チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.04 No.15 2004.05.10

発行部数:1082部

■カディロフ事件について

2004.05.10 大富亮/チェチェンニュース

 昨日、親ロシア派の大統領、アフメドハッジ・カディロフが、グロズヌイの 競技場で、戦勝記念式典の最中に爆殺されました。犯行声明がないので、犯人 は今のところわかりません。チェチェン側の通信社カフカスセンターによると、 爆発は女性殉教者(シャヒドカ)による自爆攻撃だといいます。
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=1327

 その背景を考えてみます。まずこの日についてですが、1944年の5月8 日に、ドイツ軍がジュ—コフ元帥を前に降伏文書に調印しました。それ以来、 翌5月9日はロシアの対独戦勝記念日となり、毎年各地でお祭りが催されてい ます。

 チェチェン問題の視点から見ていると、とても危険な日です。毎年のように 事件が起こるからです。代表的なのは、2002年のこの日に発生した、チェ チェンの東隣のダゲスタン共和国の港町カスピスクでの爆破事件です。

 このときは、パレードの最中に強力な爆弾が爆発し、40人以上が死亡しま した。事件直後から、ロシア政府は、犯人がチェチェン人のラッバニ・ハリロ フという野戦司令官だと主張しましたが、のちにハリロフはチェチェンに逃亡、 戦闘中に死亡したと発表しています。
http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/20030508cn.htm

 最近もこの事件の容疑者3人に対する裁判がダゲスタンで開かれましたが、 弁護士と家族は「自白を強要されている」として、徹底的に法廷で闘争する決 意のようです。結局、犯人は曖昧なまま。そもそも、チェチェン独立派がダゲ スタンで爆破事件を起こすことには、何のメリットもなさそうですが、ロシア 当局としては、そう睨んでいる。あるいはそういう風に、世界に信じさせたい。

 さて、カディロフの立場ですが、端的に言うと、ロシア側の傀儡として、民 主的とはとてもいえないやり方で選出された「大統領」です。チェチェンを取 材しているジャーナリストや学者のコメントでは、「彼を尊敬しているという チェチェン人を見たことがない」というのが通説。

 逆に、彼の息子ラムザンを中心とする私兵集団「カディロフ一派」が、こと もあろうに同じチェチェンの一般市民に暴行、略奪を繰り返していることから、 チェチェン市民の憎しみの的です。このことは、アムネスティ・インターナショ ナルなどが共同声明でくわしく伝えています。
http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/pr20040507amnesty.htm

 カディロフは1951年生まれのチェチェン人で、一時期はマスハードフらと ともに、チェチェンの抵抗勢力に加わっていました。しかし、1999年にロ シアの二度目の侵攻が始まって以来ロシア側に寝返り、2003年にはロシア 側が主導した非民主的な選挙で大統領に選ばれています。このいきさつについ ては、『チェチェン「大統領選挙」の諸相』として調べています。
http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/0336.htm

 あえて図式的に言えば、今回の事件は、ロシアの傀儡であるカディロフに対 して、抵抗を続ける独立派レジスタンスが「殲滅」を図ったと考えることがで きます。ここに、今日まさに日本の各報道機関が伝えているところの「テロ」 行為があるわけですが、あまりに粗雑な捉え方だと思います。

 「テロ」という言葉がもつ「ぬえ」のような得体の知れなさにはとまどうば かりですが、少なくとも、1996年に、独立派のドゥダーエフ大統領をロシ ア軍がロケット弾か爆弾で爆殺したときには、「テロ」という言葉は使われま せんでした。なぜか?

 「テロ」とは結局、「私たちに向けられた暴力」を指す言葉であって、決し て「私たちが荷担する暴力」ではない、ということだと思います。こう書くと き、私は仮に、自分をチェチェン侵攻の正当性を疑わない、ごく普通のロシア 人の立場に置いてみるのですが。

 チェチェンでは、なにか非常に奇妙なことが起きている。警戒厳重だったは ずの式典会場でこんな事件が起こった以上、もしかしたらカディロフはロシア 当局にとって、不要な存在になったのかもしれません。そうだったとしても、 やはりこの事件を「テロ」と呼ぶ必要性はあるのでしょう。

 事件を、「プーチン政権のチェチェン統治政策に重大な打撃(共同)」とい う捉える向きもありますが、逆にこう考えることもできます。「私たち」では ない何者かが、「チェチェンを安定させるために選ばれた」指導者を殺した以 上、彼らは自動的に、危険な「テロリスト」であることになる。人びとがその 考えに慣れることは、戦争を続行しようとする勢力にとって有利です。理解で きず、危険な存在である以上、屈服させるほかないからです。

 96年のドゥダーエフの爆殺さえ、いまだにわからない部分があります。 このカディロフ事件に対する考察は、まだ時間がかかりそうです。