UPDATE! 1999.1.17 3:03

1月17日、震災後4年目。神戸を思う

昨年ガンで他界した、一人の被災者の方を思う。明日から鶴岡で行う神戸元気村写真展の写真を整理していたらその方の元気な写真がでてきた。以下の文章をその方へおくろうと思う。

僕がはじめて神戸にはいった1月23日。あなたは、がれきと粉塵の中、千人の避難者の一人として御影公会堂にいました。そして僕らの呼びかけと同時にすぐに鍋づくりをはじめたのでした。あなたの家は全壊し、すべての財産とあなたのお兄様が家の下敷きになったはずなのに。他の人は、暇があれば自分の家にいき、自分の財産を掘り返し、それを守るのに必死になっていたのに。あなたは、そんなものには脇目をふらず、家族をひっぱって、「もう泣いてなんかいられへん。わしらがやらんとね」と、慣れない手でひしゃくを握り一生懸命、みんなのために鍋づくりをしはじめたのでした。25日には、「市の焼き場まってたら一ヶ月もかかるそうやから」と、亡くなったお兄さんの亡骸を自分の車で三田まで運んでましたね。テレビカメラは極力さけ、家族や、避難所の隣近所を励まし、目をらんと輝かせて、決して後ろをむかず、懸命に前を向いて一歩、一歩、歩いていらしたのでした。2千人以上分もの炊き出し! あなたのご家族、そしてご親類の7名のみなさんは、週にわたって、それを続けたのでした。あなたは、それから、避難所のリーダーとして人のめんどうを見、仮設住宅のリーダーとしてもご老人がたの世話をし、物資をはこび、みんなを助けていました。

僕は、あなたの姿にうたれ、神戸にのこりました。それから、すべてがはじまりました。原さん。私は、忘れません。あなたのような人がいたことを。すべてを失っても、その瞬間から家族を守り、みんなを励まし、前を向いて歩ける。そんなあなたがいたことを。

僕らは、今、精いっぱい生きなくてはいけない。動かなくてはいけない。あなたや、6000人の命の分まで。神戸を未来にいかすために。

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