自治労音協通信
   2面 NO30号/98.11.15発行

韓国光州(クワァンジュ)訪問記(後編)(1998.5.15-19)

小川典子(事務局)

写真/仏教寺院の前で案内してくれた博士過程専攻の

学生さんとのスナップ、右が筆者

仏教寺院、木浦訪問

韓国では儒教が国の宗教政策として、高麗の時代以降、西暦五百年前から主流となり、仏教は山奥に封じ込められていましたので、その史跡は殆どが人里離れています。今回は、「雲柱寺」を訪ねました。山のうえに、巨大な石窟の二人仏が横たわる寺です。

ガイドの博士さんは儒教だそうですが、現在は多くの国民がキリスト教です。仏教徒は少数派です。しかし観光の名所という事では日本と事情は同じで、休日は大変な人出だそうです。昼食には、同行の女子学生さんがボランティアをしている老人福祉施設を訪問しました。カトリックの信者さんが経営するその施設は、廃校となった校舎の敷地を借りて、二十人くらいの痴ほうの女性の老人を預かっていました。大学生や教師もこの施設のボランティアに協力し、バスで休日通って畑作りなどに参加するそうです。毎日の仕事は二名の青年が働いており、牧師さんや信者さんが日常生活を手伝っていました。

木浦(モッポ)は全羅南道の南のはずれに位置し、多くの島があります。金大中さんは木浦にある島の生まれです。木浦には巨大な岩山の儒達山(ユダルサン)があります。そこに登って見た景色は穏やかでした。ここで日韓合作映画「愛の黙示録」(主演キムヨンウ、石田えり)が二年前に制作され、ガイドさんも新聞社の担当として日本の三百人劇場まで観に来られたそうです。なぜなら、韓国では上映できないからです。韓国では日本制文化の上演が未だに禁止されています。でもカラオケには、内緒で観光客のために日本の歌がいっぱい入っていますから安心して下さい。

YMCA、ジギ団の友人との再会
昨年、光州YMCAジギ団(自治体を監視しチェックする組織、情報公開をさせるための運動体)の皆さんのお世話をして、その時知り合いになった方々と再会できました。宴会では、「腐ったえい(魚)」(韓国ではお祝いの席で出す料理)を食べ盛りあがりました。翌日訪問したYMCAジギ団事務所には、市役所の予算書やら決算書が山積みされていました。

光州広域市役所訪問

最終日の早朝、七時半から八時半、光州広域市役所の早朝日本語教室に参加し、日本語学習のお手伝いをしました。昨年から市役所の国際交流協力室の職員になった(やはり博士で日本に七年留学、大学の講師もやっている)方が週二回開催しています。国際協力室の職員は、英語、中国語、日本語に全員がトライ中ということでした。日本語教室には早朝にもかかわらず、多くの市職員が参加していました。

広報室にも立ち寄り、月二回出している新聞は八面で、民間紙に劣らないばかりかそれ以上の内容でした。四月まで民間紙の記者だった、鄭今子さん(昨年ジギ団の取材で同行した女性記者)の記事を見せてもらいました。

ここの職員にも、環境行政学を勉強しながら働いている方に、日本のビニールハウスのゴミ処理対策で質問されました。韓国は、環境規制に関する基準は日本より進んでいる面がありますが、環境管理・監査、ISO14001など現実の対応は日本と同じでこれからのようです。日本のようになってしまう前に対策ができるとよいのですが。資料の送付と日本の研究機関を紹介する約束をして別れました。

国際交流については、観光客の訪問も閉ざされていた光州ですから、これからの光州市としてのまちづくりのテーマ「共生と和合のまち」が国内・外でどのように評価されるのかその実現と共に期待されるところです。

エピローグ

光州広域市でも失業の問題は大きく、友人の教え子も昨年は七十人中四人しか就職できなかったという事です。学生さんのアルバイトも少ないので、みなさん家庭教師をして学費を稼いでいました。

現実を明確に捉え、市民自治権の確立と民主主義の獲得のために闘いつづける光州市民はみんな明るく元気です。

みなさんも、いつか機会があれば大韓民国光州広域市を訪問してください。

光州市役所の日本語授業風景  

●光州広域市国際協力室日本担当

連絡先/光州広域市東區鶏林洞五◯五ノ九◯◯(大韓民国)

TEL 062-228-6017、FAX 062-226-4448

●関係論文

社団法人東京自治研究センター機関誌掲載

1995年10月15日「韓国における六・ニ七、四大選挙の意義と特徴・第一回全国同時地方選挙によって韓国の民主主義は根付かれた」

1998年2月15日「韓国の大統領選挙と地域主義;第十五代大統領選挙を中心に」

1998年5月15日光州広域市報「無等山」に掲載「民主は生活様式だ」

「第二回全国同時地方選挙」は六月地方選挙以降の掲載となります。

著者/呉 在一(全南大学法科大学教授)

URL 先 http://www.jca.ax.apc.org/tokyojic/

*社団法人東京自治研究センターのWeb sitでご覧になれます。

他単産の活動紹介

『第四回全逓文化学校』に参加して 

庄司 敬三 全逓音協阪神東(兵庫県尼崎)

十月八・九日十日の三日間東京よみうりランドで文化学校が開講されました。

その日は朝から大変いい天気で二日酔いを我慢しながら朝早く新幹線に乗りました。東京は年に二・三回行ってるので、数年前に比べると”慣れてきたかな”と言う感じでしたが、よみうりランドは東京から結構遠いし、荷物が多かったのでとてもつらかったです。しかし現地に着くといつもの、それからみたこともない人々がワンサカいて(最終的には全国から六十二人参加です。)相変わらずすぐ慣れてそれぞれの講座へと分かれていきました。

僕は作曲講座でした。この講座は結構色んな意味での達人がいて”楽勝で譜面をスラスラ書いていく人””わけのわからないシュールな言葉を羅列するひと””ハッキリ言ってgloveのパクりの人(というよりgloveそのもの)””玉置浩二”のひと””未練がましいラブソングを創る人(わたし)”などがいてたいへん楽しい講座でした。今回僕はそれなりに頑張りましたが、”庄ちゃん節”から脱出するのはなかなか難しく、後半だれる癖はなかなかとれませんでした。(いつも私は後半だれる。)そしてほかの講座としては『演劇』『作詞』『映像』『川柳・短歌』『文学』『歌う』『演奏』『エッセイ』などがありました。時間があれば覗きたかったのですが、自分とこで精一杯だったため、制作のプロセスを観ることはできませんでした。しかし発表はしっかりみんなうまくいけてたので相当苦労したのではないかと思います。

そのなかで僕が今回一番良かったと思うは『川柳.や短歌』です。いままでは『川柳.短歌』なんて「だるい」などと少し小馬鹿にしていたのですが、今回の作品は日常生活に身に憶えがあることが多くて、とても心地よく感じました。いつも嫌いなものは最初から拒否するわたしですが、少し人間丸くなったのか、歳をとったのか、やはり作品が優れていたのか、悩むところですが、今の自分にはとてもいい感じでした。あとで短歌の場本氏に「今回の短歌は面白かったね。笑えたね。」と言うと、「いや、今回はギャグなしにしてん。」との返事。「そんなもんかなあ」と思ってしまいました。まっ何はともあれ無事文化学校は終了し、最後に食堂でビールを飲んで、みんなと別れて帰りました。

◆全逓音楽協議会は全国の全逓組合員なら誰でも参加できます。みなさんの郵便を配達してくれている方で音楽好きの人がいたら、庄司さんに御紹介してね!

庄司敬三 メールアドレス k1000@skyblue.ocn.ne.jp

百二十五人目の会員御紹介

福山 秀幸(宮崎県南郷町)

僕の自己紹介をしましょう。名前は『福山秀幸(フクヤマヒデユキ)』年齢三四歳。自治労南郷町役場職員組合の書記長を務めております。

また一九八八年十一月から一九九一年十月まで自治労宮崎県本部で青年部担当執行委員として専従の経験もあります。その後九州地連選出の青年部常任委員も勤めています。その当時の中央本部青年部長が松本敏之さんでして、ああ、あいつかとお思いの向きもあることと思います。

現在教育委員会学校教育課に勤務し、雑務に追われる毎日です。趣味は、音楽鑑賞(ジャンルは問わない)。

合唱(地元の市民合唱団日南クリプトメリア所属、パートはテノール)、カラオケ(今インターネットのカラオケキングにはまりかけている)そして酒、旅行すべてに熱血漢を燃やしさらっとした性格だと自負しております。

「人の世話は好きだが、なじめるまでに少し時間がかかる。新しいものにはなんでも飛びつきたがり衝動買いの傾向にもある。」こんな性格ゆえに好かれる人にはとことん好かれ、嫌われる人にはとことん嫌われているような傾向にある。

まあ自分で自分を紹介するとこんなところだろうか。こんごとも末永くよろしくおねがいします。

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