平成14年(ネ)5850号 台湾元「慰安婦」損害賠償請求控訴事件

 

控訴  高寶珠  外7名

被控訴人  国

 

控訴理由

 

平成15年3月12日

控訴人ら訴訟代理人

                           弁 護 士   藍  谷  邦  雄

                         

                  弁 護 士   小 野  美 奈 子

 

                          弁 護 士   笠  松  未  季

 

             弁 護 士   清 水  由 規 子

 

                          弁 護 士   鈴  木  啓  文

 

                          弁 護 士   中  川  瑞  代

 

                           弁 護 士   番    敦   子

 

 

東京高等裁判所民事第22     御中

 

 

上記当事者間の御庁頭書事件について、控訴人らは以下のとおり控訴の理由を提出する。

 

 

第1 事実認定について

1 原判決は、控訴人らが日本国あるいは日本軍によりどのような被害を受けたかという事実認定を全くせず、形式的な法律論に終始した上で控訴人らの請求を斥けている。しかし、これは全く人権感覚を欠いた判決であり、基本的人権の尊重を最大の理念とする憲法の下での裁判をするという司法の役割を放棄した判決である。

2 控訴人らはいわゆる「慰安婦」として、第2次大戦中に、日本軍の内部又は軍管理下において将兵の性的処理の為に置かれた台湾在住の女性達である。

 控訴人らは「慰安婦」という言葉からは想像もつかないほど、人間の尊厳を踏みにじられ、日本軍の性的道具として、その意に反した性行為を制度的に連続的に強要された。

 控訴人らに対するこれらの行為は、国家、軍によって制度的に推進された性差別であるばかりでなく、植民地支配の一環としても行われた。

 ある控訴人は、台湾から南方前線に「お国の為」「看護婦補助」などと偽計甘言を持って連れ出され、帰ることも出来ない状態で軍管理下の慰安所に監禁された。暴行強迫をもって性行為を強要され続けいわば「軍用性奴隷」として扱われた。しかも日本の敗戦後は現地に放置された。

 控訴人らの仲間の多くが、連行、監禁のひとかけらも人間扱いされない状況下で命を落としたり故郷に帰還出来なかったりした中で、控訴人らは、かろうじて生き残り台湾に帰った人々である。

 控訴人らの中の幾人かは山地先住民の子女であるが、彼女らは農業によって細々と暮らしていたところを、働き手の男を戦争にとられて、生活に困っていた。この状況につけ込み警察力で軍の有給の雑用にと欺き駆り出し、日中は雑用に使った。更に夜は、閉じこめられて強姦される状況におかれた。被害にあった当時にはまだ13〜15才と幼かった者もおり、控訴人らの体験はその後の人生を含め悲惨というほかない。これら先住民の少女は植民地民として女性として、更に先住民族として2重3重の差別を受け、その人格を全く省みられなかったのである。

  控訴人らは、あまりにも過酷な経験から、日本国家に賠償を求めることはおろか、この経験を口にすることも出来ず、ひたすら心の傷として内に秘めてきた。控訴人らの戦後は経済的に困窮し、過去の経験に地域社会の中、人間関係において隠然と圧迫される困難で苦渋に満ちたものであったがその生活に耐えてきた。

 人生の終盤に当たり、勇気を振り絞って被害の事実を声に出した控訴人らは平成11年7月の提訴から3年余この裁判の行方を真摯に見守り、日本政府の誠意ある補償を心から待ち続けていた。

3 そうであるにもかかわらず、原判決は控訴人らの受けた被害がどれだけ深刻であるかという本質的な問題には目を向けず、形式的な法律判断のみで請求を斥けている。

  本件訴訟の本質は、過去に日本国や日本軍が行った行為が一体何であったのかをまず確定し、そのことから発生する国の責任を追求することにある。そのためには、事実認定をすることが大前提であり、事実認定なくして本件の公平な解決などありえないのである。

司法の役割は、法に基づいた裁判を通じ、少数者の人権をも尊重することである。そして、この場合の法の中には当然憲法や確立された国際慣習法も含まれる。憲法は基本的人権尊重の理念に立脚し、国際法もまた同じである。裁判所は、それを無視するような解釈は許されないはずである。

しかしながら、原判決の言わんとするところは、過去にどんな違法な行為があったとしても、明文の規定がなければ一切国は責任を負わないと言っているのに等しい。しかし、このような判断が現代の国際社会の中で許されるはずはない。

事実を認定し、その中に到底現憲法や国際法からみて是認できない違法行為があるのであれば、現行法を憲法や国際法に合致するように解釈すべきであり、それが人権の砦としての司法府の役割である。

原判決は、その点を全く看過しており、重大な違法があると言わざるをえない。

   まず、控訴人らの被害事実を認定すべきである。 

 

第2 国際法に基づく請求について

 原判決は、国際法における一般原則として、「国際法は国家と国家の間の権利義務を規律する法であるから、国際法において、個人に対する義務・責任に関する規定がなされた場合も、それは国家が他の国家に対して、その義務・責任を履行することを約束したものである。」とし、「国際法上、個人の生命身体及び財産などの権利利益を保護する規定が定められた場合でも、国家による国際法に違反する行為に対しては、被害を受けた個人が属する国家が、外交保護権を行使して加害国に対する損害賠償等を求めるという方法によって間接的に被害の救済を実現することを予定しているにすぎず、被害を受けた個人が加害国に対して、国際法に基づいて直接に損害賠償等を求める権利が付与されるものではない」として個人が国際法に基づいて加害国に対して直接損害賠償請求を求めることを原則的に否定している。

そして、個人が国際法に基づき、加害国に対して被害回復のための措置を求めることができるためには、その旨の特別の国際法規範(条約の定め又は国際慣習法)が存在することが必要であるが、本件の場合にはそのような国際法規範はないとして控訴人らの請求を斥けている。

しかし、このような考え方は国際法の通説的解釈に反するのみならず、内外の実行例にも反するものであり、原判決には明らかな誤りがある。以下この点について詳述する。

1 国際法上の法主体性について

原判決は「個人は国際法上の権利義務の主体性を欠く」ということを前提に理論を展開しているようであるが、これは間違いである。

確かに、国際法は、基本的には、国家に国際法上の義務を負わせ、国家と国家の間の関係を律するものである。条約締結の主体となりうるのは国家であり、宣戦布告・交戦権も国家に独占され、領土・領海への権利を主張する主体となりうるのは国家のみである。

 しかし、国際法はまた、一人一人の個人が基本的人権の享有者として、その人権を保障されるべきこと、すなわち国際社会全体で守るべき個人の尊厳に最高の価値を置くことを人類普遍の真理として宣言し、国家に個人の人権の保障を義務づけている。奴隷とされない自由、奴隷的労働を強制されない自由などの基本的人権については、国家の特別の措置を待たなくとも、これを侵害された個人への救済を国家に直接義務づけている。

控訴人らは、この個人の自由への侵害に対する救済を求めているのである。控訴人らは、条約締結の権利など国際法上の国家としての権利を主張しているのではない。国際法上保障された個人の権利を主張しているだけである。国際法が個人の権利を保障し、国家に個人の権利保護を義務づけている以上、国際法に保障された個人の権利の侵害が生じた場合に、裁判所が、侵害者に対し被害者への賠償を命じ得る点では、相手が国家であると個人であると区別される理由はない。侵害された個人が国家に損害の賠償を求めうることは必然である。

この意味で、個人にも国際法上の法主体性があると言える。

 外交保護権について

原判決は、国際法は、個人の国際法上の権利が侵害された場合に、その個人の属する国家による外交保護権の行使によって、間接的に被害者の救済を図ることを予定しているにすぎないと述べている。しかしながら、これは、外交的保護の解釈を誤ったものである。

国家は、自国民が外国の領域またはこれに準ずる地域において、身体や財産を侵害された場合に、その外国に対して当該自国民に適切な救済を与えるように、外交手段を通じて請求することができる。これがいわゆる「外交的保護」である。

一般国際法上、外国に所在する私人は、所在国の領域主権に服するのと同時に、自分の国籍国の対人主権に服するが、現実には、領域主権が対人主権に優先する。そこで、領域主権と対人主権のバランスをはかるためにできたのが外交的保護の制度なのである。

 外交的保護は、国家の権利であって、義務ではない。また、私人の蒙った損害は、国家が相手国に請求する損害賠償額算定の一基準となるにすぎず、また国家が受け取った賠償も、そのまま私人に引き渡される必要はないとされる。

   このように、外交的保護は、自国民たる私人の損害を通じて国家自身の権利が侵害され、その回復を国家自身が図る制度として発展を遂げてきたものであって、原判決が言うように、国家をいわば個人の代理人として個人の救済を図ることを目的とした制度ではないのである(安藤仁介、田畑・石本編「国際法」<第2版>1983年・有信堂高文社233〜235頁)。

そして、国家が外交的保護の権利を発動するには、二つの要件が必要とされている。その一つが、いわゆる「国内的救済完了の原則」であり、もう一つが「国籍継続の原則」である。

   「国内的救済完了の原則」というのは、国家が、その国民の受けた損害が外国の国際法違反の行為によって生じたと主張する場合には、当該国民がその外国において利用しうるあらゆる法的救済手段を尽くした後でなければ、外交的保護権を発動し、国際的請求を提出することができないとする原則である(太寿堂、前掲田畑・石本「国際法」<第2版>、236頁)。

 この原則からもわかるように、国際法は、個人の救済手続を第一次的に加害国の国内裁判所に委ねているのであって、それでも救済されない時に限って、国家による外交的保護の発動を認めているのである。決して原判決の言うように、国家の外交的保護権の行使による間接的救済のみを予定しているのではない。原判決の国際法の解釈が誤っていることは、明らかである。

 3 「慰安婦」制度の違法性

 そして、何よりも原判決が看過していることは、「慰安婦」制度が国際法的な見地から考えて明らかに違法であるということである。

控訴人らは、日本国の関与の下に「慰安婦」とされ、性行為を強要された。これらの行為が、奴隷禁止条約、強制労働条約、婦女売買禁止条約に違反し、通常戦争犯罪、「人道に対する罪」に該当することは明らかである。

先にも述べたように、個人であっても国際法上、基本的人権の享有主体であることは否定されないはずである。そして、控訴人らはまさにこの基本的人権を侵害されたのであり、その違法状態からの救済を加害国に対して求めるのは当然のことである。

しかしながら、原判決は、被控訴人国の行為の違法性には全く論及せず、ただ、控訴人らの主張する国際法は個人の請求権を規定するものではないという形式的な議論に終始している。これは、結局、国は、どのような行為をしても個人に対しては国際法上の責任を負うことはないのだと言っているのに等しいが、そのような解釈が許されるはずはないことは言うまでもない。

4 国家責任解除義務の効果としての請求権及びユス・コーゲンス(強行法規)違反に基づく請求権について

@ 原判決は、「ユス・コーゲンスとはいかなる逸脱も許されない規範として、また後に成立する同一の性質を有する一般国際法の規範によってのみ変更することのできる規範として、国により構成されている国際社会全体が受け入れ、かつ、認める規範のことである(条約法に関するウィーン条約53条、64条)」として、ユス・コーゲンスの存在自体は認めつつも、ユス・コーゲンスに違反した国家に対し、被害回復の措置をとるべき国際法上の義務までを課している強行法規的な国際法規範が存在しているとは認められないとする。

しかし、国際法上の強行法規の存在を認めながらもそれに違反しても何らの義務も科せられないというのであれば、一体その強行法規にどんな意味があるというのであろうか。

 日本軍が行った組織的な強姦行為がどのような観点からも許容されるものではなく、ユス・コーゲンス違反であることは疑いを入れない。とすれば、そのような強行法規違反の行為を行った国は、その違法状態を解消する義務を負うはずである。原判決の言うように強行法規違反を行っても何の責任も生じないのだとすれば、一定の行為を禁じる強行法規があるといっても何の意味もないのであり、違反のし放題という事態にもなりかねない。そのような事態を国際法が容認しているとは到底考えられない。違法状態を作り出した国は、それを解消する責任があると考えるのが国際法の常識である。

A そして、その解消方法は原状回復、損害賠償、陳謝、責任者処罰、再発防止などである(ホルジョウ工場事件等)。

 一般に、私人が国内裁判所において国際法に基づく請求を行う場合、当該国際法の趣旨を具体化した国内法があればその国内法に基づき請求することになるが、そのような国内法がない場合も、わが国では憲法98条2項により国際法に国内的効力が与えられているので、直接国際法に基づいて請求できると解すべきである。仮に、国際法の直接適用が認められないとしたら、控訴人は、国内裁判所で被害の救済が受けられないことになり、国家責任は解除されない状態が継続する。国家責任の解除は、国際法上の国家の義務であるから、立法・行政・司法は、それぞれの義務を履行しなければならない。立法は、国際法上の義務の履行に必要な立法措置をとらなければならない。行政も、国際法上の義務の履行に必要な措置―例えば責任者の処罰―をとらなければならない。そして、立法・行政のこれらの義務の過怠がある場合には、司法はそれを違法と評価する義務があるのである。

原判決はこの義務を全く果たしておらず、誤った判決であるといわざるを得ない。

 

第3 民法上の責任について

原判決は、国家無答責の論理と時効若しくは除斥期間の論理から控訴人らの請求を棄却している。しかし、原判決には以下に述べるような違法がある。

1 国家無答責の法理の適用について

@ 原判決が、国家無答責の法理を適用した判断には弁論主義違反の違法がある。

原判決は、控訴人らの不法行為責任の主張に対し、国家無答責の法理を適用して控訴人らの請求を退けている(原判決28頁)。

しかし、不法行為の成立を否定する国家無答責の法理の主張は抗弁であるから、国家無答責の法理の適用を根拠づける事実すなわち「国の権力的作用により控訴人らに損害が生じたものであったこと」の主張・立証責任は被告国にある。しかし、被控訴人は、国家無答責の法理の適用を基礎付ける事実を何ら提出していない。

被控訴人国は、旧憲法下では、国の権力作用によって生じた損害について国が損害賠償責任を負わないとの理論が通用していたこと、学説、判例によってもこの理論が認められていたことを一般論として主張するのみである。

被控訴人国は、控訴人らに生じた損害がいかなる公権力の行使によったものであるかにつき何ら主張・立証していない。控訴人らに対する拘束・強制について、当時の日本政府がいかなる形で権力作用を行使していたか、事実関係については一切主張せず、控訴人らの被害に関する国の関与について控訴人が主張する事実に対して認否すらしていない。

 しかるに、原判決は、国家無答責の法理を適用して、控訴人の請求を棄却している。裁判所は、当事者が申し立てていない事項について判決することはできない(民事訴訟法246条)のであり、原判決は、当事者の主張に基づかない判決である。

A 国家無答責の法理の解釈・適用を誤った違法

国家無答責の法理とは、問題となる国家の行為が公務のための権力作用である場合に、当該公務を保護するためのものであって、当該行為が公務のための権力作用に当たらない場合には、国の行為によっても民法上の不法行為責任が成立することを否定するものではない。(京都地方裁判所第6民事部平成15年1月15日判決・平成10年(ワ)第2229号損害賠償請求事件)

国家無答責の法理によって国に対する損害賠償請求が否定されるのは、あくまで、「公権力の行使によって生じた損害」についてである。損害を生じさせた国の行為が、国家が優越的地位に基づく権力作用として強制、命令した行為の結果であるとの要件が必要である。

しかるに、原判決は、この公権力の行使の解釈を誤り、控訴人らの主張を引用し「原告らに対する加害行為は、日本軍が戦争目的達成の手段として制度的に拘束、強姦などの違法行為を行った」ものであるから「国家の権力的作用に属すると考えられる」としている。

この判断は、国家権力を単なる実力装置と捉え、その実力装置が何らの法的権限に基づかず違法に行使された場合であっても国家無答責の法理により保護されることを認める解釈である。

しかし、何らの法的根拠を持たない違法な国家機関の行為は、すでに「国家の権力的作用」「公権力の行使」とは言えないのであり、かかる行為についてまで国家無答責の法理の適用が可能とする原判決の解釈は誤りである。

B 控訴人らの主張の理解を誤った違法

原判決は、控訴人らの主張自体、すなわち、「原告らに対する加害行為は、日本軍が戦争目的達成の手段として制度的に拘束、強姦などの違法行為を行った」というものであるから、「国家の権力的作用に属すると考えられる(原判決第2(1)オ)」としている。

 しかし、控訴人らは、慰安婦制度が、日本軍によって戦争目的達成のための手段として組織的・計画的に進められたものであること、控訴人らを性奴隷とし、日本軍の兵士に陵辱させるということが、日本軍の軍事政策として行われたものであることを主張しているのみである。

C 慰安婦の徴募に、公権力行使の根拠は存在していない

  国は、立法によって、様々な政策目的達成のために権力的作用を用いることができる。1938年4月1日に公布された国家総動員法は、まさに、戦争目的達成のために戦時において労務・物資・賃金・施設・事業・物価・出版など経済活動全般について政府が必要とする場合、帝国議会の審議を経ることなく勅令等によって統制することを可能にするものであった。

そして、以後、国民徴用令・国民職業能力申告令・賃金統制令・従業者移動防止令・価格等統制令・新聞紙等掲載制限令・会社利益配分および資金融通令などの法令が制定され、権力的作用によって国民を戦争に動員している。

しかし、国の政策目的は、常に権力的作用に基づき達成されるものではない。国は、本件事案の場合すなわち従軍慰安婦をもって兵隊を慰撫するとの政策実現につき、公権力の行使すなわち徴用令などの方法によって慰安婦を動員する方法をとっていない。

従軍慰安婦募集については、民間人に委託して募集・慰安所経営・管理を行わせていたのであり、権力的作用をもって徴用ないし動員する方策は用いていない。

よって、原判決が、国家無答責の法理により控訴人らに対する国の責任を否定したことは誤りである。

D 釈明義務違反(民訴149条)の違法

控訴人らは、国家無答責を主張する被控訴人に対し、女性を性的道具として徴用ないし動員するために行使された公権力とは、いかなる根拠(法令)に基づくものであるかにつき釈明を求めたが、被控訴人からはなんらの釈明がなされていない。

原審は、上記求釈明を受けながら(民訴第149条)、被控訴人に釈明を求めないまま漫然と「原告らの主張する日本軍の行為は、・・・権力的作用に他ならない」と判断し、控訴人に防御の機会を与えない不意打ちの判断をしたものである。

控訴人らは、かかる訴訟指揮によって、控訴人らに対する国の行為が権力的作用によるものであったか否かにつき防御する権利を行使することができなかった。

E 原判決は、控訴人らの「原告らが受けた被害は、雇用契約から生じたものである」との主張につき、判断していない。

以下に述べるとおり、控訴人高、盧、黄、鄭、楊は、民間の慰安所経営業者との雇用関係にあり、曾、林、蔡、鐘は、軍の雑用係りとして私法上の雇用契約にもとづき雇用されていた関係にあったのである。

@ 控訴人高について

役所から招集通知が届き、日本軍のために働くとの指示内容であったことから指示された場所に出頭し、慰安所は民間人の女性3人が管理していた。

この状況からみるとあたかも徴用令による強制的な徴集のように見えるが、慰安婦の募集については、国による徴用の方法は採用されていなかったのであるからこれが法令に基づく召集通知であったとは考えがたい。その後控訴人高が、民間人の管理する慰安所に送られた経緯からすると、民間の労働者募集に役所が何らかの協力をしていたものの、一般の雇用契約による就業であったと考えられる。

A 控訴人盧について

 旅館経営者から海南島でお茶運びや厨房の仕事をするとのことで連れていかれ、日本人妻帯者が管理する慰安所で就業させられている。

B 控訴人黄について

看護婦募集の張り紙を見て応募し、炊事の仕事をするために集合場所に集まりKAKIという日本人男性と他の女に連れて行かれた先で、KAKIの管理する慰安所に入れられている。

C 控訴人鄭について

中学に行ったことがあり読み書きができたことから就業先の魏に看護助手として読み書きのできる人の募集があるとのことでアンダマンへ2年間行くよう指示され、魏の妻に連れられアンダマンに行き、慰安所に入れられている。慰安所は日本人女性2人が管理していた。

D 曾について

民間人である日本人が日本軍のための食堂(そばや)を開いたことから、その食堂に雇われ、他の女性2人と一緒に食器洗い、料理運び、掃除などをして給料を貰っていたが、2から3ヶ月後に食堂の仕事が終わった後兵舎内の休憩室で、4人の兵隊に強姦され、以後、他の女性2名とともに毎日、食堂の仕事が終わったあと日本兵の相手をさせられていた。

E 控訴人林について

派出所の警察官から日本軍の倉庫部隊で裁縫等の雑用仕事をするよう言われ、月10円の給料で働いていた。当初は通いであったが、宿舎に泊り込みで仕事をするよう命ぜられ、その3月くらい後に、宿舎内の洞窟に連れて行かれ強姦され、以後週に2回から3回兵隊の相手をさせられている。

F 控訴人蔡について

 日本の警察官に日本軍の部隊が掃除・洗濯・お茶くみの手伝いを求めているので、軍隊で働くように言われ、他の女性4人と一緒に40分ほど歩いて部隊に通い仕事をして月10元の給料を得ていた。3ヶ月ほどして、西村隊長に夕方5時の帰宅時間を過ぎても残るよう指示され、洞窟に連れて行かれ、4人の兵隊に次々強姦され、以後毎日夜は、洞窟で兵隊の相手をさせられた。

G 控訴人鐘について

 日本人警察官に近所に住む女性2人とともに、日本の駐屯部隊で働くことを勧められ、給料をもらえるとのことで働くことにして、日本人警察官に連れられて、清泉のダキ部隊で洗濯・お茶汲み・裁縫などの仕事をしていたが、1ヶ月もたたないうちに他の部屋に連れて行かれ6人の日本兵に次々強姦され、それ以来夜は一晩3人から6人の日本兵の相手をさせられた。

H 控訴人楊李について

  幼友達とともに台湾人陳古山という男性と海外で働く契約をし、金200円を受け取り、慰安婦の仕事とは知らずに同人に連れられボルネオのサンマリンラに連れて行かれたが、そこには慰安所があり、慰安婦の仕事をさせられた。

以上、控訴人らは、国の優越的地位に基づく権力作用の発動によって慰安所ないし軍隊内で就業していたものではない。従って、その就業中に受けた被害については、国家無答責の法理の適用はない。

F 国の関与の違法性について

  以上、控訴人らが慰安婦とされるにつき、これが公権力の行使によるものでなかったことはあきらかであるが、また一方、控訴人らに対する加害行為が、国の積極的関与なしには有り得ないかったものであり、控訴人らは、原審において、このことを多方面から主張している。すなわち、軍隊駐留地への慰安所施設の設置、軍に選定された業者による女性の徴募、軍による女性の移送、軍医による衛生管理等である。

しかるに、原判決は、この点につき何ら判断することなく、国家無答責の法理を適用して控訴人らの主張を排斥している。よって、原判決が上記事実につき判断していない点は、原告の主張に対する判断を遺脱した違法がある。

G 判決に事実の摘示が無い違法(民訴253条2項)

 判決の事実の記載には、請求を明らかにし、かつ、主文が正当であることを示すのに必要な主張を摘示しなければならない。しかるに、原判決には、国家無答責の法理を適用して請求を排斥するために必要な事実、すなわち、損害賠償を否定すべきいかなる公権力の行使がなされたかにつき記載がない。

2 時効ないし除斥期間について

 原判決は、本件について、「除斥期間の適用を妨げる事情があると認めることはできない」(31頁)と判断し、控訴人らの民法上の不法行為に基づく請求を棄却したが、これは法令及び判例の解釈を誤った不当な判断である。

@ 平成元年判決

 民法724条後段について、平成元年12月21日最高裁第一小法廷判決は、これをいわゆる除斥期間として、同条の不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する趣旨に則し、20年の期間は一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものとした。そして、「除斥期間の援用に対して信義則違反や権利濫用の主張をする余地はない」と判示し、時効中断ないし消滅時効の援用を待つまでもなく権利が消滅するものとした。

 しかしながら、同条の趣旨を不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図するものとしても、本来、不法行為制度の究極の目的は、損害の公平な分担を図ることにあり、公平の観点こそ不法行為制度の理念であることから、この理念を損なってでも守るべき法的安定はありえないと考えられる。そして、この理念は、民法724条前段の3年の時効の判断においてばかりではなく、同条後段の解釈、判断についても、その前提となるものである。個別の諸事情によって、20年という時間の経過で権利行使を遮断することが、正義・公平の観点から許されない場合がある。平成10年判決は、こうした特別事情を考慮して、除斥期間を排斥した。

A 平成10年判決の意義、解釈

 平成10年6月12日の最高裁第二小法廷判決は、「民法724条後段の規定の趣旨は前記のとおりであるから、右規定を字義どおりに解すれば、不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には、右20年が経過する前に右不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま、右請求権が消滅することとなる。しかし、これによれば、その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したこということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものと言わざるを得ない。そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があることは、前記時効の場合と同様であり、その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」として、除斥期間の適用を排除した。

 原判決が述べるように、確かに平成10年判決は、民法158条との関係において判示されたものではあるが、その解釈の前提となったのは、損害の公平な分担という不法行為制度の理念を前提とした、「著しく正義・公平の理念に反する」という実質的判断である。 原判決は、次のように述べる。

 「原告らが指摘する最高裁判所平成元年12月21日判決は、不法行為の被害者が、不法行為の時から20年を経過する前6か月内において当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が禁治産宣告を受けたことにより後見人に就職した者が、その時から6か月内に当該不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したというきわめて限定された事実関係の下で、消滅時効の場合には民法158条の適用が可能であるにもかかわらず、除斥期間についてはそれが不可能であることによる不均衡なども考慮して、民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを例外的に認めたものである。」(31頁)。

 しかしながら、たとえ、平成10年判決は、民法158条との関係での限定的な場面での判断であるとしても、平成元年判決の見解によれば、限定的であろうとなかろうとそのような例外を認める余地はまったくないはずである。平成元年判決は、どのような事情があっても20年という時間の経過によって、画一的に、除斥期間の効果によって権利行使が遮断されると判示した。ところが、平成10年判決は、時効の場合との不均衡を避けるために、平成元年判決にあえて従わず、権利行使を遮断することが適当か否かという実質的判断によって、除斥期間を斥けたのである。

 つまり、画一的に除斥期間の効果によって権利行使を遮断すべき、また遮断しても公平の観点から問題がない事案以外に、画一的解釈では不法行為制度の理念に反する事案が存在し、そうした場合には個別の特別な事情を考慮して権利行使を認める解釈を行うことを、平成10年判決は示したのである。平成10年判決の意義はこの点にあり、平成元年判決が示した、どのような場合であっても常に時間の経過をもって権利主張を許さないという判例は、事実上変更されたものと評価される。

 原判決は、本件について、事実認定すら行わず、実質的な判断を一切することなく、除斥期間の効果を認めた。原判決は、上記の平成10年判決の意義を十分に理解しておらず、ひいては、民法724条の解釈を誤ったものである。

B 特別事情について

 平成10年判決が述べるような「著しく正義・公平の理念に反する」場合というのは、いかなる場合であろうか。

 概括的に言えば、それは、除斥期間の効果を及ぼし、相手方である加害者を保護することが不当な場合である。例えば、加害者の行為の違法性のレベルが高く、一方、被害者の被害程度が深刻な場合、被害者の権利行使が容易ではなかった場合、被害者の権利行使を加害者が妨害したと見なされるような場合、被害者と加害者の権力関係の不均等がある場合等は、民法724条後段の適用について、損害の公平な分担という不法行為制度の理念に立ち返り、実質的に審理すべきである。このような場合に、画一的に期間経過によって権利行使が許されないとすることは、「著しく正義・公平の理念に反する」ということになる。

C その後の裁判例

 平成10年判決の意義は、その後の裁判例に表れている。

上記のような事後的な特別事情を考慮する裁判例や「不法行為ノ時」という条文の解釈を、権利行使が可能となった時、というように時効の場合に準じて解釈する裁判例があらわれた。

 第二次世界大戦中に日本で強制労働を強いられた中国人らが提訴し、国等に損害賠償を請求した事件について、京都地方裁判所が平成15年1月15日言い渡した判決(同裁判所平成10年(ワ)第2229号)では、「本件規定が定めている20年の除斥期間の満了時期については、起算点を確定する場合とは異なって、事後的事情を一切無視して考えることは相当ではない。最高裁判所平成10年6月12日第2小法廷判決(民集52巻4号1087頁)は、このことを明らかにしたものであると解される。この点において、原告らが主張する前記の諸事情を検討してみなければならない。」と述べ、起算点は不法行為時に確定するものの、その後の特別事情を考慮するという趣旨を明確に示している。

 一方、本件と同じように、いわゆる「慰安婦」とされた在日韓国人の宋神道さんの損害賠償事件の控訴審判決において、平成12年11月30日東京高等裁判所は、20年の起算点について、以下のような判断を示した。

 「…民法724条後段は、不法行為による損害賠償請求権は、不法行為の時から20年を経過したときに消滅するものと規定するものであるが、前記認定のとおり、控訴人ら大韓民国の国民の日本における財産、権利及び利益については、これに関する権利関係は、昭和40年の日韓基本関係条約、日韓請求権協定の成立までは、その処理、権利等の実行の帰趨が確定していない状態にあったものと認められる。したがって、このような特別事情のあることにかんがみると、控訴人が遅くとも昭和20年8月15日までに取得した可能性がある被控訴人に対する損害賠償請求権については、その除斥期間の起算日は、在日韓国人の財産、権利及び利益に関する実体上の権利が消滅することなく存続することが確定した日韓請求権協定の発効日及び財産権措置法の施行日である昭和40年12月18日であると認めるのが相当である。」として、起算点を、実質的な権利行使可能時とした。

 上記裁判例は、いずれも、平成10年判決を受け、民法724条後段について、平成元年判決のような画一的な判断ではなく、個別事情等を考慮した判断を示したものである。

D 本件について

 本件について、20年の期間の起算点を不法行為時とした場合には、本件提起までにすでに50年以上が経過している。

  しかしながら、本件は、除斥期間の効果によって権利行使を遮断した場合には、不法行為制度の公平という理念に反し、「著しく正義・公平の理念に反する」場合である。

 控訴人らは、日本軍の性的処理のいわば道具として、連行、監禁され、強姦と同視しうる性的陵辱を受けた。控訴人らは、日本の敗戦に至るまで継続的に性的被害等を被ったのであり、その被害の程度は、その後の控訴人らの人生を台無しにするほど深いものであった。そして、身体的、精神的被害は、戦後50年を経過した今でも、まったく慰謝されていない。一方、被控訴人国は、1993(平成5)年まで、いわゆる「慰安婦」問題に関して日本軍の関与を否定し、証拠を隠蔽しており、事実上、控訴人ら被害女性の権利行使を妨げていた。

 さらに、当時の台湾では、女性に対する貞操の要請が強く、女性の貞操は家の名誉に関わることであることから、本件被害事実を公表することは、被害者本人ばかりではなくその家族も社会から軽蔑を受けることとなり、また、結婚等の家庭生活を諦めることを意味した。つまり、実際上、控訴人らは、被害事実を隠してひっそりと生活しなければならなかったのである。そして、被害者である控訴人らが、被害事実を訴えることができるようになったのは、1995(平成7)年に、台湾国内において、いわゆる「慰安婦」の調査がなされた時以降である。

 このように、本件は、除斥期間の効果によって、加害者である被控訴人国を保護すべき必要性のまったくない事案である。

 また、控訴人ら台湾人は、明治以来日本の植民地の住民としての日本国籍を有していたという特殊事情がある。台湾と中国大陸との関係については現在なお不透明であり、台湾との関係について、日本と中華人民共和国との関係に含めて考えることはできない。このように、日本と台湾との関係には複雑な背景事情があり、それを象徴するように日本と台湾との間には、日本と韓国のような基本協定ないし条約等は存在しない。宋さんの事件で東京高裁が示したように、除斥期間の起算点を協定等の締結時に求めることはできない。

 以上から、本件は、仮に不法行為時から20年の除斥期間が経過したとしても、その後の事情によって、控訴人らは、権利行使することができなかったことから、除斥期間の効果は及ばない。

 また、除斥期間を認めたとしても、その起算点は、不法行為時ではなく、1995(平成7)年の台湾における調査開始時に求めるべきであり、いまだ除斥期間は経過していない。

 よって、いずれの解釈を取るとしても、本件においては、被控訴人国の民法上の不法行為責任は、除斥期間の適用はなく、控訴人らは、被控訴人国に対し、不法行為に基づく損害賠償請求を有する。

 さらに言えば、本件は、国際法違反行為であり、本来、民法の時効・除斥期間の規定が適用されるものではない。国際法違反行為については、国に違法解除義務が生じ、解除するまで義務が消滅することはないから、時効・除斥期間が適用される余地はない。

 

第4 国家賠償請求について〜立法不作為の違法性〜 

原判決は「国会議員は立法に関しは、原則として国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規程の適用上違法の評価を受けるものではないと」し、「憲法の前文及び各条項において、原告らの主張するような被害者に対する救済立法をなすべき義務が憲法上一義的に定められていると解することはできない」とする。更に国際法上の国家責任の解除の方法としての補償立法を行う作為義務も否定している。

しかし、これは憲法及び国際法の解釈を誤った判断である。

 これまで再三にわたり述べてきたとおり、控訴人らは日本軍により組織的かつ制度的に「慰安婦」とされたのであり、これらが控訴人らの基本的人権を侵害する行為であることは疑いをいれない。その意味で、国は憲法の各条項及び国際法の各条項に違反する。しかもそれは重大な違反である。

そして、これらの違反行為を救済する方法は謝罪し、賠償をするしかないのである。原判決は国家責任の解除の方法は多様であるというが控訴人らの賠償を行わずして、他にいかなる国家責任の解除の方法があるのか。

これまでに控訴人らになんらかの被害の救済策が取られているのであれば、その内容が不十分なものであってもそれは国会の裁量であるという論法も成り立つが、全く何もしていないにもかかわらず国家責任の解除の方法は多様だから被害補償立法をしなくていいというのは明らかに司法の役割を放棄した無責任な結論である。

基本的人権の擁護、国際法の遵守を謳った憲法の趣旨からすれば、「慰安婦」制度の被害者である控訴人らに被害の補償立法が行われなければならないのは憲法上一義的に明らかである。

原判決はこの点において憲法、国際法の解釈を誤っている。

 

第5 まとめ

以上、述べてきたとおり原判決には各種の誤りがあり、破棄されるべきである。控訴審においてはまず事実認定をし、被控訴人の責任を改めて検討すべきである。

以上

 

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