コソボの教訓、あるいは
どこに行っても臭いなら、そりゃ臭いのはお前だろう・・・

ノーム・チョムスキー『アメリカの人道的軍事主義』からの抜粋
2006年5月2日
「コソボの教訓」原文

ノーム・チョムスキー著『アメリカの人道的軍事主義』(現代企画室刊)からの一部抜粋要約です。米国が、「国連の外でイランへの制裁もあり得る」とのたまっている中、少し米国の介入を冷静に考えるための素材として、掲載いたします。


コソボ危機はまれにみる熱狂と非現実的なまでの高揚をもたらした。この出来事は、「国際関係のランドマーク」であると言われ、これにより、「非人間的な行いを終わらせるために精力を傾ける理想主義的な新世界」たる米国の導きのもとで、世界史上前例のない道徳的な新時代への扉が開かれたとされた。新たな千年紀とともに訪れたこの「新しいヒューマニズム」は、過去の、邪悪な精神に満ちた粗野で視野の狭い政治に取って代わるであろう。新世界秩序の新たな構想が、人道問題とグローバルな社会に関する教訓とともに出来あがりつつある。こうした新たな構想は腐ちつつあるこれまでの世界秩序メカニズムに取って代わるだろう。それというのも、過去のメカニズムは「破滅的な失敗」であることが明らかになっており、従って、これまでの規範とは違う、「革新的で正当な」新たな考えの前に捨て去らなくてはならないからである。過去の世代に見られた理想主義は愚か者にとってのものであり、それに対して、現在訪れつつある展望は本当にすばらしいものなのである。

さて、このような説明が真実ならば、あるいはほんのわずかでもそこに真実が含まれているならば、我々の前途にはすばらしい展望が開けていることになる。僅かな善意さえあれば、恐ろしい悲惨を低コストで乗り越えることができるほどの物質的・知的資源を今や我々は手にしている。また、苦しんでいる人々のためになすべき仕事のリストを作るにあたって、想像力や知識はほとんどいらない。とりわけ、コソボに見られたような性質と規模の犯罪を見つけだすのはいとも簡単であり、その多くは、一九九九年前半に西洋有力諸国とその知的風土を覆ったコソボに関する努力と熱意のほんの僅かでもあれば、避けることができたか、少なくとも大幅に緩和することができたであろうものである。

そこで、少し注意を傾けて、こうした問題を考えてみることにしたい。コソボの解放という崇高な精神に少しでも信憑性があり、指導者たちが確証したように「原則と価値の名のもとで」(バーツラフ・ハベル)行動がなされているならば、今後、決定的に重要な問題に対し、現実的かつ速やかな行動を取る大きな可能性が出てくる。仮に現実が自讚しているほどのものでないとしても、聞き心地の良い言葉が単なる皮肉なご都合主義的発言ではないと考える人々にとって、こうした検討は、これから何をなすべきか考えるための助けになるだろう。

一九九九年三月二十四日、米国主導のNATO軍は、ユーゴスラビア連邦共和国(FRY)の標的に巡航ミサイルと爆撃による攻撃を加えた。米国の新聞によると、これによって「アメリカは、クリントン大統領が、民族浄化を阻止し東欧に安定をもたらすために必要と主張する戦争に突入した」。クリントンは、米国民に対して、FRY爆撃は、「我々の価値を掲げ、利益を守り、そして平和の大義を押し進めている」ことであると説明した。「我々はあらゆる場所での悲劇に対応できるわけではないが、民族対立が民族浄化に転化したとき、我々が事態を変えることができるならば、そうしようとすべきであるし、コソボはまさにそうした状況なのだ」。彼が演説で「正義かつ必要な戦争」と呼んだこの戦争に「躊躇していたならば」、「結果は道徳的かつ戦略的な破滅となっていたであろう」。「アルバニア系コソボ住民は祖国を失い、ヨーロッパの最も貧しい国々で困難な状態で生きることになっていたろう」。苦痛に喘ぐ人々のこうした運命を米国は我慢することができないというわけである。マドレーヌ・オルブライト米国国務長官は、既に一九九九年二月一日、次のような警告を発していた。「こうしたことは見過ごせない。一九九九年にこうした野蛮な民族浄化が行われることを見過ごすことは出来ない。このような邪悪に対して民主主義が立ち上がる必要がある」。

欧州におけるクリントンの仲間たちも同意した。「新しい世代は基準線を引く」という宣言のもと、英国のトニー・ブレア首相は、この戦争は新たな性格のものであり、我々は「価値のため」、「あるエスニックグループ全体に対する残虐な弾圧を放置することはしないという新たな国際主義」のため、そして、「そうした犯罪の責任者にはもう隠れるところがない世界を造るため」に戦うのだと述べた。「我々は、独裁者が権力の座に居続けるために人々を残酷に処罰することがこれ以上起らないような、新らしい世界のために戦っている」。そして、我々は、「独裁者が、民族浄化や人々の弾圧を行いながら処罰を受けずにすますことは不可能であると理解するような、新しい千年紀」に入りつつあると言われた。ドイツの外相ヨシュカ・フィッシャーも、「人権の擁護は作戦の一形態であるとしてオルブライト国務長官が擁護し」、「ドイツの知識人ウルリヒ・ベックが「NATOの新たな軍事ヒューマニズム」と呼んだ概念の熱心な提唱者となった」。

「新しい介入主義」は、「制約の強い昔のルール」を捨てて「正義の現代的観念」に従い、少なくとも「正しいと思う」限りは「啓蒙国家」が武力に訴えることができるという、世界問題における新時代を提唱してきた知識人や法律専門家によって称賛された。「コソボ危機は・・・国際法に妨げられることなく正しいと思うことを実行する米国の新たな意欲を示している」。冷戦の足枷と古くさい世界秩序の制約から自由となった現在、啓蒙諸国は、人権を掲げて、あらゆる所の苦しんでいる人々に、必要なら武力に訴えてでも正義と自由をもたらすために全力を尽くすことができるというのである。

このような啓蒙諸国の代表は、米国とその盟友の英国であり、さらに正義と人権の聖戦に名を連ねる他の国々も含まれることになろう。これらの国々の使命に抵抗するのは、「頑固で怠惰で、邪悪な」、「無法」分子だけである。啓蒙国家であるかどうかは、あらかじめ決められているので、ここで言われる啓蒙国家と無法分子の決定的な区別を示す証拠や議論を−特に歴史に−探し求めても、徒労に終わる。いずれにせよ、確かに過去に我々は単純さや誤った情報から過ちを犯したが、今は正しい道に戻っている、という「成り行きの変化」教理のもとで、常に歴史的事実は、議論には無関係なものとみなされる。「現われつつある規範」の最も強力な提唱者の一人が我々に示すように、歴史の記録を検討することは「ワシントンの過去の悪しき外交政策に関する中傷スローガンと誹謗」に過ぎないので「無視しても良い」。このため、意思決定構造とそれを支える組織構造がもとのままであるにも関わらず、過去から何を学べるか考えることは無意味だというわけである。

一九九九年六月三日、NATOとセルビアは和平協定に調印した。米国は「ミロシェビッチに「叔父さん」と言わせるための十週間に及ぶ闘い」を成功裡に終えたとして、高らかに勝利を宣言した。勝利を収めたことと平和が回復されることは別である。和平協定が勝者たちの解釈に沿って実行に移されるまで、鉄の拳は振りあげられたままにされている。コソボ戦争を巡る一般的了解については、ニューヨーク・タイムズ紙の国際アナリストであるトマス・フリードマンが次のように述べている。まず彼は、「コソボ問題は、最初から、重要でない場所で何か悪いことが起きたときにどのように対応するかに関するものであった」とする。そして、この現代における深刻な問題に対し、啓蒙諸国は、「難民追立てが始まって以降、コソボを無視するのは間違っており・・・それゆえ目的を限定した大規模な空中戦が唯一妥当な方策」であるという道徳的原則を実行することで答え、新たな千年紀の始まりとしたという。

フリードマン自身の(と同時に広くに行き渡っている)見解は検討に耐えうるものではない。その一方で、フリードマンの見解がニューヨーク・タイムズ紙に発表されたと同じ日に、同じ新聞で、より信頼のおける見解が、間接的にではあるが示されている。アンカラの特派員、スティーブン・キンザーは、「トルコの最も有名な人権活動家(アキン・ビルダル)は」、「トルコ政府に対して、クルド人反逆者との間の平和的な問題解決を求めた」ことに対する刑により「入獄した」と報告している。あまり情報量の多くない、誤解を生みやすいニュース報道や解説記事の背後をきちんと見るならば、この勇敢なトルコ人権協会代表の逮捕は、民族浄化と国家テロリズムにより彩られた一九九〇年代における最も残忍な虐殺を調査報告しまた対立の平和的解決を呼び掛けてきた人権活動家たちに対する、トルコ政府による脅迫と嫌がらせキャンペーンのほんの一例に過ぎないことがわかる。トルコ政府によるこのキャンペーンは、クリントン大統領の言葉によれば「我々の価値を掲げ、利益を守り、そして平和の大義を押し進めている」啓蒙国家の後押しのもとで大規模に進められてきた。意図的な無知を決め込まない人々に取っては、お馴染の事 態である。

詳細は後に検討するが、ここでは、NATOの内部そして欧州連合の司法権下で続けられているこの事件が(これが唯一の例というわけではまったくないが)、「重要でない場所で何か悪いことが起きたときにどのように対応するか」という問題に対して啓蒙国家が出した答えをいささか劇的に示していることを確認しておこう。すなわち、「虐殺行為がエスカレートするように対応する」という回答である。これは、コソボでも達成された。現実世界のこうした様々な事態は、我々が「成り行きの変化」教理を受け入れ、歴史を抹殺し、やりたいことを自由にやる権力機構に関する歴史の教訓を抹殺することに同意したとしても、「新しいヒューマニズム」に関していささか深刻な問題を投げ掛ける。

こうしたことが、一九九九年のコソボ戦争を巡って検討されるべき最も重要な問題であるのだが、少なくとも「啓蒙国家」において、これらは検討の視野から除外されていた。他の場所では、様々な人々が、こうした問題を認識していた。一例をあげるならば、ある著名なイスラエルの軍事戦略評論家は、啓蒙国家を「世界に対する脅威」と見なした。彼はこの「ゲームの新たな規則」を、裕福で力をもった側が「自分たちにとって正しいと思える」ことを、「道徳的正義の装いをまとった」暴力に訴えて行う、植民地時代への回帰であるとみなしている。中道党代表で元幕僚長の妻である別の評論家は「力が勝利し平和は敗北した」と書いている。「ゲームの規則はまったく変っていない。ここにあるのは、善と悪ではなく、極悪と多少の悪のみである」。西洋お気に入りの発言をしていたためにかつては彼らのアイドルだったアレクサンダー・ソルジェニーチンは、まったく別の立場に立っているが、「新しいヒューマニズム」の簡潔な定義を次のように与えている。「攻撃者たちは国連を脇に蹴りやり、力が正義であるという新たな時代の幕を開いた」。最後の例として、ミロシェビッチの戦争方針に反対し平和的抗議を唱えたためにミロシェビッチにより追放された、ヴーク・ドラシュコビッチを取りあげよう。彼は、西洋では良きセルビア人、政府内での理性と独立の声、ポスト・ミロシェビッチ時代のセルビア民主主義の希望として称賛されていた。その彼の抗議は、ソルジェニーチンと同じ立場に立つものだった。「現在の世界は法による統治ではなく力による統治のもとに置かれがちであることを認識しなくてはならない。我々は勇気をもって妥協点を探さなくてはならない」。

世界人口のかなりの部分を占めると思われるより広い範囲を考えるならば、人々の多くは、著名で影響力の強い急進的平和主義者A.J.ミュストの、次のような言葉に同意するであろう。

戦争後の問題は勝者の側にある。勝者は戦争と暴力がコストに見合うことをまさに証明したと思いがちである。そのとき誰が勝者に教訓を与えるのだろうか。

ユーゴスラビア解体戦争の最後の段階で一層浮彫りになった一般的な問題は、冷戦終了とともに注目され出したものである。問題の中心にあるのは、啓蒙国家・同盟が、人道的見地から介入権を持つとして、軍事力の合法的利用範囲を拡大しようという主張である。この問題が議論の対象となってきた時期について意見は一般に一致しているが、「人道的介入」という考えを巡っては、「正当な介入の新たな基準」の意図と、それが導くであろう結論に対する見方の違いを反映して、異なった場所で異なる評価がなされている。

拡張版の介入主義においては二つの選択肢がある。第一は国連の主導下で、第二次大戦後国際法の基盤として合意された国連憲章に従って行われるものであり、もう一つは国家群や同盟諸国(米国やNATO、あるいは以前のワルシャワ条約機構など)により、一方的に国連安全保障理事会の議決なしに行われるものである。後者の国家群や同盟が、十分に強大で傲慢であり、かつ内部規律が行き届いているならば、(米国や、時にNATOが行っているように)自らを「国際社会」とみなすであろう。第一の選択肢にも問題はあるが、本書で扱う話題ではない。ここでは、国際社会の許可を求めたり与えられたりすることなしに、「正しいと思う」から武力に訴えるという、国家群や同盟諸国による「正当な介入の新たな基準」に関心を向けている。実際のところ、これは「正しいと思うことを行うアメリカの新たな決意」と等価である。

逆に言うと、「新しい介入主義」は古い実態を再現しているだけである。それは、二極化された世界システム下で邪魔されてはいたが常に意図されていた昔の方針を改訂したものに過ぎない。過去の二極化された世界では、非同盟である余地が多少はあったが、それも一方の極が消滅してなくなってしまった。ソ連と、そして時に中国は、自らの伝統的支配範囲下での西洋諸国の行動を、軍事的抑止効果のみによってではなく、しばしばいかにご都合主義的なものだったとは言え、西洋諸国(そのほとんどは実際には米国主導のものだったが)による転覆の標的に軍事援助を与えることによって、多少なりとも抑制してきた。ソ連の抑止効果がなくなり、冷戦の勝者は、善き意図の装いのもとで、けれども実際には啓蒙国家以外ではお馴染みのように、自らの利益追求のために、やりたいことをより自由に行うことができるようになった。

自称啓蒙国家は、なぜか裕福で強力な国家であり、植民地主義・新植民地主義的な世界支配体制の継承者、すなわち「北」の第一世界である。一方、治安を乱す悪漢たちはその対極にいる。彼らは「南」の第三世界、「発展途上国」、「低開発国」、「移行的経済」といったイデオロギー的な装飾を施された言葉で表現される国々である。この分割は明確なものではないが、傾向としては厳然と存在しており、ここから、「正当な介入の新たな基準」に対して解釈の相違が存在する理由がある程度わかる。

自称啓蒙国家は、なぜか裕福で強力な国家であり、植民地主義・新植民地主義的な世界支配体制の継承者、すなわち「北」の第一世界である。一方、治安を乱す悪漢たちはその対極にいる。彼らは「南」の第三世界、「発展途上国」、「低開発国」、「移行的経済」といったイデオロギー的な装飾を施された言葉で表現される国々である。この分割は明確なものではないが、傾向としては厳然と存在しており、ここから、「正当な介入の新たな基準」に対して解釈の相違が存在する理由がある程度わかる。

歴史的事実は無関係であるという宣言のもとで、好ましくないイメージは隠したまま公の敵の邪悪なイメージを伝えるという、啓蒙国家が作りあげたフィルターを介してのみ現状が把握される限り、こうした解釈の対立を解消することは難しい。例えば、ベオグラードが犯した残虐行為は、正確に、また時に増幅されて伝えられるが、アンカラとワシントンの手になる残虐行為は伝えられない。

世界について理解しようとするならば、これら特定の出来事ごとに、自らの判断と意思を執行する力を持った国々が、それぞれの場合に応じて軍事介入を行ったり行わなかったりの決定をするのはなぜなのか考える必要がある。こうした疑問は、「正しいと思う」ときには啓蒙国家は武力を用いるべきであるという教理が「再生」─というのも、これは良く知られているようにまさに「再生」なのだが─したワ当初から呈せられていた。一九九三年の「現れつつある規範に関する米国学士院会議」で、国際関係の最も著名な学者であるアーネスト・ハースが簡にして要を得た、すぐあとに明確で興味深い回答を与えられることになる質問を提起した。彼はNATOがその時イラクとボスニアでクルド人とイスラム教徒を守るために介入していることを確認した上で、「もしトルコがクルド人の反乱への対策を強化したら、NATOは同じような介入主義の見解を取るのだろうか」という問題を提起した。この質問は「新しいヒューマニズム」が権力の関心に導かれたものなのか、人道的関心からくるものなのかをはっきり試している。武力行使は、言われているように「原則と価値の名のもと」で行われているものなのか。それとも、もっと粗野な、これまでにもお馴染のものを我々は目撃しているのか。

このテストは有効なものであり、回答はさほど待たずに与えられた。ハースがこの問題を提起していたときに、トルコは、文化と言語の権利を認める平和的問題解決提案を拒絶し、南東部のクルド人への弾圧を強めていた。トルコ政府の行為は、ほどなく民族浄化と国家テロの規模に達した。NATO、特にその指導者である米国ははっきりとした「介入主義」の態度を取ったが、それは、トルコによる残虐行為が激化するようなかたちで介入するものであった。

こうした事例がより一般的な問題に関して示唆していることは明らかである。特に、トルコにおける「介入主義」を、コソボ危機において適用された介入主義と比べてみると明白である。道徳的見地からは、後者の弾圧は前者と比べて(FRY空爆前は決定的に)規模が小さかったし、NATOの権力と機構の内部に位置づけられているトルコによる弾圧と比べて、後者は、NATOと米国の責任範囲外であったという点で、より責任の軽いものであった。この二つの事例にはまた、セルビアは米国が支配する世界システムにおいて治安を乱す悪漢であったのに対し、トルコは忠実な雇われ国家として米国の世界支配に貢献していたという相違がある。ここでも、政策決定の要因となっているものを見分けるのは難しくないし、また、より一般的な問題とその解釈を巡る「南北」の分断も、図式に上手く当てはまる。

ちょっと検討しただけでも、「新たなヒューマニズム」の合唱が非常に疑わしいことがわかる。NATOのコソボへの介入ということに限って考えても、崇高な主張を論駁するには十分である。現在の世界をより広く眺めるならば、このことはさらに明らかになるし、掲げられている「価値」の本当のところが明らかになる。我々がワシントンとロンドンからの命令に背いて過去の歴史を議論の中に持ち込むならば、「新世代」が実は旧世代のままであり、「新国際主義」は過去の不快な記録を再現しているに過ぎないことはすぐにわかる。著名な先祖たちの行為とそれに対する正当化、そしてその効果もまた、我々を立ち止まらせるに十分である。それに加えて、少なくとも知ることを選択した人々には入手できる、新千年紀に向けた上級政策立案文書は、提唱されている価値に真剣に取り組んでいる人々へのさらなる警告となろう。

ちょっと検討しただけでも、「新たなヒューマニズム」の合唱が非常に疑わしいことがわかる。NATOのコソボへの介入ということに限って考えても、崇高な主張を論駁するには十分である。現在の世界をより広く眺めるならば、このことはさらに明らかになるし、掲げられている「価値」の本当のところが明らかになる。我々がワシントンとロンドンからの命令に背いて過去の歴史を議論の中に持ち込むならば、「新世代」が実は旧世代のままであり、「新国際主義」は過去の不快な記録を再現しているに過ぎないことはすぐにわかる。著名な先祖たちの行為とそれに対する正当化、そしてその効果もまた、我々を立ち止まらせるに十分である。

我々は、検討を、セルビア人によるコソボでの残虐行為という、実際に起きた恐ろしい出来事に注意を向けることから始める。すぐさま気付くのは、空爆が、啓蒙国家の指導者たちが言うように、民族浄化への「対応」としてなされたのでも、それを「阻止する」ためになされたのでもないことである。クリントンとブレアは、民族浄化の激化といった否定的結果が導かれる可能性が高いと知りながら、戦争に突入する決断をしたのである。

NATOの情報源によると、空爆前年の一九九八年に、コソボで約二千人が殺され、数十万人が国内難民となった。この人道的破局に責任があるのは主にユーゴスラビア警察と軍であり、主要な犠牲者は一九九〇年代にはコソボ人口の九十パーセントを占めると見られていたアルバニア人である。

空爆以前、そして空爆後二日間に関しては、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は難民に関するデータを発表していない。空爆の前、何年にもわたって、アルバニア系もセルビア系も含めた多くのコソボ人が、バルカン戦争の結果、あるいは経済上その他の理由でコソボを出たりまた戻ったりしていた。UNHCRは、空爆開始から三日後の三月二十七日に、四千人が隣国アルバニアとマケドニアに逃げ出したと報告している。UNHCRは四月一日までは難民についての日ごとのデータを発表していないが、四月五日にニューヨーク・タイムズ紙は、「三月二十四日以来三十五万人以上がコソボを脱出した」と、UNHCR発表に基づいて述べている。一方、空爆と地上での攻撃の激化を逃れて北方のセルビアに脱出したコソボのセルビア人の数はわかっていない。戦争が終わってから、「NATOの爆撃が始まったときに」セルビア人の半数がコソボを脱出したと伝えられた。NATOによる爆撃前のコソボ内の難民数については様々な見積もりがある。ケンブリッジ大学法学部教授で一九九九年のランブイエ会議でコソボのアルバニア人代表団の法律顧問を勤めたマーク・ウェラーは、国際監視団(コソボ検証使節団:KVM)が一九九九年三月十九日に撤退してから「数日のうちに、撤去させられた人々の数は再び二十万人以上に増加した」と報告している。米国議会情報委員会議長ポーター・ゴスは、米国情報局の情報に基づき、国内難民数を二十五万人と予測している。UNHCRは三月十一日に「二十三万人以上がコソボ内で自宅から撤去させられている」と報告している。

UNHCRの報告によると、一九九九年六月三日の和平協定までに、モンテネグロに行った七万人と他の国々に行った七万五千人の他に、FRY国境の外に六十七万一千五百人の難民が発生した。これらの数字に加えて、空爆の前年に二十万から三十万人と見積もられ、空爆後に遥かに増加したコソボ内での難民と、ユーゴスラビア赤十字によれば百万人以上と言われるセルビア内の難民、そしてセルビアを去った人々の数が加わる。

コソボから伝えられる難民のこのような数は、不幸にして、これまでにもお馴染のものである。一九九〇年代の「我々の価値」を示す参考として二つだけ例をあげるならば、まず、NATOによる空爆前の難民数は同じ年のコロンビアにおける難民の米国国務省の見積もりとほぼ同じであり(この比較は印象的なので後程立ち戻ることにする)、空爆後のUNHCRによる難民合計数は、一九四八年に逃げ出したか強制撤去させられたパレスチナ人の数とほぼ同じである。このパレスチナ問題は未だに解決を見ていない。パレスチナにおいては難民の数は七十五万人、人口の八十五パーセントに上り、巨大な暴力により四百以上の村が跡形もなく消し去られた。イスラエルの報道はこの類似を見逃さず、コソボを、一九四八年のパレスチナの、TVカメラつきの再現と述べた(ギデオン・レーヴィ)。イスラエルの外相アリエル・シャロンは、「NATOの攻撃」が「正当化される」ならば、それは、アービング・ハウ言うところの「過疎のガラリヤ」(すなわちユダヤ人が少なすぎアラブ人が多すぎる)におけるパレスチナ自治につながりかねないと警告を発した。また、例えばNATOによる空爆の熱心な支持者であるイアン・ウィリアムスのように「セルビア人は一九四八年にイスラエルが村落破壊作戦で取った戦略をまるで学んできたかのようだ。違いはといえば、もちろん、パレスチナ人にはNATO の後ろ楯がなかったことだ」と述べるものもいた。

取るに足らない犠牲者と取るに足る犠牲者との区別は、その根拠と同様に伝統的なものであり、道徳的な原則とはまったく関係ない。

ワシントンは、価値のない犠牲者であるパレスチナ人や他の多くの人々を巡っては人権宣言の原則を拒絶しながら、同時に現在のコソボのアルバニア人のような価値ある犠牲者に関しては人権宣言を掲げるといういつもながらの立場を取っている。この状況に気付くならば、これが権力者の利害に合致して行われていることは明らかであるが、尊敬すべき共同体の内部では、この区別は「二重基準」とか「間違い」と言われている。事実に注目するならば、そこには強大な権力を持つものがいつも従うただ一つの基準があるだけであり、また、(攻撃者が負けたり等)しばしば予測通りに行かないことがあるとはいえ、「間違い」のほとんどは、計画的になされていることがわかる。

コソボに話を戻そう。難民たちによると、NATOの空爆直後から、テロはこれまで穏やかだった州都プリシュティナにも広まり、大規模な村の破壊、残虐行為、そしておそらくはアルバニア系の人々を追い出す作戦の結果として、難民が急増したという。概ね非常に信頼できる同様の報告は、メディアや雑誌で、しばしばぞっとするような詳細とともに沢山報告されてきた。公の敵によってなされた価値ある犠牲者の場合における、通常の扱いである。

大規模な空中戦」の効果について、ピッツバーグ大学ロシア東欧研究所のロバート・ハイデンは次のように述べている。「空爆の最初の三週間におけるセルビア人犠牲者は、空爆前の三カ月間のコソボにおけるセルビア・アルバニア双方の犠牲者数より多いが、人道的な破滅とされているのは空爆前の三カ月の方である」。セルビアに対する戦争で喚起された好戦的ヒステリーの中では、セルビア人犠牲者はほとんど考慮する価値のないものだった。けれども、空爆開始後最初の三週間におけるアルバニア人犠牲者数も、当時数百と考えられていたが、おそらくはそれよりも遥かに多く、その前の三カ月や、もしかするとその前数年の犠牲者数よりも多いかも知れない。

一九九九年三月二十七日に、米=NATO司令官ウェスリー・クラークは、NATO空爆によりセルビアによるテロ行為が激化することは「完全に予期し得ること」だったと述べている。同じ日に、米国国務省のジェームズ・ルービン報道官は、「セルビア人による、コソボのアルバニア系市民に対する」、今や大部分が準軍組織によるものとされる「攻撃が激化しているという報告に深く憂慮している」と述べた。その後まもなく、クラークは再び、セルビア人によるテロが空爆後急激に悪化したことに驚きは感じていないと述べている。「軍当局は、ミロセビッチが行うであろう残虐な行動を、彼がそれを効果的に行うであろうこととともに、全面的に予期していた」。

ワシントンでも結果は予想されていた。三月五日にワシントンを訪れたイタリア首相マッシモ・ダレーマは、クリントンに対し、ミロセビッチの力をすぐに削げないならば、「三十万から四十万の難民がアルバニア」とイタリアに「流れ込む結果となるだろう」と警告している。クリントンは国家安全保障アドバイザーのサンディ・バーガーに話を振り、バーガーは、その際には(状況はさらに悪化するだろうが)「NATOは空爆を続ける」とダレーマに語っている。議会情報委員会のポーター・ゴス委員長は報道陣に対し「我々の情報源は、何カ月も前に、[空爆により]昨年の[空爆前]に見積もられていた二十五万人をはるかに越える難民の爆発があるだろうということ、そして、セルビア人の決意がより頑なになり、対立が広がり民族浄化が始まるだろうことを警告していた」と述べた。一九九二年の時点で既に、マケドニアにいた欧州の監視員たちは「対立がコソボに及んだらアルバニア系の人々の難民が急激に増加すると予測」していた。

こうした予測の根拠は明らかである。人々は「撃たれた」ときには、敵に花輪を送るのではなく「報復行為に出」るが、報復は敵の強いところにではなく、自らが強いところで行われる。セルビアの場合、ワシントンやロンドンに戦闘機を送って空爆するかわりに、地上で報復を行うことになる。この結論を得るにあたって天才も秘密情報へのアクセスも必要ない。NATOが直接侵入すると威嚇したため、残虐な報復行為の可能性はさらに高まったが、その理由をクリントンやブレア、その仲間たちやコメンテータたちが知らないわけはなかった。

証拠はあまりないが、空爆の脅しを発した段階で、既にコソボでの虐殺が増加したと思われる。空爆に備えて三月十九日、米国主導のKVMが撤退したことも、同じ理由でやはり虐殺を促したと思われる。ワシントン・ポスト紙は当時を回想して、「[KVMの]監視員たちは、ユーゴ軍にとって最後の歯止めとみなされていた」と述べている。歯止めをはずすことにより、破滅へと向かうことは分かっていたはずである。別の分析も同じことを述べている。ニューヨーク・タイムズ紙も当時を回想して、「セルビアは、コソボ解放軍本拠地への攻撃を三月十九日に開始したが、NATOがユーゴスラビアへの空爆を開始した三月二十四日にさらにそれを加速した」と結論している。この事実を偶然の一致とみなすためには「意図的な無知」を強く決め込む必要がある。

セルビアは、監視員の撤退に公式に反対していた。NATOのランブイエ最後通告に対する三月二十三日の決議で、セルビア国民議会は「我々はOSCEのコソボ調査使節の撤退も非難する。この撤退は、我々の国に対する脅迫という以外にまったく理由がないものである」と述べている。セルビア国民議会の議決は、米国の主要メディアでは、ランブイエ合意と同様、報道されなかった(ランブイエ合意は戦争中ずっと正義のものとみなされていたのであるが)。ランブイエ合意こそが(真の)「和平プロセス」とされていたが、本当のところ、この「和平合意」という言葉は(しばしば外交的解決をなきものにする)ワシントンの立場を指すものであった。中東や中米における「和平プロセス」の実情は示唆的である。

監視員たちが撤退してから五日後、空爆の「結果」虐殺と民族浄化が激化しアルバニア系住民の「急激な」流出が起こるであろうこという明白な予測のもとで、空爆が開始された。実際に予期されていた通りのことが起きた。規模があまりに大きかったことで驚いたものもいたかもしれないが、NATO軍司令官にとっては、それも予測の範囲内であった。


「どこへ行っても臭いなら、そりゃ臭いのはお前だろう」というラップの詞があります。米国のふるまいは、まさにその言葉がぴったりの感じ。

次のようなイベントがあります。

『イラクに咲く花』−見る、聞く、知る、イラクの今と私たち

 たくさんの夢があり、生活がある。
 お母さんがいて、あかちゃんがいる。
 青空は広がり、花も咲く・・・
 そんな当たり前の生活が失われつつある国、イラク。
 この国のことを、もっと見て、聞いて、知ってみませんか?

と き:2006年5月21日(日)10時〜19時
ところ:明治大学 リバティタワーB1階 1001教室
   (東京都千代田区神田駿河台1−1)
    http://www.meiji.ac.jp/campus/suruga.html
    →JR御茶ノ水駅、御茶ノ水口より徒歩3分
    →地下鉄千代田線 新御茶ノ水駅B1出口より徒歩6分
参加費:無料(開場時間中はご自由に各上映作品・ブース展示をご覧いただけます)

イラク支援を行う個人や団体が集まり、現地での活動を写真などでご報告します。会場では、普段なかなか見ることのできないドキュメンタリー映画の上映に加え、映画監督、ボランティア、NGO関係者による熱いトークセッションがあります。イラク・ティー(チャイ)やアラブ・ポップミュージック映像、イラク現代アートなどもお楽しみいただけます! 

イラクを知り・感じる一日です。ぜひ足をお運びください。

映画上映・トークセッション
11:00-11:22『IRAQ WAR』(04年 池上宗徳 当日参加予定)
11:40-12:42『イラクニ接近ス』(05年 谷澤壮一郎 当日参加予定)
13:15-13:45『アッバース君が6歳で死んだ理由』(05年 田保寿一)
14:15-15:00 トークセッション・1 〜監督から見たイラク支援〜
15:30-16:25『ファルージャ2004年4月』(05年 土井敏邦)
17:00-17:33『ファッルージャからの証言』(05年撮影イサーム・ラシード)
17:45-18:45 トークセッション・2 〜私たちにできることは?〜

【共 催】
イラクホープネットワーク
明治大学軍縮平和研究所

【出展団体・個人】
イラクの子どもを救う会
日本イラク医療支援ネットワーク(JIM−NET)
セイブイラクチルドレン札幌
セイブ・イラクチルドレン・名古屋
セイブ・ザ・イラクチルドレン広島
高遠菜穂子
NPO法人 PEACE ON
NPO法人 日本国際ボランティアセンター(JVC)
NO DU ヒロシマ・プロジェクト
ピースボート
BOOMERAN-NET
平和市民連絡会
細井明美
劣化ウラン廃絶キャンペーン
ほか

ボランティアスタッフ募集!
当日の会場準備等のお手伝いをしてくださる方を募集しています。
下記アドレス(イラクホープネットワーク)までご連絡ください。
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益岡賢 2006年5月2日 

ノーム・チョムスキーの文章] [トップ・ページ