個人的声明―恐怖が支配する世界にならないために― 

 2001年9月12日の朝、私は少し早起きをしました。富士山の北の裾野にある河口湖へ、妻と釣りにいく予定でした。朝食をとりながら、コーヒーを飲み、タバコをすいながら、テレビのスイッチを入れました。
 私は、身震いがしました。世界貿易センタービルに突入する旅客機、崩壊する高層ビル、ほこりや血にまみれ逃げまどう人々、その人々に襲いかかる煙、テレビのインタビューに顔をこわばらせ、声のかぎりに恐怖を表現する人々。
 私は、あまりの恐ろしさに、何が起こったのかを知りたくて、テレビ画面に釘付けになりました。そして、どんどん「恐さ」を感じ始めました。タバコをもつ指が震えました。心臓の鼓動が早くなりました。脳は鬱血したようになりました。自分でも言葉にできない恐怖の感情にとりつかれました。妻にいろいろしゃべりましたが、言葉は空回りするばかりです。適当な言葉が見つかりませんでした。
 私たちは、予定通り、河口湖に行って釣りをしました。紅葉しはじめた木々、水面を駆け抜ける風、流れていく雲、夕暮れ時の富士山のシルエット、世界は、あまりに美しく思えました。
 しかし事件は起こったのです。暴力で人々を恐怖に陥れ、自分たちの目的を遂げようとするテロリストたち。その人たちの目的は、ある程度達成されました。そして、今度は、アメリカの好戦者たちが「報復戦争」を口々に叫び始めました。より大きな暴力と恐怖で勝利しようというのです。各国政府が、それに同調しようとしています。
 私は、テロリストもアメリカや世界の好戦者たちも支持しません。理由は簡単です。恐いからです。私は男です。男が「恐い」と言うのは恥ずかしいことでしょうか? でも恐いのです。
 私は言葉を見つけました。「私は恐い」、「私は恐怖におののいている」。
 だから、今回のテロ行為を批判します。許したくはありません。テロリストを養成し、かくまう政府や組織や人々を批判します。そして「報復戦争」を準備し、煽動し、実行し、協力しようとしているあらゆる政府や組織や人々も批判します。
 日本国憲法の前文です。「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
 強がらないで、恐いことに「恐い」と叫んでいい。そうした人々が、「恐怖が支配する世界」から抜け出だす自由を実現しようと日本国憲法には書いてあるのです。

 私は、多くの人々に訴えたいと思います。
 今、私は、テロと戦争が恐くてビクビクして過ごしています。それは悪いことでしょうか? よいことでしょうか?
 同じように恐怖を感じているみなさん、「私は、テロが恐い」と誰かに伝えましょう。「私は、報復戦争が恐い」と誰かに伝えましょう。「私は、軍隊が恐い」と誰かに伝えましょう。「私は、暴力が恐い」と誰かに伝えましょう。
 強がったり、世間体を気にしたり、見栄を張らずに、「恐い」と誰かに言葉を発しましょう。誰かにメールを送りましょう。誰かに手紙を書きましょう。
 もし可能なら、政治家やマスコミの人に言葉を伝えましょう。もし可能なら、新聞に投書しましょう。もし可能なら、チラシをつくって家々に配りましょう。
 できることをやって、「私は恐い」というメッセージを全世界に伝えましょう!
 そして、恐怖が支配する世界に抗議しましょう!

2001年9月14日
石埼 学(亜細亜大学・憲法学)
連絡先:ishizaki@asia-u.ac.jp

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