地方紙に見る「有事法制」議論

[ 目 次 ]
1.はじめに

2.「有事法制」について
3.日米関係について
4.若干の検討

1.はじめに

 「有事」関連法案のための特別委員会が設置された。連休明けからは、実質審議が始まると言われている。新聞紙上などでも、「有事法制」Q&Aやキーワード紹介、解説記事などが散見される。また、全国紙の地方版までも丹念に拾うと、各地で取り組まれている「有事法制」反対運動の動向も、ある程度は把握することができる。「有事」関連法案の閣議決定後だけでも、たとえば、熊本や山口、金沢、佐賀、京都、大津、奈良、鹿児島などの各都市で、反対集会やデモが行われたことが報道されている。しかし他方で、東京・日比谷野音で行われた5000人規模の集会であっても、全ての全国紙から黙殺されることもありうることには注意を要する。
 ところで、全国紙だけではなく、地方紙においても、近時の「有事法制」議論について独特の立場や主張を打ちだしているものが少なくない。確かに、「有事法制」をめぐる見解は、すでに一定提起され流通している。しかし地方紙には、それらに見られない貴重な情報・視点が存しており、「有事法制」を議論するうえでも参考にされるべきだと思われる。そこでこの一文では、「有事法制」と日米関係という2つの観点から、筆者が読むことのできた範囲で、地方紙の主張をとくに社説を中心として紹介し、その特徴を整理することを通じて、1つの情報提供とすることにしたい。

2.「有事法制」について
【法案提出以前】
 「有事」関連法案が国会に提出される以前から、「有事法制」に関する論評はいくつか存在したが、そこではこのタイミングでの法案提出に対する懸念が示されていた。

・「戦争あるいはそれに準ずる非常事態を想定した法整備が、矢継ぎ早に、急ピッチで進んでいる。国の行方を左右する大きな政策転換であるにもかかわらず、本格的に国の将来像を議論する雰囲気は乏しい。時局便乗的法制化という色合いが濃厚で、この先、どこに向かっていくのか、憲法の基本原則は保持されるのか、不安と危ぐを抱かざるを得ないのである。沖縄には、全国の米軍基地の75%が集中している。同時多発テロに伴う観光客の落ち込みは、疑いもなく、基地あるがゆえの被害だった。周辺事態法や有事法制などに沖縄の人たちが過敏になるのは、沖縄戦を体験したというだけでなく、現実に、膨大な米軍基地が集中しているからだ」(『沖縄タイムス』2002年1月7日)
・「首相は有事法制の検討を言った。論議することさえも否定してきた過去は、平和主義を定着させるための一つの経過と考えたい。内に閉じこもるだけの平和主義は、常に現実に裏切られた。といって、憲法の平和主義を廃し、常に『新しい戦争』に備えることが日本の国是にふさわしいとは思えない。偏狭な国粋主義には、民族や宗教の原理主義と同じ危険がつきまとう。有事法制の検討は、国内が危機感と閉そく感に包まれているときに行うべきではない。この雰囲気で強行すれば、歴史の歯車を逆に回す恐れさえある」(『南日本新聞』2001年12月31日)

【法案への賛否】
 法案が閣議決定された翌日付(4月17日付)の社説では、多くの地方紙が「有事法制」問題をとりあげた。

・「有事に自衛隊が法律の壁に突き当たって動けないのでは、日本の安全は守れない。一方、防衛のためとはいえ“超法規的措置”の行動をとったのでは、国民の権利や財産が侵害される恐れがある。有事における自衛隊の活動については、規制を緩和する措置が当然必要だ。そうした措置は、緊急時に国民の権利が無視されないよう、平時に冷静に検討して立法しておくべきだという議論は、理解できる」
「ただ、三法案をめぐっては、いくつか大きな疑問点がある」
「政府と与党は三法案の成立を無理押しせず、慎重に対応してほしい」(『中日新聞』)

 筆者の知るかぎり、同日付の地方紙社説で、一般論として「有事法制」に賛成との立場をここまで明確にしたのは、中日新聞だけである。同日付の他の地方紙社説は、以下のように慎重論が圧倒的に多かった(すべて2002年4月17日付)。

・「国民の権利を制限したり、基本的人権を侵害することもありうる法案である。今年二月の日本世論調査会の調査では、有事法制を『慎重に検討すべき』が63・8%を占めている。あいまいさや疑問点の残る法案だけに、国民が納得いくまで論議を尽くすことが不可欠だ。拙速は厳に慎みたい」(『中国新聞』)
・「『この機に乗じて』という思惑が政府にあるのは確かだろう。法案の内容がぎりぎりまで固まらなかったのをみても、拙速ぶりが見てとれる。当然ながら国民への周知は極めて不十分なままだ。加えて、日本やその周辺で緊急事態が差し迫っているわけでもない。『有事法制は劇薬』との評もあるだけに、今国会中という期限をつけず、時間をかけて慎重に論議すべきだ。法案は国民の私権制限につながる規定を含んでいる。その意味で、国会だけでなく国民レベルの論議が欠かせない」(『愛媛新聞』)
・「冷戦構造の終結で、日本への直接侵略の恐れは薄くなっている。今回の法案は旧ソ連の侵攻に対する備えとして研究が始まった遺物であり、新世紀の情勢に合わない非現実的なものという指摘も一部にある。対象をどう設定するのか、憲法順守の歯止めはかかるのか、数の原理で押し切ることなく、超党派の真剣な議論が欲しい」(『宮崎日日新聞』)
・「国会は今、議員秘書や機密費問題などカネにまつわるスキャンダルでまともな政策論議すらできない状態だ。このような国会にこの重大法案の審議が託せるのか。与野党とも今国会での成立などにこだわらず、じっくり時間をかけてでも国民の腹に入る論議を尽くすべきである」(『高知新聞』)
・「与党は、法案の今国会の成立を目指すとしているが、これまでのように初めから結論ありきの空疎な議論は、絶対に避けなければならない」(『神戸新聞』)

 批判的立場あるいは反対論を明確に主張する新聞もあった(すべて2002年4月17日付)。

・「法案は大規模テロや不審船事件で生じた国民の不安に乗じる意図が濃厚だ。国民保護という肝心の部分の法制化は後回しになり、憲法が保障する基本的人権をどう守るかも不鮮明だ。自衛隊の行動円滑化ばかりに重きを置く法案には賛成できない」(『北海道新聞』)
・「法案の成立は、日本が戦後このかた守り通してきた平和憲法の存立を危うくするもので、絶対に認められない。与党の自民党の中にさえ、反対する動きもあり、国会提出自体が拙速である」
「そもそも、与野党ともに『政治と金』にまつわる疑惑が絶えない今の国会でこのような大事が十分審議できるのか、あるいはその資格があるのか、極めて疑わしい。今まで法整備できなかったのがおかしいとする声が大きいが、今まで法整備できなかったことに見識や政治努力があったことを忘れてはいけない」(『琉球新報』)

【法案の背景や性格】
 法案の背景や性格についても、いくつかの主張が見られた。また、法案に沖縄の視点が欠けていることも批判されている。

・「テロや不審船への対処強化を、防衛出動を前提とする有事と区別すること自体に異論はない。警察・海上保安庁の責任体制をきちんと整備し、自衛隊との連携強化は現行法を基本として行えば十分なはずだ。それなのに政府は、テロや不審船とは直結しない有事法制の整備に踏み切った。国民の間に危惧(きぐ)が広まった機を逃さず、長年の悲願だった自衛隊の行動円滑化を狙った政府と国防族の思惑が見え隠れする」(『北海道新聞』2002年4月17日)
・「有事、つまり戦時対応の法制であり、本格的な有事法制としては戦後初の立法措置である。歴代の自民党政権が極めて慎重だった立法措置で、これは戦後政治のタブーを破る決定と言ってもよい」(『河北新報』2002年4月17日)
・「これらの法律は、米国の軍事戦略の下で、作戦立案の段階から自衛隊を米軍の補完勢力と位置付け、地方自治体や民間の協力を得ながら、アジア・太平洋全域で共同行動を行うための法律、という性格を色濃く備えている。小泉首相が指摘した憲法とのすき間は、広がる一方だ。日本外交の選択肢を狭める可能性も否定できない」(『沖縄タイムス』2002年4月17日)
・「戦後日本の安保政策は、米国の世界戦略に歩調を合わせ、軍事偏重で推移してきた。今回の有事関連三法案は有事への国民総動員にもつながりかねない“軍事安保の総決算”というべきものだが、果たしてそれを許す国民合意はあるのだろうか」(『琉球新報』2002年4月21日)
・「三法案の具体的な中身や問題点は別の機会に取り上げるとして、ここでは、沖縄から見た有事法制の意味について考えてみたい。法制化の議論の中で、その視点がすっぽり抜け落ちているからだ。沖縄にとって有事法制は、沖縄戦の始まる前から今に至るまで、ずっと身近な問題であり続けた。例えば、旧日本軍飛行場用地の所有権回復問題がそうである」
「復帰によって、沖縄にも憲法と安全保障条約が適用された。だが、米軍基地が集中する沖縄では、米軍のための私権制限が復帰後も続いた。公用地暫定使用法や米軍用地収用特措法による未契約米軍用地の強制使用がそれである。基地の過重負担を強いられている沖縄にとって、有事法制のもつ意味は、格段に重い。有事法制が発動されたとき、地域社会に与える影響の度合いが、他地域に比べ格段に大きいことが予想されるからだ。野呂田芳成防衛庁長官(当時)は九九年五月、周辺事態法をめぐる国会審議の中で、『周辺事態』が発生した場合、沖縄県が最も影響を受ける可能性がある、との認識を示した。反響の大きさに驚き、後で発言を訂正したものの、野呂田長官はそのとき『地理的条件から言っても、基地が多く存在することを考えても、言われるようなことがありうるのでは』と語ったのである。本音だと思う」(『沖縄タイムス』2002年4月8日)

【「武力攻撃事態」の範囲・認定手続】
 今回提出された法案の内容についても、様々な問題点が指摘されている。「武力攻撃事態」の範囲や認定手続については、とくに批判のトーンが強い。

・「問題は有事の中身だ。法案は主に日本本土への侵攻を想定している。冷戦構造をそのまま残したような規定で、現実味は乏しいといわざるを得ない」(『愛媛新聞』2002年4月17日)
・「武力攻撃が発生した事態から相手国が宣戦布告や最後通告を発した段階までは客観的事実として把握できる。だが『予測』となると、そこに『判断』という不確実なものが介在してくる。事態の認定基準があいまいになったという指摘は重大だ。それは『判断』次第で、相手国への軍事行動に道を開くからだ。すでに有事法制に関して中国は懸念を表明しているが、周辺国に疑心を抱かせるようなことでは、かえって要らざる緊張を招きかねない」(『高知新聞』2002年4月17日)
・「『有事』の定義は従来、日本に対し『直接の武力侵攻があった事態』などとされていた。しかし、今回の武力攻撃事態法案は武力攻撃が実際に発生した時だけでなく『事態が緊迫し、武力攻撃が予測される事態』と拡大された。実際に武力攻撃があれば、誰の目にも明らかである。しかし、『武力攻撃が予測される事態』ということになると、判断は政府の手に握られる。その時点で常に正当な判断がなされるのか、疑問なしとしない。われわれは過去に正当な判断のできない政権誕生を許し、取り返しのつかない過ちを犯した経験を持つ。次に、すでに成立している周辺事態措置法との関連でも大きな問題がある。周辺事態措置法により、自衛隊が米軍の後方支援を実施している際に、『有事』認定がなされ、国会承認までいくと、対外的には『宣戦布告』と同じ意味を持つものになる」(『琉球新報』2002年4月17日)

【国民の協力】
 国民の協力について、以下のようなものがある。とくに、琉球新報の社説は、歴史をふまえた主張なだけに説得的である。

・「罰則がないとはいえ、法案は『国民は協力に努める』と明記した。国民の協力を義務化すれば、さまざまな理由で協力しない人、できない人を事実上非国民扱いする環境を生む」(『北海道新聞』2002年4月17日)
・「有事法制の法案では、首相が個人や自治体に対し強い権限を持って指示、命令することができるようにしている。自衛隊の権限も強化される。物品や施設の提供など米軍への協力を明記し、これまで以上の関係強化が図られる。自治体や国民の負担は想像を絶する過大なものとなるだろう。従わない場合の罰則も盛り込んでいるが、これは国民の基本的人権の尊重をうたった憲法に反することにならないか」(『東奥日報』2002年4月13日)
・「今回明らかになった国民の協力義務規定は『自治体などが武力攻撃事態に対処措置を実施する際には、国民は必要な協力をするよう努める』としている。この抽象的な表現の『努める』が怖い。はたして憲法の枠内でおさまることなのだろうか。いざ、武力攻撃事態になった場合、憲法で保障された基本的人権を踏みにじられることなく、『必要な協力』をすることは可能なのだろうか。沖縄県民は過去に、信じがたい有事の際、国に『必要以上の協力』をした。国民として、『努める』ことをはるかに超える協力をした経験を持つ。指揮系統を失った『軍隊』になってさえも、水くみなどを命令され、また壕を追い出された。そんな大きな犠牲を払った『協力』でさえ、戦後は国から『証明できない』として、援護法適用を拒否された長い屈辱の時間がある。だからこそ、この抽象的な表現が怖い」(『琉球新報』2002年4月12日)

【集団的自衛権】
 集団的自衛権については、とくに目新しいものはないが、次のようなものがある。

・「有事法制の柱の1つが米軍支援にあるとされ、周辺事態法との関連で、米軍の海外での武力行使を支援するという事態も予想される。こうなると、もはや集団自衛権の行使につながる恐れもあり、憲法秩序の崩壊と言わなければならない。有事3法案に対する賛否は憲法をめぐる本格的な議論として原点に立ち戻るほかない」(『河北新報』2002年4月17日)
・「周辺有事で自衛隊が米軍の後方支援を行うと、日本も相手国から攻撃対象とみなされる危険が高まり、法案でいう有事の対象となる可能性が出てくる。そうなると、集団的自衛権の行使にもつながりかねない。集団的自衛権の行使は憲法上許されない、というのが歴代政府の解釈だ。解釈を変更して行使を認めよ、という意見も根強いが、それでは『専守防衛』という国の基本方針から逸脱してしまうことになる」(『愛媛新聞』2002年4月17日)

【シヴィリアンコントロール・国会関与】
 シヴィリアンコントロールや国会関与の論点については、各社間の問題意識にとくに隔たりがあるようである。次のようなものがあった。

・「武力攻撃事態に至った場合、首相はその認定をはじめ、対処方針、対処措置などからなる対処基本方針案を作成する。防衛出動を命じる場合はその旨も盛り込む。対処措置の主力を担うのは自衛隊と日米安保条約に基づく米軍である。処基本方針案は閣議にかけ、決定後は直ちに国会承認を求める。手続きとして国会の承認を得ることにより、文民統制(シビリアンコントロール)は守られるというわけだ」(『熊本日日新聞』2002年4月17日)
・「性急な法案化は、この種の立法措置で絶対条件になる文民統制(シビリアンコントロール)にも影を落とす。先のテロ特措法で自衛隊出動の国会承認を事前承認ではなく事後承認でよいとしたが、今回の事態法案でも同様の簡略化が行われようとしている。武力攻撃が発生、政府の対処基本方針を国会承認とするのは当然にしても、その後の自衛隊の出動には国会承認を必要としないとする。緊急時の二度手間を避けるというのが理由だが、シビリアンコントロールには二重三重の安全弁を用意することが基本だ。それへの不安はないのだろうか」(『高知新聞』2002年4月17日)

【住民保護・「国民の安全」】
 住民保護や「国民の安全」を後回しにしたことについて批判する論調も見られる。

・「気になるのは今回の関連三法案では自衛隊と米軍の行動が円滑に行われることに力点が置かれ、住民の避難や被災者救助など『国民の安全』に関する法的整備が後回しになっていることだ。政府にとっては悲願の有事法制かもしれないが、国民に理解され、受け入れられるものでなければ効力は期待できない」(『熊本日日新聞』2002年4月17日)

【テロ対策】
 今回の法案がテロ対策を後回しにしたことにも批判が向けられている。

・「ただ、三法案をめぐっては、いくつか大きな疑問点がある。テロ事件に備える法制度さえ整っていないのに、なぜ武力攻撃事態に備える三法案の審議を優先するのかという立法順序の問題は、その例だ。かつて日本に対する脅威と仮想されたロシアは、冷戦終結後、軍事力が縮小し、即応態勢も低下した。逆に、昨年末の不審船事件は、小規模集団によるテロ事件の不安をかきたてた。備えを強化しなければならないのは、武力攻撃事態よりも、テロの方ではないのか」(『中日新聞』2002年4月17日)
・「万一のときに国民の生命、財産を守ることが、国家の最大の務めである。小泉純一郎首相も『備えあれば憂いなし』と必要性を強調する。有事に備えた行動指針を整備することは必要だろう。ただ、武力攻撃事態法案は、冷戦時代に想定された日本への武力攻撃を前提に検討されたものだ。冷戦が終わり、むしろテロや武装不審船などが『新たな脅威』になっている。これに対処することこそ急がれるのではないか」(『中国新聞』2002年4月17日)

【沖縄戦】
 沖縄戦との関連についても言及されている。

・「武力攻撃事態法案は、国民に対し『必要な協力をするよう努める』ことを盛り込んだ。自衛隊法改正案は、陣地構築時の土地収用など、私権制限を定めている。しかし、有事の国民保護の法制化は後回しにされた。この事実は、沖縄戦の際、住民保護を事実上放棄した旧日本軍の作戦行動を思い起こさせる。沖縄戦と米軍政の生々しい記憶をもち、今なお、膨大な米軍基地を抱える沖縄にとって、有事法制は『不吉な法律』だ。人類の理想を言い表した憲法九条を粗末に扱えば、日本は方向感覚を失うことになるだろう」(『沖縄タイムス』2002年4月17日)

【靖国参拝】
 小泉純一郎内閣総理大臣の靖国参拝を「有事法制」との関係で指摘したものもある。

・「では、本当に『いい時期』なのだろうか。日中をめぐっては、国交正常化30周年を控える。日韓をめぐっては、サッカーワールドカップ(W杯)の共催開幕を目前とした時期である。さらに、アジア諸国にとって重大な関心を寄せる有事法制について、戦後内閣として初めて法案化に踏み切ったばかりである。あたかも、有事法制のひとつの精神的よりどころとして、靖国神社へ参拝したかと余計な勘ぐりをも招きかねない微妙な時期なのである」(『河北新報』2002年4月23日)

3.日米関係について
【サンフランシスコ条約・日米安保条約50周年】
 「有事法制」議論においては、アメリカとの関係をどう考えるのかが1つの論点となるが、その前提として、日米安保体制の50年について、以下のような評価があることをまず確認しておきたい。

・「これ(サンフランシスコ条約・日米安保条約)によってスタートした米国との深い同盟関係抜きには、世界第二の経済大国まで登り詰めた日本を語ることはできない」
「二十一世紀の幕開けと同時に五十年を迎えた日米同盟関係に求められるのは、軍事同盟的な色彩の強い二国関係から抜け出し、いかに北東アジアに平和的な安全保障の枠組みを築いていくかということだろう。そのためにも日本は近隣諸国との信頼関係を損なわないための不断の努力が必要だ。対米関係に比べて近隣諸国への接し方が弱いように思える小泉純一郎首相の姿勢が気になる」(『中国新聞』2001年9月8日)
・「一九五一年九月八日、サンフランシスコで講和条約が調印されてから、きょうでちょうど五十年になる。日米両政府は、同じ日に、サンフランシスコの別の場所で、日米安全保障条約(旧)に調印した。講和条約は、過度の賠償請求を慎む、など全体として『非懲罰的』で『寛大』な内容だった。日本を西側陣営に組み込む必要があったからだ。戦後日本の復興とその後の高度成長は、確かに、サンフランシスコ体制によるところが大きい」(『沖縄タイムス』2001年9月8日)

 また、福島民報社編集顧問の手による「論説」のページでは、次のような主張もあった。

・「講和条約と並行して日米安保条約が結ばれた。軍備面は米軍が担当、日本はせっせと経済発展に尽くしてきた。おかげで世界有数の経済大国に成長、平和な暮らしを満喫した。時代が時代、それはそれで賢明な選択ではあったが、防衛を他国に預けた結果、何を国民の精神に残したか。日本は自分たちで自国を守るという世界で常識の自立の精神と誇りを失い、国や社会の問題に積極的に取り組むという心構えを育てなかったのではなかろうかと考えている。冷戦が終わり、日米安保条約の見直しの声もある。当然の意見であるが、日本の近くにはテポドンを発射した北朝鮮があり、日本を射程内に入れたノドン弾道ミサイルを実戦配備している。中国は軍備増強、中でも核兵器の近代化に努めている。中国と台湾間の問題は未解決だ。インドとパキスタンは核実験の競争をした。わが国の周辺はいつ何が起きるか予測がつかない。安保条約はやはり必要なのである。安保条約を実効あらしめるためにも日本側の集団自衛権に対する考えを改めることだ。従来、政府は『日本には集団自衛権はあるが、行使できない』と憲法解釈している。この解釈では日本国周辺で同盟国米軍が攻撃されても日本は自国が攻められてるのでないと手だしをしないということ。言い換えれば電車内で親友が暴漢に襲われても『われ関せず』と知らぬふりをするのと同じだ。こんなことがあったら米国民は直ちに同盟解消と激高するだろう。国益を守るためにも常識ある国になることが重要なのだ」(『福島民報』2001年9月11日)

【負の遺産】
 福島民報のやや一面的な肯定論とは一線を画す見解もある。

・「沖縄戦で壊滅的な打撃を受けた沖縄は、サンフランシスコ講和条約によって日本本土から分離され、米国の排他的な施政権の下で、二十七年間にわたって、宙づりの状態に置かれたのである。東京の街に『祝講和』という横断幕が掲げられた日は、沖縄にとって、新たな苦難の始まりの日であった。戦後沖縄を丸ごと描いた長編小説『まぼろしの祖国』の中で、作者の大城立裕さんは、登場人物の一人に語らせている。『沖縄には、古今を通じて潜在主権しかないのかもしれませんね』。この何げない一言は、復帰二十九年を経た今なお、胸に響くものがある。講和条約の負の遺産は、果たして清算されたといえるのだろうか」
 「代償も大きかった。沖縄・奄美・小笠原の分離を認め、沖縄の軍事要塞(ようさい)化を招いただけではない。最も戦争の被害を被った中国代表は講和会議に招請されなかった。日本は長い間、冷戦の下で大陸政府(中華人民共和国)を敵視する政策を取り続けてきた。台湾、朝鮮など日本に住む旧植民地住民は、帝国臣民として戦争に参加したにもかかわらず、講和条約によって外国人と見なされ、援護法の適用を受けることができなかった。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とはいまだに国交がなく、植民地支配の責任も果たしていない。戦後日本は疑いもなく冷戦の受益者だった。だが、経済が豊かになったのに見合うだけの道義的な態度を戦争被害を受けたアジアの人々に示し、信頼を回復したと言えるだろうか。今なお『歴史問題』をめぐって近隣諸国と摩擦が絶えないのは、過去と誠実に向き合ってこなかったからではないか」(『沖縄タイムス』2001年9月8日)
・「講和条約から半世紀、二十一世紀を歩み出したいまこそ、新たな羅針盤、対米関係を『対等な関係』にする新たな羅針盤をつくるときではないか。だが、現実は安保条約の下での従属的な関係が、いっそう顕著になっていくように見える」(『神戸新聞』2001年9月8日)
・「比ゆ的に言えば、沖縄は『閉じられた四畳半の部屋に紫煙が充満している状態』なのである。永田町や霞が関で行われる安全保障の議論に欠落していると思うのは、四畳半の部屋に住む人々の視点である。 対日講和条約が発効して、今年でちょうど五十年。施政権が返還されてから今年で三十年。冷戦の終えんから数えても、十年余りの歳月がたつ。沖縄に過重負担を押し付けるいびつな基地政策は、国民が安全保障問題を自分たちの身近な課題として考える機会を奪っているだけではない。基地問題をあたかも、沖縄の人々だけに関係のある『沖縄問題』であるかのように錯覚するひずみをも生んでいるのである。講和条約の発効以来、この構図は基本的に変わっていない。稲嶺恵一知事が折に触れて強調するように、沖縄の基地問題は、決して『沖縄問題』なのではない。政府と国民全体が解決すべきオール・ジャパンの問題である」(『沖縄タイムス』2002年1月7日)

【今後の課題】
 日米安保体制の50年をふりかえったうえで、日米関係の今後の課題を指摘する論調も少なくない。

・「日本外交が目指すべきは、中国や北朝鮮の脅威を強調して軍事的対立の構図をつくり出すことではなく、負の遺産の処理に積極的に取り組み、近隣諸国と新しい関係を築くことである。こちらが脅威を感じているときは、あちらも同じように脅威を感じているときだ。その連鎖を断ち、安定した秩序を築くための、協調体制の橋渡しの役割こそ日本は果たすべきである」(『沖縄タイムス』2001年9月8日)
・「冷戦後の安保体制とは何か。いま、日本の主体性が問われているのではないか。冷戦下で押さえられていた『先の戦争』の日本の加害責任が、アジアの被害者から訴訟の形で起こされている。講和の意味が五十年を経て問い直されている。平和憲法の下で、諸外国に軍事関与をしなかった日本のスタンスを、国際平和に生かす方策こそ考えるべきではないか。主体性をもって主張し、協力し合う対米、アジア関係こそ、新たな羅針盤に求められる」(『神戸新聞』2001年9月8日)
・「日本は米国に遠慮せず注文をつけ、『対米追随』批判を払拭する必要がある。ブッシュ政権は最近、京都議定書の離脱、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准努力の放棄、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約からの離脱姿勢、さらにはミサイル防衛構想の推進などに見られるように、身勝手な言い分を押し通そうとしている。『揺るぎなき同盟』(小泉首相)と胸を張るのであれば、今こそ『言うべきことは言う』姿勢を明示するべきだ」(『中国新聞』2001年9月8日)
・「ただ、日本は米側の期待にこたえることもない。むしろ、米国の歩む路線とは一定の距離を置く時期にきているのではないか。米国は北大西洋条約機構(NATO)加盟の西欧諸国との同盟関係で亀裂を生じさせている。自らの軍事力を突出させる一極世界をつくり出しているからだ。このことはブッシュ大統領がイラン、イラク、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を『悪の枢軸』と名指ししたことにより、一層鮮明になった。フランスのベドリヌ外相は『一方的で単純な米国の世界観は世界にとって新たな脅威』、ドイツのフィッシャー外相は『同盟国は衛星国ではない』と不快感を隠さない。これらの見識は米国の独走にくぎを刺す意味で貴重だ。同じ同盟関係にある日本とは大きな違いがある。ブッシュ大統領の先の訪日は、西欧の同盟諸国からの批判をかわし、米国に協調する日本を期待したものでもある。その期待通り、小泉首相はイラクに対する軍事攻撃の支援についてまで、米側が『白地手形を受け取った』と拡大解釈しかねないほど踏み込んで、言及した。周辺事態措置法や今回のテロ特措法など日本は既に十分すぎるほど米国寄りの路線をとってきた。これ以上、米国にすり寄るべきではない。憲法の原点に戻り、自主的な平和外交に徹することこそが日本の取る道だ」(『琉球新報』2002年3月3日)

 最後に、沖縄にとってのサンフランシスコ条約の意味と今後の外交政策について。

・「この日(4月28日)を沖縄の人々は『屈辱の日』としてとらえた。一九六〇年には復帰協が結成され、本土の運動も呼応し、沖縄返還国民総決起の日として位置付けられ、復帰行進、海上集会などが取り組まれた。沖縄の大衆運動には、『4・28』のほか、『5・15』(復帰の日)、『6・23』(慰霊の日)、『10・21』(国際反戦デー、九五年の米兵による少女乱暴事件に対する抗議の県民総決起大会)など節目の日がある。いずれも『戦争と軍事基地』、『サンフランシスコ体制』というキーワードでくくれる。屈辱をばねに県民のエネルギーを結集し、日米両政府を動かし、復帰を実現したのは、大衆運動の大きな成果である。しかし、まだサンフランシスコ体制の壁を超えるまでには至っていない」
 「米中枢同時テロ以降、ブッシュ米政権は『われわれの味方か、さもなくばテロリストの味方だ』(昨年九月二十日の上下両院での演説)と、『善か悪か』の二元論の政策で迫っている。戦時に初めて自衛隊を米軍支援で海外へ派遣することを可能にしたテロ対策特別措置法の制定、現在国会で審議中の有事関連法案などにみられるように、ブッシュ政権の軍事、外交政策の影響は、小泉政権を極端な対米追従の姿勢に走らせている。米国内にも『敵の二元論に、こちらが正しいのだという二元論で対抗するべきではない』(ハーバード大学のスタンリー・ホフマン教授)のような批判的な見方もある。暴力の報復の繰り返しを断つには、二元論的方法に限界があるのは間違いない。沖縄の大衆闘争の手法は、非暴力という点では、ブッシュ政権やイスラム原理主義過激派組織が取ってきた方法の対極にある。基地問題の解決を例にとっても、歩みはひどく遅いが、人命を失わせることなく、民主的、合法的な手段で沖縄社会を前進させてきた点では評価されていいのではないか。この半世紀、沖縄の大衆闘争は高揚と低迷の周期をたどってきた。次の展開へ向かうことができないもどかしさはある。保守、革新、その政治的な立場はどうあれ、県民がまとまって両政府に当たらなければ、政府を動かすことはできない。これまでの愚直さにもう一つ将来への構想力を加えた大衆闘争で県民世論をまとめ、基地温存と対米追従の外交政策を取っ払うように政府を説得していくしかない」(『琉球新報』2002年4月28日)

4.若干の検討

 本来、前述を受けて検討を行うためにも、各紙の方針や地域的事情などをまず始めにふまえておくべきだろう。しかし、今回それを行っていない。予めご了解いただきたい。
 地方紙における「有事法制」議論の最大の特徴は、政府提出の今回の法案に対して賛成を表明する新聞が1つも存在しないことである(少なくとも筆者の読みえた範囲内では)。一般論としては「有事法制」に賛成ないしは理解を示す新聞も、「武力攻撃事態」の範囲や集団的自衛権などの問題を根拠に、今回の法案には慎重あるいは反対の立場をとっている場合が多い。
 また、法案の内容とは別に、今国会が「有事法制」を議論する場としてふさわしくないことを指摘するものも少なくない。前述以外にも、たとえば次のようなものがある。

「現在の国会のあり方は怖い。かつてタブー視された周辺事態措置法や国旗国歌法などを次々と成立させた『言論の府』のあり方に、言い知れぬ恐怖感がある。『数』こそを正義にして、議論することを放棄した国会だ。しかも疑惑、不正が続出し、国民の政治不信が高まっている。景気も先が見えない。こんな時期に、どれほど議論する時間を、この法案のために保証できるのだろうか。まず、健全な議会を取り戻すことが先だ。目先の利益を追う議員が多いようでは、国家の大事である国防を論議する舞台はまだ整えられていない」(『琉球新報』2002年4月12日)

 「有事」関連法案が、広範な関心を呼んでいるわけでもなく、また国民的議論が盛りあがっているわけでもない状況をふまえて、拙速な審議・議決を慎むよう求めているというのが、おそらくは各紙の主張の最大公約数だと思われる。
 もっとも、今国会が「有事法制」を議論する場としてふさわしくないという認識が、少なくとも小泉政権の下では議論するのにふさわしくないという認識に発展するまでには、それほどの距離はないようにも思われる。すでに、小泉政権(とくに小泉純一郎首相)の憲法感覚に対する批判的なスタンスは、少なくない地方紙で見られている。靖国参拝に対する論評や、対テロ特措法や「有事」関連法案についての小泉首相のコメント(「常識で行こう」「備えあれば憂いなし」など)に対する評価は、かなり厳しいものであった。最近でも、たとえば愛媛新聞2002年4月26日付の社説が、『小泉政権1年 パフォーマンス政治の危うさ』との見出しで、「いま、内閣支持率は40%。国民は失望しながらも期待をつないでいる。靖国参拝や、有事法制、メディア規制法で存在感を発揮するだけなら、国民に危うさをふりまくだけである」と述べている。そもそも「有事法制」というものが、現憲法の部分的「停止」を伴ってもなお1つの憲法秩序を維持しようとし、同時に可及的速やかに原状回復を目指すべき性質のものであるとするならば、そしてそれが必然的にある種の人権制限と権力集中を内容とするものなのであるならば、その法案を提出するのがはたして小泉政権で適当なのかどうかは、すでに結論のはっきりしている事柄であろう。先に挙げたコメントの他にも、「頭のおかしな人がいる」(靖国参拝が政教分離に反するとして提訴されたのを受けて)、「国民的常識からみれば、自衛隊はだれが見ても戦力を持っている」、「最高裁判所は自衛隊は憲法違反ではないとの判決を下している」、「本音で議論しよう。憲法そのものも国際常識に合わないところがある」といった発言を繰り返す人物から、憲法への誠実さを感じとることは困難である。
 ところで、法案の問題点については、すでに様々な視点からの指摘がある程度なされているが、なぜか地方自治の観点からの批判はそれほど多くはない。今回の法案では、自治体が指示に従わない場合や、特に必要があり緊急を要するとされる場合には、首相は別の法律で定めるところにしたがって代執行や直接執行の措置をとることできるとされており、地方自治の観点からも非常に問題のある内容になっている。この観点からの批判が少ないのは残念である。
 あわせて、「有事」的発想が有する原理的問題点(たとえば、「有事」的発想に内在する「統合」と「排除」の作用が社会的マイノリティに与えるインパクトや、予想されるマスメディアや教育への影響など)にまでふみこんだ見解も、まだほとんど見あたらない。こうした傾向は、地方紙の現在の態度が、あくまで今回の法案に対しての慎重な立場にとどまるのであって、「有事」的発想一般への否定を意味するわけでないことを裏づけていると言える。ただ、そんななかにあって、琉球新報2002年4月21日付の社説が、『「人間安全保障」・沖縄から主張していこう』との見出しをつけ、次のように主張しているのは注目に値する。

・「有事関連三法案が国会に提出され、軍事偏重の安全保障論議が繰り返されようとしている。この方向にはっきり異を唱えたい。平和憲法を持つ国として今なすべきことは、人間を中心に据えた包括的安全保障、すなわち『人間安全保障』の確立・実践であるべきだ」

 こうした主張は、沖縄戦と米占領という歴史的教訓から導かれたものであり、とくに戦後沖縄が米軍の下で「有事」体制を実際に経験してきたことをもあわせれば、極めて重いものとして受けとめられるべきである。「有事法制」について、沖縄の発言権は強いものであってよいはずである。
 連休明けから、「有事法制」議論は本格化する。その際、法案の問題点とねらいを徹底的に明らかにしていくのとあわせて、先の琉球新報の社説にあるようなオータナティブを提示していくことも重要であると考える。多くの新聞には、まだこうした傾向は見られない。とするなら、それは私たちの課題とも言えるかもしれない。「有事」的発想が有する原理的問題点にまで遡った批判と、そうした「有事」的発想によらない安全保障ヴィジョンの積極的な提起――これらはいま求められているものの1つであろう。
 「有事法制」反対の取り組みも、いよいよ正念場である。

2002.05.03
I・M(早稲田大学)

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