世界の底流  
モサドがハマスのリーダーを暗殺
2010年3月10日

1.ドバイでハマスのリーダーが暗殺

 ドバイは、アラブ首長国連邦(UAE)を構成する7カ国の中で、唯一石油を産出しない。そこで他の産油国からの投資を集め、一大商業、観光、保養地として栄えてきた。したがってUAEの中では、比較的リベラルな気風がある。ドバイの人口は、120万人、UAEの中で最大の都市に成長した。
今年1月19日、ドバイ空港のホテルで、パレスチナのハマスのリーダーが暗殺されるという事件が起こった。
 いち早く、ドバイ警察は「暗殺されたのは、Muhmoud al−Mabhouh、ハマスのリーダーの1人で、1989年、イスラエル人兵士を誘拐し、殺害した本人と疑われ、またガザへの武器密輸入の責任者であったと発表した。
この暗殺事件は、ドバイだけにとどまらず、中東全体で大きな関心を集めた。そこで、ドバイ警察は捜査の公開性を高めるために、逐次、捜査の進展状況をマスメディアに公開した。このような透明性は、アラブ世界では珍しい。

2.モサドの大胆な暗殺術

  ドバイ警察は、非常に有能であることが判明した。ドバイ警察長官のDahi Khalfan Tamin中将が、みずから暗殺事件の捜査の指揮をとった。しかも毎日、Tamin中将自身が記者会見を行なった。
 ドバイ警察は、マスメディアにホテル内に据え付けられた27分の監視ビデオを公開し、モサドの犯行を明らかにした。
 そして、いち早く、「暗殺の実行犯は、イスラエルの秘密情報機関モサド(Mossad)が送り込んできた暗殺要員たちだった」と発表した。
 『アルジャジーラ・テレビ』や『インターナショナル・ヘラルドトリビューン』紙などが連日報道しているところでは、犯行は空港ホテルの1室で行なわれた。モサドたちは、犠牲者al-Mabhouhの大腿部に弛緩剤を注射して、動けなくなったところを絞殺した。その後、犯人たちは証拠を拭い去り、暴力の痕跡を拭い取った。どのように細工をしたのかは判らないが、ホテルの部屋を出る時、中からドアチェーンを掛けた。
 監視ビデオには、モサドの犯人たちが、テニス着姿の観光客に化け、あるいはかつらとひげで変装しているが、動作などによってモサドの要員であることが明らかになった。
 ドバイは砂漠の中の海岸部に建てられた人口都市である。それで、観光客に魅力的だというイメージを維持しなければならない。また最近ドバイ政府の不動産開発会社Dubai Worldが、債務不履行に陥った。これは、即座に、湾岸産油国がてこ入れをしたので、湾岸全体への波及を回避することが出来た。外国の投資家にとって、ドバイ経済が安定していなければならない。
 一方、ドバイが「オープン都市」であるということは、アラブ・ゲリラやモサドなどの諜報機関にとっても、自由な土地である。

3.26人の暗殺者群

  ドバイ警察は暗殺者たちのパスポートナンバー、顔写真、監視ビデオの映像などの証拠品を公開した。暗殺に先駆けて、26人のモサドがドバイに入出国した。これは、暗殺の下見であった。空港からホテルまで、ある者はエレベーターに一緒に乗り込むなどをして尾行した。
 ドバイ警察の発表によって、イスラエル政府は窮地に追い込まれた。それは、26人の実行者たちが、英国、アイルランド、フランス、ドイツ、オーストラリア5カ国のパスポートを持っていたものがいたからである。
 実際、イスラエルは、2重国籍を認めているので、イスラエルとヨーロッパのパスポートを持っていることは、珍しいことではない。モサドはこれを利用して、2重国籍で外国のパスポートも保持している人が選ばれた。しかしその全てのパスポートが盗難品だった。また26人中15人が使っていた名前と同じ名の人が、実際にイスラエルに住んでいることが判った。
 例えば、Roy Allan Cannon とEvan Denningsというパスポートを持っているモサドの殺し屋の2人は、犯行後、米国入りをしたことが判った。
 2月26日付けの『Haaretz』紙によれば、Cannon氏は62歳で、6人の子どもを持ち、超オーソドックス派の信者で、83年以来イスラエルに移り住んでいると報じている。誰も、彼がモサドの殺し屋であるとは思わないだろう。
 またDenningの場合も、アイルランド政府が「Denning氏はアイルランドのパスポートを持っていたが、盗まれた」と声明を出した。
 外国人は米国に入国した場合、写真と指紋を取られたはずだから、追跡可能だと思われるが、別のパスポートで出国したのなら、追跡不可能である。米国務省は、3月1日、インターポルに対して、返答を拒否した。
 現在、26人の顔写真は、インターネットに配分され、さらにインターポルのウエッブサイトにも掲載されている。ドバイ警察がこのように徹底的な捜査を行なうとは、モサド側は予期していなかった。まず、警察は犠牲者の大腿部の小さな注射針の跡を見つけた。これは、自然死ではなく、殺人であったことを証明した。
 ヨーロッパやオーストラリア政府はイスラエルの大使を召喚し、調査を要求した。これに対して、いつものことだが、イスラエル政府は返答を拒否した。このイスラエルの暗殺行為は、収束したかのように見えた「テロと犯罪の違い」をめぐる論争が再燃した。
 もう一つ、ドバイ警察の証拠品に、モサドが使ったクレディとカードとイスラエルの関係づけるものがある。Payoneerという名の会社が発行したカードが、モサドたちによって使われた。この会社のYuval Tal社長は、2006年、イスラエルとヒズボラとの戦争について、テレビのコメンテイターであった。その時、彼はイスラエルの元情報機関にいた、と解説した。
 3月3日、ドバイ警察は26人がドバイで使ったクレジットカードの捜査結果を発表した。それによると、アイオワ州Storm Lake にあるMetaBank、ニューヨークにあるPayoneer、イスラエルのテルアビブにあるPetah Tikyaがカードを14人の犯人に発行している、という。ドバイ警察や米FBIにこの件での捜査を依頼した。少なくとも13人が、MetaBank発行のマスターカードで、航空券やホテル代を支払っている。

4.チェチェンの元分離主義者の暗殺

 昨年3月28日、ドバイで、チェチェンの元分離独立運動の司令官であったSulim Yamadayevが駐車場で暗殺されるという事件が起こっている。この事件の捜査の指揮を執ったのは、同じくドバイ警察のTarim中将であった。Tarim中将によれば、「直接犯行をおこなったのは、チェチェン共和国のAdam Delimkhanov副首相である。彼はまたロシアの下院議員であるのでモスクワに住んでいる。このことから彼はロシアの諜報機関ともつながりがある。しかし、チェチェン政府もロシア政府も事件の捜査に非協力だ」と言っている。
 ドバイ警察は、実行犯として、イラン人のMahdi Lourniaとタジク人のMakhsud-Janの2人を逮捕したが、他の3人はロシアに逃げた。そこで、インターポルの援助を受けるために、3人の逮捕状を出し、インターポルのウエブサイトに写真を乗せた。しかし、ロシア政府は、この3人をドバイ警察に引き渡す気はない、と宣言している。
 『アルジャジーラ』放送によれば、暗殺されたYamadayevは、1990年代末、分離主義運動から離れて、ロシアの諜報機関とつながりの深いと言われるチェチェンの精鋭部隊Vostokの司令官に鞍替えしたと言う。どうやら、チェチェン共和国の独裁者Ramzan Kadyrov大統領の最後のライバルであったようだ。

5.ドバイのTamin警察長官

 Tamin氏はアラブの民族主義者である。Tamin 中将は、イスラエルのNatanyahu首相とMeir Daganモサド長官を今回の暗殺事件の犯人として、検察庁に逮捕状の発行を要求した。彼は「事件は100%ではないが、99%、モサドが関与していると確信している」と述べた。