ものみの塔の教義は進化する

jw.orgでは言及してませんが
「エホバの証人」という名称を採用したのは初代会長ラッセルです

 一般に流布している解説によると「『エホバの証人』という名称を採用したのは二代目会長ラザフォードである」という説が有力です。しかし初代会長であったC・T・ラッセルがその権威ある「聖書研究」シリーズの中でその名称を用いています。以下はその原文と訳文です。


  「御国の来たらんことを」P.320第二段落

〔訳〕  スミス教授が帰国してから数年後、大ピラミッドはエホバの証人であり、自然科学上の証明でもあり、神の真理を証明するものとしても、重要であるとする提案がなされた。……その提案は若いスコットランド人のロバート・メンジス教授が唱えたもので、彼は大ピラミッドを学術的に研究していたとき、ピラミッドには預言の教えと年代学的な教えが共存していることを発見した。
  ピラミッド建造の目的は、天文学や年代学、幾何学などの重要な真理に関する神の知恵はもとより、神の救いの計画の記録を残すことにあった――まもなく、それが明らかになった。

石はキリスト「 御国の来たらんことを」P.328
[訳] 前提としてピラミッドが神の計画を意味しているのなら、その頂点にある石はキリストを表している。神はキリストをすべてに勝る「頭(かしら)」として高く上げた。

 ラッセルは著作の中でエホバの証人=ピラミッドだと明言しています。P.328に書かれているように、ラッセルとピラミッド研究の深い関係は良く知られた事実です。それも彼独自の解釈ではなく、象牙の塔の学者の学説が根拠になっています。そのような「世」の考えを「聖書研究生」たち全員は固く信じて疑いませんでした。ラザフォードはラッセルの死後、こっそりとラッセルのピラミッド学の成果を否定し、ものみの塔からピラミッド学を駆逐しようとしました。それでもその名残りは今でもラッセルの墓に残っています。


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