長崎日記




●8月21日(火)
 朝6時半起床。台風11号の動向が気になり、何度も全日空に電話で問い合わせるがなかなかつながらない。テレビニュースは新幹線や飛行機の欠便が出ていたり、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンが休業することを伝えている。7時をだいぶすぎてからやっと電話がつながり、僕が乗る飛行機は予定通り出発するとの回答を得た。
 8時すぎに家を出て羽田空港へ。ANA663は欠便ではなかったが、どうも台風の影響でいつもと違うルートで飛ぶ飛行機が多いらしく、出発はやや遅れた。そして飛行機は一路、長崎へ----。
 飛行機の中で読もうと持ってきた本は、村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫)。いくつかの雑誌に載った旅行記をまとめたものである。2泊3日の短い旅のあいだに読む本として、ベストセラー小説家が書いた旅行記がふさわしいかどうかはわからない。そういえば、村上春樹の文章を読むのはかなりひさしぶりだ。村上は僕が高校3年から浪人、大学前半ぐらいのあいだに愛読した作家の1人だが、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)という究極の駄作に絶望して以来、ほぼ絶縁していた----もちろん、僕から一方的に、という意味ではあるが。
『辺境・近境』に収録されている作品のうち、「メキシコ大旅行」は『マザー・ネイチャーズ・トーク』で、「ノモンハンの鉄の墓場」は『マルコポーロ』で、読んだことがある。どちらももう存在しない雑誌ですな。そのほか四国のうどん屋めぐりやアメリカ横断旅行、震災後の神戸を歩いた記録などが収録されている。
 で、感想なのだが、素直に、うまいな、と思う。あとがきによると、彼は旅のあいだちょっとしたメモを取っているらしい。たったそれだけの記録をもとに、あとは自分の記憶と感性と文章力だけで、あれだけ読ませる長文を書いてしまえるとは……普段、長時間のインタビューをテープに録音し、できる限りの資料を集めて、それらをもとに記事を書いている僕からすると、ある種の尊敬を感じざるを得ない----たとえ村上の文章に、いくらかのフィクションが入り込んでいるのだとしたとしても。そういえば、旅行記といえば、沢木耕太郎の『深夜特急』(新潮文庫)がよく引き合いに出されるが、村上の『辺境・近境』は、沢木の『深夜特急』よりは、フィクションが少ないのではないかという気がする。たとえ村上が小説家で、沢木がノンフィクション作家であったとしても。
 そして今回の長崎旅行は、僕の中では村上春樹、沢木耕太郎と並んで、愛憎入り混じった感情を抱いている、ある書き手にかかわる企画の取材が目的である。まだ取材中の話なので、ここではこれ以上書かない。

     *     *     *

 飛行機は予定よりも30分ほど遅れて長崎空港に着陸。バスで長崎市方面へ。昭和町という停留所で途中下車して長崎大学に行く。同大学環境科学部助教授で環境社会学者の戸田清氏に会うためだ。戸田氏の書いた『環境的公正と求めて』(新曜社)という本は、僕のものの考え方に大きな影響をもたらしている。論文調で書かれているので、読みやすい本とはいえないが。この日、戸田氏に聞いた話の内容は取材目的にかかわるので書かない。戸田氏には、拙著『人体バイオテクノロジー』を高く評価していただいているのだが、僕が山口剛といっしょに訳した『逆襲するテクノロジー』については、訳文の不適切な箇所をずいぶんとたくさん列挙したリストをいただいた(^^;)。恐縮である。僕(ら)はとくにフランス人の名前の表記をよく間違えるようだ。たとえば、「イシドエ・ジェフロイ・セイント・ヘルロイ」(165ページ)は正しくは「イジドール・ジョフロワ・サン・ティレール」だそうだ。人名辞典などでさんざん調べたはずなのだが、見落としはあるようだ。それにしても、読み込まれて赤線を何十カ所も入れられた拙著や拙訳書を見るのは緊張する……。
 長崎大学を出て、チンチン電車で長崎市へ。旅行代理店でビジネスホテルをとってもらう。ところが、今晩は大丈夫なのだが明日の夜はなんとかいう大会だか学会だかが長崎で開かれるとのことでどこも満室だという。それでもなんとか、ビジネスホテルではなく旅館の部屋をとってもらった。
 で、今晩は駅の目の前にある長崎Oホテルへ。シングルの値段でツインの部屋に泊まったので、広いのはよかったのだが、細かいことにいろいろと不満あり。荷物を置き、食事のためのホテルを出る。せっかくだから長崎ちゃんぽんを食べようとするが、店がたくさんあって迷う。やっと入った店で「特製ちゃんぽん」を注文してみたのだが……店の選択に失敗したか、そもそも長崎ちゃんぽんは僕には合っていなかったのか。長崎県民に申し訳ないので、後者でないことを祈る。駅の周りを散策し、明日の電車を確認してホテルに戻る。風呂に入り、テレビのニュースを眺めながら就寝。

●8月22日(水)
 朝7時起床。出張のときの習慣で、BSで世界中のニュースを見る。8時にホテルを出て、電車で諫早市方面へ。9時半頃、JR湯江駅に着く。予想はしていたが、ひどくへんぴな土地である。駅前の「湯江タクシー」でタクシーに乗る。
「諫早湾の潮受堤防って近くですが?」
 と僕が聞くと、運転手は、
「近くですけど、何もありませんよ。撮影か何かですか?」
 と言った。
「はい。マスコミの取材はよく来ますか?」
「いえ、いまはあまりないですね。工事が中止されていますので」
 と話しているうちにタクシーはあっというまに諫早湾の潮受堤防、いわゆるギロチンの近くに到着した。堤防の周りは柵で覆われていて、海岸線さえ見えず、見える範囲で見るべきものは見あたらない。
 工事が中止されているためにトラックなどの行き来はないし、もちろんそれに反対する市民団体もいない。タクシーを止めてもらったところからは、故・山下弘文が「渡り鳥たちの天国」(『西日本の干潟』南方新社)と書いた有明海諫早湾の干潟などまったく見えなかった。
 下調べ不足だった。実は、干拓工事をめぐる議論が続く諫早湾を見に来たのは、とくに雑誌などに書く予定があるためではない。せっかく長崎に来たのだから、ちょっと見て行こう、という軽い気分からである。実は、昨日会った戸田氏からも、同業者M氏からも、地元の人に案内してもらったほうがいい、と忠告されていたのだが、書く予定もないし、準備も下調べも不足しているので、今回は独力で見ようと思ったのだ。
 運転手によると、テレビや新聞で見られる潮受け堤防のショットは、船かヘリコプターから撮られたものが多いという。
「ここはこれだけなんですよ。上のほうにある墓場からならよく見えますよ。前に撮影に来た方はそこへ案内しました」
 と運転手は言うので、そこに連れていってもらう。しかし、カメラ(安物のEOS)のフィルムが巻き上がらない。電池が切れたとそのときは思った。
「このへんにカメラ屋さんありませんか?」
「写真屋さんならありますけど……なにせ田舎ですからね」
「そこでいいです」
 連れてきたもらった写真屋さんでは、電池は運の悪いことに在庫切れ。仕方なく、「写るんデス」を買ったのだが、ストロボ付きのタイプとはいえ1600円は高くないか。観光地の長崎で買えばもっと安かっただろうに……。
 タクシーで連れてきてもらった、丘の上の墓場からは、みごとに諫早湾を一望できた。
「天気のいいときには普賢岳が見えるんですよ」
 と運転手は言う。彼に頼んで、曇り空の諫早湾をバックに写真を撮ってもらう。
 帰りの電車は、なんと1時44分までないというのだが、運ちゃんにバスで諫早まで行ってそこから電車で帰ればいいと教えてもらう。田舎の人は都会の人よりも間違いなく親切である。バスと電車を乗りついで長崎に戻る。
 午前中いっぱいと数千円を無駄にして得た教訓はいくつかある。今度来るときには、地元の人に案内してもらうこと、晴れの日をねらうこと、広角と望遠レンズを用意しておこと、カメラの状態を確認しておくこと……。

     *     *     *

 諫早市から長崎までの電車の中では、『辺境・近境』を読み終えてしまったので、山下柚実『美容整形』(文春文庫プラス)を読む。2泊3日の短い旅のあいだに読む2冊目の本として、先輩同業者が書いたノンフィクションがふさわしいかどうかはわからない。実は数年前に単行本版を図書館で借りて読んでいたのだが、今度、山下氏の話を聞く機会があるので、文庫版を読んでみようと思ったのだ。単に新しく書き下ろした章を追加するだけでなく、途中にも大きく加筆がなされていた。丁寧な仕事だと思う。
 それにしても人間は「改造」が好きなんだな、と思う。諫早湾の干拓事業などの公共事業は、自然の改造だし、バイオテクノロジーや美容整形はいうまでもなく人間そのものの改造だ。「治療」の域ではないだろう。
 長崎のカメラ屋で電池を購入。どうも電池の問題ではなく、フィルムの入れ方がまずかったようだ。
 長崎駅前のNHKの横にある登り坂を上る。丘の上の公園の脇にある日本26聖人殉教地を見た後、戸田氏に推薦された、岡まさはる記念長崎平和資料館を見学する。岡氏は最も早くから、強制連行されて働かされていた朝鮮人被爆者たちの問題を訴え、補償を求める運動などに取り組んだ牧師。同資料館は岡氏の志を継承する意味で、市民からの寄付で建てられたという。
 見学者は僕以外に1人もいなかった。
「いつもこんなに『にぎやか』なのですよ」
 と受付の女性は笑いながら言う(彼女は『週刊金曜日』を読んでいた)。確かに観光地図にも記されていないので、訪れる人は少ないだろう。小さな建物ではあったが、中国人や朝鮮人の強制連行、従軍慰安婦、731部隊、端島炭坑(いわゆる軍艦島)などについて、写真や証言記録などがコンパクトに展示されていた。「女子挺身隊」として連れてこられた朝鮮人女性たちの写真があったのだが、彼女たちの頭には日の丸のはちまきが締められ、胸には三菱の記章が付けられていた。
 坂を下り、昨夜見つけて名前が気になっっていた「旅人茶屋」という喫茶店で昼食をとる。すげえうまいホットサンドとこれまたうまいドレッシングのかかったサラダ、フルーツ(オレンジとナシ)、目の前で入れてくれるコーヒー(ふつうの1.5杯分)で、たったの630円。場所は長崎駅の正面、路面電車のある道路を隔てて、細い道を入った左側。
 路面電車に乗り、平和公園へ。平和の泉という噴水を通り過ぎ、平和記念像を見て、また再び平和の泉を脇を通る。暑さに耐えきれず、自動販売機で飲み物を買う。平和の泉というのは、原爆で被爆した人たちが「水を、水を」と言いながら激しく水を求めたことにちなんでつくられたという。僕は原爆を落とした国の覇権を象徴する炭酸飲料を飲みながら、ついさっき見た看板に書かれていたことを思い出していた。
 長崎原爆資料館では、被爆者たちの遺品や破壊された建物などの展示を見る。とりわけ印象的だったのは焼けただれた浦上天主堂。長崎は周知のごとく、キリスト教伝来の地でもあるが、そうした土地にもアメリカは容赦なく原爆を落とした。マクドナルドは世界中に進出しているが、グローバリゼーションは戦争を抑止するのだろうか? さっき見学した岡まさはる記念平和資料館では、朝鮮人強制連行の「加害者」となっていた三菱製鋼が、こちらでは原爆投下の「被害者」として紹介されていた……。
 長崎の原爆にとどまらず、戦後の軍拡競争や核実験などの展示もあった。やけどを負ったり、髪の毛が抜けた被爆者たちの写真などもあった。
 展示にはなかったが、アメリカは広島と長崎への原爆投下後、原爆被害を医学的に調査するための機関「原爆調査委員会(ABCC)」を両地に設置した。しかし、ABCCの行なったことは「コロニアル・サイエンス(植民地科学)」であり、患者の治療よりもサンプル採取や観察など医学的な調査が優先された、とスーザン・リンディーは名著『現実になった被害』(未訳、オックスフォード大学出版)で書いている。いうまでもなく、核兵器や原爆の開発の基礎データとするためだ。それには日本の国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)も協力した、と故・芝田進午氏は言っていた。とりわけ重要とされたのが、放射線による遺伝子への影響である。それを調べるために、ヒトの染色体DNAの塩基配列への興味が高まり、やがてアメリカのエネルギー省の提案によって始まったのが、ヒトゲノム解析計画である。
 資料館を出て、原爆落下中心地を見た後、路面電車で思案橋へ。

     *     *     *

 昨日、予約した「国際観光ホテル ○○荘」は名前から予想がつく通り、「旅館」であった。部屋は和室で、窓際には椅子とテーブルがあるという、アレである。
 荷物を置くとすぐホテルを出る。思案橋横町というあやしげなストリートをひやかしながら、中華街へ。僕の経済レベルに合うような店はあまりなく、比較的安い店で焼きビーフンだけを食べる。うまかったが当然飽きたらず、近くの屋台にふらふらと入り、キムチラーメンを頼む。おでんが安かったので、卵を追加注文。どちらも秀逸。ラーメンは博多のものと似ていなくもないが、やや薄味。両方併せて700円ぐらい。屋台の天井には、東京スカパラダイスオーケストラのサインが張り付けてあった。
 周辺を散策しながら旅館に戻る。部屋には風呂らしきものがついていたが、もちろんそんなものは使わず、黙って大風呂へ。確かに「大風呂」と書いてあったが、実際には中風呂だった(笑)。ほかに客がおらず、電気がついていなかったので自分でつけ、そのうえタップからはお湯も水もちょろちょろとしか出なかったので、湯船から洗面器でざぶざぶとお湯をとる。部屋に戻ると、今度はエアコンがきわめて不調であることが判明……。村上春樹は『辺境・近境』で、アメリカのひどいモーテルのことをさかんに書いていたけど、どうもそのイメージといま自分が泊まっている「国際観光ホテル」とが重なる。カプセルホテルや、大学時代にヨーロッパ旅行でよく使ったユースホステルよりもましだ、と自分に言い聞かせていたのだが、カプセルやユースのほうが少なくとも清潔感は上のような気もする。今回の取材旅行は、宿泊に関しては2泊とも不運であった。
 コンビニで買ってきたジュースを飲みながら、戸田氏からもらった資料などを整理しつつ、CS放送でやっていたリュック・ベンソンの『グラン・ブルー』を観る。ジャン・レノの演技は、先日テレビで観た『ゴジラ(ハリウッド版)』よりもはるかに緊張感がある。そういえば、元祖ゴジラもハリウッド版ゴジラも、核実験の申し子である。ハリウッド版では、フランスがムルロア諸島で行なった核実験で生まれたゴジラがなぜかニューヨークで暴れるのだが、責任を感じたフランスがゴジラ退治のために派遣した特殊部隊のリーダー役がジャン・レノだった。そのゴジラは、最終的にはアメリカ軍のミサイルによって死ぬ。アメリカのミサイルで倒せない相手など、たとえ映画の中であっても、存在してはいけないのか。
 このようにアメリカ映画はアメリカという国にとって都合よくまとめられていることがけっこうある。その典型は『インディペンデンス・デイ』。エンターテインメント映画の中であれ、核兵器が「人類の平和のために(UFOを撃墜し、異星人を倒すために)」使われたことを、長崎の被爆者たちはどう思うのだろうか。
 明日はおみやげを買い、ANA664便で帰るだけだ。台風11号は北海道方面に去ったとニュースは告げている。(了)

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