来るべき嘘とプロパガンダに備えるために

益岡 賢
2003年3月20日

はじめに

日本時間の2003年3月20日、米国によるイラク侵略が始まった。世界の軍事予算の半分を使っている米軍が、10年間続いた経済封鎖と度重なる空爆により完全に弱体化しているイラクを制圧するのは、軍事的にはいとも容易なことであろう。けれども、今回の攻撃が国際法に違反し、米国は度重なる嘘をついて国内外の世論をゴリ押しで押し潰そうとしてきたことに対しては、世界中の多くの人が気付いている。こうした、人々の反戦意識を封じ込めるために、米国は、何としても、イラク侵攻制圧中、そしてその後に、米国のイラク侵略には「正当な理由」(1989年のパナマ侵略時に米軍が用いた作戦名)があったのだとごり押しするプロパガンダを展開するだろう。過去の歴史から、このことは確実であると思われる。既に「ピンポイント爆撃」といった妄言が、ニュースに現れている(これについては、何が破壊されるのかを参照)。

冷静な目で分析すれば、それらは、すべて全く成立しないものであることは理解できるような程度のものであるだろう。けれども、聞く側に心の隙があれば、意識せずにそれを受け入れてしまう可能性はある。たとえば、反戦の活動により戦争を止めることができず、イラクで殺されていく子供や女性や男性に心を馳せて、犠牲ができるだけ少ないようにと真摯に思うその気持ちが、「米軍によるイラク侵攻後、手を振って喜びを表明するバグダッド市民」といった見出しのもとに、「結局、米軍の侵攻は人道的に悪いことではなかったのだ」といった記事が現れるならば、それに対して多少なりとも「ホッ」とする気持ちを持ってしまうことを助長する可能性は否定しきれない。現代的プロパガンダ研究と実践をリードする米国と、日本の無批判なメディアは、それを繰り返すであろう。そこで、来るべき嘘とプロパガンダのいくつかについて、少しだけ過去の歴史を参考に整理しておこうと思う。

あんな嫁を貰って・・・

「あんな嫁を貰って、最初から上手く行かないことは分かり切っていたでしょう」[嫁=姑という対立軸を無批判に例に取ることについて申し訳ありません:最近そうした例が実際にあって驚いていたところなので使わせてもらいます]と、母が息子に言う。息子のパートナーが家を出ていって、離婚した後のことである。この母は、息子のパートナーに対して、息子とパートナーとが結婚している間中、ケチを付け、「うちの息子には不適格で格も違うし、すぐにイヤになって離婚するに違いない」と本人に向かって言い続けていたとしよう。そのようにして、息子のパートナーがイヤになって離婚することを確実なものとしておいて、実際に離婚したのちに、「離婚したという事実そのものが、結婚していた間に、私があの人を批判していたことが正しかったことを示している」と説明するとしよう。無茶苦茶である。

こうした強弁を米国は使ってきた。今回も使う可能性は少なくない。米国の攻撃を受けて失うものを無くしたサダム・フセインは、何らかの無茶苦茶な手段に出て、クルド人を大弾圧するかもしれない。また、CIAも述べており、戦争に反対する人々も主張してきたように、世界がより危険な場所になり、たとえば国外にいる米国人がテロ攻撃の対象となる可能性が増えることはほとんど確実である。実際に、米国人に対してテロ攻撃がなされたとしよう。それが、(米国が懸命に結びつけようとしたアルカイ−ダとイラクの関係の場合とは異なり)本当にイラクとリンクしていたものであるとしよう。そのとき、米国は、「そらみろ、やはりイラクはテロを行う脅威だったのだ」と高らかに宣言し、大規模なプロパガンダに利用するだろう。それが成功すれば、同じことをイラクに、シリアに、パレスチナに、ベネスエラに、北朝鮮に繰り返す可能性は高い。

こうした強弁を押し通した最近の例に、ユーゴスラビアがある[詳しくはノーム・チョムスキー著『アメリカの人道的軍事主義』現代企画室を見て下さい:ちょっと高いですが]。1999年3月24日、米=NATO軍は、国際法に違反して、ユーゴ空爆を開始した。ミロシェビッチによる「民族浄化を阻止し、東欧に安定をもたらすため」の「正義かつ必要な戦争」と称して。けれども、実際には、セルビア治安部隊によるアルバニア系コソボ住民に対する大規模な攻撃と追放が開始されたのは、空爆の後である。1999年3月27日、国連難民高等弁務官事務所は、コソボからの人口流出を4000人と報告し、4月に入ってからはあまりに人数が多いため日毎の流出者数は数えていない。ミロシェビッチによるアルバニア系コソボ住民の全面的弾圧は、米=NATOの空爆に対する復讐として行われたのである。これは、丁寧に読みさえすれば、たとえばニューヨーク・タイムズ紙の次のような記事から理解することができた:「NATOによる爆撃が始まった現在、プリシュティナ〔コソボの州都〕では、今や、セルビア人が、報復のために怒りをアルバニア系の人々に向けるだろうという、深い恐怖が広がっている」(1999年3月26日)。NATOによる空爆前にも人権侵害はあったものの、空爆後とは全く比較にならない規模のものであったことは、コソボ検証使節団の報告からもわかっている。ところが、米国のプロパガンダは、米=NATOによる空爆は「ベオグラードによるコソボからのアルバニア系住民追放を阻止する」目的でなされたが、「虐殺を止めるには遅すぎた」と平然と述べている。空爆が追放と虐殺を引き起こしたのであり、既にミロシェビッチが行っていた追放を虐殺を止めたのではない。

奇妙な論理である。本来、空爆の目的が「虐殺を止める」ものであったならば、空爆後の人道的破滅は少なければ少ないほど良いはずだ。けれども、米=NATO軍は、空爆終了後、非常に大規模にこぞって、人道的破滅が膨大であったという証拠を探そうとやっきになっていたのである。ミロシェビッチのような独裁者が、空爆を受けたならば、復讐しやすい敵に残虐行為を働くことは誰にでも予測できたはずである。サダム・フセインについても同様のことがあてはまる。サダム・フセインは、米国の侵略に対し、失うものが無くなれば極端な行動をとるだろう。サダム・フセイン自身が極端な行動をとれなかったとしても、米国に対する怒りは当然、世界中でそして特にイラクでますます強まり、イラクに関係する誰かが米国人に対するテロや米国施設の爆破を行う可能性も増大するだろう。米国は、事後的に起きるそうした事態を、サダム・フセインが、そしてイラクが、悪の帝国であり、世界特に米国にとっての差し迫った脅威であったことが証明されたというプロパガンダに利用し、自分の行為の正当化を図ろうとするだろう。

少しでも、こうした妄言には惑わされないようにしよう。サダム・フセインが独裁者で抑圧的であることは誰でも知っている。1990年までフセインを支持してきた米国は、非常によくそのことを知っているだろう。1988年3月16日、サダム・フセインが、自国内のクルド人の町ハラブジャを毒ガスで攻撃し、5000人を超す人々を虐殺したとき、米国はサダム・フセインのパトロンであり、同盟者であり、熱心にフセインの後押しをしていたのだから。フセインが独裁者であることは、そして米国の攻撃を受けて何らかの弾圧を強化することは、米国のイラク侵略を正当化するものでは少しもない。全くない。

やっぱり隠していたか・・・

イラクを制圧した米国は、自分の侵略行為を正当化するために、大量破壊兵器が存在していたと主張するだろう(実際にサダム・フセインが、残された大量破壊兵器を使用する場合には、「あんな嫁を貰って・・・」プロパガンダが用いられるだろうが)。少なくとも二つの状況が、その証拠として持ち出されるだろう。

第一は、実際に存在する大量破壊兵器あるいはその部品などを針小棒大に取り上げて騒ぎ立てることである。UNMOVICの査察団長ハンス・ブリックスが2003年3月7日、国連に対して行った報告で述べているように、「イラクの大量破壊兵器破棄と検証には、数年とはいわないまでも数カ月かかる。数週間ではない」[その数カ月を待たずに「期限切れ」などと騒ぎ立てるのだから、米英に大量破壊兵器を憂慮する態度などそもそもないのは明らかであるが]。これは、生物兵器や化学兵器が残っている可能性があることを示している。査察が進められていたら、破棄されていたかもしれないこれらの兵器を指摘して、査察が役に立っていなかったので、イラクを攻撃する必要があったと強弁する可能性は高い。

仮に十分な大量破壊兵器が見つからなかったら、証拠を捏造して持ち込む可能性も否定できない。2月5日、コリン・パウエル米国国務長官が国連安保理に提出した「証拠」の出鱈目さについては、既に十分色々なところで指摘されているが、平然と古い剽窃文書を新証拠であると提出したり、日付のない何ら兵器について言及していないテープを証拠と強弁したり、拷問で得られた自白を証拠としたりといったことを繰り返してきた米国を見ると、大量破壊兵器に関する証拠の捏造は、十分にありうる。ふたたび、これを使って、査察が役に立っていなかったという倒錯した論理を展開することになるだろう。

みんな手を振って・・・

アフガニスタンの例から予想できるのは、統制を受けたメディアが(あるいは喜んで役割を買って出て)、手を振って米国の「解放軍」を歓迎するシーンを強調することである。ジョージ・ブッシュは、宣戦布告のときに、「国を解放するため」と述べている。その妄言をプロパガンダで正当化しなくてはならない。アフガニスタンでは、カブールでブルカを脱ぎ捨てる女性のシーンが繰り返し繰り返し放映され、言及された。女性の権利のために膨大な活動を行ってきたアフガニスタン女性革命協会(RAWA)の声などは、全く取り上げられずに。そして、現在、軍閥が、女性に対してどんな弾圧を加えているかについても、報道されずに。

技術的に、こうしたプロパガンダはいとも容易にできる。実際、イラクでサダム・フセインの抑圧的支配を受けていた人々の多くは、サダムがいなくなったとすると、それ自体は喜ばしいことであろう。必ずしも桜でメディアや米軍がプロパガンダ用に人を雇い入れなくても、そうした人がいても不思議ではないし、そうした人を見つけだすのは難しくないかも知れない。けれども、確実に言えるのは、瓦礫の下で命を失った人たちは、米軍を「解放軍」として歓迎する人々の中には入っていないということである。それゆえ、「歓迎する人々」を強調することは、犠牲者を踏みにじることにつながってくる。もう一つ、それと関連するが、イラクの人々の中に歓迎する人々がいたとしても、それ自体は、何ら米国の侵略を正当化しない。警察が恐ろしい連続殺人犯を逮捕したとしよう。逮捕のときに、警察は、全く関係のない通りすがりの人10人を巻き込んで犠牲にしていたとしよう。いつ連続殺人犯に襲われるかと怯えていた人々は、それでも、連続殺人犯が逮捕されたこと自体については、ほっとする可能性がある。けれども、ほっとしたからといって、警察が10人を巻き込んで犠牲にしたことを褒め称えはしないだろう。それと、同じである。

実際、歴史を振り返ると、恐るべき虐殺が刻々と進められている中で、それに全く反する報道を導くことは多々行われている。次にあげるのは、1978年7月18日、朝日新聞に掲載された東チモールに関する記事の見出しである(インドネシアの独裁者で東チモールを侵略し不法占領していたスハルトが、東チモールを訪問したときのもの)。山口特派員という署名がある。
    「見えない内戦の傷跡」
    「大統領訪問を歓迎」
    「豊富な商品、物価も平静」
1978年。人々が山に逃れて抵抗を続け、残った人々の多くが強制収容キャンプに押し込まれ、飢餓や病気、虐殺などで命を失っていた、東チモール人に対する虐殺と侵害が最も激しかった時代。国際赤十字が、人道的破局であると警告を発した直前。そんなときに、見出しに書かれているのは、「大統領訪問を歓迎」である。このとき、大統領訪問に付き添った記者団は、インドネシア警察のエスコートを受け、あらかじめ決められた限られた場所しか取材できていなかった。強制収容キャンプに入れられていたため、殺害されて海に投げ捨てられたために、拷問所に繋がれていたために、山に逃れて抵抗運動をしていたために、不法侵略者インドネシアの独裁者スハルト大統領の訪問を「歓迎」できなかった人々と、その遺族のことを、私は、知っている。何人かについては、直接。

反対派の人々を皆、殺害してしまえば、生き残っている人々は、賛成派だけになる。その状況では、定義上、皆が賛同して歓迎してくれることになる。それをもって、反対派の皆殺しを、「皆が歓迎する」行為だと宣言するわけにはいかない。米国の侵攻が、それに反対する人々全員を物理的に殺害するわけではない。けれども、プロパガンダ的には抹殺するだろう。その上でメディアに現れる「歓迎」は、米国の行動を、何ら正当化するものではない。

強大な敵が・・・

既にサダム・フセインが強大で今にも米国に核兵器を落とすかもしれないというプロパガンダが米国では進められていたが、たとえば「予想より苦しい戦いになる」といった見出しが3月20日、新聞に見られる。もともと、米国は他国を侵略するとき、あるいは、テロ攻撃を行うとき、国内で大規模なプロパガンダを展開し、敵を悪魔化し、今にも米国を侵略して征服しようとしていると米国の人々を脅していた。たとえば、ニカラグアで。ほとんど第三者がみると頭を抱えてしまうほどのものであるが、米国がコントラを使ってニカラグアのサンディニスタ政権に対するテロ攻撃を行っていたとき、それを正当化するために、ニカラグアからテキサスまでは3日の距離であることが繰り返され、さらには、ニカラグアとキューバが、米国を侵略し、なすすべもない状態の米国が、英雄的な高校のフットボール・チームにより阻止されるという映画まで作られていた。

敵を強大なものと見せておけば、米国の大好きな「フェア・プレイ」の精神も満足される。イラクでは人口の約半分が15歳以下の子供であること、実際に殺される人々は女性や子供であり、家族があり、生活があり、未来があったはずであり、楽しみも、恋も、失恋も、悲しみも普通にある人々であることは巧妙に忘れるよう仕組まれる。イラクで人々を殺害し帰ってきた米軍は「英雄」となり、その最高司令官であるジョージ・ブッシュも賞賛される。侵攻開始から半日で、既に「戦争支持」が世論調査で増えつつあるというプロパガンダが広められている。人々の無力感と自己防衛反応を利用した、これ自体、巧妙なプロパガンダであるが、これとあいまって、人道的な見地から、法的な見地から、論理的な見地から、つまりまっとうな見地から戦争に反対した人々の意義を、プロパガンダは葬り去ろうとするだろう。「戦争は苦しいものになる」といった米国の発表は、凱旋のパレード準備の一環であると言っても言い過ぎではない。「みんな手を振って・・・」プロパガンダの側面支援を受けて、これは完璧なものになろう。勝利の凱旋パレードは、米兵の犠牲者をも略奪する儀式になろう。

おわりに

個人的なエピソードになるが、1999年、国連主導の自決権投票が東チモールで行われたとき、私は投票を平和的に進めることを意図した国際的な連帯活動にそれなりに関与していた。インドネシア軍とその手先の民兵が、投票を阻止しあるいは投票結果を操作しようと大規模な脅迫とテロ、虐殺と破壊を進めつつあったときである。1999年8月に予定されていた投票に向けて、治安の悪化を憂えたコフィ・アナン国連事務総長は、侵略者インドネシアが治安を担当するという恐ろしい根本問題には手を着けないまま、いくつかの表面的な「和平」手段がインドネシアから示される度に、「今度は上手く行くと思う」と発表していた。平和的に自決権投票を本当に願っていた私は、現実はそうではなく、インドネシア軍と民兵による殺害や拷問は続けられていることを知りながらも、やはり、「今度はうまく行くと思う」という言葉に安心したくてたまらない心情を抱えていた。プロパガンダは、そうした、自分では意識していないかも知れないくらい当たり前の心の願いを利用することがある。

インドネシア軍と手先の民兵が、突然善意で殺害を止めることなどないことを、当時、あらゆる証拠が示していたように、今回の米軍によるイラク侵攻が人道的であることなど決してない。イラクの人々に対して人道的でないことは、これまで繰り返し繰り返し、米国は自分の利にかなう抑圧的な政権を積極的に支援し、独立した政権を転覆してきたことからわかるし、イラクに限っていっても、サダム・フセインに喜んで毒ガスを使わせたこと、そして、湾岸戦争時のクルド人とシーア派の放棄を見捨てたことからも、はっきりしている。そして、膨大な人的被害を出し、抗議で国連人道担当官が辞任するほど非人道的なイラク経済制裁を実行し続けてきたことからも。国際的な「テロの脅威」を封じ込める意図がないことも、米国人を守る意図がないことも、テロの脅威が増えるというCIA報告がありながら平然とイラク侵攻を進めることから、そして、米兵を劣化ウラン弾に平然と晒すことからもはっきりしている。さらに、米国人女性レイチェル・コリーを殺害しパレスチナ人の虐殺を日々進めているイスラエルに10億ドルの軍事援助をブッシュ政権が約束したことからも、はっきりしている。

イラクで、罪のない人々が殺され、学校が、病院が、家々が、家族が破壊され、未来が破壊されることへの悲しみの気持ちは、持ち続けよう(忘れたくても忘れられないだろうけれど)。けれども、その悲しみが弱みになって、プロパガンダに意図せずのせられてしまうことは避けよう。プロパガンダにのせられれば、次の悲しみをまた生みだしてしまう動きを助長することになってしまうから。第三者的に、したり顔で評論をして明晰に見ている気になるのではなく、冷静に明晰に自分の状況と自分に対するプロパガンダの影響を見つめよう。多少なりとも悲観的でない世界を生みだすことに貢献するための道筋は、そこから見えてくるかも知れない。嘘とプロパガンダに、意識しないままに影響されて、メげないよう、そして巨大な不正に無感覚にならないようにしておこう。明晰に見る(ver clara)ことは、楽観的(ver clara)になることでもあるのだから。

 益岡賢 2003年3月20日

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