憲法調査会の審議状況

I. 憲法調査会の設置
 1999年7月に成立した国会法「改正」により、2000年1月20日に召集された第147通常国会から衆・参両院に憲法調査会が設置された。5年を目途に憲法について「広範かつ総合的に調査」し、議長に報告書を提出するものとされている。まず成立にいたる経緯を簡単にふりかえっておこう。
 94年には社会党が臨時大会で自衛隊合憲・安保堅持へと政策転換し、その年の11月3日には読売新聞が改憲試案を公表している。日米安保共同宣言が出された直後の96年5月には新進党(当時)憲法調査会の会長だった愛知和男が改憲試案を公表し、97年5月には中山太郎を会長として「憲法制度調査委員会推進議員連盟」が発足し、中曽根康弘氏の「高度民主主義民定憲法草案」も公表されている。さらに公明党・民主党もいわゆる「論憲」の立場を明確にするようになる。そこで民主党や公明党をも取り込むために、両院の議院運営委員会理事会で憲法調査会には「議案提出権がないことを確認する」との申し合わせをするという妥協を図って成立が実現したものである。しかし当然のことながら、憲法調査会の内外では、これが改憲のための重要なステップであることが率直に語られている。

II. 憲法調査会の議事録を読んで
 衆・参両院に設置された憲法調査会は、第147国会ではほぼ月2回のペースで審議を重ね、衆議院で10回、参議院では8回開かれた。憲法調査会は国会閉会中にも開催できることになっているが、その後解散・総選挙があり、衆議院で8月3日に新しい調査会メンバーによる自由討議が行なわれただけで長い休みが続いた。9月に招集された第150国会では、衆議院では月2回のペースが維持されたが、参議院ではKSD問題で村上正邦井会長と小山孝雄幹事の足元に火がついたためか、わずか2回しか開催されなかった。2001年1月招集の第151通常国会では、参院の調査会会長が上杉光弘に交代し、衆・参ともにほぼ月2回の調査会が開催された。
 147国会では、衆議院では2人づつ計10名の参考人を呼んで制定過程の調査から開始された。第8回第9回は自由討議で、第10回では最高裁事務局から参考人を呼んで違憲審査について調査している。参議院は独自性を出そうとして、ドイツ文学者や民俗学者を呼んだりユーゴでのボランティア経験を聞いたり、学生の意見を聞いたり、占領軍総司令部の民政局のメンバーとして日本国憲法の草案作成に携わったベアテ・シロタ・ゴードンさんらを招いたりと、多様な分野からの参考人を招いてきた。第150国会では衆議院は「二一世紀の日本のあるべき姿」をテーマとし、これまた後述するような「多彩な」参考人を招いての「調査」を行ない、これが151国会にも引き継がれている。また9月中旬には衆議院が調査会のメンバーをヨーロッパに派遣しての調査を行ない、2001年1月には参院がアメリカでの調査を行なっている。
 以下では、2000年1月の衆・参の憲法調査会の発足から第151国会の2001年6月までの議事録を読んでの印象・感想を述べてみたい。

 1 押しつけ憲法論の破綻と新しい改憲イデオロギー
 まず、改憲派の一部が主張してきたいわゆる「押しつけ憲法」論は完全に破綻した。西修・青山武憲という名うての改憲論者以外の参考人は、すべてこれを明確に否定している。青山氏も現憲法が無効だと言っているわけではない。押しつけとも言える個々の事実が存在したことはどの参考人も否定していないが、松本烝治憲法問題担当大臣が「押しつけ」だと感じた感情・情緒を重視すべきではないこと(古関彰一独協大教授・高橋正俊香川大教授)、むしろ当時の幣原喜重郎や吉田茂などは天皇制を維持するためにGHQ案を主体的に「受け入れ」たものであること(五百旗頭真神戸大教授)、憲法の効力は「支える意思と支える諸力の関数として存在」するものであること(高橋正俊)、過去の事実は事実としてそれを改憲や現在の憲法への向き合い方に直結させるべきではないこと(北岡伸一東大教授・進藤榮一筑波大教授・五百旗頭)、憲法制定過程をより広い歴史的・国際的背景の中でとらえるべきこと(進藤榮一)などが各参考人から指摘されていた。
 これに代わる改憲のイデオロギーとして浮上してきたのが、一言でいえば第150国会および151国会の衆院憲法調査会のテーマとなった「二一世紀日本論」であるが、これについては後述する。

 2 改憲を必要とされる中身とは?
 改憲派のメンバーが具体的に主張しているのは、環境権・プライバシー権などの保障、外国人の人権、八九条と私学助成との矛盾、人権と公共の福祉との矛盾・その調整の必要性、あるいは国際社会の平和の実現のために積極的に「貢献」するための九条の見直し、阪神淡路大震災・オウム真理教事件などの緊急事態・危機管理への対応規定の欠如、日本独自の伝統や文化の欠落、二院制の見直し、首相公選制など、従来から言われてきたことが多い。また犯罪被害者の人権がないと言うなど、利用できるものはなんでもという感じである。これらの一つ一つに反論していくことが必要であるが、ここでは人権論について一言だけ述べておきたい。
 もともと人権というものは、憲法で明示的に規定されたものしか保障されないとは考えられていない。法律を制定してプライバシーの権利や環境権を保障することも可能であるし、たとえ法律がなくても、日本国憲法の場合には一三条の幸福追求権などを根拠にして裁判によって新しい人権を認めることも一定程度可能である。むしろそうした努力に背を向け、水をかけてきた人たちが、改憲に国民を引き込むための口実として持ち出しているところにこの議論のおかしさがある。
 また逆に、憲法に書き込みさえすればそれだけで人権保障が実現するというようなものでもない。議会や内閣、裁判所、そして何より国民の不断の努力があってこそ人権は守られ発展するものである。これは人権に限らず法についての基本的常識であるが、この常識を知らない規範万能主義の考え方が国会議員のなかにさえ多数存在することに驚かされる。たとえば表現の自由を保障した憲法のもとでも、他人の名誉を毀損するような表現は許されないことは当然のこととして裁判上も学説上も処理されている。では表現の自由にはこのような例外があることを全部憲法に明記しなければならないのだろうか。そんなことはこれまでだれも主張したことはないのだが、改憲派の主張はこれに類するものなのである。
 本年5月2日の朝日新聞でも、「漂泊する憲法調査会」とのタイトルのもと、深まらぬ議論、欠席・早退・居眠り・内職・私語が多く、「学級崩壊状態」と書いている。調査会に入って初めて憲法を読んだという委員もいるようだが、調査会のメンバーおよび憲法学・法律学を専門としていない参考人の憲法学あるいは法律(解釈)学に対する無知・無理解には驚かされることが多い。一般教養としての憲法学や法学入門の講義でさえ取り上げられるような、きわめて初歩的な知識・理解さえも欠如している人たちが、まことに恣意的な議論を展開していたり、あるいは法学部出身者や法律専門家の場合でさえ、数十年前の学生時代に習ったままの古い知識・レベルのままで議論している例が少なからずみられる。そのような調査会委員が「肝心の憲法学者がこれまた本当に無関心、……大抵の人が、来てくれませんかと言いますと、いや忙しい、いや日程が詰まっているとかいって顔を出さない。何の日程が詰まっているのか、多分ゴルフの日程でも詰まっているんでしょうかね」「憲法学者はまことにもって無責任である、ひきょうである、卑劣である」(佐藤道夫)とか「学者はいいな、国民の生命と財産、暮らしに責任を持たなくていいから」(松浪健四郎)などの非難を浴びせている。今述べた点もそうであるし、以下にいくつか紹介する諸問題についても同様であるが、参考人や憲法調査会メンバーの発言を見ていると、憲法について論じているにも関わらず憲法学がこれまでに蓄積してきたものについての理解の欠如、議論のレベルの低さに情けなくなる。かつて内閣に設置された憲法調査会は、政治的なねらいや意味はともかくとして、七年間かけて憲法制定過程を中心に膨大な調査を行い報告書を作成しており、これはこれとして後の研究者にとっても利用価値のあるものとなっている。しかし現在の憲法調査会の議事録を30年後に読んだ人は、その議論のレベルに驚きあきれるのではなかろうか。

 3 条文のあいまいさ?
 このことに関連して、憲法規定の意味があいまい・不明確で議論が絶えないから簡潔・明確なものに改める必要があるという発言がしばしばみられた。これも改憲イデオロギーの一つともいえるが、むしろ法についての常識の欠如といった方が正しいだろう。
 第一に、そもそも日常言語を使って神ならぬ人間がつくった法律条文からあいまいさ・不明確さを完全に除去することはおよそ不可能である。したがって、憲法に限らず通常の法律であろうとも、専門家がどれほど万全の注意をはらって制定したとしても、その条文の意味理解をめぐって意見が分かれることはどこの国でも常に起こりうる。さらに言えば、法というものは紛争・対立があるからこそ必要とされるわけで、その対立している両当事者が、自己に都合のいいように法を理解し解釈しようとするということもあたりまえであり、その点からも法の理解・解釈をめぐる意見の別れは必然的である。したがって法律条文をめぐっては、そのほとんどすべての条文について解釈の対立がある。現行日本国憲法の出来が特別に悪いから対立が生じている、というわけではないのである。
 もちろん現行日本国憲法の条文についてあいまいさが全くないなどとは言えないが、それは解釈論の対決のなかで、最終的には裁判所の判断によって、あるいは慣行の蓄積等によって、合理的な決着が可能な場合がほとんどであり、一定の範囲内では条文の意味理解が時とともに変化することもありうることである。
 第二に、このようなあいまいさの例としてしばしば取り上げられるのが憲法九条であるが、これについては上記のような法の解釈一般の問題とは少し異なる事情がある。すなわち、これがあらゆる戦力・軍事力を全面的に禁じたものであることは、1950年代初めまでは疑う人はほとんどいなかったはずである。
 たとえば1949年文部省発行の副教材『あたらしい憲法のはなし』では、あらゆる戦力の放棄と戦争の放棄が明確に書かれている。ところがこの書物は、第二次大戦で「天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば」として、天皇を助けた政治家が「国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです」と書かれていたり、戦争に行った父や兄が帰ってこなかったり空襲で家や家族を亡くしたという国民の被害者意識しか書かれていないなど、こんにちの私たちからみればきわめて多くの問題点が含まれている。しかし天皇や日本国の戦争責任についても戦力放棄についても、その評価は別としてここに書かれていることは、ともに当時の常識であり圧倒的に多くの国民の共通の認識だったと考えるほうが正しいであろう。そしてまた今日でも、憲法学者の中で自衛隊が合憲であるとの解釈論を説得力あるかたちで展開できている人は一人もいないのであり、解釈論的には九条の意味はかなり明確なのである。これに対して自衛隊が合憲だなどという主張は、自らが作り出した軍隊を正当化するという現実の政治的必要から政府がきわめて恣意的で強引な解釈をしたものであるにすぎず、とても解釈論的な吟味に耐え得るようなものではない。だからこそ自衛隊の違憲性が争われてきた裁判においても、最高裁を含めて明確な合憲判決はこれまでに一件も出ていないのである。九条の意味があいまいだなどというのは、無理やり自衛隊を創設した後にその合憲論にも合理性があるかのように見せかけるために言い出されたにすぎない。
 文部省による教科書検定において、世界や国民の常識、学問の世界の圧倒的な常識を書いたにすぎない場合でも、それとは異なる見解をもつ人がいるのだから、という理由でそのような断定的な書き方はしてはならないなどとの修正意見が付けられることがある。その場合にも、学問的にはまったく評価されていない独自の主張をしている右翼的学者が一人でも存在すれば、それがこうした検定意見の正当化の根拠とされているのである。「九条があいまいだ、専門家である学者の見解でさえ分かれている」という扇千景国土交通相の発言、「20条の政教分離や89条の私学助成もしょっちゅう解釈が食い違い、議論になる。国家国民にとって重大な事項が解釈や運用によって結果が変わるといったことでは最高法規たりえない」という高市早苗発言などはこれと同じ種類・程度の議論である。
 また先に述べたように憲法制定時には予想されていなかった新しい事態が生じていることは事実である。しかしその場合に憲法が新しい事態への対応にとって障害となっているのかといえば、けっしてそうではない。日本国憲法の人権規定はかなり詳細であるうえに懐が深くて新しい人権への対応をある程度可能にしているから、改憲しなければどうしても困るという問題は、人権に関していえばほとんどないといってもよい。
 第三に、九条に関して典型的なように、憲法から逸脱した現実をまともな解釈論ともいえない「理屈」で正当化してきたのが歴代の自民党政府である。したがって、こうした政府の姿勢が変わらないかぎりは、どんなに明確な表現に憲法をつくり変えたとしても、政府与党にとって都合が悪くなればいつでも憲法を無視した現実をつくりだし、これを無理な「解釈」で正当化するということがくり返されるにすぎない。憲法より先に変えられるべきはこうした日本の政治のあり方のほうであろう。

 4 法律解釈の技術性
 詳しく述べる余裕はないが、民法では場合によっては条文の文字にとらわれない緩やかな解釈が可能でもあり必要でもあるのに対して、国家の刑罰権の発動を安易に拡大しないために刑法の場合には厳格な解釈が要求される。これは形式的には矛盾しているようにみえるかもしれないが、法の世界では常識である。なぜならば、民事法というのは、対等平等な市民間の紛争を、両者が立場を交換すればなるほどと思えるように、できるだけ円満・妥当に解決するための基準であり、そのためには法律条文のなかの言葉の意味を本来の意味からすればちょっと外れているかなと思えるように解釈することもある程度許されるのである。これに対して刑罰というのは直接的に国民と権力との関係である。近年では被害者の人権を根拠にして厳罰化を正当化するような議論があるが、刑事裁判で争っているのは被害者と加害者という国民同士ではなく国家権力と国民である。そこにおいて刑罰権の安易な発動、厳罰化を認めればそれだけ権力への枠付が緩められ、国民の生命(死刑)財産(罰金刑)自由(懲役・禁錮)にとって脅威となる。だから刑事法は厳格に解釈されなければならず、条文の言葉の意味から大きく外れることは許されないのである。では憲法の場合はどうか。国民の人権を確保して権力の恣意的な発動を抑えるという憲法理念からすれば、同じ憲法典のなかで、人権保障を拡大する解釈はある限界内ではあれ可能だが、権力行使に枠をはめている統治機構や九条については厳格に解釈されなければならないということも、論理必然的であり、法律家にとっては常識である。ところが憲法学者のこうした解釈論を「矛盾」だと揶揄している参考人の発言もみられた。しかもこれに対して「護憲」派の委員からの批判・反論もなされていない。こうした法律「解釈」の技術性・専門性も調査会メンバーにはほとんど理解されていないようである。

 5 近代立憲主義・近代憲法の基本
 近代的意味の憲法あるいは立憲的意味の憲法とは、たんに国家の基本構造・統治構造を定めた文書ではない。個人の尊重を基礎とし、その生存のために必要な人権を確保し実現するために、権力者の権力行使のあり方に枠をはめるためのものであり、国民から権力者に「押しつけ」た契約書が憲法である。憲法を制定するということは契約によって国家をつくるという考えに立つということであり、自然国家(中曽根康弘)を否定することでもある。したがって憲法には、権力者に守らせるべき国民の人権が書いてあっても義務規定がない、あるいは少ないというのはしごく当然のことである。また九九条が憲法を尊重し擁護する義務を、国民にではなく公務員にのみ課していることも当然のこととなる。ところが改憲を主張する人たち、というよりも日本で権力をもっている人たちのなかには、憲法の人権重視が我慢ならないと考えている人が多いようである。秩序維持などを名目としつつ、人権への制限を明記するなどして権力の発動がしやすいように憲法を変え、そのような憲法を「国民」に守らせたいという意識が高市早苗発言などに強くみられる。小淵元首相は政府広報番組で「権利の記述が義務に比べてずっと多い」と発言していたし、自民党憲法調査会の文書にも同様のことが書かれている。さらに読売新聞の改憲試案にも、「この憲法は、日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない」という規定がある。読売新聞を含めて日本で現在権力を握っている人たちには、憲法は自分たちの権力行使を縛るためのものだという認識がそもそも欠落しているかきわめて薄弱だといわざるをえない。そしてこうした立場を正当化するために持ち出すのが、「日本の伝統」ということになる。すなわち国王権力と国民とが鋭く対立したヨーロッパとは異なり、日本では「17条の憲法」?の最初にあるように「和をもって尊しとなす」が基本であり、天皇と国民、治者と被治者とは対立していない!、という議論である。これが権力者にとってきわめて都合のよい議論であることは間違いない。国民が権力者に憲法を守らせるという近代憲法の立場を維持するのか、それとも権力者が自分たちに都合のよい憲法を国民に押しつけるのか、これは憲法の根本問題である。

 6 歴史研究と憲法解釈論との混同
 村田晃嗣、北岡伸一、進藤榮一、五百旗頭真という政治学畑の参考人はこぞって、憲法制定の帝国議会において九条二項の冒頭に芦田均が挿入した「前項の目的を達するため」という文言(芦田修正)に触れていた。そして彼らは、GHQ民政局のケーディスや極東委員会はこの文言によって自衛戦力が合憲となりうることを理解したうえでこの修正を容認した、したがって自衛戦力は合憲であるという議論を展開していた。五百旗頭は「第九条も、一見して読むと、陸海空その他の戦力はこれを保持しない、ああ、完全に自衛までやめちゃったのかと読む人がいたら、それは通ではない。そこつかもしれないが、そう読まれることは苦しゅうない、ある政治的効果は期待できる。その意味で、前文と第九条の顕教部分というのは一致していて、オーケー。しかし、プロが読んでいけば、これはできるんですよというふうに、そっと可能にしておくというふうな扱いをした」と、自衛隊違憲論は素人の読み方だと述べている。こうした議論を受けて、自衛隊が合憲であることは明白になったと喜んでいる調査会メンバーもみられた。しかし第一に、これは法の解釈の独自性を無視し、歴史研究と法の解釈とを混同した議論である。法の制定過程でどんな事実や議論があったかということは、法の解釈に際しても重要な意味をもつが、それですべてが決まるわけではない。条文の文言や法体系全体の整合性・論理的一貫性などを勘案しつつ法の解釈は行なわれるからである。そして第二に、芦田修正の文言によって自衛戦力が合憲になるとケーディスらが考えたとすれば、五百旗頭とは逆に、そうした理解こそが素人のそこつさだと憲法学者は考えることになる。なぜならば、現実に起きた戦争について自衛戦争と侵略戦争の区別・評価は可能ではあっても、戦力をあらかじめ自衛用戦力と侵略用戦力に区別することは不可能だからである。現実にも、パリ不戦条約によって世界各国の軍隊は自衛のためにのみ存在を認められたはずであるのに、その自衛戦力によって侵略戦争が引き起こされたという歴史的事実が厳然として存在する。そこで一項では侵略戦争だけが放棄されたと理解するとしても、二項では、侵略戦争の放棄という「前項の目的を達するため」に「すべての」戦力が放棄されたと理解するほかないからである。これが憲法学界の多数説であり、この点に関するかぎりは政府解釈でさえ同じ解釈で戦後一貫しているのである。

 7 九六条改正手続への攻撃
 さらに、九六条の憲法改正手続への批判・非難がくりかえし出ていたことが注目される。現実に改憲を実現するうえで、衆・参で三分の二を確保することがいかに高いカベとして意識されているかがうかがえる。小沢一郎や石原慎太郎のように、現憲法の無効を国会の過半数で決議してゼロから創憲しようなどという乱暴な議論も、同様の問題意識からのものと考えてよいであろう。実際の改憲戦略としては、第一段階で九六条を変えて衆・参それぞれの過半数で憲法改正が発議できるようにする、そして第二段階で九条その他の改正を行なうという戦術がとられる可能性があろう。

 8 「21世紀の日本のあるべき姿」論とその実態
 押しつけ憲法論に代わる改憲のイデオロギーとして浮上してきたのが、2000年秋の第一五〇国会以来、衆院憲法調査会のテーマとなっている「二一世紀日本論」である。押しつけ憲法のように過去にとらわれた議論ではなく、日本の未来像を描くなかで新しい憲法を構想しようというわけである。しかし憲法についてまじめに調査を行なうのだとすれば、制定過程も含まれるとしてもそれ以上に、憲法が施行されて以降の五十数年間の憲法の運用の歴史としての「過去」をしっかり見据えることが必要であろう。制定から今日にいたる憲法と政治や社会の現実との関係について、および人権や平和に関して、状況の変化があったとすればどこがどのように問題かについて具体的に検証し、そこから現在及び将来の課題を引き出すべきであろう。「未精算の過去を急ぎすぎる」、これは劇作家の木下順二の言葉であるが、日本人は、ともすれば過去に対するしっかりした総括や反省のないままにあまりに未来を急ぎすぎてきたのではないか。衆議院憲法調査会の審議のやり方もまさにこの典型であって、五三年間の歴史の検証を抜きにして二一世紀の未来像に飛んでゼロから議論(創憲)しようとしたり、主張する人の恣意的な未来像に照らして現憲法を攻撃したりするようなことは、たとえ改憲のためであったとしても納得しうる議論の仕方とは思われない。
 ではこのテーマのもとで、具体的にはどんなことが論じられているのか。衆議院では「伝統の尊重と愛国心の育成、宗教的情操の涵養と道徳教育の強化」などを教育基本法に盛り込むよう求める要望書を2000年9月に首相に提出した「新しい教育基本法を求める会」の会長でもある西澤潤一(151国会第1回、以下では151-1のように表記する)、ソフトバンクの孫正義(151-3)、ヒトゲノム研究の中心メンバー(151-2)などを参考人として招いたりして、IT革命や人口問題や科学技術政策など、どうみても憲法とはあまり関係のなさそうな自然科学的な議論が行なわれたり、日本船舶振興会を母体とする日本財団が援助した資金・物資がきちんと使われているかを調べるために、国家も市民社会も成立していないアフリカ等を訪れた経験を語るという、これまた憲法調査とは結びつかない曽野綾子の話や、現憲法無効論を展開する石原慎太郎のほか、市村真一(150-3)、櫻井よしこ(150-5)、松本健一(150-6)、渡部昇一(150-6)、坂本多加雄(151-4)、のような、改憲の旗を振ってきた「日本会議」の有力メンバーや「新しい歴史教科書をつくる会」の執筆者をはじめとする右翼的人物が多数登場している。参議院では西尾幹二(147-4)、西部邁(150-1)、小林節(151-3)、長谷川三千子(151-6)も登場している。
 そもそも、調査会を設置し何らかの調査を行うというときには、そこに何らかの究明すべきあるいは改善すべき課題がある程度具体的に認識され、共有されているはずである。例えば有明海の水質調査であるとか、警察刷新会議の設置を考えてみればわかるように、無目的に漠然と調査が行われるようなことは通常ありえない。では憲法調査会の場合には、その設置にあたって、海苔の不作とか相次ぐ警察の不祥事にあたるような、究明され改善されるべき日本国憲法の問題点が具体的に提示され享有されていたであろうか。この調査会は憲法について「広範かつ総合的に調査する」ことを目的として掲げている。憲法調査会がなぜ「広範かつ総合的に」調査することを目的としているのか。じつはここに調査会の基本的な特徴がある。それは(1)改憲のねらいが九条だけではなく、「この国のかたち」の全面的な改造にあるためであるとともに、(2)改憲をめざす勢力のなかにも、どこをどう改めるかについてかなり根本的な意見の分岐があり、一本化されているわけではないという事情があり、(3)さらに改憲への足がかりとしてこの調査会の設置を推進した中心勢力が、今すぐにとくに九条を変えることには慎重な党派を引き込むために焦点をわざとあいまいにしたという事情もある。したがって当然にということにもなるが、とくに衆議院の議事録を読んでいて憲法調査会の議論の一番大きな特徴だと思われるのは、全体としてまとまりがないし、深まってもいない、焦点が定まっていないということである。
 押しつけ憲法論が大方の合意をえられるものでないことは明確になったとはいうものの、現憲法無効論や前文や条文の日本語表現への非難を含めて、新憲法の制定そのものを否定したり、それに近い根本的・全面的なな改憲を主張したりする、内容的にもきわめて国家主義的な方向での改憲を考えている参考人が上述のように数多く招かれているし、調査会メンバーのなかにも同様の思考をもつものはかなり多い。他方で現憲法の基本理念はそれなりに認めたうえで、国民受けをねらってという側面もあるが首相公選論を主張したり、九条を中心に改憲を考える勢力がある。また人権の拡充や憲法裁判所その他についての主観的には「まじめな」主張もある。そしていまのところはそれぞれの主張は言い放しに終わっていて、議論をかみ合わせて意見を集約するようなことにはなっていない。これらは改憲派にとっての弱点のようにみえる。しかし憲法調査会の動向の監視は大切であるが、そこにばかり目を奪われていると足元をすくわれる。自覚的な改憲勢力を結集して具体的な改憲案を練り上げる作業は国民の目に触れないところで行なわれるだろうし、現実に進行しつつある改憲内容の先取りの一つ一つにきちんと対抗してゆくことも重要だからである。同時に、憲法がなんとなく古くなって時代に合わなくなっており、憲法を「よくする」ため、変えるために調査を行うことは当然と考える国民意識がかなり広がっていて、「広範かつ総合的」な調査というのはこうした国民意識になじみやすいものでもあるという点に注意が必要であろう。

 9 151国会以降の参議院憲法調査会の調査テーマ
 参議院の憲法調査会は、秋の臨時会(第150国会)では、KSD問題で村上正邦会長と小山孝雄幹事の足元に火がついたためか二回しか開催されなかったが、151国会から会長が上杉光弘へと交代し、今後の調査テーマを、総論、国民主権と国の機構、基本的人権、平和主義と安全保障の四つとし、今期国会ではまず国民主権と国の機構を取り上げることになった。そして主に憲法学者と政治学者を参考人として招き、二院制すなわち参議院のあり方、内閣制度と首相公選制、違憲審査制、地方自治、選挙制度などについて、現状の問題点と改憲を含むその改善の方策など、かなり具体的な検討・提言が行われはじめている。
 ようやくここにきて「広範かつ総合的」な憲法調査が本格的に始動しはじめたと言えるとともに、これに対してどのように対応していくべきか、かなり難しい選択を迫られることにもなると思われる。というのは、九条を変えることには反対する憲法学者の多くも、現行憲法がなんの問題点もない完全無欠のものだと考えているわけではけっしてないからで、具体的な検討をはじめれば、それぞれの論点について多様な見解をもつ憲法学者の多くが改憲論の土俵に引き込まれてゆく可能性が高いからである。たとえば法政大学の江橋崇教授は本年4月4日の参議院の憲法調査会で述べたのと同じアメリカ憲法型の増憲論を5月2日の朝日新聞でも主張していた。これは改憲派・護憲派の両者の妥協を言いつつ改憲論に一歩足を踏み出したものだともいえよう。そしていわゆる「護憲」派の政党や市民団体も、「改憲の必要性は一切なく、憲法規範から外れた政治の現実や人権侵害の実態をこそ改めるべきである」という議論だけでは、先ほど述べた国民意識からすれば十分な説得力があるとは言えないであろう。
 今回の改憲の動きは、たんに九条を変えて自衛隊を追認するためのものではない。よりいっそうの軍事力の強化、具体的には後方支援にとどまらない米軍との共同軍事行動を可能にし、首相・内閣の権限を強化して強い政府をつくるとともに、他方では自立と自己責任の名の下に福祉を切り捨てて小さな政府を目指すという、まさに二一世紀に向けて「この国のかたち」を根本から変えるためのものである。私たちはこの全面的な国家改造に対抗する課題と、明文改憲を阻止するために幅広い共同の力を作り出す課題とをともに追求していかなければならない。後者の点では明確な改憲反対派は衆・参ともに三分の一にはるかに達しない少数にとどまっている。これは根本的には八〇年代以降の日本社会全体の大きな変動と国民意識の変化のなかで起きるべくして起きた状況と言えるかもしれない。憲法学をはじめとする研究者の世界でも、かつてのような幅広い「護憲」の共同戦線の形成がむつかしくなっている。また環境権・プライバシー権など新しい状況への対応の必要性は、国民を改憲に誘導するためという政治的なねらいは明確であって、これへの批判は重要ではあるが、理論的にはなかなかやっかいな課題を提起してもいる。ここに今回の改憲問題の深刻さ、対応の難しさがある。こうしたなかで改憲を論ずることへの抵抗感を、国民のなかでも政治の世界でも憲法学界でも弱めてゆくことに成功したとき、改憲勢力にとっての憲法調査会設置の目的の重要な一つが果たされたことになるといえよう。改憲阻止のための戦線を思い切って広げる努力が求められているとともに、憲法研究者に課せられた課題もまた大きい。

(上記の文章は、2000年11月7日と8日にしんぶん赤旗に掲載された「衆・参憲法調査会の議事録を読む」(上・下)と、大阪民主新報2001年4月49日・5月6日合併号に掲載された「憲法調査会のなかの憲法」をもとに、大幅に加筆したものである)

足立英郎(大阪電気通信大学)

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