共犯

益岡 賢
2003年11月6日


対立するものは似てくる。ミイラ取りがミイラになる---よく言われる、使い古された箴言。けれども、もしかすると、ミイラ取りは実はもとからミイラだったのではないだろうか?そして、ミイラ取りのふりをしたミイラは、ミイラに仕立て上げたミイラではないものを首尾よく取って、自分はミイラにならなかったミイラ取りだと喧伝することで、ミイラでないと見せかけているのではなかろうか?

あるいはミイラであるミイラ取りに標的とされたミイラも、それによってミイラになってしまったのかも知れない(「私は人が私がそうなるだろうと言ったところのものになった」と語ったジャン・ジュネを頭に置いて)。さらに可能性としては、取られミイラもミイラ取りも、いずれも、そもそものもとからミイラだったのかもしれない。

ミイラ取りと取られミイラの、複雑な共犯関係。とはいえ、単純な手続きに従えば、そう複雑でもない世界が見えてくる。まず第一に、ミイラ取りや取られミイラが言っていることと、やっていることとを区別すること。事実とそれをめぐる発言が食い違っている場合、事実が間違っているのだと考えるよりも、発言の方に疑いをいだくこと(ポストモダンの遊び方とポストモダンの真面目な部分を学ばなかった「ポストモダン」派は、事実って何だ?と言ってくるかも知れない。そうした発言はここでは考慮しないことにしよう。むろん何が事実かを操作的に確定するための手続きは必要となるけれど)。



2003年3月23日付け、毎日新聞一面の「余録」は、わかりやすいケースである。最終段落には、次のようにある。

就任当時のブッシュさんは「慎みある外交」を唱えていたのだが、同時多発テロですべてが変わった。元の世界にはもう戻れない。それだけにテロの責任は重い。

この記事を書いた人物は、まず、ブッシュが「慎みある外交」を唱えていたと述べる。ただちに、二つの疑問がわく。

同時多発テロで何が変わったのだろう。以前よりあからさまに武力行使を行い、米国が「帝国」であることを公言し始めたこと?米国がアフガニスタンを爆撃し累々たる死者を生みだし、グアンタナモにジュネーブ条約に反して人々を拉致していること?イラクを侵略したこと?けれども、これらは、ブッシュ政権が当初から計画していたことではなかったろうか?

そして「もう戻れない」「もとの世界」には、次のような事件が累々と横たわっている。1983年10月25日火曜日、米国は人口10万人ほどの小国グレナダを侵略し、数百人を殺害、1989年12月にはパナマを侵略して数千人を殺害。

これは、2003年3月に開始されたイラク侵略とイラクの人々の殺戮と、何か大きく違うものなのだろうか?

さらに言うと、「正確な場所に、正確な量の苦痛を」と豪語し、ウルグアイをはじめとする各地で人々に拷問を加え、また、拷問を実演するためにホームレスを拉致して拷問死させた米国公安局(OPS)使節団長ダン・ミトリオネが活動していたのは1960年代末からではなかったろうか(ちなみに彼の葬儀の際、ホワイトハウスのロン・ジーグラー報道官は「規律正しい世界における平和的進歩という大義に対するミトリオネ氏の献身的な奉仕は、あらゆるところで自由な男たちの模範となるだろう」と述べていた)。

歴史は明快である(今のような状況だからあえてこのように言おう)。重々しく一部の人がしたり顔で言うほどに、世界は「同時多発テロで」変わっていない。最近はあまりにあからさまだから、前のように目を背けられなくなって心休まらない、というのなら、その通りだと思う。私も含めて。とはいえ、隠れてやってくれればよい、などともはや言うわけにも行かないだろう。

いずれにせよ、上記「余録」の主張は、論理的ウルトラCなしには成立しない:アメリカ合州国の意図は、アメリカ合州国がこれこれだと述べるものであると信じること。証拠など何一つなくても。逆を示す証拠が数多くあっても。アメリカ合州国のふるまいは、アメリカ合州国がやっていると述べているものであると信じること。証拠など何一つなくても。逆を示す証拠が数多くあっても。

川口順子外相や小泉純一郎首相といった面々も、同じウルトラCを多用している・・・・・・アメリカは(アメリカの名誉のために言っておくと、この「アメリカ」はアメリカ合州国のことでありベネスエラやブラジルのことではない。また、アメリカ合州国人の(一部の)名誉のために言っておくと、この「アメリカ」は合州国政府のことである)劣化ウラン弾を使ったとは言っていない、アメリカは劣化ウラン弾を使わないと言っている、アメリカは劣化ウラン弾が安全だと言っている・・・・・・云々。

そんなわけで、少しだけ、語られることと事実との識別に注目して、最近のいくつかの出来事を整理してみよう(ようやく、本論に入る)。



日本政府と朝鮮民主主義人民共和国政府

ジョージ・W・ブッシュ米国大統領は、2001年9月、「世界から邪悪を追放する」と述べた。本当に邪悪を追放したいのならば、なぜ米国が行なっているテロリズム支援をやめないのかというまっとうな疑問は、とりあえず問わないでおこう。ここで整理しておきたいのは、そうではなく、ジョージ・W・ブッシュ米国大統領は、そして米国政府一般は、本質的に、自らのために「邪悪」をぜひとも必要としているという点についてである。

歴史を少しだけ振り返ってみよう。ソ連崩壊後、ワシントンの宣伝担当者たちは、「ソ連軍がやってくる!3メートルもあるんだ」という口実を使って軍産諜報共同体を膨張させて福祉と市民的自由を切り捨て、海外での悲惨な介入を正当化することができなくなった。実際のところ、こうした事態が訪れることを、米国はできるだけ先延ばしにしてきた。記録を見るならば、冷戦時代、ソ連は繰り返しNATO上級司令部との直接対話を提案し、NATOが解散するならワルシャワ条約機構も解散すると提案してきたのである。

第二次世界大戦直後の米国による対ソ戦略は、何よりも、ソ連の脅威を巨大に見せるプロパガンダを必要としてきた。ジョンソン大統領とニクソン大統領のもとで国家安全保障会議の委員を務めた歴史家ロジャー・モリスは、この現象について、次のように述べている。

国務省のディーン・アチソンが〔・・・・・・〕言ったように、米国政策の設計者たちは、主張を「事実よりも明快にし」、「政府の集団的な心性を脅す」必要があったのだろう。そして、そのようにした。新たに生まれたCIAは、ソ連の軍事支出を一貫して誇張した。硬化したソ連経済は、米国政府の図の上で、魔法のように活発で上り坂になった。馬に引かれたスターリンの軍---安物の装備と戦争で疲弊した道路とうわべの士気で被われていた---に対して、ペンタゴンは幽霊部隊を付け足し、この新たな部隊におまけとして侵略シナリオを背負わせた。

この時期の政府文書に関する後の研究は、米国政府職員たちは「ソ連の力と意図を、それを真面目に取る人がいるのは驚きであるまでに、誇張した」と書いている。

1991年、ソ連邦消滅の際に、コリン・パウエルは、同僚の軍人たちに次のように語った。「〔この変化〕がなくなり、確固とした邪悪な敵という慰みの考えに立ち戻ることができるなどと期待してはいけない」。けれども、邪悪な敵という考えは、軍産諜報複合体にとって慰めとなる。それゆえ、ある月には邪悪な敵として新たに朝鮮民主主義人民共和国が選ばれ、翌月にはリビアが、さらに中国が、イラクが、イランが、スーダンが、アフガニスタンが、セルビアが、それで駄目なら昔なじみの頼りになる敵キューバが大きな脅威としてもち出されてきた。

ソ連体制の崩壊時に、マーガレット・サッチャーがいち早く敵の必要性を感じて、「次はイスラムだ」と述べたことも興味深い。サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」という、あきれるほどずさんな主張が宣伝されるのも、どうしても敵が必要であるとの認識によっているのだろう。

敵は、どうしても必要である。倒すべき怪獣がいないならば、人々は、ウルトラセブンなど、無意味に大きくて無駄に街を破壊し、邪魔なだけでなのではないかと、そして、どうやらあの長靴スーツの中の足と脇の下は蒸れて臭いのではないかと、そう遅くないうちに気付いてしまうであろう。そんなわけで、怪獣は、恐ろしく強くて、口から火をはけばなお理想的であろう。むろん、最初からやすやすと倒すことができるとの前提のもとで、であるが。

ソ連邦崩壊後、米国政府は、新たな敵を見つけだすために四苦八苦していた。その中で、「テロリズム」を育て上げようと決めたのは、実際のところ、2001年9月11日より前、ジョージ・W・ブッシュ登場よりも前のことである。

参考までに、『アメリカの国家犯罪全書』(ウィリアム・ブルム著・作品社)から、1999年初頭の7週間にワシントン・ポスト紙とニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたテロリスト関係記事の見出しをあげておこう。

 一月二二日:「テロリズムは二十一世紀の脅威とクリントン」
 一月二三日:「大統領は新たなテロに対する戦争を加速」
 一月二三日:「明日のテロを阻止する」
 一月二九日:「対テロ力増強」
 二月一日:「ペンタゴンは国内テロチームを計画中」
 二月一日:「アメリカをテロリズムから守った男」
 二月二日:「米国は対テロ資金を増額」
 二月一六日:「テキサス州で突然の対テロ軍事訓練」
 二月一七日:「米国はビン・ラディンを封じこめたか」
 二月一九日:「大使館襲撃回避予算に臆病との批判。テロリストの脅威増大」
 二月二三日:「見えない殺人者への準備」
 三月七日:「戦闘的モスリム、アメリカ人を標的に」
 三月八日:「レーガン・ビル、攻撃に脆弱」
 三月一四日:「二団体、米国にテロ組織指名を求める」
 三月一六日:「クリントン、テロ対策で消防士訓練を計画」

(島田雅彦流に言うと)テロテロのオンパレードである(個人的にはペロペロの方が好みですが)。「見えない殺人者」?見えないのにどうして殺人者がいることがわかるのだろう?自らが決意して創生するのでない限り。

さて、まるで付け足したように日本。もう随分長いこと、自民党政権は、戦争のできる国家作りに励んできた。ところが、困ったことに、何よりも困ったことに、素敵な敵を見つけあぐねていたというのが実状であったろう。そして2002年9月17日。ついに朝鮮民主主義人民共和国の金正日書記が、拉致を認めた。外交的解決を(犠牲者にも自らの憲法にも)誠実に追求するかわりに、好戦的なプロパガンダを煽り、朝鮮民主主義人民共和国の脅威(自らの国民に十分な食料を提供することすらできない国家!)と異様さをただただ煽る報道がちまたに溢れた理由は、とてもはっきりしている。ついに、「わが日本」も、本物の敵を手に入れることができた。朝鮮民主主義人民共和国「万歳(ママ)」というわけである(日本政府と主流メディアの報道で、拉致被害者への誠実な(この言い方はフェアではないかも知れないが)哀悼の意を感じたものは、私が見た範囲ではほとんどなかった。2001年9月11日の米ペンタゴンと貿易センタービル攻撃に対する米国政府とメディアの対応とそっくりに感じた)。

あまり多くの人が口には出さないが、恐らく多くの人が気付いているであろう、単純なこと。日本政府は拉致事件の発覚を歓迎している。そして、問題を解決するかわりに、朝鮮民主主義人民共和国との「敵対関係」をできるだけ長引かせたいと思っている。それを名目に国内で戦争熱を煽り、市民的自由を制限し、軍事化を進めるために。行動を観察するならばほぼ確実に言えることであるが、日本政府にとって、朝鮮民主主義人民共和国政府による拉致問題そして朝鮮民主主義人民共和国との現在の関係は、解決すべき問題ではない。むしろ、問題を解決するための魔法の呪文なのだ。平和憲法を守ろう、人権と民主主義を強固なものにしよう、市民的自由の領域を拡大しようという不埒な者たちが引き起こす諸<問題>を解決するための。



ナショナリズムとグローバル化

この両者の共犯関係は、既に解剖しつくされている感もある。「グローバル化」(しかし資本の、市場の、暴力のであって、市民の、共感の、理解のではない)が進むことによって崩壊する「中流幻想」と福祉、安定と公共性を幻想的に取りつくろい、現実に悪化する生活状況への不満を吸収するためのナショナリズム。

最近のおびただしい無根拠な「外国人犯罪」の煽りには、唖然とさせられることがある(不法侵略と殺戮の末に達成された、抵抗を煽るだけのイラク占領を「イラク解放」と強弁する特集号を出したことがある某Yomiuri Weeklyのつい最近の電車の釣り広告にも、外国人犯罪の云々との文字が踊っていた)。「不法滞在外国人」を減らして凶悪犯罪を減らそう!

このキャンペーンを受け入れるためには、やはり論理的な飛躍が必要である。凶悪犯罪を減らすためには不法外国人を減らすことが重要という煽りをそのまま真実として受け入れること。そんな証拠などなくても。それに反するデータがあったとしても。仮に「不法滞在外国人」の「凶悪犯罪」を無くしたとしても、日本の凶悪犯罪数はあまり減らないことが統計的に示されているとしても(禁酒法を解いたら酒を巡る犯罪が減ったように、「不法滞在外国人」に市民的権利を正当に提供すればその「犯罪」は減ることは予測されるがそれは別の話である。米軍兵士による強姦事件やひき逃げ事件は通常特別枠で、政府や煽る者たちの言う「外国人犯罪」に入れられないのも不可解である)。

さらに素敵な敵がいれば完璧だ。かくして、朝鮮民主主義人民共和国憎悪を煽る東京都知事石原慎太郎などは、同時に市民的自由の制限(ついでにカラス的自由の制限)に熱を上げ、公立高等教育機関を崩壊させようとし、さらには「(日韓併合は)武力で侵犯したんじゃない」「どちらかといえば彼らの先祖の責任」「植民地主義といっても、もっとも進んでいて、人間的だった」と述べ、敵とナショナリズムとグローバル化の共犯関係をそのまま活用する。11月1日には、こうした流れに乗って、大阪市立柴島中学校の新校舎竣工式の来賓代表あいさつで、大阪市議床田正勝氏が「教育勅語」を暗唱した(教育勅語ですぜ、教育勅語。教育そのものを崩壊させようと躍起になっている輩が)。



「人道主義」「愛国主義」「民主主義」的標語と虐殺

そして「人道主義スローガン」と虐殺・侵略・奴隷化・占領・植民地化の共犯関係(すでに随分述べちゃいましたが)。「ヨーロッパはそのあらゆる街角で、世界のいたるところで、人間に出会うたびごとに人間を殺戮しながら、しかも人間について語ることをやめようとしない」。フランツ・ファノンがこう述べたのは、もう何十年も前のことだった。

これまでの虐殺や侵略行為を観察するならば、むしろ人道主義をはじめとする素敵な標語が伴わずに行われる殺戮の方が珍しい。さらに、「過去には間違っていたかも知れない、けれども、今度こそは、人道主義的なんだ」という言葉も、お馴染みのものである。いくつかの「人道主義」的標語および「防衛主義」的標語をあげよう。誰もが、他人を掠奪するために言葉を費やす。掠奪される人々の言葉を聞こうなどという立場はみじんもない(石原慎太郎の発言を見てみよう)。

ソ連誕生時の侵略戦争を巡って:「この遠征は、新たな自由を獲得しようと闘っている人々を助けるための〔・・・・・・〕名誉ある無私の好意の史上最良の事例である」(米国政府)。

ベトナムで米軍がナパームや枯葉剤、戦闘ヘリで人々を殺戮し環境破壊を続けていた一九六六年二月:「米国がベトナムで行なっているのは、一つの人民が別の人民に提供する博愛主義の最も重要な一例である」(『米国ニュース&ワールド・レポート』編集者デビッド・ローレンス)。

1964年3月31日、民主的に選出されたブラジルの穏健改革派ジョアン・グラール大統領がCIAの後押しを受けた軍事クーデターで転覆されたことについて:「最近ブラジルがアカの転覆に対して大勝利を果たした出来事のように、ある大国が破滅の間際まで行きながら、そこから回復した例は滅多にない。プロパガンダと潜入、テロに彩られた、共産主義支配への動きが、急速に進められつつあった。全面降伏が差し迫っているように見えた---と、そのとき、人々が、「否!」と叫んだのである」(『リーダーズ・ダイジェスト』誌1964年11月)。

1965年9月31日、米国の支援を受けたスハルト将軍の政権奪取と殺戮:「アジアにおける一筋の光」(ニューヨーク・タイムズ紙コメンテータ、ジェームズ・レストン)、「心の底では善意のもの」(エコノミスト紙)。

「正確な場所に、正確な量の苦痛を」と豪語し、ウルグアイをはじめとする各地で人々に拷問を加え、また、拷問を実演するためにホームレスを拉致して拷問死させた米国公安局(OPS)使節団長ダン・ミトリオネの葬儀の際:「規律正しい世界における平和的進歩という大義に対するミトリオネ氏の献身的な奉仕は、あらゆるところで自由な男たちの模範となるだろう」(ホワイトハウスのロン・ジーグラー報道官)。

1981年8月、グアテマラのサン・ミゲル・アカタンの町を「死の部隊」(グアテマラ政府軍と陰に陽につながりをもちながら暗殺や虐殺、失踪を行う)が占拠し、市長に、学校建設の基金に募金した人々全員のリストを無理矢理提出させ、そのリストから15人を選び出し、その15人に自分たちの墓穴を掘らせた後で射殺した。また、グアテマラの公式・非公式の治安部隊が少なくとも2000人の農民を虐殺し、村を破壊し、反対政党の党員76人と数十人の労働組合員、6人のカトリック聖職者を暗殺していたとき:合州国は、グアテマラ政府が「平和と自由」を防衛することの手助けをしたいと宣言した(元CIA副長官バーノン・ウォルターズがグアテマラを訪問した際)。

1981年12月、米国で訓練を受けたエルサルバドルのアトラカトル大隊が、エル・モソテ村で、老人と女性、子供を中心に、山刀で体を斬り、頭を切断し、子供を空中に投げ飛ばして銃剣で受け止めるなど、軍が犠牲者と直接向き合って行なった虐殺としては20世紀で最も忌まわしい残忍な虐殺を行い、700人から1000人を殺した。その約1年前の1981年1月:「合州国はエルサルバドル政府を支援している」。それというのも、米国は、「テロリスト及び外部の介入が米州に侵入してくるのを阻止しようとしているからである。侵入者たちはエルサルバドルだけを標的としているのではなく、中米全体そして恐らくは南米全体を標的としていると思われ、さらに、その次には北米も狙っていると私は確信している」(ロナルド・レーガン、アメリカ合州国大統領)。

1996年、米英主導の経済封鎖で、イラクでは50万人もの子供が死亡したことについて、「50万人の子供たちが死亡したと聞いた。その数は、広島で死んだ子供たちよりも多い。この代償は払うに値するものなのか(ママ)」と問われた際:「これはとても難しい選択だったが、代償は・・・・・・、われわれは、代償は払うに値したと思う」(マドレーヌ・オルブライト、当時は米国の国連大使)。

1999年、米国とNATOがセルビアを爆撃し、社会インフラを意図的に破壊し人道的破局をもたらす直前:「1999年にこうした〔セルビアによるアルバニア系コソボ人への〕野蛮な民族浄化が行われることを見過ごすことはできない。このような邪悪に対して民主主義が立ち上がる必要がある」(マドレーヌ・オルブライト米国国務長官)[注:当時インドネシアによる東チモールでの殺戮と暴力が再び激化していた。オルブライト長官を含む米国政府関係者は、これについては一言も言及していない]。

日本の朝鮮植民地化と支配について:「植民地主義といっても、もっとも進んでいて、人間的だった」(石原慎太郎東京都知事)。



こうした共犯関係を見てみると、逆に、一見対立する人々を結ぶ線も見えてくる。イラクの人々を殺す米軍兵士の、不釣り合いに多くがアフリカ系、中南米系、アジア系で、軍事化された米国経済の中で生きる糧を得るために、心を殺し、良心を殺し、イラクの人々を殺し、そして自らの命を失う人々であること。イラク侵略を認めた米国議会の議員の子供で従軍しているのはたった一人であること。グローバル化の中で崩壊する市民社会の邪魔者を自衛隊を通して戦場に送り、グローバル企業の利益を守るために殺人を犯させるのは一石二鳥であること。


「民衆は、いつでも支配者の思い通りになる。攻撃されるぞと恐怖を煽り、平和主義者の奴らには愛国心がなく、国を危険にさらしていると非難すればよい。このやり方は、どこの国でもうまくいく」(ナチス・ドイツの重鎮ヘルマン・ゲーリング)


ゲーリングの高笑いが聞こえる。・・・・・・聞こえる?冗談じゃない。ブッシュにただ一つ効用があるとすると、ここで述べてきたような共犯関係を、他の誰よりも単純化してあからさまに示し、それによって米国が「人道的」であるというプロパガンダを容易に反駁できるまでにはっきりした事態を、米国の海外侵略・干渉史に付け加えたことだろう。

ここまであからさまな共犯関係が明らかになった今、少なくともそれを拒否する大枠の筋道は見えている。正当な福祉や年金を、単なる一国の国民の権利としてではなく、人間の権利として考えること。同じように人間の権利を基盤に、不当な侵略や殺戮に反対し、またそうした不法行為に追従した日本政府によるイラクへの自衛隊派遣に、それはイラクの人々を殺戮することであると同時に、現場の自衛隊員の命も失わせるという二重の殺戮につながるものとして、反対すること。

11月9日、その機会の一つがやってくる。先日い道を歩いていたら、「The next war will determine not what is right but what is left.」と書かれたTシャツを着ている人がいた。「次の戦争は、何が正しいか(right=右)ではなく、何が残されるか(left=左)を決めるだろう」。11月9日の選挙は、私たちの知性に、論理に、判断に、喜びに、自由に、他者への配慮に、何が残されるかを決めるステップである。ゲーリング流プロパガンダを拒否しよう。ゲーリングの高笑いを耳にするような時代をもたらさないために。



選挙関連リンク:

将来戦争行きたくない・行かせたくないページ
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各党マニフェスト:
 保守新党: http://www.hoshushintoh.com/seisaku/to_seisaku.html
 社民党: http://www5.sdp.or.jp/central/topics/03sousenkyo/index.html
 共産党: http://www.jcp.or.jp/seisaku/2003/0310senkyo-mokuji.html
 公明党: http://www.komei.or.jp/2003_shuinsen/manifesto/index.html
 民主党: http://www.dpj.or.jp/manifesto/index.html
 自民党: http://www.jimin.jp/jimin/jimin/sen_syu43/sengen/index.html

 益岡賢 2003年11月6日

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