サラベナの攻防

ギャリー・M・リーチ
2003年2月23日
コロンビア・ジャーナル原文


過去18カ月の間に起きた2つの重要な出来事が、米国のコロンビア政策に大きな影響を与えた。一つは、2001年9月11日の米国に対するテロ攻撃である。これにより、ブッシュ政権は、世界的な「対テロ戦争」の一部としてコロンビアへの軍事介入をエスカレートさせることができた。第二は、2002年5月の強行派大統領アレバロ・ウリベの誕生である。これにより、ホワイトハウスは、コロンビアの2つの主要左派ゲリラ組織 −コロンビア革命軍(FARC)と民族解放軍(ELN)− に対する先頭を激化させる意思を持った同盟者を手にしたことになる。FARCとELNは米国国務省の海外テロ組織一覧にリストされている組織である。こうした動きの中で、コロンビアでもっとも対立が激しい地域の一つに70名の米軍特殊部隊兵士が派遣されることになった。コロンビア軍による対ゲリラ戦を助け、地域の米国の経済利益を守るためである。

2002年9月、大統領職に就いてから一月後に、アレバロ・ウリベ大統領は二地域に対して、社会復帰統合ゾーンを宣言した。このゾーンの宣言は、コロンビア政府による、重要な経済地域での軍事作戦強化を意味する。指定された地域の一つはアラウカ州の東部地域の平原であり、ゲリラが頻繁に爆破する478マイルからなるカニョ・リモン=コベニャス石油パイプラインがそこを通っている。社会復帰ゾーンを宣言した大統領令のもとで、軍は礼状なしに捜索と逮捕を行う権限、市民の交通を宣言する権利、ゾーンに外国人ジャーナリストを入れない権限を手にした。ウリベの大統領令はまた、軍司令官の権威を選挙で選ばれた地方行政官よりも上に置くものだった。

社会復帰ゾーンが設置されたのは、ブッシュ政権が9800万ドルの「対テロ」援助パッケージを提案したあとである。この援助パッケージは、ロサンゼルスに本社を置くオクシデンタル石油とコロンビア国営石油会社エコペトロルが共同で操業する石油パイプラインを防衛するためのものである。この援助パッケージはまた、パイプラインをゲリラの攻撃から守る役割を負うコロンビア軍兵士に対して米軍特殊部隊が対ゲリラ訓練を提供することを求めていた。

この新たな援助は、ブッシュ政権が、「麻薬に対する戦争」と世界規模の「対テロ戦争」とをミックスして新たに軍事的エスカレートをはかることを意味していた。2001年9月11日以前は、米国議会はコロンビアに対する米国の軍事介入を、対麻薬作戦に対する訓練と機材の提供に制限していた。主に、コロンビア南部の主要なコカ栽培地帯を対象としたものであった。けれども、ニューヨークとワシントンDCに対するテロ攻撃のあと、ブッシュ大統領は、この制限を取り払うのに成功し、コロンビア軍は、米国に訓練された部隊と米国に提供されたブラックホーク・ヘリおよびヒューイー・ヘリを対ゲリラ作戦に利用することができるようになった。

アラウカで対ゲリラ訓練を開始するために、米軍第7特殊部隊を派遣するため、すでに600万ドルが拠出された。残りの88万ドルは2003年度予算の一部となっており、さらなる訓練とヘリを提供するために用いられる。

2003年1月に70名の米国兵士 −30名は州都アラウカ・シティに、40名はサラベナの町に駐屯する− が到着した地域は、長い間ELNとFARCの強い影響下にあったところである。どちらのゲリラも、1980年に地域で石油が発見されて以来、石油企業や石油収入のロイヤルティの一部を得た行政区で働く人々を強請って利益を得ていた。ELNは1960年代以来、FARCは1980年代以来、地域住民をマルクス主義のレトリックで教化してきたが、コロンビア自警団連合(AUC)が同地域に現れたのは2、3年前のことである。準軍組織AUCが姿を現し、また、ウリベ政権がアラウカで軍事行動を激化させたことに対し、ゲリラ側も攻撃を強化した。

コロンビアで多くの場合そうであるように、アラウカ地域でも、軍事エスカレーションの主な犠牲となるのは一般市民である。そして、アラウカに米国部隊が到着したことにより、米国政府は、さらに、住民に何の利益ももたらさないまま強硬手段だけに訴えようとしている。ブッシュ政権の官僚たちは、米軍は戦闘には参加しないと述べているが、コロンビアにおける米軍の役割は、フィリピンにおける「対テロ戦争」で目的を変えたと同様の状況になりつつある。2001年9月11日以降、ブッシュ政権はフィリピン軍の訓練を行うためにフィリピンに米軍を派遣したが、先週、米国政府は米軍の役割を大規模に増大させ、ムスリム・ゲリラに対する対ゲリラ作戦を行うために、1700名の戦闘部隊を東南アジア地域に派遣した。先週ブッシュが、コロンビア南部のジャングルでFARCに捕らえられている3人の米国諜報エージェントを捜し出すために150人の兵士をさらに派遣する決定をしたことは、コロンビアに対する米軍の介入がいかに迅速にエスカレートしうるかを示している。

パイプラインが通る戦争地帯サラベナの郊外に駐留している米軍特殊部隊兵士達は、ずっとゲリラの拠点だった町にいることになる。サラベナの貧しい地域でゲリラは人々の強い支持を得ており、そのため、2002年にもっとも頻繁にサラベナ中心街をゲリラは攻撃することができた。人口3万人からなるこの町サラベナは、そのため、小サラエボと呼ばれたほどであった。サラベナでは、昨年、警察署をゲリラが爆弾、迫撃砲、銃撃などで攻撃した日が80日もあった。その結果、警察署周辺の建物はほとんどすべて廃墟となった。市役所や市庁舎や多数の商店や事務所、そして飛行場も、この15カ月のあいだに破壊された。町の中心部周辺にある建物は、これまでに破壊されていなくても、攻撃を恐れて空っぽになった。2002年9月には、ゲリラが、米軍特殊部隊が駐留するコロンビア軍基地に10発の迫撃砲を発射した。

一方、コロンビア軍は、米国兵士たちが到着する前に、社会復帰ゾーンで緊急治安手段をとった。けれども、2002年11月26日には、コロンビアの憲法裁判所が、これらの治安手段の多くは違憲であるとの判決を下した。その結果、現在は、軍も警察も、令状なしで捜索や拘束ができなくなり −それまでに80名以上の人々が競技場に狩り出されて集められていた− 、外国人ジャーナリストのゾーンでの取材も制限できなくなった。

コロンビア憲法裁判所は、軍が実施した住民調査も違憲であるとした。ただし、この判断は、サラベナ市民にとっては遅すぎた。というのも、すでにサラベナの全市民が、写真を撮られ指紋を採られていたからである。コロンビア軍第18旅団のウィリアム・バウティスタ・カスティージョ少佐は、治安手段を執れなくなったことを嘆いて次のように述べた。「われわれがとった治安手段はすべて大きな助けとなっていた。住民調査、令状なしの捜索と容疑者の拘束、今はこれらを使うことができない。けれども、これらを使っていたときは非常に有用だったのだ」。

しかしながら、こうした治安対策は、ゲリラの軍事的活動にはほとんど効果がなかった。2003年1月、FARCは、新たな手段を採用した。アラウカで4台の自動車爆弾が爆発し、少なくとも12人を殺害、30人に怪我を負わせたのである。この攻撃で主要な標的となったのは、軍の検問所とパトロールであった。この攻撃は、一見自爆攻撃のようであったが、その後まもなく、まったく自爆攻撃などではなかったことが明らかになった。2003年1月11日の爆撃を生き延びた運転手のマウリシオ・アバンダニョ・カマルゴは、当局に、FARCが彼の兄弟2人を拘束して人質とし、彼に特定の場所に車を運転していき、車から出てその場を立ち去るよう命じていたという。アバンダニョは、軍の検問所側で彼がまだ車の中にいるときに、FARCはリモコンで爆弾を爆発させたと述べた。このFARCの新たな作戦は残虐であり、非武装の文民の保護をうたう国際法にあからさまに違反している。そしてこれらの攻撃はまた、米軍が駐留する地域でゲリラが暴力を激化させようとしていることも示している。

カニョ・リモン石油パイプラインを防衛するために米国が米軍特殊部隊を送り込んだのは、こうした泥沼の中なのである。2001年に、政府に石油企業を国有化するよう求めていたゲリラは、170回このパイプラインを爆破した。これにより、オクシデンタル石油は1億ドルの、コロンビア政府は5億ドルの石油収入を失った。オクシデンタル石油の報道官によると、「パイプライン攻撃のために2001年に生産されなかった石油の量は、同じ年にコロンビアが得たコーヒー輸出による収入の総額と同じくらいである」という。

中東危機が続き対イラク戦争を米国が画策する中、そしてベネスエラの状況が不安定な中、コロンビアは重要な石油資源国となっている。米国がコロンビアから得ている石油は、現在のところ、米国の石油消費の3パーセントに過ぎないが、駐コロンビア米国大使アン・パターソンが言うように、「ほかの国々でのトラブルを考えると、1パーセント1パーセントが重要である」。

生産量が落ちているとはいえ、カニョ・リモン油田における一日10万バレルの石油生産は、オクシデンタル石油にとって非常に重要である。コロンビア=ベネスエラ国境地帯には、1億2000万バレルが埋蔵されていると推定されており、コロンビア側での採掘がゲリラの攻撃で停止するたびに、ベネスエラ側での採掘が増加することになる。オクシデンタル石油とベネスエラ国営石油会社PDVSAには、カニョ・リモン油田の採掘に関する契約がないため、オクシデンタル石油が採掘を止めざるを得なくなるたびに、PDVSAは増産の利益を得る。さらに、オクシデンタル石油の採掘権は2008年で切れるため、現在石油を安定生産することがオクシデンタル石油にとっては極めて重要である。2008年を過ぎると、埋蔵されている石油は全面的にコロンビア政府のものとなるのである。

米軍兵士たちは、コロンビア軍第18旅団を訓練している。この旅団の使命は、ベネスエラとの国境の警備、対ゲリラ作戦の実行、石油パイプラインの防衛である。同旅団の記章は油田であり、司令官のカルロス・レムス将軍が部下に命令を下すオフィスは、第18旅団が防衛する石油企業の名前の入った土産物で一杯である。パイプライン防衛を支援するために、オクシデンタル石油は資金とヘリを含む装備をコロンビア軍に提供している。第18旅団に対するオクシデンタル石油の影響は、本稿の著者がパイプラインに対するゲリラ攻撃に対応するための軍のパトロールに同行させて欲しいと要請したときの対応にも現れている。レムス将軍は、そのような要請は、オクシデンタルのオフィシャルの許可が必要であると述べたのである。

米軍兵士たちは、コロンビア軍に、巡回ミッションと非正規戦の手法を教えている。10週間からなるこの訓練コースは、コロンビアにおける米国の軍事政策の重大な変更を象徴している。以前は、米国の援助は、コカ作物やケシ畑、麻薬精製工場を標的とする訓練と装備に限られていた。けれども、新たな「対テロ」援助は、攻撃的な対ゲリラ作戦をコロンビア軍に行わせるための支援である。その結果、石油パイプラインに対するゲリラの攻撃を待つのではなく、コロンビア軍は、将来のパイプライン攻撃を避けようと、ゲリラに対する攻撃を行うことができるようになるだろう。

どうすればコロンビア軍はFARCとELNを打倒することができるのかとの問いに対し、サラベナに駐留しているある米軍特殊部隊兵士は、心理戦作戦の重要性を強調した。「この戦争に勝つためには銃弾を使うのではない。人々をコロンビア軍の側につけることによって勝利することになろう。ベトナムでのように、ジャングルをくぐり抜けてゲリラを打ち負かすことはできない」。

米軍兵士たちが駐留しているのは、コロンビア軍基地の中心で、ワイヤーとサンドバッグの壁、壕で守られている。訓練実習を行ったり休日にバスケットなどのレクリエーションを行うために米軍兵士は自由に基地内を歩き回ることができるが、基地から出ることは許されていない。このエリート部隊兵士の中には −ちなみにその多くはコントラ戦争やパナマ侵略、湾岸戦争、アフガニスタン攻撃の経験者である− こうした制限にフラストレーションを感じ、直接ゲリラを追いかけたいと考えているものもいる。ある米軍兵士は次のように述べた。「こんな中途半端な戦争は好きではない。参加するなら、全面的に飛び込むべきだ」。

サラベナ市長ホセ・トリニダド・シエラは、サラベナの駐留軍増大を歓迎しているが、コロンビア政府がサラベナの社会経済的問題に対処していないと批判する。トリニダド・シエラは次のように言う。「サラベナ住民は政府に社会投資を求めてきた。社会秩序の問題は、軍隊の駐留によって解決できるものではないと思う。社会投資を行わなくてはならない。われわれは雇用創生のために援助を中央政府に求めてきた。また、教育と保健医療の分野でも投資を求める」。

ところが、コロンビア政府も米国政府も、アラウカ州に有効な社会経済援助を提供しないばかりか、ウリベ政権は最近になって、アラウカ州が得ていた石油収入に対する9.5パーセントのシェアすら廃止すると発表したのである。さらに、カニョ・リモン石油パイプラインが通る地方行政区が得ていた2.5パーセントのシェアも廃止すると述べた。ウリベによると、これは、石油収入の多くが、強請やゲリラに共感する地方政治家によりゲリラの手にわたるからであるという。それゆえ、ウリベ大統領は、これまでアラウカ州と地方行政区に行っていた石油収入のシェアもすべて自分の手で管理すると宣言したのである。

2003年1月、ELNは、米軍の到着に対して、2名のジャーナリストを誘拐することで応じた。米国の写真家スコット・ダルトンと英国の著者ルス・モリスである。両者はロサンゼルス・タイムズ紙との契約で働いていた。その事件が起きるまで、コロンビア内戦を取材する外国人ジャーナリストがゲリラに誘拐されたことはなかった。けれども、ELNが発表した最初の声明で、ELNは、2名のジャーナリストの拘留を米軍のアラウカ州到着と結びつけ、「政治的および軍事的状況が改善」されるまで2名のジャーナリストは釈放しないと述べた。米軍の撤退を求めていたようである。けれども、国際的な批判が高まる中で、ELNは立場を変更し、11日後に2名を釈放した。それからまもなくして、ゲリラたちは、アラウカへの米軍駐留に講義して2月10日から15日までアラウカの高速道路を封鎖すると発表した。それにより、アラウカ州の主要都市のあいだで人々や物資の輸送が麻痺した。この封鎖期間中、サラベナに飛んでいる主要航空二社は、ゲリラに飛行機を撃墜されることを恐れてフライトをキャンセルした。こうしたゲリラの戦略は、ブッシュ政権が進めているコロンビアでの「対テロ戦争」に対する反応であることは明らかである。

FARCとELNの社会的コミットメントに関しては多くの人々が疑問を呈しているが、軍事的強さは疑いようもない。ゲリラは、すでにサラベナを自在に攻撃できることを示した。そのことは、米軍をこの紛争地帯に駐留させれば、米軍が直接戦闘に関わる可能性が大きく増大することを示している。国務省の海外テロ組織リストにあげられている組織によりサラベナの米軍に犠牲者が出るならば、コロンビアの内戦に対して、米国が、世界的な「対テロ戦争」の口実を使って全面的に介入するきっかけになる可能性は高い。米軍が介入すれば、そもそも軍事的解決など存在しない紛争に対して、さらに軍事化を促してしまうだけである。そして、そうした軍事紛争激化の代価を払うのは、戦火の中に捉えられる罪のないコロンビアの人々であることも明らかである。


  益岡賢 2003年2月26日

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