『女性学年報』第26号内容紹介 (本体価格 1900円)

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年報26号の表紙写真

目次

<巻頭論文> <特集:アカデミズムを少し離れて―第3次フェミニズムの足音―> <海外事情の報告> <小特集:検証:メディアにおけるバックラッシュ>

日本語要約

◆1920年代の女性犯罪論―月経要因説を中心に―・・・田中ひかる

 猟奇犯罪が頻発した1920年代、犯罪学者たちはロンブローゾが創始した女性犯罪論に依拠し、女性の犯行を〈月経〉と〈ヒステリー〉によって解釈する〈月経要因説〉を提唱した。〈女性の身体的・心理的特性〉を重視した犯罪論が唱えられた背景には、女性が男性と同様の凶悪犯罪を犯すはずがないという〈幻想〉やより歪んだ形の〈騎士道精神〉があったものと思われる。こうした女性犯罪論は、戦後の司法・刑事の現場にも反映されてきた。この流れを批判したのがフェミニスト犯罪学だが、一方では、「女性の生物学的性の部分」も視野に入れようとする〈ジェンダー犯罪学〉が提唱されている。


◆「やおい化」する視線、その戦略にむけて―『DEATH NOTE』同人漫画を例に―・・・高橋すみれ

 「やおい」が一種の嗜好として把握されるのに、同人誌という領域は重要な役割を果たした。そこでは主に女性たちが少年漫画を下敷きにホモセクシュアル化パロディ作品を作り、それを女性たちが読むといったことが盛んに行われてきた。少年漫画のどのような要素がやおいの欲望を刺激したのだろうか。この「読み替え」の場にはいかなる力が働いていたと言えるだろうか。現在『週刊少年ジャンプ』連載中の作品『DEATH NOTE』およびそのやおい化作品である同人漫画を例に、そのテクスト間の現象を考察する。


◆「女性のマゾヒズム」再考―アメリカにおけるSM論争を中心に―・・・日合あかね

 性的にマゾヒストである女性は、日常的にもマゾヒストであると考えられがちだ。このような理解は、反フェミニズムの言説はもちろん、女性の性的自立を目指すフェミニズムの言説においても広く浸透している。
 しかし、女性の性的マゾヒズムを性的自由の一つとして積極的に評価することはできないのか。本論では、女性のマゾヒズムを権力構造に揺さぶりをかける一種のパフォーマティヴな実践としてとらえなおし、これまでのマゾヒズムの意味づけを脱中心化する。このことは女性の性的な自立について考察するにあたり、ひとつの道程を示すこととなるのではないだろうか。


◆女性向けマンガに描かれる三者での性的結びつき・・・秦美香子

 近年の女性向けマンガには、「異性愛」に整合しない性的関係を模索する作品が見られる。本稿では、三者での性的関係を描いた女性向けマンガ4作品を分析した。これらの作品では、女性登場人物は「対」という性的関係のパターンの自明性を疑い、また男性によって性的関係が定義される状況に抵抗を示していた。そして、そうした違和感の解決策として三者で性的に結びつくことが提案される。こうした物語において志向されているのは、所有・被所有というあり方とは異なる性的結びつきである。そうした関係の模索は、男性中心的ではない女性のセクシュアリティを構想する試みの一端になり得る。


◆『だめんず・うぉ〜か〜』が売れる理由―倉田真由美的葛藤と自己愛・・・松並知子

 人気漫画『だめんず・うぉ〜か〜』の作者、倉田真由美は、そして彼女の描く「だめんず・うぉ〜か〜」は、何に対し葛藤を感じているのか。倉田の表現を分析し、心理学の立場から葛藤の中身を考察する。「だめんず・うぉ〜か〜」とされる女性たちがだめ男との恋愛を繰り返し、「男性に都合が良い女らしさ」をアピールする裏には、「社会が望む女性像」と「自分らしさ」との葛藤があり、それがありのままの自分では愛されない、自分を愛せないという感覚、つまりセルフ・ラブ(健全な自己)の欠如につながるという構図が推察される。


◆「二次被害」は終わらない―「支援者」による被害者への暴力―・・・マツウラマムコ

 本稿では「二次被害」という被害者への暴力について論じる。「二次被害」とは、暴力の加害者から離れた後も続く巧妙な言説支配であるといえる。無意識の加害者である「第三者」の中で、被害者に積極的に近づくのが支援者である。支援者は被害者に対してさまざまな権力をにぎっている。しかもその権力に無自覚な場合が多い。そして支援者は至近距離で「二次被害」という暴力を被害者にふるう可能性がある立場にある。そのような支援者の被害者への暴力について「脅す」「呼び寄せる」「支援/支配する」というキーワードに沿って検証する。支援者はにぎっている権力に気付き、被害者を支援者が代弁しなくてもいいよう社会を変えるべきであると結論付ける。


◆最近の中国における女性労働問題をめぐるさまざまな女性たちの動き・・・遠山日出也

 中国では、近年、市場経済化に伴って女性労働の周縁化が進行している。また、珠江デルタの外資系企業などでは、農村からの出稼ぎの女性労働者が、劣悪な労働条件で働いている。 上のような状況に対して、さまざまな女性たちが行動を起こしている。出稼ぎの女性労働者によるストライキ、都市の女性労働者によるセクハラ裁判、男女平等のための法律や政策の提案、女性のNGOによる女性労働者の権利擁護のための活動などが挙げられる。
 中国の女性の運動は、しばしば国際援助や国連の活動、多国籍企業の社会的責任を追及する運動などの国際的な動きと結びついている。日本でも、彼女たちと連帯する活動をおこなう必要があるのではないか。


◆ネットの奥の無法地帯・・・白土康代

 パソコンに一方的に送られてくる「猥褻メール」は、様々なパターンがあるが、すべて女性がひたすら性的存在としてのみ消費されていることが特徴である。見逃せないのは犯罪を誘発するもの、または犯罪そのものと思われるものがあることである。ネットの匿名性、利便性、高速性、自己中心性などが犯罪性に拍車をかけ、需要をさらに呼び起こしていると思われる。公領域で効率的に行動できる健康な成人男性のみが一人前の人間であり、産むことのある効率の悪い女性は私的領域にまず性的な存在として位置付けられという人間観は、法律や制度といった公領域で男女共同参画社会が一見進んでいるのとは逆に、ネットを含む私的な空間では依然として根強いのだ。そうした人間観を変えなければ、真の男女平等は実現できない。


◆フェミニズムへのバックラッシュ、フェミニズムを経た女性へのバッシング―『まれに見るバカ女』『まれに見るバカ女との闘い』から見る今日的「女性叩き」―・・・荒木菜穂

 フェミニズムが男女平等の実現という目的を達成しそうになると、それを阻むバックラッシュが出現する。同様に、現代の女性の生き方もまた、従来の男女関係を望む集団からの反発を受ける。
 タテマエ上の平等意識が共有される社会におけるバックラッシュは、平等が実現した社会においていまだ「犠牲者」ぶる行為・思想にたいして行われることとなる。ゆえに、男女間の不平等の告発そのものが困難となる。
 本稿では、『まれに見るバカ女』(宝島社 2003)、『まれに見るバカ女との闘い』(宝島社 2003)を通して、バッシング・バックラッシュの今日的な一側面を整理・分析し、それらに対抗するフェミニズムの次なる戦略を模索する。