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会報「JWの夫たち」バックナンバー


  NO.9(98.7発行)
■巻頭エッセイ 「救出、その後」/森 枳園

 JWからの救出にあたって、口を酸っぱくして言われることは救出後のリハビリの大切さである。フラッシュバックが起きる。王国会館に戻りたい衝動が起きる。子どもの手を引いた寒い日の伝道が懐かしい。地震だ、ハルマゲドンだ!自分はこれで滅ぼされてしまう!と夜中に眼が覚める。世の中が悪くて、自分は悪くないとする思考が、からだのどこかに染みついている。

 わが家では家内がJWへ断絶届けを出してから、8ヵ月が経とうとしている。あの時に比べたら格段に自由で、重くのしかかっていた暗雲が取り除かれて、家中に陽がさしている。痩せ細っていた家内もふっくらとしてきた。遊びに来る子供の友達も増えた。しかし、ふとしたことから、争いが生じ、挙句の果てに口から飛び出るのは「そんなことを言うならJWにもどる!」「そんなこといって恥ずかしくないのか!」といったやり取りの後、口をきかない日が続く。数日後、テーブルに置かれた手紙によって仲直りした。その中には、8ヵ月たった今も、私のせいでストレスがかかると、鍵のかかった部屋に閉じ込められ、玄関に置かれた大きなテレビを思い出し、憤りが噴き出してしまう。監禁されたせいで心に傷を負ってしまい、折に触れて思い出してしまう、というのが家内の言い分である(あとで分かったことだが、家内は閉所恐怖症だそうである)。元JWの夫としては、何とか間違いを知らせようと何年にもわたる数々の努力、それが全く通じない焦燥、子供が自由を奪われてものみの塔の奴隷にされる不安、仕事の時間を奪われる苛立ち、ほかの家庭を同じ騒動に巻き込む危惧などが、胸に沸き起こって、「しばらくの監禁くらい何だ!」と怒鳴りたくなってしまう。しかし、同じ手紙のなかで、ものみの塔のマインドコントロールの呪縛から解き放ってくれたことへの感謝が述べてあった。はじめての明確な感謝の言葉であった。こうして、不満と不安が噴出するごとに家内は自分を取り戻し、私は自分の足りない点を認識する。

 元JWは自分の賭けてきたものを奪われて、私たちの想像の及ばないところで、この社会で暮らす戸惑いを感じている。自分の居場所が以前ほどはっきりしていない。JW時代は間違っていたとしても、自分の生きる意味を見い出すことが出来た。それは保護説得された人も、話し合いで気付いた人も、自分で分かった人も、等しくそうである。何か自分を支えるものがないと、誰よりも自暴自棄になりやすい。感謝しないのは、感謝出来るほど幸せでないからである。

 元JWの奥さんたちは、せっせと救出に携わられ、それが生きがいのようである。彼女らによれば、救出活動は自分自身のリハビリのために必要なことだという。自分の夫もこうして自分を救い出してくれたのかと、実感として感じることができる。JWの呪縛からの解放に力になれて、我がことのように嬉しい。自分の確かな存在理由を感じる。元JWには人にも増して生きがいが必要なようである。彼女らの心の空洞と似た形をした教え、神の栄光のために生きる、ことに帰着するのは無理からぬことであろうか。  


NO.9(98.7発行)

■素人が聖書を読む マルコ福音書2:23〜28「安息日は誰のために?」(高山 一)

ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。するとパリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。何故彼らは、安息日なのに、してはいけないことをするのですか。」イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者がたちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。アビヤタルが大祭司の頃、ダビデは神の家に入って、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者にも与えたではありませんか。」また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために作られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」

I shall be released

 妻が「ものみの塔」に囚われていた間、私はある歌を特別の思いを込めて聴いたり、歌ったりした。それは、THE BANDの「I hall be released」という曲である。全部を紹介していると長くなるので、リフレーンの所だけを書き出してみよう。
I see my light come shining
From west unto the east
Anyday now anyday now
I shall be released
 ボブ・ディランが作ったこの曲の歌詞は、彼らしく、たぶんに宗教的なメタファーも含んでいると思われる。(余計なことだが、彼はAll along the Watchtowerという曲も書いているが、ものみの塔とは関係はない)私が何故この曲に特別な思いを持ったのかは、まさに歌詞の通りであった。それ程までに私もまた、ものみの塔に抑圧されており、そこから解放されることを強く願っていたのである。
 何故私が抑圧されていたか。それは今更説明するまでもない事だとは思うが、ものみの塔の価値観・倫理観が、ねじくれたイバラの蔓のように生活全体を覆い尽くそうとしており、その中で窒息しそうだったからだ。真にひん曲がった、いびつな宗教的価値観で人間の生活を律しようとする事は、海の魚を小さな水槽の中で飼うことにも等しく、人間の心は次第に酸素不足のために壊死していくこととなる。私は解放されねばならなかった。そしてその解放は、妻の解放を通してしか得ることが出来ない物であった。

イエスの時代

 イエスが生きた時代のユダヤの社会も、また辛く息苦しい社会だったのではないだろうか。国家社会としてはローマ帝国の支配下にあり、その傀儡政権による支配との二重支配にあえいでいた。何故当時の取税人が、極端に嫌われ差別的境遇にあったのかという事は、こうした二重支配の構造を見ることなしには理解できない。一方、その社会の内部では、律法学者達が「律法」(トーラー)を解釈してその細則 (ミシュナー)を事細かに作り上げ、人の生活を縛り上げていた。
 BC587年に民族的独立を奪われて以来、ユダヤ民族の結束を保証するのは、契約の徒としての宗教的団結であり、その基盤に立ってのメシア到来願望であった。事細かな律法細則を守ることによって、神に対する忠誠を守り、来るべきメシアの到来に備えようとしていた。しかしながら、当時このような細かな細則(ミシュナー)を守り通すことは容易なことではなかったようだ。生活に余裕のある、いわば中間階級以上でなければ、こんなややっこしい生活を維持することは出来なかったであろう事は想像に難くない。そこで生活に余裕のない者や、病気の者達は、神に忠実でないとして社会的に差別される事となる。一方次々とミシュナーを生みだし、それを頑固に守っていくことの出来る者達は、自分たちの神に忠実な者としてより分ける(分離する)。この分離すること=パリサイが、パリサイ人の語源であるそうだ。
 こうして外面的にも、内面的にも息苦しい社会が出来上がっていた。

安息日律法

 さて、イエスがマルコ福音書の2:23〜28にかけて、パリサイ人と鋭く対立したのは、安息日に関してであった。

<旧約聖書に明記されている安息日の禁止事項は、
1、耕すこと、収穫すること(出エジプト34:21)
2、酒ぶねを踏むこと、荷を負うこと、負わすこと(ネヘミヤ13:15、エレミヤ17:21)
3、市場を開き、商売をすること(ネヘミヤ13:15以下、アモス8:5、6)
4、薪を集めること、料理のために火をたくこと(出エジプト35:3、民数記15:32以下)
の4つであったが、ラビの伝承ではここから39の禁止事項を作り上げ、その一つ一つをさらに39に細分化し、総計1521の禁止事項を作り上げるに至ったという。(塚本虎二著作集・第3巻325〜3頁による>*以上<>内引用は、高橋三郎著「マタイ福音書講義」による。

 真に異常なまでの細かな律法細則の中で、当時のユダヤ人は安息日を過ごさなければならなかったわけだ。全く何のための安息日なのか、さっぱり分からなくなってくる。こうした安息日規定に対する、イエスの弟子たちの違反を問題として、パリサイ人はイエスに非難の矛先を向ける。これに対して、イエスは故事を引きながら反論する。そしてここに留まらず、さらに大胆な問いかけへと突き進んでゆく。一体、誰のための安息日なのかと。
 「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために作られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」
 律法に違反しているではないか、という問いに、何のために律法があるのかと問いかける。ここでイエスが律法そのものを否定していると、とらえるのは飛躍がありすぎる。しかし、そもそも律法は人間にとって何のために必要であるのか。その成立の意味に立ち返って、パリサイ人に問いかけているのではないか。
 つまり、安息日は人間の休息のために定められたのであるということ。そして本来の意味を離れ、人間が安息日の奴隷に成り下がってしまっては、神がこの律法を定めた意図に反する物に成り下がってしまうよと言っているのではないか。このように問いかけるイエスは、「人の子は安息日にも主です。」と締めくくる。なるほど、神が定めた律法の意味を本当に問い返すことの出来るのは、また神の営為以外には考えられないのかもしれない。しかし私は、こうしたイエスの権威をここで読みとるのではな く、ひたすらイエスの根元的な問いかけ=人間解放のための根元的な姿勢を読みとり、深い感銘を受けた。

制度か?人間か?

 同じ様なイエスの根元的な問いかけは、同じくマルコ福音書の7章でも見ることが出来る。ここでは、食事の前に手を洗わなかったイエスの弟子を、パリサイ人がまたもや、律法に違反するものであると咎めている。
 全く口うるさい人達であり、現代の子供に言わせれば、ちょーむかつくと言われてしまいそうだ。これに対してもイエスは実に大胆に一喝している。口から入っていく物は、単に排泄されてしまうのみで、汚す物ではない。内側から、すなわち心から出てくる物が、人を汚すのだと。
 イエスの発想は、まさに2重の意味でラディカルである。実に根元的な問いかけであると同時に、当時の社会の支配的発想に対しては、実に過激な問いかけでもあるからだ。
 人間が作りだし、その結果人間がその中で生きることとなった制度や、生き方のシステムは、しばしばその当初の目的・本来の役割から逸脱していく。そして往々にしてそれらは人間を束縛し、抑圧することになってしまう。そのようなときには、本来何のためにそれら制度やシステムが作り出されたのか振り返り、役に立たなくなった物は捨てて、作りなおさなければならない。しかしこれがなかなか簡単なことではない。
 しかしながら、イエスは易々とこの根元的な地点に立って、何が本当に人間にとって必要なことかを問いかけていくのである。自ら作りだした制度の網の中で、がんじがらめになっているパリサイ人にとって、このイエスの問いかけは理解できていない。律法細則はいかに神が与えた律法に即して生み出されたとしても、まさに人間が考え出したものに過ぎない。ここに神を語ること、神に忠実に行きようとすることの難しさが潜んでいるのではないだろうか?神に忠実であることを、制度=システム化しようとするとき、必ず人間的な限界が忍び寄り、自己絶対化の罠に陥ることになるのだ。

弱き者のために

 律法の問題から離れてみても、イエスの姿勢は一貫している。「罪人を招くためにきたのだ」と語り、一方では、病にあえぐ人々に癒しの働きをみせる。最も重い荷を負う人達の為に、イエスは存在するのだ。人間の解放のため、それも弱き者の=最も解放されなければならない者達のために、イエスはこの世に現れたのではないか。

再び制度か?人間か?

 私にとってイエスは、常に個人の側に立ち、人間にとって何が真の福音なのかを説いていた存在である。決して制度や集団を問題にしていたのではない。個々の人間が真の福音に触れ、天の御国の門をくぐる=真に解放されていくことを説いている。
そのため、「我々の王となってくれ」といった民衆の声には応えない。イエスは民衆を統治する王になろうとはしなかったのである。先に触れたように、BC587年のバビロン捕囚以降、ユダヤの民族的な独立はなかった。従って、こうした背景で生まれてきたところの、再びユダヤ民族が国家として独立することを願うという意味でのメシア願望とは、イエスの存在は合致しない。
 イエスは個別ユダヤ民族のみを、選ばれた民族として救済するというレベルではなく、普遍的人間存在そのものの救済という意味を持っていた。もちろん福音書中には、イエスはイスラエルの迷える羊のためにきたと言うような記述もある。がしかし、イエスの教えは確実にもっと大きな普遍性の中にある。

そして安息日に会堂で

 これまで見てきた安息日に関する記述には続きがある。マルコ福音書3:1〜5を見てみよう。

 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。イエスは手のなえたその人に、「立って、真ん中に出なさい。」と言われた。それから彼らに、「安息日にして良いのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。命を救うことなのか、それとも殺すことなのか。」と言われた。彼らは黙っていた。イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑ななのを嘆きながらその人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元通りになった。

 このときのイエスの問いかけに、何故パリサイ人は応えなかったのだろう。安息日にも、命を救う行為は様々な限定を受けながら許されていた。従ってその為の治療行為もまた、同じように限定・制約を受けながら許されていたのである。それならば、イエスの問いかけには、律法に反することなく応えられたのではないか。所が彼らは応えない。この頑なな心のあり方にイエスは怒り嘆いたのである。この記述から、私はどうしてもエホバの証人を連想せずにいられない。ああ、何と頑なな人達なのだろうか

イエスにつきしたがうとは

 命が危機にさらされているとき、その命を救うことは何にも優先されるのではないか。この命題は実にありがちな命題である。そして一般的には、様々な条件を設定された上で、提出される。あまり良い例ではないかも知れないけど、例えば、自分の肉親を殺した憎い敵が、今まさに目前にて、生命の危機を迎えつつあり、救うことの出来るのは自分だけであるとかいう風に。個人的には色々な回答があるだろう。しかし一般的には、普遍的命題として提出されば、何を聞くんだとでもいう風に、肯定するのが普通であろう。しかしパリサイ人は応えなかった。そしてこの命題に輸血というファクターを追加するとき、エホバの証人もまた優先されるとは応えない。
 安息日というファクターに引っかかって、パリサイ人が躓いたように、輸血禁止というファクターに引っかかってエホバの証人も躓く。ここで私がファクターと言い換えた物を直接的にいえば、律法である。3弾論法的ではあるが、このように考えていくと、エホバの証人=律法主義者という構図が浮かび上がってくる。



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