全国環境教育ネットワーク・台湾研修参加
                       竹本 伸(広島)

 今年で5回目となる全国ネットの夏の現地研修。毎回、新しい発見、新しい出会い、新鮮な内容で、我が家はこの現地見学への参加を年中行事として、スケジュールに入れ楽しみにしている。特に今回は、“環境ネット”初めての海外現地研修ということで、楽しみとともに、多少の不安もかかえての出発であった。
 我が家は旅行好きでアジアも何度か行ったことがあるが、一番近い台湾はこれまでなぜか縁がなかった。しかし妻だけは若い頃行ったことがあり、台北にある温泉で食べた温泉たまごが忘れられないと、いつも自慢げに言っていたのだが、その温泉には研修後勇んで行って……。そのことには後で少しふれることにしよう。

 さて、いつものことながら直前までバタバタして、ろくな準備も事前の下調べもせず、飛び出すように広島を出た。福岡空港で何人かと落ち合い(私たちが集合時間に遅れて、みなさんには大変ご迷惑をかけました。)、何ヶ月か前に事故のあった中華航空で一路台北へ。後のことは、生井さんや神さんが詳しく書かれているようなので、私は感じたことや印象に残ったことのみを書いてみたい。
 社会科の教員として感じた印象から言えば、まずは“NIEsの一員として経済レベルが高く物質的な豊かさも日本とあまり変わらない”というのは確かだったということ。せいぜい、携帯電話が少し大きくて画面が白黒だったくらいで、都市のコンビニ(ファミリーマート系は「便利商店」と書いてあった。)の普及ぶりも日本にあるものはだいたいあるという感じで、色々な意味で日本に近い国という感じだった。物価の割安感も東南アジアほどではない。ただ、道路は舗装されてはいるものの凹凸はかなりのもので、滞在時には感じなかったが日本に戻って自分の車を運転した時、えらく静かで高級車のように感じたのは、道路のなめらかさの違いだったようだ。
 親日ぶりも気持ちが悪いほどだった。「日本は植民地時代にいいこともたくさんしてくれた。」というどこかの団体が飛びつきたくなるような発言は、リッピサービスばかりではないようだった。どうも1945年以後の一時期の方がもっと大変で、「それに比べれば…」ということなのだろうか、研修後、訪れた228記念館でそのことを強く思った。その関連で言えば、国民党派と民進党派がその歴史的経緯も含めてはっきり考え方が分かれ、私たちのようにふらっときた外国人にもそれがわかるくらいであるのは、台湾の持つ歴史の複雑さの現われなのだろう。
 チーグーで見聞きした台湾の環境団体の取り組みは、同じような活動をかじっている者の一人として、大変興味深いものであった。台湾の「自力救済型」の活動手法は、逆に言うと環境保護的な法整備がなされていないことの裏返しだろう。黙っていれば泣き寝入りになるという切迫した状況の中で、取り組まなければ自分たちの生活が破壊され、それを守ってくれる者は誰もいないということが、こうした活動の背景にある。チーグの干潟を守ることそのものはもちろんすばらしいことなのだが、もし日本のような漁業補償というものがあれば、こうした運動が起ったであろうかと思うと、複雑な思いであった。
 チーグの干潟では、カキ養殖という思いもしなかった場面に出会うことができた。卒論で「カキ養殖」を取り上げたり、活動で広島湾のゴミ調査をしたりする中で、カキ養殖には人一倍関心を持っている私であるので、これは大変有意義な体験だった。そして、養殖期間、養殖方法等、所変われば品変わるということを、肌で感じるものでもあった。沿岸州の上では、説明を聞くのもそこそこに、レジンペレットを家族で探したところ、なんと、10分程度の間に273個も見つけてしまった。日本国内での多く見つかるところの分布とも照らし合わせて考えてみても、日本海流に面したところが極端に多いという状況がさらに明確になりつつある。
 高雄の工業地帯は、まさに日本の高度経済成長時を彷彿とさせるものであった。できればもっとゆっくり見たかったが、日曜日ということもあり、またの楽しみにとっておこう。
 水俣や沖縄の時もそうだったが、宇井先生のネットワークによっていつも有意義な研修が行えることに感謝をしたい。と同時に、「宇井先生に声をかけていただいたのなら…」と動いてくれる方が、全国に、いや今回のように海外にまでもいるというのは、先生の人徳とともにそれだけ先生が様々な場面で住民の立場で動いてこられたからだと思う。もちろん、私たちもその末端に加わっているつもりだが、いい意味で先生のこれらのネットワーク網に入ることによって、私たち自身もネットワークを広げられるのではないか、それも私たち「環境ネット」の活動の意義なのかもしれないと感じた研修旅行であった。
 研修終了後、さっそく神さん(鹿児島)は屋久島に行って、来年の下見をして下さったようだ。またまた来年が楽しみである。

 さて、仲間と別れた後、私たちは神さん・清水さんと台北の街を散策した。
中正紀念堂はとにかく大きかったが、個人をこのように崇拝することのむなしさを体感させるような大きな空間であった。(北朝鮮を重ねて合わせてしまう。)夜は龍山寺の夜市を歩き回った後、結局、三越の地下のフードコートで食べることになった。(台湾のデパートは夜10時まで営業している。)一つだけ言っておきたいのは、台北の三越の地下のフードコートの「広島風お好み焼き」は、全然、広島風ではない。
 翌日、故宮博物館を1日見学した後、夕方、念願の新北投(温泉)に行った。そこは妻が20数年前、たしかに行ったところらしいが、湯気の出ている池の周りを回ったというだけであった。しかも5時に閉門というので早歩き。頭が温泉たまごモードになっていて納得のいかない妻は、土産物屋の老人に聞いた。「ここで温泉たまごを作っていなかったか。」と。老人は流暢な日本語で「湯に子供が落ちてやけどをするという事故があったので、10年前に柵をして入れないようになった。そう言えば昔は温泉たまごを作っていたような…。」
こうして彼女の長年の夢は、夢で終わったのである。