[投稿]CD紹介
沢知恵『りゅうりぇんれんの物語』

りゅうりぇんれん=劉連仁という名を、このCDで初めて知った。
http://www.comoesta.co.jp/discography/cmca2020.html

劉連仁さんは、1944年9月、中国・山東省で旧日本軍に拉致され、北海道沼田町の明治鉱業昭和鉱業所へ強制連行された。過酷な労働を強いられ、翌45年7月脱走。
日本の敗戦を知らないまま、山中に穴を掘るなどして暮らし、13年間逃げ続けた末、58年2月、当別町で保護され、中国に帰国した。
強制連行と逃亡生活の補償を求めて日本政府を訴えたが、判決を待たず2000年9月2日に亡くなった。訴訟は遺族が引き継ぎ、東京地裁で勝訴。しかし国が控訴し、05年6月、東京高裁で逆転敗訴。上告したが、今年4月に棄却された。

このCDは、昨年亡くなった詩人茨木のり子が編んだ長編叙事詩を、韓国人を母に持つ歌手沢知恵が歌にしたもの。
昨年のクリスマスに初披露された時のライブ録音であり、沢知恵は、4月の上告棄却を聞いて、「やり場のない怒りをどこにぶつけたらいいのか、気持ちがおさまらなくて」この歌をCD化することに決めたという。
74分に及ぶ壮絶なピアノ弾き語りである。

歌といっても、実際はピアノを弾きながらの詩の朗読である。歌詞なしで歌う部分はあるが、詩に曲はつけられていない。
さすがに74分歌いっぱなしというのはあり得ないか。これはちょっと残念に思った。
しかし、聴いてみると、ピアノを弾きながら詩の朗読というのは、ピアノを弾きながら歌うのより難しいのでなかろうか。ピアノのリズムが崩れてしまいそうな気がする。その意味でかなりの技量を要する作品のように思う。74分間、1個所も噛まずに朗読するだけでも大したもの。
そこに沢知恵の、この作品にかける情熱を感じた。

ピアノの演奏はとてもよい。メロディーの主要なモチーフは2種類で、穏やかかつもの悲しいものと、緊迫感のあるもの。前者が特にいい。

──―─

劉連仁たちは、山東省の村で「手あたりしだい ばったでも掴まえるように」捕らえられ、連行された。
劉連仁は身重の妻を残していた。

働かされた炭坑での待遇は、

  <カレラニ親切心 或イハ愛撫ノ必要ナシ
   入浴ノ設備必要ナシ 宿舎ハ坐シテ頭上ニ
   二、三アレバ良シトス>

というものであった。
逃げ出して捕まれば、烈しいリンチが待っていた。

  仲間が生きながら殴り殺されてゆくのを
  じっと見ているしかない無能さに
  りゅうりぇんれんは何度震えだしたことだろう

夏になり、劉連仁は逃げた。「便所の汲取口から 汚物にまみれて這い出した」。

最初は4人の仲間がいたが、その年のうちに2人、翌年に2人がつかまり、劉連仁はたった1人で、その後12年の逃亡生活を生き延びた。
最初の2人が捕まった、その数日前に既に日本は敗戦を迎えていたのだったが。

冬には零下何十度にもなる北海道。穴を掘って「冬眠」した。

  りゅうりぇんれんにとっての生活は
  穴に入り 穴から出ることでしかなかった

  十年たつと月日は数えられなくなり
  家族の顔もおぼろになった

冬眠が終わると歩く練習をする。

  年とともに 歩くための日は
  多く多く費され
  二ヶ月もかけなければ歩けないほどに
  足腰は痛めつけられていった
  それはだんだんひどくなり
  秋までかかって ようやく歩けるようになった頃
  北海道の早い冬はもう
  粉雪をちらちら舞わせ
  また穴の中へと りゅうりぇんれんを追いたてた
  獣のように生き
  記憶と思考の世界からは絶縁された

逃亡生活も限界に来たかに思われた時、ようやく保護された劉連仁。

  りゅうりぇんれんは訝しむ
  何故ぶん殴らないのだろう
  何故昔のように引きずっていかないのだろう

  りゅうりぇんれんは熱いうどんを注文した
  頬の赤い女中がうやうやしく捧げもってきた
  りゅうりぇんれんの固い心が
  そのとき初めてやっとほぐれた

しかし、話はここでは終わらない。
日本政府は、彼を不法残留の容疑で送検し、出頭を求めた。政府は強制連行の事実を否定し、劉連仁は任意契約で日本に来たのだと強弁した。

  心ある日本人と中国人の手によって
  りゅうりぇんれんの記録調査はすみやかに行われた
  拉致使役された中国人の数は十万人
  それらの名簿を辿り 早く彼の身分を証すことだ
  スパイの嫌疑すらかけられている彼のために
  尨大な資料から針を見つけ出すような
  日に夜をつぐ仕事が始った

  「行方不明」
  「内地残留」
  「事故死亡」

  たった一言でかたづけられている
  中国名の列 列 列
  不屈な生命力をもって生き抜いた
  りゅうりぇんれんの名が或る日
  くっきりと炙出しのように浮んできた

劉連仁が強制連行の被害者であることが証明された。
しかし、日本政府は、10万円(現在の約200万円)を劉連仁に渡し、事件をうやむやにしようとした。
彼は受け取りを拒否し、1958年4月に帰国。
妻と、初めて会う息子のもとに、ようやく帰ることができた。

  時がたち
  月日が流れ
  一人の男はふるさとの村へ
  遂に帰ることができた
  十三回の春と
  十三回の夏と
  十四回の秋と
  十四回の冬に耐えて
  青春を穴にもぐって すっかり使い果したのちに

──―─

横井庄一氏や小野田寛夫氏は知っていても、劉連仁さんを知らなかった自分の不明を恥じる。
確かに、劉さんの保護は私の生まれる前の出来事だが、裁判はつい最近まで続いていたというのに。
侵略軍の兵士であった横井氏や小野田氏は英雄のように迎えられた。一方、強制連行された、何の非もない被害者である劉さんは、放っておかれ、スパイ扱いまでされ、一切の補償もされない。
その事実を知らしめてくれただけでも、これを歌ってくれた沢知恵に感謝したい。

最後に、長い長い詩の中で、最も印象的だった一節を挙げる。

  昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた
  罪もない 兵士でもない 百姓を
  こんなひどい目にあわせた
  「華人労務者移入方針」
  かつてこの案を練った商工大臣が
  今は総理大臣となっている不思議な首都へ

強制労働と逃亡に費やされた劉さんの14年を奪った張本人、岸信介は、その時首相にまでなっていたのだった。そして、今はその孫が権力にしがみついている。

──―─

なお、沢知恵の「歌」を聴きたいという人には、次のCDをお薦めする。
『死んだ男の残したものは/満月の夕』
http://www.comoesta.co.jp/discography/cmca3.html

『死んだ男の残したものは』では、静かに始まって、次第に感情が高ぶり、最後はブレスも息絶え絶えになる絶唱がすさまじい。

2007.8.  (M.O)