【必見】従軍慰安婦教科書問題討論資料(3)

■「(純粋な)商行為」あるいは「公娼制」の延長か?
●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明
 中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参謀
が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至る・・
・兵はおおむね満足」と述べている。強制性は明らかである。
●「純粋の商行為」などでないことは、これらの強制の事実が何よりも具体的に物語
っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強姦であり、強制猥褻
、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに慰安婦の多くは金に
相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」であった(敗戦時にはた
だの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う場合も少なくなかった
が、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が自由な契約に基づいて
行われたものでないこと、また異境に無 一文で連れて来られている者にとって、金
銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のためにも必要なのだから、
それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。
●「 戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行
われていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をし
た。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題
である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」と
する主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼
ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていない。
 一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。
つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ
る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され
たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処
せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前
だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察
署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人
が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得ず
」(同六条)とされていた。
 これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ
れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の
一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに
至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ
る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿
に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制
度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか
し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍
隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規則
」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼妓
口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていたの
である。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を得
ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼窟
であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日本
軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監禁
し、強姦したことになる。
 こうした意味で、従軍慰安婦制度は、国内法に照らしても完全な違法状態であった
のである。
●さらに、「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし
、どんなに激しい企業間競争でも、それこそ生死をかけたような猛烈な活動でも一定
のルールがあるように、戦争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜
虐待を禁じた国際条約などである。
 確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの
も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本
の従軍慰安婦制度は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・違法
状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。いわゆ
る従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えられて
いる。
A.婦女売買禁止条約(注1)
 1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出した
。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される
事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵
士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警
告をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた
。また、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売
春は国際法違反であったためである。
 このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで
売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」
があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ
た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習(
朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪用
し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関しては
国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこの
点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する明
白な民族差別をみずから告白することになるからである。
   しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出
身の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を
陸軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。
(注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入
 a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年
 b.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際条約 1910年
 c.婦女および児童の売買禁止に関する国際条約                  1921年
 d.青年婦女子の売買の禁止に関する国際条約                     1933年
 B.強制労働に関するILO29号条約(1930)
 まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、
NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ
いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、
最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように
なっている。
 今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一
年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』
に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条
約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。
C.奴隷条約(1926)
 奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は
「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識
からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。
 しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに
対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および
すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられていた
」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから形
式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべきで
はない。
D.ハーグ陸戦法規(1907年)
 この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家
の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中
の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の
権利」を含んでいるとしている。
 ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ
るので直接には適用されません。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したもの
なので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、
女性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。
E.人道に対する罪
 人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。
この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会
に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝
統的な国際法に反すると主張していた。
 しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り
入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、
結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ
の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しない。
 この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。

4.「慰安婦問題は教育上有害」か?
 「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。
人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」 (「論争・近現
代史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論
調がある。たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのように
して「慰安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話
しかければよいのかという疑問は大きいだろう。 その戸惑いに乗じて「自虐的歴史
観を教えるべきではない」とする主張がされる。しかしよく考えてみるべきである。
性に強制があってはならないこと、セクシャル・ハラスメントを行わない・また行わ
せないような、男と女の関係をつくりあげていくためにも、なるべく早くからこうし
た問題の教育はおこなわれるべきである。「慰安婦」問題は、現在起こっている性暴
力や性的いやがらせなどとともに反面教師としなければならない歴史的素材を提供し
ている。女性の、ひいては等しく人間の尊厳や人権を理解させるためにも、この問題
は教えられていく必要がある。何よりも「国際化」時代にあって若年からそうした海
外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認識しておくことは重
要な必要条件である。また教育には重要な課題がある。 かつて日本が多数の「慰安
婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたことを、日本人がいかに記憶し、心にと
どめるか、そして将来に向けて再び同じ 事を起こさないため、つまり再発防止のた
めにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的目的の一つでもある。被害者は、
再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの鍵の一つ は教育にあるといって
よい。
 「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強
制性は証明され、その観点は国際的にも共通の認識である。これに目をそむけ続ける
限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活動や
国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてしまう
危険すらあるのである。
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              中山 均
            市民新党にいがた
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