「民主的治安」はコロンビア先住民コミュニティには届いていない

マリオ・A・ムリジョ
2005年8月18日
コロンビア・ジャーナル原文


エル・パロの町の郊外に設置された軍の検問で、トリビオに向けて南下していたとき、私が乗っていた満員のチヴァが止められ、乗客は、バッグと身分証明書を「ちょっとチェック」するために降車するよう求められた。大多数を先住民と農民が占めるこの地域では、日常的な出来事である。例外は、ニューヨーク生まれのジャーナリスト兼研究者である私が乗っていたことくらいだろう。ちなみに、様々な理由から私は、資格があるにもかかわらず、コロンビア市民としての正規の書類をまだ入手できていない。そこで担当のオフィサに米国のパスポートを慎み深く手渡したところ、エスピティア・サパタ・ハミル大尉にこれ以上先に行ってはいけないと言われることになった。これ以上行くと、身の安全を保障できず、行くならば外国人として「自らの意志で」トリビオに行くことを受け入れなくてはならないと。

しばらくのあいだ兵士たちとやりとりしたあとで、私は、サパタ大尉がウォーキー・トーキーで連絡を取った上官の命令に従って慌てて準備した手書きの文書に嫌々ながら署名した。チヴァの乗客たちは、この予期せぬ遅れに次第にいらだっていた。手紙に署名したことで、トリビオに向かう途中で何が起ころうとその責任は自分だけにあるという点に私は同意したことになる。これは、コロンビア革命軍(FARC)が誘拐や攻撃をしかける可能性をさほど隠しもせずに示唆しているということである。FARCは、コロンビア南西部カウカ州の北部にあるこの先住民を中心とした山あいの未舗装の道に対してかなり自由な制圧権を維持している。

私にとってこの出来事は何ら驚きではなかった。永年にわたりコロンビア各地の同じ様な「レッド・ゾーン」を旅してきたのだから。けれども、狼狽したことは確かである。7月上旬にコロンビアに到着してから、大都市に住むコロンビア人の大多数と同じく紛争の現実から隔たっていた私は、夜毎のニュースでたくさんの楽観的な報道や論説を耳にしてきた。政府はついに、コロンビア全土で、これまでFARCが支配していた多くの地域を制圧したというのである。

ここカウカ州北部でも、そうであるはずだった。この地域を軍は最近「カグアンII」と呼んでいた。1999年、当時の大統領アンドレス・パストラナがFARCとの間で行なった和平交渉の際に非軍事化した5つの市区を指している。パストラナの和平交渉は失敗した。7月上旬に召集され大きく宣伝されたコロンビア軍の治安評議会[?]では、士官たちが詳細に、過去20年にわたってFARCがこの地域を最も重要な戦略的前哨地点に仕立て上げたと語った。この中には、山間地域全体に張り巡らされた350キロに及ぶ秘密の道路を建設し、ゲリラのキャンプ間の交通を可能にしたこと、ゲリラ新兵のために訓練基地を設置したことなども含まれている。4月、カウカ州トリビオで11日間にわたりFARCと政府治安軍が激しい戦闘を行なったのち、現地の軍司令官はすぐさま「臆病者のテロリスト集団」は「平定」されたと発表し、地域の人々に治安が回復されたと述べていた。

実際のところ、アレヴァロ・ウリベ・ヴェレスおよび政府内外で彼を支持する多くの人々は、すぐさま、米国政府の断固とした支持のもとで2002年から実施されたウリベの民主的治安戦略のもとでコロンビア政府は500以上の市区に支配権を確立することができ、数世代にわたってコロンビアの人々が感じることのなかった治安をもたらしたと指摘していた。けれども、最近のコロンビアをめぐる多くのことと同様、このいわゆる「治安」により本当に利益を得ているのは誰かを見つけるためには表皮の下を見なくてはならない。

4月に攻撃が起きた地であるトリビオでは、現在、国家警察が町の中心部のいたるところに大規模に陣を張っており、重武装した掩蔽壕が様々な戦略的地点に置かれ、M−16を持った兵士たちがほとんどすべての道角にいる。4カ月たった今も、ゲリラの攻撃の痕は残っている。周囲の山からFARCが発射した幼稚なミサイルによって、町の建物のいくつかは完全に瓦礫と化した。「FARC−EPに結集せよ」とか「治安軍殲滅」といったあらっぽいグラフィティが書かれたままの壁も多い。

トリビオをはじめとする同地域のいくつかの町に現在駐留している大規模な警察部隊により、少なくともFARCによる新たな攻撃は一時的に封じられている。けれども、トリビオの住民は、誰もが、緊張が高まり安全の欠如状態は続いていると述べる。「私たちは、ゲリラも軍も望まない。どちらも、30年以上にわたって私たちが培ってきたコミュニティ・プロセスに直接介入するからだ」と、コミュニティ指導者の一人は言う。彼はトリビオの市長局で働くナサ・インディアンである。

先住民の指導陣は、7月以来、警戒状態を高めている。コロンビア軍第三旅団の司令官でカリに駐屯するエルナンド・ペレス・モリナ将軍が、「カウカ州北部地帯では、ナサ・プロジェクトに提供されたEUの資金をFARCが自らの利益に使う、共同支配の状態にある」と明言したためである。彼がこの発言を行なったのは、軍が、ゲリラを平定するために用いた軍事戦略の成功を発表したときである。このとき彼は、この地域を「FARCにとって全国で二番目に重要な戦略地域」と述べていた。

ペレス・モリナ将軍が言っていたナサ・プロジェクトとは、1980年にトリビオ市でナサの人々が始めた多元的なコミュニティ開発プロジェクトのことで、三つの先住民保護区----サン・フランシスコ、タクエヨ、トリビオ----を対象とする。ナサ・プロジェクトでは、政治的意識の覚醒、コミュニティの組織化、持続可能な農業と自然保護による経済開発、伝統的教育・保険プログラム、家族支援などが行われている。

このプロジェクトは行き渡った通信部門を介して地元ベースで進められている。通信で最も目立っていたのはラジオ・ナサという地方コミュニティ局で、1996年以来ライセンスなしに放送を続けてきたが、通信省により2004年9月に閉鎖させられた。ナサ・プロジェクトは、重要なコミュニティ開発プログラムとして国際的に認められており、生物的多様性の保護とその持続可能な使用を通して貧困を減らすことに大きな成功をおさめた。2004年には、国連開発計画の赤道イニシアチブから特別表彰を受けている。

ナサ・プロジェクトの代表たちによると、プロジェクトをFARCゲリラと結びつけることで、ペレス・モリナ将軍は一方的に自治の信頼性を貶め、プロジェクト指導者たちを政府の報復の標的とし、最終的には準軍組織の作戦を引き起こす道を開いたという。「第一に、私たちは、EUから一度も一銭たりとも金を受け取ったことはない」とトリビオ市長アルキメデス・ヴィトナスは語る。彼は2004年FARCに誘拐され、のちに釈放されている。「さらに重要なことは、私たちはこの紛争に参加しているどのグループからも完全に独立している。私たちは、コミュニティにもたらされるすべての資源についてとても慎重に管理し責任を明確にしている。FARCと共同で運営していると将軍が言うのは、極めて無責任だ」。

8月2日、北部カウカ先住民評議会連盟(ACIN)は、カウカ北部の中心都市サンタンデル・デ・キリチャオで、ペレス・モレナ将軍の主張を批判するラリーを組織した。将軍の発言を批判し、この軍司令官の無責任なコメントにより歪められた記録を正すために、中央広場に約5000人が集まった。

「奴らに言わせると、FARCと先住民との共同支配だって?」とルイス・アルフレド・アコスタは問いかける。彼は、ナサの先住民防衛隊のコーディネータである。先住民防衛隊は、ゲリラや準軍組織などあらゆる武装集団による自分たちの地域への侵入から地域を防衛するために先住民の評議会が設けた非武装の民間人治安組織である。「よろしい。私たちは、今日実際に存在している共同支配を一つ知っている。コロンビア政府と準軍組織の共同支配だ」。

ペレス・モリナ将軍の発言は、ウリベ大統領の立場と一致している。ウリベは、コロンビア中の先住民コミュニティによる別のかたちの社会プログラムに対し、一度ならず、政府からの自立を主張していることは不法行為だと述べているのである。3年前に政権の座について以来、ウリベはジョージ・W・ブッシュの「我々の味方か敵か」という格言を発展させて国家治安維持政策を展開している。

ウリベは、政権についてすぐ、一連の憲法改正を提案した。それらは、1991年の制憲議会で先住民が困難の中で勝ち取った保証を剥奪するものだった。これらの保証を大統領は、中央政府の権威を脅かすものと考えたのである。保証の一つは、先住民の居住区を自治地区と認め、先住民評議会すなわちカビルドスが最終的に管轄権を有するとするものである。

政府と先住民コミュニティの軋轢のもう一つの原因は、二国間自由貿易合意をめぐり米国とコロンビア政府との間で交渉が続いていることである。先住民組織や農民組織、アフリカ系コロンビア人組織は、労働組合運動とともに、自由貿易合意に反対する運動を動員している。彼らはこの合意により地元経済が破壊されると述べる。一方で、コロンビア全土の農民組織や先住民組織で永年にわたり働いてきた社会組織運動家エクトル・モンドラゴンが述べたように、この合意により「先住民コミュニティの権限を認めない多国籍企業に主権が手渡される」。

今のところ、昨年9月カリでラリーを行なった先住民コミュニティに先導された大規模な動員のおかげもあって、憲法による保護は残っているが、自由貿易交渉の今後の動向は今もはっきりしていない。ACINは自由貿易協定をめぐり8月後半の国民投票を呼びかけた。この組織化が進む中で、政府は先住民居住区に民主的治安戦略を適用しようとの試みを続けている。

民主的治安戦略における問題を含む二つの要素は、地方部の人々から構成されるパートタイムの「農民軍」創設と、ゲリラを取り除くために直接政府軍と協力するとされる民間人通報者ネットワークの設置である。地元の治安に民間人を動員しようとする方略は、政府と多くの「平和コミュニティ」----紛争の中で「積極的中立」の立場を採っている----との間に軋轢を引き起こしている。

この対立はとりわけカウカで激しい。カウカでは、先住民の指導者たちが、自治を尊重するという憲法の規定に訴え、自分たちの領土で、いかなる武装集団との協力も強硬に拒否しているからである。この地域に派遣を確立しようとしているFARCは、必然的に、政府軍とだけでなく、双方に抵抗している先住民コミュニティと衝突することになる。トリビオでの凶暴な攻撃は、このような軍事的衝突がエスカレートした最も極端な事例である。

「4月の攻撃は私たちにとって驚きではなかった。4月14日の数週間前から国家警察が市への駐留を強化し始めてから、攻撃が起こることを予期していた」とトリビオ住民でACINの運営調整官マウリシオ・カッソは言う。「FARCは町を攻撃して無茶苦茶にし、コミュニティのすべての人がFARCの残忍さに嫌気がさした。けれども、政府軍も同じくらい大きな問題である。政府軍が駐留しているために、コミュニティはさらにゲリラからひどい報復を受ける可能性がある」。

先住民の指導者たちは、これが、今後何カ月にもわたって続けられるだろうさらに激しい殲滅作戦の始まりではないかと恐れている。「ウラバで似たような事態を目にしてきた。軍が、バナナ労働者はゲリラと凶暴していると非難し、それによって入ってきた準軍組織が、人々に対する全面戦争を行なったのだ」とハムバロの先住民評議会の代表の一人は語る。ハムバロはトリビオから山に約1時間行ったところの町である。「まず指導者たちを狙った暗殺が始まり、まったく処罰されないままに、虐殺とコミュニティ全体の強制移送が行われる。カウカ北部にまでそうした事態がもたらされないことを願う」。

彼はさらに、先住民コミュニティの上級組織が、トリビオ攻撃のあと、同じ様な移送が起きることを阻止したと述べた。女性や子ども、老人を、戦闘が収まるまで、以前から準備していた郊外の「常設集会所」に移したのである。「これから同じ様な戦闘が起きたとき、人々は耐えきることができるだろうか? それはまったく別の問題だ」と彼は言う。

トリビオの先住民評議会は、ACINおよび地域の他の先住民組織の支援を受け、これから同様の事件が起きないように三つの要求を出し続けている。

  1. 市区および先住民テリトリーからすべての武装集団が完全に撤退すること。
  2. 即時停戦と戦闘行為の停止。
  3. 政府とFARCゲリラとの交渉による紛争の終結。

このいずれも、早急に実現されることはなさそうである。ウリベ大統領は、ゲリラと戦うために必要とみなしたところならばどこにでも政府治安部隊を駐留させ続けると明言している。これにより政府軍とゲリラとの間でいっそう激しい軍事的対立が起きるのは不可避であり、またもやその間にコミュニティが取り残されることになる。さらに、ウリベ大統領はコロンビア統一自警軍(AUC)を構成する右派準軍組織の兵士たち数千人の「解隊」を強く進めているが、左派FARCとの交渉に向けた具体的な手だては何一つとっていない。

「カウカ北部に住むナサの人々の社会組織は、現在、コロンビア全土で見ても最も重要な社会運動である。自分たちの権利をある程度守り、政府に一定程度まで存在を認めさせた唯一の社会部門なのだ」とモンドラゴンは言う。「そして、それらの権利を認めさせ尊重させ続ける組織と運動がある限り、この状況は続くだろう。それらの権利を剥奪するにはどうすればよいだろうか? コロンビアの最近の事例に見られるように、暴力を通して、指導陣を攻撃することによってしかできないだろう」。

結局のところ、はっきりしているのは、カウカ北部の先住民コミュニティにとって、「民主的治安」は政府が言っているようなものではまったくないことである。「それはラ・チチャの静かさだ」と、コミュニティの住民の一人は言う。ラ・チチャは、この地域で人気のある、トウモロコシを醗酵させた飲み物である。「表面はまったく普通にみえるが、その下では泡立ちが進み、爆発寸前なんだ」。

マリオ・A・ムリージョはホフストラ大学コミュニケーション学部助教授で、ニューヨーク市WBAIパシフィカ・ラジオの「モーニング・コール」のホスト。「コロンビアと米国:戦争・紛争・不安定化」(Seven Stories Press, 2004)の著書がある。


トリビオは、2004年9月13日から16日に、ウリベ大統領が進める米国との自由貿易協定や憲法改定、「民主的治安」に反対してカリまで行進を行なった先住民「ミンガ」の地元で、コロンビアの富を流出させる「自由貿易」に反対する動きや憲法改定を拒否する運動の震源地とも言えるところでした。

2005年4月14日、FARCがトリビオを攻撃し、その結果、派遣されたコロンビア軍・警察と戦闘になり、爆弾により民間人に大きな犠牲を出しました。本記事で「4月に攻撃が起きた」と言われているのはそのことです。

コロンビアについては、フォト・ジャーナリスト岡原功祐さんが、写真をウェブサイトで公開しています。ぜひご覧下さい。

イラク・ホープ・ネットの高遠さんが、9月末から各地で講演を行います。詳細は、イラク・ホープ・ダイアリーをご覧下さい。

また、「命の水プロジェクト」、募金は9月30日が締め切りです。ご協力をお願いします。

「イラク『命の水』支援プロジェクト」振込先:
 郵便振替口座:00150-4-540335
 口座名:イラク「命の水」支援プロジェクト

益岡賢 2005年9月22日

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