13)プレトリアの黒人居住区

 旅の4日目は出発する時から飛行機が遅れたりするトラブルがあったものの、なんとかヨハネスバーグ空港に到着することができました。ここからは、この町に事務所を持っている日本のNGO、JVC(日本国際ボランティアセンター)の友人たちと行動することになっていました。ヨハネスバーグは金の採掘で資本が蓄えられた歴史をもつ巨大な都市で、高層ビルが立ち並んでいてニューヨークのような感じです。実は私は日本を出発する前に、生意気にも『南アを旅行するが、JVCには迷惑をかけたくないので、できるだけひとりで行動したい』という手紙をファックスで送っていました。ヨハネスバーグは大都市だから、ひとりでも移動できるだろうと考えたのです。しかし、こちらの治安の悪さは私の想像以上のようで、ここに住むスタッフでも夜になったらひとりで出歩いたりはしないということをいわれ、また旅行者にはわかりにくいバスがある以外には交通手段がないとのことなので、同行させてもらうことにしたのです。
 空港に迎えに来てくれたのは、JVCの南ア代表の津山直子さん。この旅行記の始めの方にもこのたびの影のパートナーとして登場していますが、ANCの東京事務所のスタッフだったころからもう7年に及ぶ知り合いです。おつれあいである南ア人の写真家ヴィクター・マトム氏と娘のネオちゃんと3人暮らしをしています。もうひとりは、長くこの町に住んで活動した経験を持つ高梨直樹さん。こちらも以前からの友人です。もうひとりはみさと屋にもひんぱんに現れる壽賀一仁さん。JVC東京の南ア担当です。新妻を東京に残して出張中です。
 JVCの四駆に乗って出発。ヨハネスバーグから約40km北にあるこの国の首都プレトリア郊外にある黒人居住区を訪問するのです。車の中で私はケープタウンでの旅の成果について質問ぜめに会いましたが、目的は120%くらい達成していたので、ちょっと自慢げに話してしまったようです。津山さんの協力がなかったら何もできなかったのに。この時に知ったのですが、ケープタウン在住の日本人鍼灸師の方が私の泊まったホテルに電話をしてくれたのに、チェックアウトしたといわれて連絡不能になってしま
い、みんなに心配をかけたようです。ジョニー・イッセル氏が私に電話をつなぐなとホテルに抗議したのが原因だったようです。私はリュックからルイボスティの枝を取り出して自慢げに見せました。今考えるとはずかしいです。
 車はプレトリアの中心街をぬけて次第に古びた街なみの地域に入っていきました。そしてやがて見渡すかぎりの丘にびっしりと小さな小屋が立っているスラム街に入りました。ここは以前JVCが援助活動で保育園を建設したことがある地域なのです。ここに泊り込んで寝食をともにしながら活動した高梨さんも久しぶりの訪問だったようです。舗装道路からはずれると、水道からあふれた水や生活廃水があちこちに流れているデコボコ道になりました。廃材で建てた家々、洗濯もの、ひなたぼっこの老人、軒先で野菜を売る小さな家、はだしの子どもたち、赤ちゃんを背負ったお母さん、タライを頭に乗せた女性たち、生活の匂いがいっきょにおしよせ、いきなり頭を殴られたような光景でした。ケープタウンでは足を踏み入れることがなかった光景です。ああアフリカなんだ、ここがアフリカなんだ、と思いながら、めまいがするくらい緊張して車を降りました。そこは公衆電話とポストがある地域コミュニティの事務所と郵便局を兼ねたような場所。通りかかった人がいきなり「タカナシ、タカナシ」といってうれしそうに握手を求めました。
 保育園を見に移動しました。ちょうど予防接種をしているところで3〜4才の子どもたちが庭にならんでおとなしく順番を待っています。スタッフたちが出てきて、やっぱり「ナオコ、ナオコ」と歓迎。ああ、ひとり歩きをしていたら、ここに来ることはなかっただろうな、とちょっと目の前の現実を離れたことを考え、この光景、におい、ひとびとの感触を忘れまいと思いながら、3人の後を歩き続けました。

スラム街で

保育園の子供たち

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