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会報「JWの夫たち」バックナンバー


    NO.2(97.5発行)
■巻頭エッセイ「駆込み報告」/月影ニック

 も、も、申しあげます。申しあげます。いってきました、いってきました。はい、はい、本当です。旦那も聞いたことはおありでしょう。クリスマスも復活祭も誕生日も、何もかにも祝おうとしないあの人たちが、ただ一つ、全世界いっせいに祝う式にいってきたんでございます。

 なんでそんなものにいったのかって。いえ、実はもう何年も前から、この時期になるとあの人たちが家にやってきて「招待状」なるものを置いていってはいたんでございます。でも、毎年私は塩を撒くような勢いで追い返していたんです。だって、そうじゃありませんか。これまで、やることにずーっと反対しているんですから、誘われたからといって行けるわけはございません。え、でも、いったんだろうって。そうなんです、そこが我ながら変化というか何というか。正直、抵抗はございましたけれども。

 さて、時間は午後の6時過ぎ、会場はホテルの部屋を借りてまして、そこに私が入っていき、先に来ていた妻の横に座りますと、予想していたこととはいえ、どこの「兄弟」だ「姉妹」だと、あの人たちがやってきて「ようこそいらっしゃいました」の歓迎の嵐です。そうこうしているうちに、時間になりますと長老が立って、まず賛美歌から始まりました。その後、この「キリストの死の記念式」という妙な名前の式の意味合いを、聖書を引用しながら解説するのでございます。そして、黙示14-1を引用しながら「新しい契約の当事者となるのは14万4千人」という例の教理を示し、パンとぶどう酒に与れるのはその者たちのみということを、念押ししました。それが終わると、用意されていた皿の上の「無酵母パン」がまず回されます。誰も食べませんので、まあバケツリレーみたいなもんです。私のところにきたのをみましたら、塩せんべいに似ていました。次は、ぶどう酒。6つのグラスが、分かれて会場を回ります。これも、こぼしてはいけません、てな感じで注意深く回されていきます。これで、メインのプログラムは終わり、最後にもう一度賛美歌を歌って、おしまいでございます。開始からここまで45分。こう書きますと、見た目は宗教儀式として特段目立ったこともないのですが、驚いたのは昨年この式に参加した人の数は、全世界で1292万1933人いたんだそうでございます。このことが、実は私を最も戦慄させました。

 なんだか、お話ししているうちに興奮も少し醒めてまいりました。でも、あの人たちがどんなことを「大事に」しているかの一端がわかっただけでもよかったのかな、と思っています。え、私でございますか。あ、申し訳ございません。うっかりして名前を申しあげるのも忘れておりました。いえいえ、名のるほどの者ではございません。私はただの夫、ただのひとりのJWの夫でございます。
    NO.2(97.5発行)
■BOOK REVIEW
 「愛とは何か 生とは何か マインドコントロールからの解放」
 オウム真理教信徒救済ネットワーク・編著 /三一書房

究極のカルトからマインドコントロールの本質を「学ぶ」

 オウム真理教や統一教会の「悪さ」は誰にでもわかるが、JWの悪さはそれに比して理解されにくいというのは、私たちが往々にして出会う困難のひとつである。その場合、それらのより極端なカルト集団を研究し、それらとJWとの本質的な共通性を探ることによってJW自身のカルト性を明らかにしようとするのは有効な方法だろう。

 オウム、統一教会信者の救出を手掛ける気鋭のカウンセラーたちの共著である本書は、私たちの前にその格好のアプローチを提示してくれる。事例そのものは、多くをオウム真理教のそれに拠っているが、そこに示されている内容の本質は、驚くほどにというべきか、JWに共通している。たとえば、カルトの反社会的活動について「信者やその家族には極めて深刻であるが、一般の人々にはあまり知られていない問題の方がじつは多い」とし、その反社会性について次の5点をあげている。すなわち「虚偽と欺瞞」「信者に対する全面的支配」「脱会する自由の剥奪」「家庭の崩壊」「教団の批判者や第三者への危害」の5つである。100%とは言わないがJWとの一致を思って、深くうなずくほかはない。

 マインドコントロールというやや曖昧に使われがちな言葉についても、はっきりとした定義をしている。著者たちによればそれは「人格を変容させるための技術」であり、特徴として「はっきりした身体的拘束を伴わない」「自分の変化について、自分自身の意志でそうなったと思い込む」「心理学や集団力学にかかわる原理や技術を応用している」の3点を有するという。それがぴたっとはまってしまうと、信者たちは「教団の教えは絶対に正しく、それに疑いを持つことは間違いであり」「教義に疑問を抱いても、それは自分の不完全さを証明するものでしかなく、不完全さを補うには、いっそう教義に忠実であらねばならないという逆の機制が心にはたらき」「何かの事情で教義が変わってもこの機制は変わらない」という状態に陥っていく。まさしく、私たちの近しい人々が、いまある状態と寸分も違わない。

 さらに非常に具体的に参考になるのは、マインドコントロールからの解放のプロセスを論じた章である。ここで著者たちは解放のプロセスを「拒絶」「交換条件」「無気力」「受容」の4段階に整理している。家族の言うことを全く聞かない「拒絶期」を経て、1〜2週間ほどで「交換条件期」がくる。ここで信者たちは「仲間に電話させてくれ」等の交換条件を次々に出してくる。この時期こそ「カルト側と家族側が本人を挟んで『愛の綱引き』をしている」崖っぷちの段階であり、このピンチを乗り切るためには家族側も「人生をもう一度やり直す覚悟で、本人の頭でなく心に率直に語りかける以外に方法はない」。この困難な時期を乗り越えると、本人には大きな喪失感と空虚感がやってき、その「無気力期」は4つの時期のうち最も長く続く。そして、やがて教団の実態や誤りを理解し、本人が脱会を決意する「受容期」に至る。これらの段階は、受け入れがたい現実を人間が受け入れるときの共通のパターンと言え「どのカルトの場合も驚くほど似ている」という。

ここに示された解放への段階を理解しておくことは私たちにとってもたいへんに意味深い。また終章にはまとめとして「仏教」「キリスト教」「チベット仏教」の三者の立場からのオウム論があり、この内容も示唆的である。書名がややぼんやりしているのがただひとつの疵だが、絶対のお薦め本であることは間違いない。

(鈴木一郎)

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