日本の戦争遺跡・遺物

 私たちの回りを良く捜すと、戦争の遺跡や遺物が数多く残されている。それは、戦争の愚かさを静かに語る歴史の証人である。



●代用品

陶器製の手榴弾。アジア太平洋戦争の末期には、生活に必要なものだけでなく兵器でさえ金属でない代用品を使わざるを得なくなった。

陶器で作られた鏡餅。陶器製のコインも製造されたが、敗戦になったため使用されなかった。



●教育・兵器・強制労働

奉安殿。天皇の写真と「教育勅語」を納めるため、学校に設置された。児童と職員は、登下校の際に最敬礼をすることが義務づけられた。

依佐美(よさみ)送信所。愛知県刈谷市に建設され、高さ250メートルの鉄塔8本から潜水艦に指令を送った。
名古屋市の見晴台に残る高射砲の台座。「戦争遺跡」として積極的に調査・保存がおこなわれた。
鹿児島県の「知覧特攻平和会館」に展示されているゼロ戦。日本人だけでなく、朝鮮人も特攻機に乗って戦死した。
青森県風間浦村に残る「焼山ずい道」。建設作業をしたのは、強制的に連行されてきた朝鮮人たちだった。

青森県大畑町の「二枚橋」。下北半島北端の大間町まで兵士や軍需物資を運搬するため、朝鮮人の強制労働によって鉄道建設がおこなわれた。

長野県松代に残る「大本営」地下壕。大本営・皇居・政府機関などを東京から移転させる大移転計画だった。壕の総延長は約13キロメートルにも及ぶ。