米国とテロリズム

究極のテロリスト米国が作り出した目くらまし「対テロ戦争」のもとで、 西洋はイラク攻撃準備をしている

ジョン・ピルジャー
2002年7月14日
ZNet原文


2001年9月11日から10か月たった今も、 大げさなジェスチャー・ゲームが続けられている。 9月11日に対する人々の衝撃的反応を横領した世界の支配者たちは、 我々の言葉を「対テロ戦争」に関する紋切り型と嘘の賛歌へと変えてしまった。 この支配者たちこそが、最も頑固な脅威であり、テロの源であるにもかかわらずである。

アメリカを攻撃した狂信者たちはサウジ・アラビアとエジプト出身である。 これら米国の保護領には、爆弾は一つも投下されなかった。そのかわりに、 すでに傷ついていたアフガニスタンの一般市民5000人以上が、爆撃で殺されたのである。 最近の犠牲者は、結婚式に参加していた40名で、ほとんどが女性と子供であった。 重要な地位にあるアルカイーダ指導者は一人として捕まっていない。

この「うっとりするような大勝利」ののち、何百人もの捕虜が、 キューバにある米国の強制収容所に移送され、そこで、あらゆる戦争条約や国際法に反して、 拘束されている。これらの人々が犯したとされる犯罪の証拠は何も示されておらず、 FBIも、純粋な容疑者は一人だけと述べている。 米国内では、1000人以上のモスリム出自の人々が「失踪」した。誰も起訴されていない。 熾烈な愛国法のもとで、FBIは新たに、図書館で誰が何を読んでいるか調べる権限を手にした。

一方、英国ブレア政権は、英国軍が「部族民」を追求するよう主張している。 ちょうど1世紀前、インド総督カーゾン郷がアフガニスタンのことを 「世界支配の偉大なゲームを行うチェス盤の駒」と述べていたときに、 英国の戦争屋たちが行ったことそのままである。

対テロ戦争などというものはどこにもない。「偉大なゲーム」が加速されただけである。 違いは大国が凶暴であり、我々全員が際限のない危険に晒されているという点だ。

ワシントン金権政治を運営するキリスト教右翼原理主義者たちは、 パレスチナ人を究極のテロリストであるアリエル・シャロンの腕の中に放り込み、 現在、イラクの2200万にのぼる苦しんでいる人々に対する攻撃準備のために、 火器を補填している。イラクの人々がどうすることもできないでいる独裁者と同じくらい残忍な 米国主導のありとあらゆる経済封鎖により、 イラク国民全体が捕虜となっていることを改めて指摘する必要はないだろう。 予定されているイラク攻撃は、ワシントンとロンドンが声高に叫ぶプロパガンダに反して、 サダム・フセインの「大量破壊兵器」−そんなものが存在するとして− に関係していることではない。攻撃の理由は、米国が、世界第二の石油埋蔵国に、 もっと従順な独裁者を据えたいことにある。

戦争の鐘を打ちならすものたちは、めったにこの事実について、そしてイラクの人々について、 言及しない。みんなが悪魔中の悪魔であるサダム・フセインだというのだ。 4年前、ペンタゴンは、クリントン大統領に対し、イラク全面攻撃は、 「少なくとも」1万人の一般市民を殺すことになるだろうと警告した。 このことも、口にしてはならないことである。 イラクへの怒りを正当化するために続けられるプロパガンダ・キャンペーンでは、 大西洋両岸の記者たちが、次から次へと出される噂と嘘偽りのチャネル、 「導線」として使われている。それには、 米国の炭素菌事件がイラクにつながっているという嘘の主張から、 2001年9月11日のハイジャック指導者とイラク諜報の関連という、 虚偽であることが暴かれた情報なども含まれる。攻撃が行われたときには、 これらの御追従記者たちも犯罪に責任を負っていることになる。

帝国主義が再び尊敬を勝ち取るための帰還旅行が始まっていることに注目したのは、 トニー・ブレアだった。「飢えているものたち、呪われたものたち、追放されたものたち、 無知な輩たち、欠乏し粗野な生活を送るものたち、北アフリカの砂漠からガザのスラム、 そしてアフガニスタンの山岳地帯に暮らすものたち」に対してのよりよき世界を巡る、 キリスト教徒紳士=爆撃者の見解に耳を澄ましてみるとよい。この男が、 ニューヨーク・タイムズ紙が報じたように、 「アフガニスタン市民に必要な食料や他の必需品を運ぶトラック・コンボイの停止を要求した」 ブッシュと共謀していたときに表明した、 「アフガニスタンで苦しむ女性の人権」に対する「強い」心配に耳を澄ましてみよう。 また、英国からの決定的な部品提供により生産された戦闘機を使って、イスラエルが、 ミサイルを打ち込んでいた一般市民人口の密集した「ガザのスラム」に住む「追放された人々」 への共感に耳を澄ましてみよう。

フランク・フレディが『帝国主義の新たなイデオロギー』The New Ideology of Imperialism の中で指摘しているように、「西洋で帝国主義の道徳的権威がほとんど疑問視されなかった時代は、 そう昔のことではない。帝国主義と西洋列強の世界的膨張は人類の文明化に対する大きな貢献として、 明確に積極的な意義を付されていたのである。」この企てが怪しくなったのは、 ファシズムもまた帝国主義であることが明らかになったからであり、 この言葉がアカデミックな議論から姿を消したのはそれ以来なのである。 最上のスターリン主義的伝統である。帝国主義はもはや存在しない! 今日、好んで使われる婉曲表現は、「文明」であり、形容詞が必要な場合は「文化的」である。

隠れファシストの同盟者であるイタリア首相シルヴィオ・ベルスコーニから、 申し分のないリベラルな評論家に至るまでの、新帝国主義者たちは、 文明化されていないとか文化的に劣等であると見なしたり、 西洋の「価値」を脅かすと自分たちが見なした人々に対する、 外国人嫌悪や人種主義的比較に基づく概念を共有しているのだ。 ニュースナイトの「討論」を観察してみよう。提起される質問は、 「奴ら」の問題をどうやったら「我々」が最もうまく扱えるかということだけである。

西洋メディアの大部分、特に、 米国のスーパーカルトに捕らわれ「中性化」された評論家たちにとって、 最も顕著な真実はタブーとされている。コーネル大学のリチャード・フォーク教授は、 数年前にこれを簡潔に言い表している。西洋の対外政策は、 「自分が正しいという一方的な道徳的/法的スクリーンを通して、 西洋の諸価値と無垢さという積極的なイメージが脅かされているものとして投影し それにより無制限の暴力に訴えることを正当化する」メディアにより伝えられている。

恐らく最も重要なタブーは、米国が非常に長いこと、テロ国家であり、また、 テロリストにとって天国だったという事実である。米国が、 世界法廷により(ニカラグアでの)国際テロを非難された史上唯一の国であること、 国際法を遵守するよう諸国家に求めた国連安保理決議に拒否権を発動したことは、 口に出してはならないタブーなのである。

2001年9月11日のあと、ブッシュは、「テロリズムに対する戦争では」、 「我々は悪を為すものたちを、どこにいようと、そしてどれだけの時間がかかろうと、 狩り出す」と言っている。

厳密に言うと、そんなに長い時間はかからないはずである。 地球上のどこよりも多くのテロリストが、米国で訓練を受け、米国で保護されているのだから。 この中には、大量殺人者、拷問者、過去及び将来の専制君主をはじめとする、 ありとあらゆる国際犯罪者が含まれる。この事実は、世界一自由なメディアのおかげで、 米国市民には知らされていないのである。

ブッシュの弟ジェブ・ブッシュが現在州知事をしているフロリダ以上のテロリスト楽園はない。 『無法国家』(Rogue State)という本の中で、 元国務省上級スタッフだった著者ウィリアム・ブルムは、 ナイフを突きつけて飛行機をフロリダにハイジャックした3名の反カストロ・テロリストに対する、 典型的なフロリダ風裁判について述べている。「誘拐されたパイロットが、 容疑者に対する証言のためにキューバから連れてこられたにもかかわらず」、 「弁護団はたんに、判事に対し、パイロットは嘘をついていると述べ、 陪審は、1時間も検討せずに、被告に無罪を宣言したのである」。

ホセ・ギレルモ・ガルシア将軍は、1990年代から、フロリダで安楽に暮らしている。 彼は1980年代、軍につながる殺人部隊が何千人もの人々を殺害した時代に、 エルサルバドル軍の総司令官だった。ハイチの独裁者プロスパ・アブリル将軍は、 自分が行った拷問により血にまみれた犠牲者をテレビを通して見せるのが趣味だった。 彼が追放されたとき、米国政府は彼をフロリダにエスコートした。 ポルポトのお小姓で国連でいいわけを繰り返してきたティオウン・プラシトは、 現在ニューヨークで暮らしている。シャー時代イランの悪名高い監獄を仕切っていた マンソール・モハラリ将軍は、イランで指名手配されているが、米国で問題なく暮らしている。

ジョージア州フォート・ベニングにある世界最高のテロリズム大学と比べると、 アフガニスタンのアルカイーダ訓練キャンプは幼稚園のようなものである。 最近までスクール・オブ・ジ・アメリカズと言われていたここでは、 独裁者や6万人近いラテン・アメリカの特殊部隊兵士、準軍組織、諜報員に、 テロリズムの暗黒芸術を教え込んでいた。

1993年、国連のエルサルバドル真実委員会が、 内戦下で最悪の残虐行為を犯したエルサルバドル軍士官たちの名前を公表した。 このうち3分の2が、フォート・ベニングで訓練を受けていた。チリで、 ピノチェトの秘密警察と3つの強制収容キャンプを運営していたのも、 フォート・ベニングの卒業生たちである。 1996年、米国政府は、スクールの訓練マニュアル公開を命ぜられたが、 そのマニュアルは、脅迫、拷問、処刑、目撃者の親類の逮捕などを推奨していた。

この数ヶ月の間に、ブッシュ政権は、 米国が最大の要因となっている地球温暖化を減速するための京都条約を反故にした。 ブッシュ政権はまた、「先制」攻撃で核兵器を使用すると威嚇した (この脅迫は英国国防相ジェオフリー・フーンによっても繰り返された)。 ブッシュ政権は、国際刑事裁判所誕生を妨害しようとした。国連の場では、 パレスチナ人難民キャンプに対するイスラエルの攻撃に関する国連調査を妨害し、 国連を邪魔した。また、パレスチナ人に対し、選挙で選ばれた指導者を、 米国の手先とすげ替えるよう命令した。カナダとインドネシアでのサミット会議で、 ブッシュの取り巻きは、きれいな飲料水と電気を手にしていない地上で最も剥奪された人々に対する、 数億ドルの支援を妨害した。

こうした事実は、必ず、「反米」だという空虚な誹謗を引き起こす。 これは皇帝の大権である。知的道徳的に追従する人々の最後の避難場所は忠誠の誓いである。 ノーム・チョムスキーが指摘するように、ナチもまた、議論と批判を、 「反独」という誹謗により沈黙させた。むろん、米国はドイツではない。 米国は、1960年代及び70年代の画期的運動のように、 歴史上最も重要な市民権運動のいくつかが現れたところである。

先週私は米国にいて、その、もう一つの米国に触れた。これは、 メディアやハリウッドのステレオタイプでは滅多に伝えられないものであるが、 これが頭をもたげつつあるのは明らかであった。先日、 米国と世界の人々に向けられたオープン・レターの中で、米国の著名な芸術家、作家、 教育関係者たち100名以上が、次のように書いている:

米国政府が際限ない戦争を宣言し弾圧のための様々な新手段を導入しているときに、 米国の市民が何もしなかったと言われないようにしよう。我々は、疑問を表明すること、 批判、反対が、尊重され守られるべきであると信じている。 これらの権利はいつも侵害にさらされ、闘いとらねばならないものである。 我々もまた、9月11日の恐ろしい事件を衝撃をもって見た。けれども、 追悼が始まりすらしないうちに、我々の指導者たちは復讐心を発動した。 米国政府は今、公然と、イラクに対する戦争準備を進めている。9月11日とは、 まったく何の関係もないイラクに。

我々は、世界に対してこれを発表する。歴史上、あまりに多くの場合に、 人々は抵抗するには遅すぎるまで待ってしまっていた。我々は、 奴隷制度と闘った人々そして反対の声から始まった自由への様々な大儀を参照する。 世界中の、同じように考える人々に、我々の行動に加わるよう呼びかける。

彼女ら/彼らの仲間に加わるときは来ている。



この記事は、ジョン・ピルジャー『世界の新たな指導者たち』 (The New Rulers of the World)の一部を改定したものである。


 益岡賢 2002年9月2日

一つ上へ] [トップ・ページ