90年代改憲と憲法調査会の動向

(『自治研かごしま』70号・2000年8月に掲載)

小栗 実(鹿児島大学・法文学部)

1、憲法調査会の設置
 90年代にはいって、国会や内閣に憲法改正を審議する委員会をつくることは、自民党内の右派勢力、財界、民間の改憲推進団体の大きな目標だった。改憲に執念を燃やす中曽根前首相はすでに91年4月23日の講演で「臨時憲法問題調査会」を内閣に設置するよう提言していたし、村上正邦参議院国会対策委員長(当時・現参議院憲法 調査会会長)は「憲法臨調」設置をよびかけていた。しばらく時をおいて、97年になると、憲法制度調査委員会推進議員連盟が自民党・新進党議員を中心に発足した(5月23日、代表中山太郎(現衆議院憲法調査会会長))。民主党内でも、99年の代表選出選挙で松沢成文氏が、国会に憲法調査委員会を設置して、「論憲」をすすめることを公約とした。(90年代に入ってからの改憲派の動きについては資料を参照されたい。)
 各党内で憲法調査委員会設置の声が強まる中、国会の議会制度協議会は憲法調査会を 設置するかどうかを協議し、4会派が賛成し、2会派(社民党、日本共産党)が反対 した。賛成会派の中で、調査期間については意見が分かれ、自民党は3年、自由党は 2〜3年最長5年、公明党は10年程度をめどに長い調査期間を主張し、民主党は5 年を主張した。結局、「調査期間は、概ね5年程度を目途とする」ことになった(7 月6日「申し合わせ」)。ちなみに、かの中曽根は、3年「論憲」し、4年目に各党 が憲法改正試案を提出し、5年目に国民投票法を制定し、8年目に、つまり2008 年に憲法「改正」を実現する改憲「日程」を表明している。
 調査会をつくるにあたって、会の目的をどうするかが問題になった。いうまでもな く、この憲法調査会が議案提出権をもつとすれば、国会の両院の発議が必要とされる 憲法改正への直接的な契機になる危険性があった。自民党や自由党が主張する「委員 会」にするか民主党や公明党が主張する「調査会」にするのか。賛成4会派の中にも 「温度差」があり、妥協の結果、「憲法調査会は、議案提出権がないことを確認す る」ことを申し合わせ(7月6日・衆議院)、国会法の改正案には「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」ことを規定した。
 本来は院の構成に関する事項は全会派の合意によるという慣例が破られて衆議院議院 運営委員会の多数決で議案の提案が決められ、7月6日に可決された。参議院でも同様の調査会が設置されることになり、7月26日に可決された(国会法改正は7月29日に衆議院にまわされ、可決成立)。
 このようにして公的な機関として憲法調査会が設置されたのは、日本国憲法史上2回 目のことだ。1955年、憲法改正をねらって、鳩山首相が内閣に憲法調査会を設置して以来のことになる。

2、憲法調査会の審議
 2000年はじめからの通常国会の召集の日に、国会法改正は施行され、両院で憲法調査会の審議がはじまった。衆議院が解散された6月2日までに、衆議院では10回、参議院では7回の会議がもたれている。憲法調査会の審議状況は、インターネット時代にふさわしく、衆議院のホームページhttp://www.shugiin.go.jp/itdb_main.nsf/html/index_kenpou.htm、参議院のホームページhttp://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/index.htmでも公開されている。(市民グループの憲法調査会市民監視センターのホームページでも逐次議事録などが更新されている(http://homepage1.nifty.com/kenpou/)。)
 憲法調査会では、まず憲法制定過程の調査がおこなわれた。学者が参考人として招かれ、持論をのべた。おそらく改憲派の意図としては「押し付け憲法」論を実証したかったのだろう。改憲派議員が意気込んで、「押し付け憲法」批判を行おうとしたにもかかわらず、冷静にみて、いまのところでは改憲派が議事を手前勝手にすすめて、押し付け憲法だからと改憲一色になるという状況にはなっていない。古関彰一参考人、長谷川正安参考人など明確な改憲反対の学者も登場している。マスコミ・国民対策の決め手として、憲法草案の作成にあたった当時のGHQのメンバーを招いたが、男女平等を憲法草案に書き込むことに奮闘したベアテ・シロタ・ゴードンさんがはっきりと「日本国憲法は米国憲法よりすばらしい。押し付けという言葉は使えない」と述べたように、反対に憲法の定着ぶりを印象づけることになった。
 憲法調査会では、4月19日に20人の若い学生を招いて、憲法に関する意見を聞いた。私の率直な印象では、(ややひいき目かもしれないが)改憲賛成の学生が「憲法は日本の伝統・文化を反映していない」とか「現実に憲法があっていない」とかいう一般的・抽象的は批判にとどまっていたのに対して、改憲反対の学生が、女性差別や沖縄の基地の実態など、実際の生活の中から憲法の理念がなお実現していないことを指摘していたことの方に説得力を感じた。ただし、現在の若者たちの憲法に対する意識には注目を要するところがあると思われる。朝日新聞が、「改憲の賛否に『世代間ギャップ』」と報じていたが、大学に勤務する私の実感からしても、「まるで異なった解釈がなされるような憲法は変えて、すっきりさせたほうがいい」という能天気な考えをもつ学生がふえている。憲法9条についての解釈を、警察予備隊・保安隊・自衛隊と代わっていくたびに政府が変えて、再軍備がすすめていったことに最大の要因があるにもかかわらず、そのような憲法史の知識さえもたないで、標的を日本国憲法に向けている。

3、憲法調査会の今後
 総選挙の結果によって、憲法調査会の活動がより活発になるか、それとも「開店休業」に近い状態においこまれるか、この執筆時点ではわからない。今回の総選挙の争点のひとつはまさにこの点にもあった。連立与党側は、憲法問題を争点にすることを意識的に避けていたようにも思われる。「憲法より景気回復だ!」たしかに60年代以来、自民党の選挙公約は基本的にイデオロギー的対立をもたらす争点の提起をさけ、選挙では「所得倍増」「安定したくらしの確保」を前面におしたててきた。しかし、今回の総選挙の公約には注目すべき変化があったことも指摘しておきたい。第1には、自民党が「21世紀にふさわしい国民のための憲法の制定を目指します」と「自主憲法制定」の公約を復活させたことであり、第二にもっとも右派的な主張をもつ自由党は、改憲を真正面から公約にかかげたことであり、第3に、民主党もまた「首相公選制の導入」という日本国憲法を改正しなくては実現し得ない課題をかかげたことである。
 今後、憲法調査会の議論は、当初からの最大の実現目的である憲法第9条および憲法前文にある平和主義原理の攻撃へと向かっていくであろう。90年代改憲運動のきっかけになったのは、1990年の湾岸戦争とそれに対する日本の対応だった。「国際貢献」の名の下、改憲派は、「自衛隊の海外派遣を!」の声をつよめていく。そして「立法改憲」とよばれた「PKO等協力法」(1992年)や「周辺事態法」(1999年)が制定された。改憲派のねらいは、さらに憲法9条2項を変えて、自衛隊に憲法上の地位を与えること、そして集団的自衛権を憲法上みとめることをねらいとしている。それは「普通の軍事大国」に日本を変えていくことである。
 この改憲構想が「成功」するかどうかは、国民の平和意識のありようにかかっている。
たしかに、しばしばいわれるように、国民の中に大国主義的ナショナリズムが80年代以降つよまり、憲法9条改正を支持する世論も形成されてきている。しかし、その一方で、かつての悲惨な戦争体験からの第9条擁護論も根強いし、ハーグでの昨年5月の市民による国際平和会議で「憲法9条を世界の規範にしよう」との声があがったように、憲法9条をこれまで以上に理念として大切にしていこうという声もつよくなってきている。いわば、国民意識の「奪い合い」がこの間進行するだろう。だからこそ、日米軍事演習や核兵器搭載艦船の入港や地方自治体への協力要請などに対して、憲法の平和主義を対置して、対抗していくことが極めて大切な課題になってきている。
 第二に、新しい人権、憲法裁判所、首相公選などの規定がないことをあげて、「憲法は現代に合っていない」という主張にあわせて、いろいろな論点がでてくることが予想される。
 「時代遅れの現行憲法」と改憲をあおる桜井よしこ『憲法とはなにか』(小学館)では「あまりにもお粗末な日本の情報公開法」と断じて、憲法に「知る権利」が書いてないことをつよく批判している。このよう「憲法=時代遅れ」論が、90年代改憲論のもうひとつの特徴である。改憲派の主張は、しかし、かなりに「まゆつば」ものである。情報公開をもとめる運動にせよ、環境権を実現しようとした公害反対運動にせよ、この種の権利を成立させるのに反対し、市民運動の前にたちふさがったのは、改憲派が多数をしめる国会であり、与党になっている政府や自治体当局であった。憲法自体は「柔構造」をもっていて、これらの新しい人権を「幸福追求権」「生存権」に読み込むことによって、十分に対応できる構造になっている。
 憲法裁判所の設置や首相公選は、現行の裁判所の消極主義や、国民意思が正確に反映されないゆえに「ゆがんだ鏡」と評される小選挙区・比例代表制の下での国会の現状をよろしく思わない感情に訴えて、ここでも「いまの憲法は欠陥憲法」であると主張している。憲法裁判所の設置には、法律や政府の行為に憲法上の正当性を安易に与える危険性をともなうことを知らなくてはならない。首相公選は、一時の熱狂的支持により権威的な人物が政権をとる危険性(石原慎太郎の都知事当選はそのような側面をもっていた)も合わせもつことを熟知した上での提案だろうか。ある人々は、この一見、民主的にみえる制度的な改正にのみ着目して、改憲に賛成というかもしれない。しかし、もし改憲がなされるとしたら、その条項の改定にとどまることなく、平和主義や人権の保障といった大原則の改変にまで及び、手におえない「パンドラの箱」を開けることになってしまうのではないか。

4、憲法調査会を超えて
 私たちの社会で、憲法の理念・価値ははたして十分に実現し、生かされているといえるのだろうか。その答えはと、たずねられたら「しかり、しかし、まだまだ途半ば」といわざるをえまい。たとえば法の下の平等は、その規定さえなかった明治憲法下にくらべれば、比べるまでもなく実現した。しかし、外国人差別や未解放部落に対する差別、会社における思想差別、女性に対する職場・家庭における差別など、まだ残されている課題も多い。そのとき、憲法の人権規定はその課題を実現するさいの支えである。憲法はわたしたちの暮らしの改革にとって、役にたつ存在なのである。憲法のもつ意義をもういちど確認することがいまこそ必要だ。
 憲法の平和主義の理念もまたそうである。憲法制定は、いわば日本が世界に向けた「平和の誓い」であった。その後の53年間の日本の歩みをふりかえってみると、我が国は、世界の国から十分な信頼をかちとるような平和外交をすすめてきただろうか。残念ながらそうではなく、アメリカの軍事政策に追随してきた半世紀であった。21世紀に向かおうとしているいま、南北朝鮮の対話の開始にみられるように、武力によらない平和的紛争解決が現実的にも可能になってきている。日本はあの「平和の誓い」を世界にむけて実践することがいまこそ求められている。
 憲法の民主的・平和的な価値をこの日本社会の中に実現し、政府の政策を大きく転換させていく「権利のための闘争」をひろく訴え、実践していくこと、そのことによって、改憲派の野蛮な意図に対抗していくことができるだろう。

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