チェチェン総合情報

年代記

1547年 イワン4世(イワン雷帝)即位。コーカサスの山岳民の懐柔と派兵が開始される。

1700年 ピョートル大帝即位。コーカサスに部隊を派遣するが、北コーカサス人とアゼルバイジャン人に撃退される。

1768年 エカテリーナ2世即位。

1785年 スヴォロフ元帥に率いられたロシア軍の侵略に対し、チェチェン人のアルドフ・マンスール・ウシェルマが、自ら全コーカサスの指導者と名乗り、人民を糾合する。6年後にマンスールが捕らえられるまで大規模な抵抗運動が続く。

1816年 エルモノフ将軍、コーカサス総督に任命される。

1818年 軍事都市グロズヌイが建設される。

1834年 宗教指導者シャミーリにより、「北コーカサス独立国」が創設される。

1859年 イマーム・シャミーリのイスラム国家が打ち破られ、チェチェンはロシアに併合される(「コーカサス戦争」の終結。ただしゲリラ戦はさらに続く)。

1864年 チェチェン人、ダゲスタン人、オセチア人、チェルケス人の、国外(トルコ)への移住政策が実行される。

1877年 チェチェンとダゲスタンで、民衆暴動。1年後、ロシア軍部隊の投入により鎮圧。主謀者ら全員絞首刑。

1893年 グローズヌイで石油採掘がはじまる。

1917年 10月革命。ソビエト政権樹立。

1918年 「北コーカサス共和国」が創設され、トルコと友好同盟を結ぶ。白軍による攻撃を受け、いったん制圧される。何度かの蜂起の後、1920年に白軍は撤退し、赤軍がコーカサス入り。

1920年 ソビエト政権に対する民衆蜂起が始まり、1年間続く。赤軍の正規部隊の投入により、鎮圧。

1922年 「チェチェン自治州」設置

1929年 農業集団化に対する反乱始まる。赤軍の介入により鎮圧。

1934年 「チェチェン・イングーシ社会主義ソビエト民族自治共和国」設置。

1944年 スターリン、ナチスドイツへの協力の疑いを理由に、チェチェンとイングーシの全住民をシベリアと中央アジアに強制的に移住させる。多数の死者が出る。

1957年 フルシチョフにより名誉を回復され、チェチェン・イングーシ民族自治共和国が復活。

1991年 ソ連邦崩壊。チェチェン共産党のドック・ザブガエフ議長は失脚。ジョハール・ドゥダーエフが大統領に選出される。チェチェン、ロシアからの独立を宣言。

1992年 チェチェン憲法を制定、大統領−議会制による、独立した世俗国家として規定。

1994年12月 ロシア軍、第一次チェチェン侵攻を開始。1年半つづく。

1995年 6月14日 南ロシア、ブジョンノフスクの病院を、チェチェンゲリラが制圧して約千人の人質をとる。ロシア軍は4日目に攻撃するが失敗、交渉の末、人質120人とゲリラをバスに載せ、チェチェンに移動後、人質全員が釈放された。

1996年4月、ドゥダーエフがロシアのミサイルにより爆殺される。ゼリミハン・ヤンダルビエフが後継となる。

1996年5月、6月までの間、ロシアのエリツィン大統領とヤンダルビエフが停戦合意。

1996年8月、チェチェン抵抗勢力がグロズヌイ奪回。ロシアのアレクサンドル・レベジ安全保障会議書記と、チェチェンのアスラン・マスハードフがハサブユルト和平合意を結ぶ。

1997年 民主的な選挙により、アスラン・マスハードフが大統領に選出される。

1997年5月 エリツィンとマスハードフが、正式な和平条約を結ぶ。しかしチェチェンの独立問題は明記されず。

1998年 ロシアのチェチェンにおける代表、ヴァレンチン・ウラソフが誘拐され、6ヶ月間人質となる。この年の終わり、イギリスとニュージーランドから来た4人のエンジニアが誘拐され、遺体が2000年の3月に発見される。6月、治安悪化のため、マスハードフは国家非常事態宣言を導入。

1999年3月 ロシアのチェチェンにおける代表、ゲンナジー・シュピグン将軍がグロズヌイの空港で誘拐される。2000年の3月に、遺体が発見される。1月、マスハードフは今後3年間かけて、チェチェンにイスラムを元にしたシャリア法を導入すると宣言。元野戦司令官らのグループが、シャリア法を根拠とした反政府組織を結成し、マスハードフの辞任を迫る。

1999年7月 ダゲスタンのロシア軍人住宅で爆弾テロ。その後ロシア各地で爆弾事件が相次ぎ、計300人前後が死亡。「チェチェン人の犯行」と断定される。ロシア軍が再度チェチェンに派遣される。「第二次チェチェン戦争」

新しく首相に就任したウラジーミル・プーチンは、「テロ掃討のための作戦だ」と発言。

1999年10月 過去のチェチェン政府のメンバーを集めて「チェチェン国家評議会」がモスクワに発足する。ロシア政府はこれを正統政権とし、マスハードフ大統領との交渉の可能性を却下する。

1999年10月 ロシア軍の侵攻から逃れるため、20万人の難民が隣国イングーシに逃れて難民化する。

2000年2月 ロシア軍がグロズヌイを制圧。市街のほとんどは瓦礫に。

2000年3月 プーチン、チェチェンの直轄統治を宣言する。

2000年6月 ロシア政府、チェチェンの宗教指導者アフメド・カディロフをチェチェン臨時行政府の長官に任命する。カディロフはプーチン大統領とカザンツェフ南部連邦管区大統領代表の意向に従う。

2001年1月 プーチン、軍事作戦のコントロールを軍から連邦保安局(FSB)に移管する。スタニスラフ・イリアソフが、チェチェンの首相に任命される。

2001年 チェチェンでの遺体遺棄事件などをを通して、人権団体が、チェチェンでのロシア軍による広範囲な不当逮捕と拷問など、人権侵害の実態について非難する。

2001年9月 ロシアの将官(軍監察官)を乗せたヘリコプターが何者かに撃墜され、ロシア軍の内部犯行が疑われる。11日、ワシントン・ニューヨークで同時多発テロ。プーチン大統領は「すべての国際テロ勢力とのコンタクトを止める」ようチェチェン側に要求。

2001年11月 99年以来初めての和平交渉が行われる。チェチェンのアフメド・ザカーエフ副首相と、ロシアのヴィクトル・カザンツェフ南部連邦管区大統領代表がモスクワの空港で会う。ザカーエフはその後「無意味だった」と説明。

2002年6月 国連、援助担当者の誘拐を受けて、難民救援事業を半年間停止。

2002年8月 グルジア政府、チェチェンとの国境近くにあるパンキシ渓谷への、ロシアによる空爆を抗議。モスクワ側はパンキシがチェチェンゲリラの避難場所になっているとして攻撃を正当化。

2002年11月 チェチェンゲリラが、モスクワの劇場を占拠し、800名を人質に取る。公式発表では、ゲリラ41人と人質129人が、ロシア側の投入した毒ガスによって殺害される。

2002年12月 グロズヌイの親ロシア行政府ビルが爆破され、80人前後が死亡する。シャミーリ・バサーエフが関与を認める。

2003年2月 アメリカ政府、チェチェン武装勢力のうち3つを「テロ組織」に指定。

2003年3月 ロシア側、チェチェンの国民投票を実施し、チェチェン共和国がロシアの一部であるとする国民投票が採択されたと発表。人権組織などは、和平が確立する前に国民投票を行ったことで、投票の無効を訴える。

2003年5月 チェチェン北部で爆弾事件が発生し、50人以上が死亡。2日後、カディロフ行政長官のすぐ近くで爆弾が爆発して10人以上が死亡する。カディロフは無傷。

2003年6月5日 北オセチア・モズドクでロシア軍施設に対する爆破事件。のちにバサーエフ司令官が犯行声明。

2003年10月5日 ロシア政府主導の大統領選挙。親ロシア派のカディロフの大統領選出が発表される。

2003年12月5日 チェチェン周辺のスタブロポリ州で列車爆破事件。

2003年12月8日 ロシア下院選。プーチン傘下の与党「統一ロシア」が圧勝。翌日、モスクワの議会ビル近くで爆破事件。

2004年2月6日モスクワの地下鉄で爆破事件。ロシア政府は犠牲者39人と発表。

2004年3月 プーチン大統領再選(二期目、2008年に次回大統領選。今のところ憲法の規定により3選禁止)

2004年2月17日 カタールの首都ドーハで、ゼリムハン・ヤンダルビエフが暗殺される。カタール政府はロシア人の特務機関員2人を逮捕。

2004年4月7日 アムネスティ・インターナショナルなど4団体、チェチェンとイングーシにおける、主としてロシア軍による失踪、強姦、拷問、超法規的処刑の新たな証拠についての詳細な声明を発表。

2004年5月9日 グロズヌイ・ディナモ・スタジアムで爆破テロ。親ロシア派のカディロフ大統領が暗殺される。

2004年6月7日 イングーシ共和国の大規模難民キャンプ、「サツィータ」がロシア当局により強制的に閉鎖させられる。この時期のイングーシの難民数は5万人ほど。

2004年6月21日 イングーシ共和国、ナズランで内務省庁舎などがゲリラの襲撃を受け、92人が死亡。のちにバサーエフが犯行声明と関連ビデオを発表する。

2004年8月24日 南ロシアで、ヴォルガ航空機、シベリア航空機の2機がほぼ同時に墜落。のちにシャミーリ・バサーエフが、自爆攻撃によるものと犯行声明。

2004年8月31日 モスクワ、地下鉄駅付近で自爆攻撃。犠牲者10人。

2004年9月1日 北オセチア、ベスランの小学校が何者かに占拠され、1270名が人質に。独立派のマスハードフ大統領は事件への関与を否定。人質の命のため、犯人との交渉への参加の意向を表明する。

2004年9月3日 ロシア治安部隊が突入。死者330名に及ぶ惨事となる。のちにシャミーリ・バサーエフが学校占拠について犯行声明。