昨年末から、ほぼ内戦状態と伝えられているパレスチナ占領地。
マスメディアは、これをハマスとファタハの権力闘争として説明し、「自治政府の内閣を握るイスラム過激派ハマスと穏健派のアッバス自治政府議長が率いるファタハとの抗争」という書き方に表われているように、「ハマス=イスラム原理主義(つまり過激派)と、これに対抗するアッバス議長(ファタハ)=穏健派」ときめつけています。ほんとうにそれでいいのでしょうか? そもそも占領された土地で権力闘争をするというのは、どういうことなのでしょう。占領者であるイスラエルと親分のアメリカの意図が主軸でないはずがない。
コロンビア大学のジョゼフ・マサドは、昨年11月に「パレスチナのピノチェト」という論文を『アルアフラム』紙に書きました。現在のパレスチナの状況は、1973年のチリのクーデターを参考にするとよくわかるという主張ですが、まさにクーデターをしかけて民主的に選ばれた政権を倒し、軍事独裁体制を支援して反対派を抹殺するというアメリカのお家芸が、ここでも発揮されるのかもしれません。アメリカが「穏健派」と持ち上げてきたのは、現地の住民を犠牲にしてアメリカに奉仕してくれる将軍たちでした。
マサドの論文を一読した後、たとえば次のような新聞記事を読むと、ちがったものが見えてくるのではないでしょうか→ 米国務長官、アッバス議長への軍事支援を明言(2007年1月14日 読売新聞)



パレスチナのピノチェト

ジョゼフ・マサド
アル=アフラム・ウィークリー・オンライン 2006年11月9〜13日 


1973年にチリ軍を使って、民主的に選出されたサルバドール・アジェンデの政府を転覆させたアメリカ政府は、9月11日にクーデターが決行される以前から、その準備段階としてチリ国内で重要な工作をいくつも遂行した。たとえば、大型ストライキ(特にトラック輸送業者のそれは経済活動を麻痺させた)や大規模なデモ(中産階級の主婦や子供たちも参加して、鍋や釜を手に食物を要求した)をやらせたり、民主主義の停止やアメリカに支援されたファシストの統治に反対しそうな将校たちをチリの軍隊から追放し、『メルクリオ』のような有力紙にCIAの記事をしのばせて、メディアによる大規模な反政府キャンペーンを打ったりした。こうしたことの背景には、共産党や左翼革命運動(MIR)もまた、さまざまな左翼的な立場からアジェンデ政権を批判し、ときには攻撃するような状況があった。

今日のパレスチナ情勢をみるとき、チリを念頭におくことがたいせつだ。アメリカが世界のあちこちで計画する反民主主義クーデターのために、チリの例が一種のトレーニング・ビデオの役割をはたしているからだ。ファタハ首脳部によるクーデターのおおっぴらな準備に、アメリカとイスラエルが財政支援している(おまけにイスラエルの場合は、パレスチナ自治政府[PA]大統領マフムード・アッバースの親衛隊に武器がわたるのを黙認している)が、そればかりでなく、アメリカやイスラエルに友好的な多数のアラブ諸国の情報機関も、おなじ穴のムジナだ。彼らは最近ラマッラーで公然と店開きをはじめ、長年にわたり目立たぬよう続けてきたパレスチナ領の運営への大幅な介入を、ずっと露骨で破廉恥なものにしている。 じっさい、そうしたアラブ国家のひとつが「派遣」した組織は、ラマッラーで高層ビルを賃貸して現地の諜報活動を行なっている。

イスラエルはこうした動きに、はじめからずっと手を貸してきた。敵方に協力するファタハ首脳部の方針に抵抗する党員たちを、イスラエルは拉致、拘束してきた。ファタハ指導部はといえば、党内の反対派を周期的に追放し、抵抗しつづける在外のパレスチナ人たちを取るに足らないもののように扱ってきた。ファタハとパレスチナ自治政府によるクーデターを率いているのは、アッバースのほかに、三頭体制で実権を掌握しているモハメド・ダハラン、ヤーセル・アブド・ラッボ、ナビール・アミールだ。この三者の経歴は、これから先かれらが遂行する使命にぴったりのものだ。ダハランは周知のように、アメリカとイスラエルの手先になった堕落した軍人だ。アブド・ラッボは、アブド・ヤーセル(ヤーセルの崇拝者)の異名をとるほどヤーセル・アラファートにべったりだった人物だ。彼はジュネーヴ合意の考案者だが、この協定はイスラエルが人種差別的なユダヤ国家である権利を正当なものと認める一方、パレスチナ難民が故郷に戻る権利は不当なものだとして退けている。最近カタールの外相が部下を連れて占領地を訪問したとき、ダハランはイスラエルの立場を擁護して彼らと対立した。アムールはパレスチナ自治政府の元情報大臣であり、ワシントン近東政策研究所(WINEP)というイスラエルロビーのシンクタンクに客員として招かれていたこともある。 アッバースやダハランの演説草稿を用意するのもアムールだ。

アッバースとこの三人の実力者は、ファタハの凶悪な治安部隊(彼らがイスラエルに代わって領内を取り締まるために武装させた暴力団だ)の大ストライキや、パレスチナ自治政府に勤める役人たちのストライキをしかけたばかりか、教師や教授を含む大勢のパレスチナ人を銃で脅して、反ハマースのストライキを擁護するよう強制した。大部分の人々は、そもそもハマースに投票したのであり、ストライキへの加担を拒否していたからだ。何十年にもわたって、イスラエルは封鎖命令の厳格な適用によってパレスチナ人の教育活動を阻害してきた。それに抵抗して、自分たちの学校や大学を開きつづけるために奮闘してきたパレスチナ人たちは、いまやファタハとその武装した暴力団に強制されて、ハマースへの抗議ストのためにパレスチナ人の教育を中断するはめになっている。ファタハのクーデターによる指令を拒む人々は撃たれるかもしれない状況だ。

それに加えて、アッバースとファタハ=パレスチナ自治政府の三頭目は、ラマッラーで中流層のパレスチナ人によるデモを組織した。そこにはハマースへの反対を表わすために鍋や釜をさげた主婦たちもいたが、そうした光景は1973年のサンティアゴから借用したものだ。ファタハが支配する新聞、とくに『アル=アッヤーム』は、クーデターに向けて大々的な反ハマース宣伝を煽動しており、チリにおける『エルメルクリオ』の役割を演じている。『アル=アッヤーム』に手を貸すのは、ハマースに反対する世俗主義のパレスチナ人知識階級だ。そのほとんどが、オスロ和平プロセスや関連NGOの出資する事業に雇われている。こういうパレスチナ人の旧左翼は、レバノンにいる同類たちとおなじように、今日ではむしろ「右翼左派」として知られている。右翼の立場を引き受けておきながら、1980年代やそれ以前にとっていた立場にもとづいて、自分たちはまだ左翼だと言いはっている。

計画は、次のようなものだ。ファタハ=パレスチナ自治政府の統治者たちは全力をつくしてハマースを挑発し、戦争に踏みきらせる。そうなったら、ファタハはイスラエルやアメリカの支援を受け、同時にアラブの友好国の諜報機関の助けも借りて、ハマースを粉砕して権力を奪う。じっさい、不発に終わった最初の試みは、イスラエル政府がハマース政権の閣僚と議員の3分の1を拉致して、イスラエルの刑務所に放り込んだときだった。これはハマースを崩壊させるにはいたらなかったが、占領者であるイスラエルへの協力をファタハが惜しんだためではない。立法評議会の建物への最初の放火のほかにも、ファタハの武装勢力は、首相官邸にも火を放ち、首相の車を狙撃し、ほかの閣僚たちの執務室にも放火をくりかえした。またイスラエルによる拉致・投獄を免れたハマースの閣僚や議員たちに、脅迫や嫌がらせをしかけ、大臣たちが職務をはたすのを妨害しつづけた。しかしハマースは懸命にも、武力で応戦するのはファタハがクーデター遂行のため全面戦争にふみきった場合にかぎり、それまでは手を出さないという立場を固持している。

ファタハがクーデターを計画しているのは、たんにハマースの人気や選挙の勝利だけが理由ではなく、ハマースがファタハの軍隊から身を守る力をつけてきたことも一因だ。1994年以来、アメリカとイスラエルは、アラファートが率いるファタハの暴力集団に武器を与えて、パレスチナ人の第一次インティファーダをつぶし、占領への抵抗運動をことごとく鎮圧させた。だが今日では、ハマースはファタハの武装勢力にひけをとらぬほど武装しており、パレスチナ人がイスラエルの占領に抵抗する権利や、占領執行を助けるパレスチナ側の武装した対敵協力者たちに抵抗する権利を、守ってやれるようになっている。これが、1990年代半ばと比較して現在の状況が大きく違う点だ。この新たな武力バランスをくつがえすため、アメリカ政府は、アッバースの親衛隊を一ヶ月以上もジェリコに集めて、アメリカ、イギリス、エジプト、ヨルダンの教官による軍事訓練をほどこし、ハマースとの対決に備えて武器を与えていると、イスラエルの『ハアレツ』紙は伝えている。イスラエル政府の方は、最近、エジプトとヨルダンから何千というライフル銃が移送され、アッバースの武装勢力にわたるのを認可した。イスラエルはまた、アメリカの要請に応じて、バドル旅団(現在ヨルダンに駐屯しているパレスチナ解放軍の一部)がガザに配備されるのを了承した。これらの処置は、アメリカが占領地に派遣した治安担当調整官キース・デイトン中将が考案したものであり、彼はバドル旅団がアッバースの「ガザにおける緊急対応部隊」として機能するのを期待している。 ヨルダン政府は最近、占領地における治安と軍事の面で役割を拡大する方向に向けて動きだし、同国が1988年7月31日に発表した西岸地区からの「撤退」の決定について、法曹委員会を設置して見直しを図っている。実質的には、条項の一部または全部が覆される可能性があることが示唆されているのだ。もっと最近では、イスラエルがガザ地区の爆撃と殺戮の頻度を上昇させており、直近のニュースではベイト・ハヌーンで数日間に50人以上のパレスチナ人が殺された。

マフムード・アッバースと実権を握る三人組は、民衆の反発を恐れて現在のところ公然と戦争をしかけるのをためらっている。彼らはむしろ、ハマースを排除する手段として、「挙国一致」内閣を強要し、そのもとで段階的かつ穏健にハマースの力を殺いでいく方を望んでいる。しかしながら、アッバースと三人組は急速に忍耐を失っている。たとえば、クーデター計画を批准するため、在外パレスチナ人を基盤とするファタハ中央委員会を召集することが急遽決定されたが、アッバースがアメリカとイスラエルの支援でクーデターを遂行することに委員たちが反対したため、アッバースはアンマンで三週間前に開かれるはずだったこの会議を、中止せざるをえなかった。定足数の不足というのは、そのためにでっちあげた偽りの理由だ。このことは、じゅうぶんな準備もなしにクーデターを画策する、アッバースの追いつめられた状況を物語っている。じっさい、占領地をかけめぐったうわさによれば、最近パレスチナのキリスト教会諸派に自暴自棄な攻撃が加えられたのは、覆面武装集団のしわざだった。彼らを送り込んだ者たちは、この事件がローマ教皇の人種差別的な反イスラーム発言に対するハマースの報復であったと、パレスチナ人キリスト教徒や広く世界全体が考えるよう願っていた。ハマースは当然、この攻撃を非難した。占領地の住民に、ハマースがこの攻撃の背後にいたと信じる者はほとんどいない。たいていの人々は、この事件が何者かの秘密工作だったと悟っている。

ファタハの計画は単純だ。「第6次中東戦争」〔アルジャジーラが2006年7月-8月のイスラエルによるレバノン爆撃につけた呼称〕では、イスラエルとレバノンのイスラエル協力者はヒズボラをつぶし損ねたが、ファタハとイスラエル側の協力者は、必ずやハマースつぶしに成功する――たとえ、イスラエルがハマースとパレスチナ人に現在しかけている進行中の戦争が、「第7次中東戦争」という全面戦争に発展することになるとしてもだ。コンドリーザ・ライス米国務長官の訪問が数週間にわたってこの地に巻き起こした旋風は、この計画の最終の仕上げになると期待されていた。もしもハマースを挑発して、ヒズボラのように武力で応戦させることができれば、ファタハとイスラエルの憤怒は(アメリカ、ヨルダン、エジプト、サウジアラビアの後ろ盾を受けて)解き放たれ、ハマースを壊滅するだろう、というのがクーデター立案者の考えだった。ファタハ指導部とその武装勢力は、対決にそなえてナイフを研いでいた。だがハマースは圧力に屈せず、冷静を保った。

その一方で、ラマッラー本体(周囲の村落を除いた)は、いまや多くの人々が呼ぶように「パレスチナのグリーン・ゾーン」でありつづけている。すなわち、イスラエルやアラブのイスラエル友好国が送り込んだ諜報員ばかりでなく、オスロ和平プロセスによって収入と保護を受けているパレスチナ人(自治政府の役人、技術者、雇われ知識人、あるいはグリーン・ゾーンで手に入る有名ブランド消費熱に染まった実業家や中産階級など)にとっても、避難所なのだ。ここの裕福な生活は、それ以外のパレスチナ人の生活とは対照的だ。ラマッラー市の外に住むパレスチナ人たちの生活は、飢えと窮乏にとりつかれ、イスラエルの砲弾や植民地主義の野蛮なユダヤ人入植者たちの攻撃にさらされて、みじめなものになっている。ファタハの治安部隊に迷惑しているのは言うにおよばない。ラマッラーの中では、すぐに銃を撃ちたがる治安部隊が、デモ行進をやりながら手当たり次第に撃ちまくり、通りがかりの人々に「誤って」怪我をさせ、ときには死なせることさえある。ラマッラーの中からファタハに反対してくれる少数の世俗主義の知識人でさえ、さまざまな嫌がらせをうけている。彼らのなかには、反ファタハ的な声明を出すたびに、不思議な強盗にくりかえし襲われる者たちがいる。 ラマッラーを「グリーン・ゾーン」として保存することは、アッバースとファタハ=パレスチナ自治政府の三頭体制にとって至上の任務だ。ハマースが導入する改革はすべからく、ファタハの統治が保証してきた汚職のうまみと放縦な生活をエリート層から剥奪すると恐れられている。

一方、アッバースと三人組はひきつづき、イスラエルがこれまでずっとPLOや他のアラブ諸国を扱ってきたのと同じやり方で、ハマースを遇している。ハマースが、対決を避けるためにファタハとおこなってきた際限のない交渉のなかでは、ハマースがファタハの要求に同意しようとするたびに、ファタハはいつも掛け値をつり上げ、新たな譲歩を迫ったり、あるいは新たな拡大条項が自分たちの要求にはじめから入っていたと虚偽の主張をしたりする。おまけにファタハは、ハマースの譲歩について、ハマースがまったく同意していないことまで含めた解釈を公表することがよくあった。これが、オスロ体制の崩壊後にイスラエルがアラファートとの交渉で使った手口を髣髴とさせるならば、それはまさに同一の戦略だからだ。アッバースは、交渉から退席したり、ハマースの指導者たちと話すのを拒んだりして、まさにイスラエルがパレスチナ自治政府との交渉でよく使ったその手口を、そっくりまねることさえある。 おまけに、イスラエルはしばしば、アラブ諸国の政府に罪をなすりつけようとして、西側の利害に反するような攻撃をおこなってきたが(明白な例は、1950年代にエジプトを陥れようとした悪名高いレイヴォン事件だ)、同じような秘密工作が、ハマースに罪を着せるためにおこなわれている。最近のキリスト教会を狙った攻撃も、その一例だ。 こうした工作は、他にもたくさん仕掛けられていることだろう。

ファタハ指導部の完全な対敵協力とイスラエルの利害への卑屈な隷属を、隠蔽しつづけるどんなイチジクの葉があったにせよ、いまではみな剥げ落ちてしまった。その結果、ファタハが行動を制約する理由も、ほとんどなくなってしまった。今後数週間の情勢を左右するのは、ファタハのリーダーたちが、自分だけは傷つかず幸運を維持したいという衝動に、どこまで支配されているか、またハマースが、これほどの暴力行為を受けながら、どこまで辛抱できるかだろう。同時にまた、この間パレスチナ領内で展開してきたできごとは、かつてチリで実行されたシナリオとまったく同じである。

ピノチェトはパレスチナにいる。 だが彼の勝算は、まったくおぼつかないままだ。

Pinochet in Palestine  by Joseph Massad in Al-Ahram Weekly Online
Located at: http://weekly.ahram.org.eg/2006/819/op2.htm


* ジョゼフ・マサドはコロンビア大学でアラブの現代政治および精神史を教えています。最新の著作は、これ → The Persistence of the Palestinian Question: Essays on Zionism and the Palestinians, Routledge, 2006).。

Home| Edward SaidNoam ChomskyOthersPalestine ArtLyrics

(=^o^=)/ 連絡先: