはずだとするあなたの考えを基準にして、目の前にある情報を受け入れてもいけないし、拒んでもいけない。可能な限り、あなたのための主要な情報泉を直接評価し、霊感を受けたクリスチャン・ギリシャ語聖書の中のテトラグラマトンの場に関し自分で結論を下しなさい。

この章のまとめ

 『王国行間逐語訳』にあるJehovah参照を補充した脚注の情報から、次の結論が導かれる。

1.新世界訳聖書の中の237回のエホバの記述に関し、『王国行間逐語訳』では二組の日付を上げる。最も古い日付は、Kurios(Lord)が301年から400年の間のギリシア語写本すべての中に存在していたことを検証する。比較的に新しい日付は、1385年に遡るヘブライ語訳の中でのテトラグラマトンを支持する。

2.237回に及ぶエホバの引用のほかには、新世界訳ではギリシア語Kyrios(称号として用いられるとき)がイエス・キリストの人格として識別される場合が多い(Kyriosは406回、Lordと訳される。詳しい説明は付録Cを見よ)。

3.237か所でのテトラグラマトンのあてはめは、新しいヘブライ語訳からだけしか引き出されていない。それを支持しているもっとも古い根拠は、1385年のものに由来し、大概の根拠は、1599年以降に由来する。事実、ものみの塔からは、本来のクリスチャン・ギリシア語聖書にテトラグラマトンを示す原文からの直接の証拠は与えられていない。

4.新世界訳聖書の翻訳者は選り好みをした237箇所においてLordではなく、エホバの語を用いた。さらに1385年に遡るヘブライ語版26冊は約5千のギリシア語写本よりも重要であると考えられている。それらのギリシア語写本は四世紀に遡り、Lordの語を用いている。

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