資料: 「井戸と水みち」地下の環境を守るために 
水みち研究会 代表 神谷 博   北斗出版より抜粋


災害で見直される井戸

「井戸水とカマドとくみ取り場所、そして救援がくるまでの3日間であれば食料の自給も加える必要があるが、この4つを自前で確保し、家単位、まち単位で生活できるノウハウを身につけることができれば、なんとか災害に役に立つであろう。」

阪神大震災で罹災した通信社に勤務する国司さん(西宮市在住)が、トイレに関して次のようなエピソードを語ってくれた。大震災で自宅のマンションは半壊し、子どもさんの通う小学校で一時、避難生活を余儀なくされた。
「あちこちの公共施設や避難所で、トイレはてんこもり状態でした。避難所となった小学校では、トイレに排泄物がたまり、見かねた被災者有志がプールの水をバケツリレーで運び、流しました。この地震で排泄物の処理がいかに大事であるかを、多くの人が知ったのです」

神戸市、西宮市の水洗化率は、ほぼ100%といわれる。大規模下水道にすべてをゆだね、屎尿処理場など代替え施設をもたない都市のもろさがここに見られる。上水道にほぼ全面的に頼っている生活用水の確保についても同様だ。井戸や雨水利用など、自前の水源をもつことが防災へつながることを、今回の震災は教えてくれた。

歴史から学ぶ
今回の震災報道にこんなニュースがあった。見出しは、83歳大地震2度、だてじゃない」兵庫県宝塚市の乾重野さんは東京の生まれで、大正12年9月、尋常小学校6年生のときに関東大震災を体験している。渋谷、道玄坂の家の近くは町内ごとに井戸があり、飲み水を確保できた。今回の震災後も町は断水した。乾さんは関東大震災の教訓を思い出し、とっさに十件以上の扉をたたいてまわり、「うちの井戸を使って」と呼びかけたという。
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歴史を振り返ると、戦争、水害、渇水など、緊急時には水道が役に立たず、そのたびに井戸が見直されていることがわかる。
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被災地の井戸は?

阪神大震災の被災地では、水の復旧は大幅に遅れた。地震から2週間後の1月31日現在、断水が続いていたのは神戸市、西宮市、芦屋市、宝塚市、伊丹市など49万世帯にのぼる。その後、地域によっては最長2ヶ月以上にわたり水道が使えなかった。
 震災発生より1月28までの約10日間、被災地では井戸はどのように使われたのだろうか。朝日・毎日・読売三紙の大坂本社版より拾ってみよう。

1月17日 芦屋市内では、消防車が到着してもホースから水が出ず、近くの井戸よりバケツで水を汲んで消化にあたった。
1月18日 西宮市内で井戸水を求めて100メートルの列ができた。神戸市兵庫区の木造アパートより出火。約500人が近くの井戸水をバケツリレーし、約40分後に消化した。
1月20日 全域断水の芦屋市で18日より電気が復旧。深さ7メートルの民家の井戸をポンプでくみ上げ、200人が利用した。
1月24日 菊正宗酒造は同社の「宮水」井戸場(西宮市)で平日の午前9時〜午後3時の間、宮水を無料提供。
1月28日 神戸市兵庫区で、戦前に掘った井戸が生活用水として使われている。1945年3月の空襲のときも同じ井戸水で消火した。

このように各地で井戸が貴重な役割を果たしていたことがわかるが、芦屋市に住む永井さんのマンションでも井戸は大いに役だった。地震によって水道管が破断し、トイレが逆流し、高架水槽が破損するなどの被害があり、市水(上水)は使えなくなった。幸い構内に井戸があり、ポンプでくみ上げることに成功した。水量が豊富だったので市水の供給が再開されるまで常時、使用できた。

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災害対策井戸
阪神大震災や94年の渇水の影響で、東京都内では井戸の見直しがおこなわれるようになってきた。災害時の飲料水や生活用水を確保するためだが、その対応は各市町村によってさまざまである。地下水のくみ上げは地盤沈下につながると主張してきた東京都も、震災を契機に条件つきで大型井戸の掘削を認める方向にある。しかし生活用水を確保するのはあくまで区市町村レベルの問題だとしており、災害用井戸に積極的に取り組んでいるわけではない。
 東京都総務局災害対策部による「区市町村防災事業の現況」(平成8年度)には非常災害用井戸の項目があり、各行政区の井戸数が掲げられている。しかし空欄が多く、その内容も充分な調査によってまとめられたとはいえない。非常災害用井戸(いわゆる指定井戸)は、各区市町村の防災計画で独自に決められるためか、選定基準や取り扱いは統一されていない。名称もさまざまで、「むかしの井戸」(国分寺市)「防災協定井戸(文京区)「災害時協力井戸」(目黒区)、「災害時井戸水提供の家」(世田谷区)などと表示される。国分寺市をはじめ、杉並区や練馬区、世田谷区など井戸の確保に積極的な地区も多い。
 国分寺市では1989年から3年かけて市の西側半分の地域10カ所に手押しポンプの井戸を設置した。「むかしの井戸」と名付けられ、設置の目的として「ふれあいといこいの場に」「災害時の地域飲料水を」「大地の健全化を考える」の3つが掲げられている。10カ所のうち2カ所は近隣に住む防災推進委員を中心とした市民が「毎月一回「井戸端会議」として集まり、水質検査や井戸の周りの清掃をおこなっている。他の3カ所の井戸では、不定期ではあるが市民が点検をおこなっている。1997年には9カ所の井戸で市が初めて説明会をおこない、合計で170人の参加があった。

 練馬区の場合、災害時に飲料水として利用可能な深井戸が23本あるが、それとは別に、生活用水として用いる浅井戸を「ミニ防災井戸」と呼んで505本(98年3月時点)、市民と協定している。協定の内容は、ある住民が災害時・震災時に生活用水・消火用水として自分の井戸を開放してもよいという意思表明をした場合、職員が出張してその井戸の修復、維持管理を無償で行うというものである。地上から10メートルを超えない深さで、しかも手押しポンプで水を汲むことができる既存の浅井戸がミニ防災井戸の対象となる。また、避難所となる小中学校にも井戸を新設している。96年度から小中学校103校で井戸を掘る工事を始め、98年4月現在、66校ですでに完成している。
 世田谷区では、小中学校、小緑地、地区会館、環境共生住宅など公共施設に用意している井戸は14本ある。一方、区民が所有する井戸2184本を震災時指定井戸として登録している。(97年4月時点)。これは「世田谷区震災対策用井戸の手動ポンプ設置および修理に要する経費補助要項」にのっとって市民から募集したものだ。既存の井戸を条件に、手押しポンプの設置や井戸の修理にかかった費用の2分の1(上限は10万円)を補助する。この井戸の所有者は「災害時井戸水提供の家」というプレートを自宅に表示し、井戸を区民に開放する。
 一方、被災地の西宮市ではどうだろうか。灘の酒づくりに欠かすことのできない「宮水」や個人所有の井戸が被災者を助けたことはすでに述べたが、市ではその後、この事実を教訓にしてしないの井戸水調査を始め、井戸分布図を作成した。それと平行して、井戸水を提供してくれる家をアンケートで募り、水質検査をパスした200本の井戸(市の南部)に「震災時協力井戸」というプレートを貼ってもらっている。98年4月からは市北部の井戸の水質検査に取り組むということだ。井戸の使用に消極的な芦屋市と比べると対照的である。
 東京都の場合、災害用井戸には手押しポンプを条件にしている地区が多いようだ。災害時は電力を当てにできず、普段から使い慣れた手押しポンプであれば、迅速に水を供給することができるので理にかなっているといえるだろう。

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これまで一元的なライフラインに頼ってきた私たちの生活も発想の転換がせまられている。水道のほかに、「もうひとつの井戸」である雨水利用システムが、地下水の利用とともに貴重な自己水源として導入される時代に入ってきたのではないだろうか。