ハリウッド映画を読む 3

はじめに

 「ハリウッド映画を読む」というタイトルでの映画評論もこれで3回目となる。今回は今年(2002年)上半期に日本で上映されたハリウッド映画を考察してみたい。

同じボスニア紛争を描いても

 92年以降のボスニア紛争を題材に、ハリウッドが作った映画が『エネミー・ライン(Behind Enemy Line)』(ジョン・ムーア監督、2001年)である。ストーリーはこうだ。バルカン半島の平和維持のため、ボスニア上空から米海軍のF/A-18スーパーホーネットが偵察活動をしていた。この活動中、NATOに報告していないセルビア軍の部隊終結の様子を撮影することになる。これに気づいたセルビア軍の地対空ミサイル攻撃により、スーパーホーネットは撃墜され、2人の乗員は脱出する。しかし、そのうちの1人はセルビア軍に捕まり、その場で射殺。もう1人、クリス・バーネット大尉が「エネミー・ライン」を越えた安全地帯に逃げようとするが、これを追うセルビア軍との攻防が展開される。
 この映画では正邪がはっきりとしている。クリスが逃げる過程で、彼はセルビア人勢力によって殺されたムスリム人の死体の山を発見する。不当に部隊を集結し、米軍捕虜を射殺し、虐殺を行う「悪のセルビア人勢力」。クリスを救出するため、米軍司令官が海兵隊を派遣しようとするが、セルビア支配地域に踏み込むのは協定違反であり、かろうじて保たれている和平状態の崩壊を恐れ、それを認めないNATO軍提督はまるで邪魔者。それに対して、そもそも協定違反の飛行をしたにも関わらず、米軍は正義。したがって、最後のシーンで、クリスを救出する米・海兵隊によってセルビア軍は大量に殺される。欧州の苦悩はアメリカには無縁だ。
 その点、この同じボスニア紛争を題材にしたフランス=イタリア=ベルギー=イギリス=スロヴェニアの共同製作による『ノー・マンズ・ランド(No Man's Land)』(ダニス・タノヴィッチ監督、2001年)は大きく異なる。中間地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕で対峙することになったボスニア兵とセルビア兵、2人の側に横たわる体の下に地雷を仕掛けられたボスニア兵に「ハッピー・エンド」は訪れない。ボスニア出身の監督により作られた映画ながら、セルビアを一方的に悪と描くこともしない。そして、全体はブラックな笑いに包まれながら、戦争の愚かさ、国連の偽善性を描き、観客に重い問いかけを残す。『エネミー・ライン』を見ていて、これ程までに単純な「勧善懲悪もの」を今後も作り続けるであろうアメリカが可哀想にも思えてきた。

実話を基に作ったといっても

 93年のアメリカ軍によるソマリアでの軍事活動を基に作られた映画が『ブラックホーク・ダウン(Black Hawk Down)』(リドリー・スコット監督、2001年)である。ソマリアで米軍特殊部隊約100名が、「独裁者」・アイディード将軍の副官を捕らえようとするが、ソマリ族民兵の反撃にあい、ブラックホーク・ヘリ2機が撃墜される。米兵に19名の死者を出しながら、米軍が基地に帰還するまでの15時間の戦闘を描いたのがこの映画である。製作は『パール・ハーバー』も製作したジェリー・ブラッカイマー。彼は「自分の命以上に他人の命を気遣う男たちの同胞愛の物語を語りたいと私はかねがね思っていたが、それはまさに、ここに登場する兵士たちのやったことだった。……それは戦時下のヒロイズムであり、どんな映画にとっても力強い題材だ」と語っている(同映画パンフレット、21頁)。もちろん、ソマリ族民兵は「他人」の中に入っていない。
 この映画についてスコット監督は、「これは、観客に問いかける作品であって、答えを提供する作品ではない」(同映画パンフレット、14頁)としているが、国防総省が特殊部隊のトレーニング等への俳優たちの参加を許可することで映画に協力していることを忘れてはならない。そして、なぜソマリアで部族間の紛争が繰り広げられたのか、その武器はどこから入手したのかはもちろん説明がないし、このような軍事介入の是非を考えさせる題材も提供していない。しかも、米兵は一人一人名前を持った人物として描かれているが、ソマリア人には指導者以外名前が出てこず、単なる「殺人集団」としてしか描かれていない。最後に、米兵の死者19名に対して、ソマリ族民兵は1000名以上死んだことがわかるが、ビンラディン氏との関係が指摘されているイスラム教国家の「他人」だから命も軽いのか。
 同じく、実話を基にしたメル・ギブソン主演の『ワンス&フォーエバー(We were Soldiers)』(ランダル・ウォレス監督、2002年)も似たところがある。これはベトナム戦争中のイア・ドラン渓谷、X−レイでの3日間の攻防を描いたものである。映画の最後にこの闘いで死んだ米兵80名の名前が映し出されるが、米軍の近代兵器によりそれ以上の北ベトナム兵が大量に殺される。その死者数は映画ではわからないが、この渓谷での34日間の戦闘による米軍の死者は305名、それに対して北ベトナム軍は約3500名である(ベトナム戦争全体では、米軍の死者は約5.8万人に対して、南北ベトナム軍は約100万人、民間人は約200万人である)。この戦闘を闘った米軍側の部隊は第7航空騎兵連隊であり、その源は劇中でも触れているように、南北戦争後にネイティヴ・アメリカンと闘った「英雄」・カスター将軍率いる第7騎兵隊である。映画ではベトナム戦争の背景は一切描かず、ただ北ベトナム軍はアメリカの騎兵連隊によって大量に殺されるだけである。映画のパンフレット(17頁)には記者会見の模様が掲載されているが、出演者の「結局、この映画は愛について描かれているんだと思います。家族への愛、自分自身への愛、仲間への愛。それがテーマです」という発言がある。もちろん、ここにはネイティヴやベトナム人への愛はない。

「テロ」を許さないからといっても

 昨年の「9.11」により、10月の公開予定が半年延期されて公開されたのが『コラテラル・ダメージ(Collateral Damage)』(アンドリュー・デイビス監督、2001年)である。コロンビアの「テロリスト」・ウルフが、アメリカの対コロンビア政策に反対して政府要人を暗殺する爆弾事件に、消防士ゴーディー(アーノルド・シュワルツェネッガー)の妻子が巻き込まれ、死んでしまう。妻子の死は「コラテラル・ダメージ(目的の為の犠牲)」のように扱い、犯人探しに熱心でないCIAとFBI。そこで、彼は単身コロンビアに乗り込み、自らウルフを探すことにする。結局、ゴーディーはワシントンでの次なる爆弾事件を失敗させ、ウルフを始末することもできる(すごい消防士だ!)。
 この映画は、個人が政府に批判的で、またウルフがアメリカの軍事行動に反発して反米活動に走ることも説明している。『ワンス&フォーエバー』でも、北ベトナム軍兵士のプライベートな部分も描くことで、一方的な映画ではないと考えているようである。しかし、「テロ」は犯罪としてFBIなりが取り締まるべき問題なのに、なぜ個人の復讐が許されるのか。このような価値観を認めてしまえば、警察も裁判所も不要になってしまう。現に、アメリカが国際法を無視して「アフガン“報復”戦争」を行い、国際刑事裁判所設立条約の署名を撤回した法に服さない姿勢と重なる。同映画パンフレット(18頁)では、シュワルツェネッガーのこのようなインタビュー発言が掲載されている。
「(「9.11」に対して)アメリカの今の大統領はとてもよくがんばってくれているが、それが現実の世界でできるリミットだ。でも人々は、ひとりの男が颯爽と登場して世界を救う姿を見たいんだよ」。
 また、この映画を見て気づくのは、今のアメリカの監視社会ぶりである。ウルフを追うために、駅や街頭などあちこちに設置された監視カメラが活用される。『エネミー・オブ・アメリカ(Enemy of the State)』(トニー・スコット監督、1998年)を見れば、今のアメリカ政府はやろうと思えば、発信機、盗聴、集音マイク、監視カメラ、衛星追跡装置などで徹底的に個人を監視できることがよくわかる。最近、日本でも警視庁が新宿・歌舞伎町に監視カメラを設置し、私の住む近所・神奈川の海老名ですら駅前に市が監視カメラを設置した。「犯罪防止」のための監視社会化を、観客に抵抗感なく受け入れさせる効果もある映画といえよう。

おわりに

 今年日本で上映されたハリウッド以外の映画で、国内の人種・宗教対立、国内紛争、戦争を描いた作品は味わい深いものが多かった。タリバン支配下のアフガニスタンを描いた『カンダハール(Kandahar)』(モフセン・アフマルバフ監督、イラン=フランス映画、2001年)、1930年代のリバプールを舞台にした『がんばれ、リアム(Liam)』(スティーヴン・フリアーズ監督、イギリス映画、2000年)、日中戦争末期の中国農村での出来事を描いた『鬼が来た!(鬼子来了)』(チアン・ウェン監督、中国映画、2000年)、そして『ノー・マンズ・ランド』。これらの映画は笑いもあるが、重いテーマが見終わった観客の心に残る。もちろん、全てのハリウッド映画がそうではないが、単純・明快・その場限りのハリウッド「娯楽」作品がなんと多いことか。しかし、単純なメッセージほど「洗脳」には打ってつけだ。だから、私のハリウッド映画批判はまだまだやめられない。

2002年8月3日
清水雅彦(和光大学)

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