ハイチ:ポルトープランスより

ジョニー
ZNet原文
2004年3月10日


もともと当ページの目的だったコロンビア情報が溜まっているのですが、そしてこのページは別に時事情報の紹介を旨とするページではないのですが、ハイチについて、さらにもう一弾です。ハイチに暮らす18歳の青年レポーターの声です。

イラク侵略のときも、多くのメディアが、イラク人のきちんとした声など何も伝えずに、せいぜいが子飼いの傀儡にしゃべらせるだけで、一方的に「イラク人はこう考える」と(しかも暗黙に)決めつけてきました。そんなわけで、ハイチの人の声を一つですが、紹介します。

著者のジョニーさん(名字は身の安全のために伏せています)は18歳、ハイチの首都ポルトープランスにある90.9FMラジオラディオ・ティムーン(子供のラジオ)でレポーターをしていました。けれども、今週、このラジオ局があるアリスティド民主主義基金の建物を反乱部隊が掠奪し放火しました。紹介するのは、ジョニーが、ポルトープランスから電話で、リン・ダフに話をした内容です。

ハイチの歴史年表については、ハイチ年表(力作です)を、ラテンアメリカに対する米国の介入について多少整理し分析したものとしては、ラテンアメリカにおける帝国の歴史をご覧下さい。ハイチの背景についてはここここを、今回のクーデターについての簡単な整理とアリスティドの声明はここを、アリスティドへのインタビューはここをご覧下さい。

イラク派兵について、色々な情報(へのリンク)がwww.creative.co.jpにアップされます。また、3月20日ピースパレードが予定されています(ぜひ参加しましょう)。日本国内では、反戦のビラを自衛隊宿舎に配った人たちが逮捕されるなど、憲法を無視して踏みにじって侵略戦争への荷担に自衛隊を派遣したことから当然予測されたような、市民的自由への弾圧が進行しています。さらに、大学入試センターに出題された「強制連行」問題をめぐって、自民党議員等が不当な振舞いに出ています(簡潔なまとめとしてはpublicityを参照して下さい)。


米国に追随してイラクへの二重不法派遣を行なっている日本政府は、ハイチに3億円相当の食料援助を行うと発表しました。犯罪者とギャングたちの不法政府を阻止しない限り、食料援助はギャングたちの懐に入るでしょうし、今も路上で殺され続けている人々には決して届きません。

ポルトープランス、ハイチ --- 1990年、アリスティド大統領が就任したとき、私は、貧民街で古着を着て、空港で物乞いをして暮らしていました。ティティド[アリスティド大統領は人々にこう呼ばれている]が大統領宮で職務を開始して最初にしたことの一つは、路上で寝ている子供たちに、大統領宮を訪問して、ストリート・チルドレンの状況について話をするよう、子供たちを招待したことでした。

ストリート・チルドレンの一人、リトル・ソニーが大統領宮から、子供の権利について話しているのを、ラジオで聞き、ハイチで子供が置かれた生活は、変わるだろうとわかったのです。

ティティドが大統領に就任したとき、彼は世界に向けて、私たちストリート・チルドレンは人であり、尊く、人間であると告げたのです。

このメッセージを好ましく思わない大人が沢山いました。こうした大人たちは、私たちは汚らしく、ゴミなのだからゴミのように捨て去るべきだと言っていたのです。でも、ティティドは私たちを愛してくれました。私が彼にあったとき、彼は私にキスをし、手を顔にあてて、私のことが好きなんだ、と言いました。そして、それは政治家の空虚な言葉ではなかったのです。

1991年の最初のクーデターのとき、ストリート・キッズが攻撃を受け、ラファンミ・セラビ[アリスティドが教区司祭だったときにはじめたホームレスの子供たちのシェルター]が焼き払われました。アリスティドは1994年10月に亡命から帰還し、子供たちにとって新しい世界が始まりました。3年間の惨劇は終わったのです。

そのとき私はほんの小さな子供でしたが、ティティドがいると、自分が大切なんだと感じることができました。私たちはティティドのところに行って、民主主義の中で私たちも発言したい、子供たちの声を持ちたいと言いました。そこで、彼は、ラジオ・ティムーンを私たちに提供してくれたのです。それは、子供たちが運営し、全てのハイチの人々の人権を促進する、世界で最初の子供ラジオ局でした。私たちはニュースについて、希望について、私たちの意見について、放送しました。ハイチ中の大人たちが私たちの声を聞き、私たち子供たちもまた人間であることであることであることを受け入れざるを得なくなったのです。

これまでの8年間に、このラジオ局は多くの変化を経てきました。批判されたり破壊されたりしましたが、私たちは山の向こうにはまだまだ山が続くことを知っていました。ラジオ局は、ラファンミ・セラビからアリスティド民主主義基金へと場所を移しました。

昨日、基金の建物にいた私たちは、軍服を着たギャングと犯罪者たちが、ハイチの人々の希望と夢を破壊する場面を目にしました。これらの者たちは、建物を破壊し、本を燃やして沢山の人を殺しました。こうしたギャングと犯罪者たちが運営する新政府が、子供たちにとってだけでなく、ハイチの全ての人々にとって邪悪なものとなることは確実です。

私は、アリスティド大統領が私たちをこの悲惨の中に見捨てたとは信じていません。電気が通じていないので、彼の身に何が本当に起こったかについてのニュースを見つけることは難しいのですが、彼はむりやり国外に連れ去られたと聞きました。私はそれを信じます。彼が自分から望んで私たちを見捨てることは決してしなかったでしょう。先週、ラジオでティティドは、ハイチの民主主義への闘いを諦めるくらいなら死を選ぶと言っていました。

今現在、生き延びることは難しい状況です。食べ物と水を見つけるためにどうしたらいいかわかりません。軍服を着たギャングが至る所にいて、掠奪と放火を行い、人々を襲って弱い人から強奪しています。みんな、現在とこれからについて恐れています。

アリスティド基金にある図書館が放火されたとき、米軍海兵隊が近くにいましたが、何もしませんでした。私は、反乱部隊が女性に斬りつけ彼女を撃ったとき、米軍海兵隊がただ立ったままそれを見ていたのを、この目で目撃しました。私が海兵隊に「何とかしろ!」と叫ぶと、兵士たちは銃を私の方に向け「さがれ!」と叫びました。

草むらに隠れていたとき、米軍海兵隊は、殺された人々の死体の上に帽子をのせ、写真を撮るためにポーズをとっていました。気分が悪くなりました。ハイチでは死者は尊重するのです。私はアメリカ人たちを怖がっています。アメリカ人が、ハイチの人々に何か良いことをするとは思っていません。彼らは、民主主義に反対する犯罪者を支持しているのですから。

私たちは、昔の軍に怯えています。ラファンニ・セラビのストリート・チルドレンを殺していたのは、軍人達だからです。北部では、民主主義を望みアリスティドを支持した農民たちを殺しました。

新しい「政府」は、ハイチの子供から希望を剥奪します。私は怖い、犯罪者が私を殺そうとしているのではないかと思っています。私もティティドの子供の一人ですから。私は自分だけ怖がっているわけではありません。ハイチの全ての子供のことを思い、怯えているのです。今、涙が止まりません。

2004年3月12日

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