法廷における嘘と宗教:
エホバの証人の神権的戦いの教義の分析(7)

 

ものみの塔の嘘つきを支持する宗教的な根本原理

 

 

 ものみの塔は嘘を正当化するためにすでに書いた箇所以外の聖句をいくつか使用する。トーマスは、ものみの塔が次のように嘘を正当化しようとすると、指摘している。

聖書では売春婦のラハブがイスラエルのスパイを匿うためにエリコの王に嘘をついた。エホバの証人は、エリコが滅んだとき、ラハブはスパイを守るために嘘をついたから、命を助けられたと述べている。しかし聖書はラハブがイスラエルの神が本物の神であると認めていたから命を助けられたと述べている(ヨシュア2:11)。神はラハブが嘘つきだから命を助けられたのではない。嘘をついた事実があるにもかかわらず命を助けられたのだ。その上でものみの塔はアブラハムもイサクも、ダビデも真理を隠したことがあると指摘する。しかしたとえもっとも優れた人間でさえ失敗をしてきたことを聖書のすべてが証明している。確かに悪い行いをしようとして人は(その人がどれほど偉いかにかかわらず)間違いをしでかすのではないだろう。新約聖書の命令ははっきりしている。……ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。(エフェソ4:25)。エホバの証人が自認するところでは、もしも利益にならないのなら、隣人に真理を話してはならない。もし利益になると思えばエホバの証人は隣人に対し故意に嘘をつく!(”Masters of deception”)。

 嘘を正当化するためのラハブの戦略を用いる件に関するロビンの結論はこうだ。

聖書はラハブが嘘をついたからと言って誉めてはいない、それは邪推だ。……繰り返し繰り返し、嘘をついてはならないと述べている聖書が嘘をついたからといって誰かを誉めるなら、奇妙だ。なぜ神がラハブだけに嘘をつくよう命じたと判断するのか? ラハブの売春行為はユダヤ人のスパイを匿うことと同じくらい重要であって、聖書がそれ故に売春を支持するには、それなりの根拠があると判断する。……しかしラハブたちは……必要なときに嘘をつくことに対しては適切な先例であると唆す人もいる。

 もし「真理を知る権利を持たない」者たちに対してなら、誤って導くという嘘が正当化されるという立場は、どこのキリスト教の教会でも公式な教義として教えてこなかった。トーマスは次の結論を下している。

もし殉教したクリスチャンがいわゆるエホバの証人の「神権的な戦略」を用いただけでも、度重なるクリスチャンの殉教で大勢のクリスチャンが命を落とすことはなかった。彼らの生命そのものは次の質問に対する答えにかかっていた。「あなたはクリスチャンですか」。もしそれに対して思い切って「そうです」と答えれば、恐ろしい十字架刑が待ち受けていた。たいていは全員がクリスチャンであることを否定しなければならなかった、そして命が保たれた。……しかし強固なクリスチャンの信仰を持つ者は、「暴君の振り回す剣や、ライオンの血生臭いたてがみ」を逃れようと、恥をしのんでものみの塔流のだましをしようとはしなかった。彼らはキリストの目的のために地上での命を落とした。しかし永遠の命と永遠の誉れを得た。それがクリスチャンの遺産であり、それを誇りにする権利を持っている(”Masters of deception”)。

 ものみの塔の立場は嘘に関しては実際は首尾一貫していない。そのいい例は第二次世界大戦にナチの強制収容所で起きた。強制収容所から解放されるために証人はものみの塔への忠節を放棄する書類に著名することだけはしなければならなかった。自分を守るためにものみの塔を否定することは永遠の命の希望を失うことだと教えて、協会は著名しないように指令を出した。ものみの塔はものみの塔を守るときにだけ、嘘をつく、信者自身を守るためではないと指示を出した。けれども予想されたとおり、証人の嘘はほかの分野へも向かっている。トーマスは、ものみの塔の信仰を評論した小冊子を証人に差し出したときに起きた経験を語っている。

このエホバの証人はわたしを個人的に知らなかった。しかしその証人は個人的にそのトラクトの著者を知っていると語った(この嘘つきめ!)。私がその本人であるとは考えないで、「敬具」(パンフレットの名前か)は資金を横領したために東側のものみの塔を追い出されたと述べて、その著者を中傷し始めた(私はエホバの証人になったわけではない)。このトラクトの作者は私をだましてそのパンフレットを配布させている。それに気が付かないなんて君は本当にバカだねとなどと言って、その人は、私をばか、間抜けと、冷やかな笑いを浮かべながら非難し始めた。このエホバの証人はトラクトの作者に悪意を表していたから、私はその問題のトラクトの作者だと証明できる運転免許証を見せた。このエホバの証人に謝罪を求めた。……ものみの塔の福音はこの男の心をひどくゆがめたために彼は恥を恥とも思わなかった。これがエホバの証人の神権的な戦略のひとつの例である。その宗教の利益のために故意に嘘をつく。この証人は、クリスチャンがトラクトの配布ができないようにエホバの証人に反対するトラクトの作者について嘘の情報を流そうと考えた。確かにこのエホバの証人は嘘をついていると知っていた。それでも悩んではいなかったのだ。エホバの証人が宗教の利益のためには、人を騙したり、嘘をついたりするのは霊的であると、ものみの塔が教えたからではないのか。……悪者と破廉恥な人間が取る手段は、終わりよければすべてよしの意味だとは誰でもが知っている。そのエホバの証人はその手段を十二分に採用しているようだ(”Masters of deception”)。

 もちろん、ある人が意識して神権的な戦略を使っているのか、やっかいな状況から逃げるために事実を曲げているだけなのか、決着をつけるのは難しい。トーマスが語っている状況ではどちらかと言えばその両方が含まれている。


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