そうだったのか……。

これで分かった「ものみの塔」の政策

「地上で永遠に楽園に生きる」――協会は典型的な異教の教えを伝道させている

 エホバの証人はその熱心な伝道活動でその名が広く知れ渡っている。
その活動の動機としては一人でも多くの未信者を証人に仕立て上げ、必ず来るハルマゲドン(最終戦争)に生き残る証人を増やすことにある。証人はハルマゲドンで生き残り永遠に楽園で生きるとい証人の特権について、協会から再三再四、頭の中に叩き込まれる。典型的な表現は次の通りである。

 家庭を犠牲にしてまでも、一人でも未信者を証人に育て上げてハルマゲドンに生き残させようと必死に活動する。しかし証人は、協会から教えられている真理が異教の教えであることには気が付いていない。ものみの塔協会が生まれるはるか前、まったく同じ教えをすでにゾロアスターがそうした教義を伝えているのである。

 それではものみの塔協会特有のこの楽園の教義はだれが言い出したのか……。ラッセルは、「大群衆」は天的希望を持つと言っていた。文字通り、『現存する万民は死することなし』を著した二代目会長が怪しい。ラザフォードがバビロンの教えを復活させたのであろうか。

バプテスマ

 バプテスマ(洗礼)はキリスト教では特別に重い意味を持っている。キリスト教徒になるには避けて通れない儀式である。ものみの塔の信者が「聖書研究生」と名乗っていた時代には、ものみの塔の信者はバプテスマの儀式を行わなかった。浸礼形式のバプテスマをしていない者はもう一度儀式をする必要があるとしてバプテスマをするようになった。そして、1985年までは、ものみの塔の信者を志願する者はバプテスマで次の質問を受けていた。


この質問はキリスト教会の質問と変わらない。聖書的である。ところがこの質問は1985年になると突然、変更された。


もちろん聖書には「組織」ということばはない。二番目の質問は聖書的ではない。
1985年以前にバプテスマを受けた人はエホバの証人になるとは自覚していなかったのだろうか――組織の方針に背いても審理委員会からの召還を忌避する人もいた。そういう人には協会は次のような米国最高裁の判例を引用して小包便で法律文書を送りつけて脅した。


1985年以降は、「改善された」バプテスマを受けているのだから召還を忌避できなくなった。証人が裁判に訴えても、バプテスマのときの質問への回答を根拠にして組織の専任弁護士は小包便を送りつける手間が「簡略化」できた。
米国最高裁の判例の趣旨とバプテスマの質問の間に食い違いはない。「改善された」バプテスマの時に最高裁の判例を確認しているのである。これでは審理委員会を忌避しますとは主張できない。組織は勝手きままに排斥にできる根拠を手にした。バプテスマという宗教的な重要な儀式の場に世俗的な法的手続きをもちこんでいるのだ。それはいまでも継続している。

統治体成員の地位にいたR・フランズは次のように書いている。

戸別伝道

 戸別訪問を続けると家庭争議を引き起こし、場合によっては、離婚の原因になると知っていながらも、女性信者は未信者の夫の熱心な反対にもかかわらず戸別訪問に従事し続けるしかないと思っている。これは否定できない事実だ。
カソリック派がミサに出席するこだわりに比肩できるほど、エホバの証人を戸別奉仕へと駆り立てるその信条に根拠はあるのか。

 ものみの塔は巨大な出版組織を築き上げてきた。定常的に膨大な数の出版物を印刷している。印刷する多数の人間には衣食住を提供している。その巨大な帝国を維持するためには継続して印刷し、人手による販売を継続しなければ崩壊することを知っている。証人が門前で実のある話をすることはほとんどない。敷居をまたげるのは例外的だ。家の人には雑誌を差し出すほかには「証」活動はない。人々は教えの説明を受けない。パウロの伝道のしかたと比較してみなさい。
「ものみの塔」1987/12/1号20頁では、その辺の事情を承知した上で、「このように本を持ち歩くのは、書籍販売計画にすぎない。何とうみ疲れさせる仕事だろう」と言っている人がいると認めていながら、誰一人として、ものみの塔協会による戸別販売方式に課された、事の重大性が正当かを疑ったり、神のみことばを研究し、そこに力強く書かれている根拠に基づいて、真摯に、良心的に疑ったりはできないと、明言している。少しでも疑う者は、神に忠実でなく、「目立つことだけ考えていて」、自己中心的であり、エホバへの恐れを失い、エホバへの愛を失っているとほのめかしている。

脱会者とはあいさつさえしてはならない――忌避義務

 ものみの塔の現役の証人・研究生は、脱会者とはあいさつを交わすことすらできない。「ものみの塔」1981/11/15号にはこう書かれている。

 忌避義務は組織にとって都合の悪い情報を遮断するために存在する。宗教団体の開発した組織の重荷を守らない者がいれば、その者が及ぼす影響を排除するために設けられた。かさねて「ものみの塔」1991/4/15号22ページでは「追放された人とは交わりません」と述べ、続いて家族の一員が排斥された家族にどういう関係を持てばいいか、また、証人が電話して脱会者が電話口に出たらどういうふうに答えるか、こと細かく指導している。協会は同居している親族には緊急性が求められるときに限り、会話が許されると規定している。組織の方針を疑ったり、組織の教えを疑えば「先走りしている者」、「背教者」のレッテルを貼られる。そうなれば家族、夫婦といえども、絶交、別居を強いられる。兄弟であってもあいさつもしてはならない。親の死に目にも遭えないといった悲劇が繰り返される。信者には村八分以上の陰湿な報復が義務付けられている。そうならないために証人は狭い証人の世界の中では、組織を疑わないよう、条件付けられる。そうした協会の指導に従わなければ、「これこそ真理だ」と信じてやまなかった宗教から排除されるし、楽園の望みが絶たれる。そればかりか、家族の間では挨拶すらできなくなってしまう悲劇が生まれるのだ。

「考えることは大変な労働です」――典型的な情報操作

 エホバの証人はものみの協会の出版する出版物を読むよう強く奨励されている。定期的に行る集会に備えるためである。そのものみの塔の雑誌には判で押したように読者への質問が付されている。その質問の答えは必ず本文中に書いてある。集会ではその答え通り答える。そうしなければ独立的な思考をする者として扱われる。「傲慢な人間」、「驕り高ぶった人間」、「信仰が足りない」、「背教者」といった陰口がささやかれる。研究を始めたばかりの研究生なら大目に見られる。しかし証人歴を積めば積むほど、その陰口のとげとげしさが身にこたえる。だから雑誌に書かれた答えしか口に出せない。「目ざめよ!」誌 1978/11/28号にははっきりとこう書かれている――「考えることは大変な労働です」。
協会は過去、間違った教義を教えてきた。間違った年代計算を繰り返してきた。教義はたびたび変更された。――それでもエホバの証人は協会の出版物に書かれてあることはすべて真理だと信じるよう、強いられている。出版物に書かれた通りにしか答えられない。
ものみの塔の出版物は星の数ほどあった。しかしすべての証人がそのすべてを読めるわけではない。証人が読める出版物は限られている。99%以上の圧倒的大多数の証人はC・T・ラッセルの著した出版物を読んでいないし、読もうにも手に入らない。読む術がない。過去の協会の出版物には十字架のイラストが描かれているものがあった。そのどれもが証人の手には届かない。王国会館には古いものみの塔協会の出版物は置かれていない。読んでもらっては困るのだ。自分らの組織は清い組織であると主張し、ほかの宗教は偽りの宗教だと口を極めて批判する。しかしながら一方では、清い組織と信じ込んでいる自分らの組織の歴史的書物は隠蔽している。ものみの塔協会にとって都合の悪い情報は巧妙に隠蔽している。
信者には限られた情報しか示さないこういった協会の手法こそ典型的なマインドコントロールの手法――情報操作そのものである。

「親の権威の「むち棒」を誤用している人が多いのは嘆かわしいことです」――信者に責任転嫁

 エホバの証人は子どもにはムチを惜しまないよう、強く奨励していた。

アダムの子孫はみなこらしめが必要です。
そして吟にはしっかりとこらしめるためにむちで痛みを加える必要があります。「愚かなとが子供の心の中につながれている、懲らしめのむちは、これを遠く追いだす」。(箴言二二ノー五、新ロ)ですからエホバのこらしめは、いつの場合もむちをひかえる世間の門家がすすめるようななまぬるいものではありません。箴言二十三章十三、十四節は、もともと実際のむちのことを言っているのです。「子を懲らすことを、さし控えてはならない、 むちで彼を打っても死ぬことはない。もし、むちで彼を打つならば、その命を陰府から救うことができる」。ですから両親は時折り、子供に痛い思いをさせて理解させる必要があります。そうして痛い思いをさせても、それで子供が死ぬことはなく、かえってよい影響を与え、子供を保護して「その命を陰府から救う」でしょぅ。
  何が両親をこうした恥や悩みや憂い、悲し みから守るでしょぅか。それはニホバのこらしめです。訓練されていない子供の行いが非行になるのは必然的な成行きです。であれば「懲らしめのむち」が必要です.。両親から憂いと苦しみを除くためには、子供が痛い思いをしなければなりません(「ものみの塔」1963/11/15 P.688。

 二世の元信者はムチを明確に記憶していて、月刊誌上で証言している。

 その宗教は、子どもは親に従順であるようにと教え、子どもが親の意向に沿わないならば、肉体的暴力によって矯正するべきだと主張していた。その教えにより私の小学校時代は地獄絵図と化した。発達障害があるために、学校ではイジメの標的だったが、不登校の選択肢はなかった。母は、機嫌が悪いと子どもたちの些細な言動で激昂し、何時間も正座をさせて反省を促し、次いでガスホースによる殴打を加えた。そのあと母は私たちを抱きしめながら「愛しているからやっている」と言った(中央公論2022/2 P.108 「宗教二世問題とは何なのか」)

  政策を決められるのは唯一、統治体だけである。ものみの塔の歴代会長には子どもがいなかった事実が反映されている。初代会長ラッセルは不倫の容疑で妻から訴えられていた。二代目会長のラザフォードはアル中の身でべト・サリムの中で静養をしていた。「神の王国をふれ告げる人々」でそれを認めている(P.89)。三代目会長ノアは晩年になってから結婚している。四代目会長フランズは生涯、独身だった。統治体は児童虐待による死亡例が現実に生じたため、従来の方針を転換した。「ものみの塔」誌の挿絵は統治体会長が悪さをした他人の子どもをたたいて懲らしめていると邪推したとしてもあながち的外れではない。

 後になって統治体は従来の方針を撤回するどころか、信者が悪いとばかりに児童虐待の責任を放棄している。

今日,親の権威の「むち棒」を誤用している人が多いのは嘆かわしいことです(「目ざめよ!」 92/9/8 p.21)

 


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