チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.05 No.22 2005.08.10

発行部数:1645部

チェチェン総合情報:http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/
バイナフ自由通信:http://d.hatena.ne.jp/ootomi/

■北オセチア学校占拠事件、真実はどこに?

 7月28日のアメリカ・ABC放送の「ナイトライン」は、アンドレイ・バビツキー記者による、チェチェンの野戦司令官シャミーリ・バサーエフへのインタビューを放送した。バサーエフは、北オセチア・ベスランで起こった学校占拠人質事件で150人以上の子どもが死亡したことへの責任を認めなかった。

 バサーエフは、チェチェンの隣、イングーシ共和国で自分からバビツキー記者に接触し、インタビューを取らせ、インタビューは世界中を駆け巡った。ところで、当のベスランでは、学校占拠人質事件で生き残ったとされるゲリラのヌルパシ・クラーエフ容疑者に対する裁判が続いていることはあまり知られていない。

 今回のチェチェンニュースでは、アメリカの保守派シンクタンク、ジェームズタウン財団の発行する「チェチニャ・ウィークリー」の記事を掲載する。裁判で明らかになりつつあるのは、私たちが知っているものとはなにか違ったベスラン事件の様相だ。裁判については、今後ロシアのノーヴァヤ・ガゼータ紙が追及すると思う。「チェチニャ・ウィークリー」のこの号には、バサーエフのインタビューについてのロシア国内での反応、 なかでも「どうしてFSBが捕まえられないバサーエフが、堂々とイングーシで西側ジャーナリストと会うことができるのか」といった問題についての、ロシア特務機関OBのコメントが載っていて興味深い。

 ベスランで続いている裁判の情報を読んでいると、当初ベスラン事件に犯行声明を出したバサーエフが、どうして今になって責任を微妙にぼかす発言をしはじめたのかが、少しわかったような気がしている。

 記事の内容とバサーエフの発言との関係、そして、ベスラン事件とチェチェン問題をどう結び付けるかは、読者の判断にゆだねたいと思う。

 これまでに調べたいくつかの事柄は、「バイナフ自由通信」に:
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/searchdiary?word=%2a%5b%a5%d9%a5%b9%a5%e9%a5%f3%5d

 (大富亮/チェチェンニュース)

■ベスランでの裁判

米・ジェームズタウン財団の「チェチニャ・ウィークリー」より
http://www.jamestown.org/publications_details.php?volume_id=409&issue_id=3424&article_id=2370105

ローレンス・ウーゼル/ジェームズタウン財団研究員

 北オセチア最高裁判所には、ベスラン学校占拠人質事件の元人質たちがつめかけている。生き残ったゲリラのヌルパシ・クラーエフの裁判が続いていて、公式発表とは矛盾する事実が明るみに出ているのだ。報道によると、人質犯たちのなかには、少なくとも数人のスラブ系の人物がおり、うちひとりの狙撃手は、指揮にあたっていたと見られている。しかし、9月3日にロシア治安部隊の突入のあと、その遺体はどこからも見つからなかった。

 ロシアの人権団体メモリアルが運営するサイト「カフカスキー・ウゼール」によると、7月28日、妻と子どもと一緒に人質とられたカズベク・ミシコフが証言台に立った。それによると、「狙撃手はしばしば体育館に入ってきてコーヒーを飲んでいた。彼は大柄で、髪は赤く、明らかにコーカサス人ではなかった。それに、まったく癖のないロシア語を話していたので、バルト人だと思っていた。持ち物の狙撃ライフルにはたくさんのキルマークが刻まれていた。彼が部屋に入ってくると、そちらを見ることは禁止された」ミシコフ氏はこっそりと彼を観察していたが、治安機関が突入してすべてが終わった後、ゲリラたちの遺体のなかに赤毛の狙撃手はいなかった。

 6月21日には、元人質のザリーナ・ハバローヴァの証言があり、そこでもスラブ系のテロリストの存在が指摘されている。「私が最初の日にトイレに行こうとしたら、階段のところに、どう見てもスラブ系の女が立っていました。彼女は作業着を着て、タバコを吸っていました。検察官のところでもこの話をしましたが、だれも取り合ってくれませんでした」カフカスキー・ウゼールによると、この裁判の判事の一人、タメラン・アグザーロフは、容疑者のクラーエフに対し、この女性テロリストについて尋問した。クラーエフは、「その女は見ていないし、少なくとも最初に学校に突入した時にはいなかった」と答えた。

 この件について、ロシアの新聞ノーヴァヤ・ガゼータのエレーナ・ミラシーナ特派員は、8月1日に記事を書いた。それにはこうある。「元人質たちの証言からは、問題のゲリラたちが、プロの破壊工作者だということが明確にわかる。共通するのはスラブ系の外貌、金髪、なまりのないロシア語だ。人質たちの印象に残っているのは、金髪をポニーテールに結ったロシアの女で、狙撃用ライフルを持って黒いカモフラージュ服を着ていたという。顔は隠しておらず、シャヒドカ*1でもなく、タバコを吸っていた。ほとんどの人質が口にするのは、赤ら顔*2をした大柄の赤毛の男で、彼はクリアなロシア語を話していた。ときどき彼は人質の収容されていた体育館に入り、「大佐」*3に指示をしていた。興味深いのは、人質たちが彼の顔を見ることを禁じられ、顔をそむけさせられるか、自分の手で目を塞ぐよう指示されていたことだ。しかしこういう指示をしていために、逆に人々は彼を気にしたし、結果としてその風貌を記憶してしまった。そして、死んだゲリラの遺体の中に、彼はいなかった・・・」ミラシーナ特派員によると、「ベスラン事件の3日目と4日目には、ロシア語を話すスラブ系のゲリラたちを人質たちは見ることがなかった。だから、すくなくとも法廷ではこういう疑問を追求するべきだろう−−−この人々は、9月2日と3日の間に、どうやって学校から抜け出すことができたのか?」

 ザリーナ・トカーエヴァの証言はまた別の事実を明るみに出している。「ほとんどのテロリストは、オセチア語を話していました。なまりもなく、本当のオセチア人でなければ話せないような純粋なオセチア語です。私は生粋のオセチア人ですし、この点では間違えようがありません」カフカスキー・ウゼールによると、彼女はクラーエフに直接質問した。「なぜテロリストたちにはそういう<共犯者>がいたのか」と。クラーエフは、「(仲間の)ゲリラたちは誰かと電話で話していた。でもそれが誰かはわからない」と答えたが、トカーエヴァに「オセチア人が一緒にいたんでしょう?」と問い返され、「確かにチェチェン人やイングーシ人じゃなかった。ロシア語を話していた」と答えた。

 最初に取り上げたミシコフ氏は、退役兵で、もとは地雷敷設部隊に所属したいたので、ゲリラたちの爆弾についてもよく観察していた。彼は言う。「彼らが爆弾に起爆装置をつないだのは、治安部隊の突入のわずか3時間前でした。彼らは突入が不可避だと理解していたんです」そこで検察官が、「爆発物につないだペダル型の起爆装置をゲリラが踏み続けていた点はどうか」と質問したところ、ミシコフはこう答えた。「彼らは実際にはよくペダルから足を外しているのを見ました。ペダルはダミーでした」と。

 ミシコフはこう続けた。「まちがいなく、テロリストたちは、学校の外側の様子を知っていました。それはテレビ経由ではなく、情報源を持っていたんです。彼らのリーダーの一人、アリと名乗る男はこう言いました。<ベスランに来るのはまったく造作もないことだった。検問所で金を払うだけで通過できた>と。体育館の中では、ゲリラは28人いたのを数えましたが、公式発表の32人よりはもっと多かったと思うんです。銃撃戦の様子からは、どうしても50人以上はいたと思います。中には3人のシャヒドカがいました。2人はとても若く、やせていて、明らかに疲れ切っていました。3人目は背が高く、ベールで顔を隠していました」

 検察官のマリア・セミスノーワは、ミシコフ氏に、人質がどう扱われていたかを質問した。「まず、彼らは黙らせようとしていました。屋根に向かって銃を撃ったりしましたが、子どもたちがトイレに行きたいと訴えると、それは許可して連れて行っていました。しかし、外の政府対策本部が人質の人数をきわめて少なく、354人と発表したときから、彼らは急に残虐になりました。彼らは子どもや老人をひっぱたくようになったんです。<またドブロフカ*4だ。やつらは突入する気だぞ>と言って。・・・最初の爆発は外で起こりました。窓ガラスは建物の内側に向かって吹き飛んだんです。2度の爆発があったあと、数人のテロリストは姿を消しました」

 ノーバヤ・ガゼータのミラシーナ特派員は、ミシコフをはじめとする元人質たちが「ゲリラたちのうち、体育館に姿を現さない一団がいて、彼らが外の対策本部*5との交渉に決定権を持っていた」と証言していると、伝えている。

 ザリーナ・トカーエヴァは、事件の最後の瞬間についてこう証言する。「爆発は治安部隊の突入の直後にあったんです。音が聞こえたのは体育館の天井からで、とっさに見上げると、屋根に穴が空き、炎上していました。更衣室の方にいたゲリラたちを見ると、彼らもひどくとりみだしていました。こう言っているのが聞こえました。<おまえら自身を焼くつもりか>と。わたしが最初の爆発から身を守ろうとしたとき、体育館の屋根がどんどん砲撃され始めました。何人かの子どもと私が更衣室に逃げ込もうとすると、そこも砲撃されはじめました。まるで私たちがそうするのを知っているみたいに。もう体育館の中にゲリラたちはいませんでした。どうして私たちを殺そうとしたんでしょうか?」

 3月に、ロシアのモスコフスキー・コムソモーレッツ紙は、ベスラン事件の証拠品についての連載を載せた。強行突入に使われた戦車のキャノン砲もあった。そこにはウラジカフカスの軍関係者のコメントとして、「シュメル型火炎放射器やRPG−25グレネード弾、T−72型戦車が突入に使われ、人質たちにも重軽傷を負わせた」とある。7月21日のモスクワタイムスによると、ロシアのニコライ・シャペル副検事総長は、ベスランの学校で火炎放射器が使われた事実を認めつつ、それらは天井を焼いただけで、決して室内の火災の原因にはなっていないと言い放った。ジェーン情報グループの指摘では、<シュメル>は秘密保護上、火炎放射器と呼ばれているが、実際にはロケット推進の砲弾を発射するRPO−Aというタイプの燃料気化爆弾であり、シャペルの言う<治安部隊の使った火炎放射器>が命中すると火球が生まれ、周囲を激しく破壊する。

 他にも2人の証人が、最初の爆発があったのは外部だったと証言した。ファティマ・グチエーヴァは、「ゲリラの仕掛けた爆弾は、私の真上につられていました。これが爆発していたら、もう私の頭は吹き飛ばされているはずです」と証言した。9歳の子どもを殺されたゼムフィラ・アガエーヴァは、大量の武器が、事件の起こる前から現場に運び込まれていたことを証言した。学校の廊下の床下に、「黒っぽい緑色の箱がたくさんあって、そこに武器が入っていました。それを、傷痍軍人のような男が守っているのを見ました」と。

 8月2日になって、32歳のマリーナ・ズカーエワが、ベスラン第一中等学校で負った重傷のために死亡した。彼女はベスランの331人目の死者となった。

*1:爆薬付きのベルトを付けた自爆覚悟の女
*2:赤毛が顔の表面も薄く覆っていたためにそう見えた
*3:ルスラン・クチャバロフ/ゲリラの隊長
*4:04年のモスクワ劇場占拠事件の現場の劇場名
*5:最初北オセチアのザソーホフ大統領が指揮し、あとでFSBのウラジーミル・プロニチェフ副長官に交代した

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