虐殺

益岡賢
2003年12月8日


誰一人 望んでいないのに
誰一人 喜んじゃいないのに
爆弾が落っこちる時 何も言わないってことは
爆弾が落っこちる時 全てを受け入れることだ

僕は自由に生きていたいのに
みんな幸福でいるべきなのに

爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される
爆弾が落っこちる時 全ての幸福が終わる

いらないものが多すぎる

大人も子供も関係ないよ
右も左も関係ないだろ?
爆弾が落っこちる時 天使たちは歌わないよ
爆弾が落っこちる時 全ての未来が死ぬ時

いらないものが多すぎる


深い意味は無いんだけど、何故かいきなり、THE BLUE HEARTS 「爆弾が落っこちる時」だ・・・・・・(ハイロウズの「アメリカ人」にあわせて、とあるデモでブッシュ・ダンスを踊ったこともあるので、というわけでもない)。で、以下の文章は、いささか散漫である。


2003年12月7日(日)のBBCニュースに、「米軍爆撃、アフガニスタンの子供9人を殺害」との記事があった。中見出しには、

米軍は、アフガニスタン南部で、ある標的を爆撃した際、誤って9人の子供を殺したことを認めた

とある。本文の最初の3段落は、

米軍の報道官クリストファー・ウェスト少佐は、テロリストと疑われる者が、ガズーニ市の近くにある家にいたという情報に基づき行動していたと述べた。

その後、地上部隊が、近くにいる子供の遺体とともに標的の遺体を発見したと彼は語った。

ウェスト少佐は、米軍は罪のない命の喪失を残念に思うと同時に、事件について説明する予定であると述べた。

そして、この容疑者が2名の外国人契約労働者殺害の背後にいたと考えられているとのウェスト報道官発表を続けている。また、アフガン政府筋がこれは過ちから来たものと発表したこと、「しかし[この「しかし」は何だろう?]アフガニスタンにいるBBCのリス・ドゥーサトは、罪のないアフガン人と思われる人々への攻撃が、現地の人々の間に怒りを引き起こすことは確実と言う」とある。

日本のものも含む様々な報道と比べてBBCが特に悪いわけでもない。逆にだからこそ、現在の異様な状況が際だつ。

まず、ウェスト少佐もこの記事自体も、「ある標的」(「テロリストと疑われる者」)を爆撃すること自体については、何ら問題なしと見なしているようであること(そもそもこの記事は、米軍の爆撃がアフガニスタンの子供9人を殺したからこそ記事になったのである)。

チャート式にすると、米軍による爆撃攻撃は、次のようなプロセスになる。

  1. 「情報」は誰かをテロリスト容疑者としているか?
       YES→2へ
       NO →3へ
  2. (空爆で)殺せ。
  3.  死ぬのはかまわないが、特に殺さなくてもよい。

困ったことに、これは冗談ではない。これまで行われた非常に多くの米軍による侵略行為・攻撃行為、そしてアフガン爆撃やイラクでの軍事作戦をめぐる米軍の報道官発表から、米軍の意志決定プロセスと決定内容は以上のようなものであることが、帰納的に導かれる。

相当数の要検討ステップが省略されている。欠けている主要なステップのいくつかを以下にあげよう。

答えは全部、完全にNOである(いや、本当にそんなもんがあったら困る)。

じゃ、米国/米軍のしていることは何なのか? 上のチャートを、正当な質問をも考慮したかたちで書き下ろすならば、次のようになるだろう。

我々の情報筋がテロリストとの疑いをかけたものを殺せ。そんな権利など我々に無くても。法律に反していても。情報筋が正しいかどうかなど分からなくても。テロリストの定義など無くても。容疑者が有罪であるという証拠も確証も確定も無くとも〔・・・・・・〕。

こう書き下すと、BBCのニュースで報じられていたウェスト少佐の、「テロリストと疑われる者が、ガズーニ市の近くにある家にいたという情報に基づき行動していた」という発言が指している米軍の行動そのものが、ただの人殺しであることがはっきりする。

考えてみよう。勝手に自分に対して何か悪いことをしているとか計画していると判断し、相手の家に押し入り、強力な爆弾を見境無く投げつける。その結果、「標的」とした相手に加えてそのまわりにいた子供たちが殺されたとする。これを「過ち」と言うだろうか? 単純に、虐殺、と言うべきだろう。いくら実行者が「過ち」だったと述べ「残念」に思うと言ったとしても。

ところで、アフガニスタンにいるBBCのリス・ドゥーサトは、こうした出来事について、つまり一方的な虐殺について、「しかし、現地の人々の間に怒りを引き起こすことは確実」と言っている。

ちょっと、ドゥーサト氏に聞いてみたい。こんな虐殺を耳にして、あなたは腹が立たないのでしょうか? 腹が立つのは、現地の人々だけ? 一方的な殺戮は、弱いものイジメが快感である(確かに弱いものイジメにはある種の快感がある)のと同様、快感なのでしょうか? それとも、ただ自分の心を殺してしまっただけでしょうか?

日本のマスメディア報道の多くも、同様である。例えば、石原慎太郎都知事の扇動的差別発言について「中国の人々は不快感を表明している」云々。で、あなた自身は? 不快じゃない? すげー惨めったらしくて、カッコ悪いと思わない? やはり聞いてみたいと思う(むろん立場上色々書けないと思っているということはあるでしょうが)。


12月6日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJC)の年次報告会を聞きに行った。報告者の一人、土井敏邦さんは、米軍によるイラクでの民間人射殺や襲撃について、ビデオを示しながら報告していた。

米軍に怯えた14歳の羊番の女の子が走って逃げたところを米軍兵士に後ろから撃たれ、長時間人が近づくのを許されないまま放置されたこと。タクシー運転手が急襲され脊髄を損傷し歩けなくなったこと(この運転手は2歳の娘との散歩が毎日の楽しみだったと言っていた)。マンスール近くで食料を運んでいた子供(青年)たちの車が襲撃され、弟が射殺されたこと。

ブレマーは、こうした犯罪を起訴しないと宣言した。

報告を聞きながら、頭に浮かんできた言葉は、やはり「虐殺」である。法的には、戦争犯罪。アフガニスタンと同じく:

我々がテロリストと見なしたものを殺せ。そんな権利など我々に無くても。法律に反していても。情報筋が正しいかどうかなど分からなくても。テロリストの定義など無くても。「テロリスト」に関するFBIや米軍の定義に従えば、我々こそがテロリストであっても。容疑者が有罪であるという証拠も確証も確定も無くとも。それが民間人であっても。それが不法占領に抵抗する正当な権利を行使している人々であっても〔・・・・・・〕。

こうした虐殺に自衛隊を送り込んで荷担させようというのが、日本政府。

フランスの『カナール・アンシェネ』誌は、イラク駐留米軍の1700人が任務を離れ脱走したと報じた。また、駐米フランス高官が得た情報によると、7000人の米兵が精神的なダメージなどにより、治療のため撤収させられ、2200人が手足を失うなど重傷を負ったという。

この穴埋めに、自衛隊を送ろうとしているようだ。そうすれば米国には恩を売れて、少しオコボレに預かれるかも知れない。今回は米国の尻馬に乗っているから危険は(政治家には)ないし、弱いものイジメは楽しいし・・・・・・といった感覚だろうか。

やはりJVJCの報告で、帰国したばかりの綿井健陽氏と豊田直巳氏は、大体、次のように言っていた。

サマワは比較的安定している。イラクの人々は日本人が支援に来ることは歓迎だが軍隊は歓迎していない。自衛隊がサマワに入れば、武力抵抗が広まり、これまで行われていたNGO等の活動も行うことができなくなる可能性がある。

自衛隊は軍隊として不法占領軍の一環をなす。定義上、それに対するイラクの人々の攻撃行為は、国際的にも認められた抵抗権の一環をなす。自衛隊は、日本政府によって、全く理のない虐殺に荷担することになる。個々の自衛隊員がどのように思っていたとしても、この単純な事実は変わらない。

こうした中で、イラクの抵抗運動参加者や民間人を、虐殺することになる可能性は低くない。それを推進するために、外交官二人の死を大々的に掠奪して利用しながら(2001年9月11日の直後に起きたことと似ている)。

あまりよい連関ではないと思いながらも、このところ頻繁に思い起こす事件がある。1988年から89年にかけて足立区で起きた、女子高生拉致・監禁・暴行・殺害事件。実行犯の中には、犠牲者が自分のことは好きだと思っていたのに云々・・・・・・だから暴行したと述べた者がいた。刑罰を受けた者以外に、見に来て暴行に参加した人もいたという。この事件を非難する人々の中には、40日以上も監禁されていて気付かなかったのは何事だと声高に叫んだ者もいた。知ることができたにもかかわらず知ろうとさえしなかった者たちがいたのでは、と。

イラク不法侵略と占領への軍隊派遣を「復興支援」と述べ、抵抗するイラク人を虐殺する心性に、パターンは非常に似ている。こう、問うことができるだろう。現在、自衛隊を派遣することが何を意味するのか、知ることができるにもかかわらず、知ろうとさえしない者に自らなってはいないだろうか。


それでまた、THE BLUE HEARTS、今度は何故か「裸の王様」


どうでもいい事 たくさんかかえて
くだらない事で ビビることはない

見えなくなるより 笑われていたい
言えなくなるより 怒られていたい

今夜 僕は叫んでやる 王様は裸じゃないか
今夜 僕は叫んでやる 王様は裸じゃないか
王様は裸じゃないか

裸の王様 何が見えますか?
裸の王様 何を学んだの?
裸の王様 今夜 サヨウナラ


とはいえ、どこに向けて叫べばよいのだろうか? 日常的にできることとして、次のようなものがある。

マスコミ。「おかしな報道には抗議しよう日記」というページは、参考になる。まっとうな記事を褒めることも(関係ないけれど、電気メーカーはNHKが入らないテレビというのを作ったら売れると思う)。

戦争を支援する企業。「イスラエル支援企業リスト」というのがあるが、ここに掲載されている企業の少なからぬものは、一般に戦争やら人権侵害を支援している。普通の人々が金をわんさともった企業に対して積極的な立場に立てるのは消費の場である。それを利用して、企業に、丁寧に伝えていくことができる。かわりに、フェアトレード品を買うとか。

政府。小泉首相や川口外相にメールやFAXで反対の意志を伝える。メディアも含め、色々な連絡先

他に、直接行動等については、例えばこんなところから情報が入手できる。さらに、ちょっと使いにくいけれど、イベントの通知もできる「ラヂカレンダー」なんていうのも。


爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される
爆弾が落っこちる時 全ての幸福が終わる
爆弾が落っこちる時 天使たちは歌わないよ
爆弾が落っこちる時 全ての未来が死ぬ時

王様は 裸じゃないか
王様は 犯罪者じゃないか

早く、裸の小泉様・ブッシュ様・ブレア様に サヨウナラ しよう。


益岡賢 2003年12月8日 

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