10)村の全体集会

 山岳地帯の村ブッパータールからさらに山奥に入った村にとり残された私たちを待っていたのは、この村に初めてやってきた日本人を迎えるための村の全体集会でした。村人たちが15人ほど緊張した様子で私たちが待たされていた教室の端の方からすわっていきます。村中を回って彼らを集めてきた教会の人たちも帰って来て、集会が始まりました。ケープタウンからの同行者のフェルディナンド・エンゲルさんが私の来訪について説明しました。もちろんアフリカーンス語なので、通訳として同行してくれた日本人留学生の片桐君が断片的に教えてくれる内容しかわかりません。
 私も極度に緊張してしまいました。予想もしなかった展開です。ルイボスティを買って欲しいといわれても、援助を求められても、とりあえず産地を見に来ただけの私には、何の権限もありません。みさと屋以外の何かを代表している訳でもありません。過度の期待を現地のひとびとに持たせてはいけないのです。エンゲルさんの演説はかなりボルテージが上がっています。ねぇ、何ていってるの? と片桐君のソデを引っぱって通訳を求めますが、彼も聞くのが精一杯のようで、『ヤバイすよ、これはヤバイすよ』なんていうだけで、なかなか通訳してくれません。どうやらエンゲルさんはこの村にできたばかりの農業協同組合を強化して白人会社に依存しない農業をやっていこう、このように日本からの訪問もあるのだから、ルイボスティの独自販売もできるかもしれない、というようなことを力説しているらしいことがわかってきました。それはエンゲルさんの仕事なのでしょうが、私は困ります。
 農民たちがポツリポツリと発言し始めました。『そんなことをして会社を怒らせたら、お茶を買ってもらえなくなるかもしれない』『増産するといっても、人手もないし、水も足りないかもしれない』『無理に増産すると病気が出るかもしれない、その時は保障してもらえるのか』等々。農民たちの反応はだいたいネガティブなものでした。エンゲルさんの方針のように白人会社からの独立と自主生産、日本からの援助と輸出、なんてことで話が盛りあがったら困るなぁ、と思っていた私はちょっぴり安心しました。
 しかし、このままではおもしろくないし、エンゲルさんもかわいそうなので、勇気をふるって立ち上がって発言を求めました。日本でも何年か前からルイボスティがブームになって健康茶として少しずつうれるようになっていること。日本ではコーヒーや紅茶では産地の農民に直接ペイできるフェアトレードが根づいていること。日本で売られて
いるルイボスティは商社が暴利をむさぼっているので高値であること。フェアトレードが成功してあたりまえのお茶の値段で買えるようになったら、日本でももっと消費を拡大できるだろうということ。こんなことを片桐君に通訳してもらいながら、ゆっくりと話しました。そして、今回はとりあえずルイボスティの栽培地を見に来ただけだけど、日本にはこのお茶にかかわっているNGOの仲間がいるから、帰ったら報告をして、援助する方法があるかどうか検討してみる、と付け加えました。
 農民たちは私の話をうなずきながら聞いてくれました。私は用意していたみさと屋の写真を見てもらいました。店全体の写真とともに、始めたばかりのボランティア・サポート・ショップのコーナーも写してあります。実現できないことを約束することはできないし、過度の期待を持たせてもいけないと、十分に注意しながら話した私ですが、それでも、もう後には引けないなぁ、と思いました。
 ルイボスティの栽培方法や出荷環境について詳しく聞いたあと、集会はエンゲルさんの『少しずつ自立できるようにがんばっていこう』という話でお開きとなりました。そしてやっとルイボスティの畑を見に行こうということになりました。
 4WDに乗ってまた山道へ。農民の代表の人たちも同行しています。5分くらいで車を降りて、岩がゴロゴロしている斜面を登っていきます。草むらに潜んでいた野ウサギが飛んで逃げていきました。私の興奮が高まります。そしてついにルイボスティの木にめぐりあうことができたのです。
 それは、お茶の木という常識を完全に破るものだったのです。

ルイボスティー畑の情景

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