書評 『永遠の不服従のために』(毎日新聞社 辺見庸)

 予約注文していた書店からの一報は、「もうすでに品切れ」だった。これは売れ筋、という本は、販売実績の少ない小さな書店にはなかなか回してくれないことが、よくあるのだという。この著者・辺見庸氏については、以前はさほど気にとめることもなかった。が、9・11以降まちがいなく私の心を捉えて離さなくなった。その彼のエッセイが単行本になると知り、即座に予約を申し込んだ。発行予定の一週間前である。この本の予想を超えた反響の大きさは、息づまるような閉塞感漂う中にある日本の深部で何やら新しい変化が起こりつつある兆しなのだろうか。
 本書は「サンデー毎日」2001.7.29〜2002.8.25号に掲載された「反時代のパンセ」に加筆、訂正を施したものである。9・11とその後の世界、それが彼を突き動かした直接の、そして最大の動機だった。
 おりしも、私がこれを読み始める直前の11月9日、日本のジャーナリズムが議員汚職やら拉致被害者の今日の表情やらをどうのこうのと紙面を賑わせていた頃、イタリアのフィレンツェでは空前の対イラク戦争反対のデモ行進が行われていた。全欧州から実に50万〜100万が結集。そのニュースは全世界を駆け巡った。これをほとんど無視して恥じない神経とはいったいいかなるものなのか。この国のジャーナリズムはどこまで腐り果てているのか。
 ―――「歴史が重大な岐路にさしかかると、群れなす変節の先陣を切るのはいつも新聞なのだと、丸山(眞男)はいささかの怒りと軽蔑をこめて記したのである」。本書の冒頭、異常なまでの小泉人気が沸騰する中で書かれた「裏切りの季節」の一節は、まさしく時宜にかなっていると言う他はない。
 「この時代にあっては、国家の要請や、指示、命令にうっかり従うことはできないということを、書きながら常に意識してはいた」「きたるべき(あるいはすでに到来している)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない」(「あとがき」)。
 論調は、あらゆる角度・視点を慎重に吟味する柔軟性を保ちつつ、ユーモアに満ち、なおかつ常に断固として非妥協的である。そのことにまず共感しないではいられない。権力に媚びぬ姿勢、随所に折り込まれた先人の知恵に学ぶ謙虚さ、時代の流れに身を任せる危険への静かな、しかし毅然たる警鐘。「人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、傍観、無関心」等々が歴史の中でいかなる意味をもち、どんな役割を果たし、それがいかに非人間的であったかを、戦争の理不尽を、その時々の社会・政治状況に照らして読者に問いかける。
 思わず引き込まれて読み進む中、「敵」と題されたわずか数ページがひときわ鋭く異彩を放つ。著者は、ブッシュをソフォクレスの「オイディプス王」になぞらえた栗田禎子さんの論考を、これに半分は同意しつつ語る。―――「『あなたが探している下手人、それはあなたご自身ですぞ』。予言者はさらにいう『あなたの敵はあなたご自身なのです』。そう米国の真の敵は米国自身である。まっとうな論者たちは、いまも昔も、そう主張している。」しかし「ブッシュはやはり、オイディプスではない。すべての真実を知ったオイディプス王は、みずからの手で両眼をえぐり取り、われを追放せよと叫びつつ号泣したではないか。これはとてもではないが、ブッシュの役柄ではない」。
 さらに圧巻は本書のちょうど半ば、八つの小論から成る「戦争」。―――「まさにそうなのである。時とともに悪は恐るべき進化をとげつつある。」「今の世界の深刻な戦争構造は、じつのところ、それら三カ国によって築かれたのではなく、米政権が『悪の枢軸』という虚構をつくり、その虚構にもとづき、約三千八百億ドルという冷戦終結後最大の国防予算を現実に通したことにより、一気に立ち上がったのだ。」「ブッシュは……世界構造を戦争化したのだ」。
 「日本の中都市の財政規模にもおよばない年間予算しかなかった超貧乏国の飢えた大地を襲撃し、タリバンだけではない、食えないから隊列に加わっただけの失業者、農民とまったくの非戦闘員多数を空爆によりごく気楽に虐殺して、対テロ戦争に『勝利しつつある』というのだ。」
 「日本の積極的な戦争加担をブッシュはしきりに誉めているのだ。それでいいのか。野党席からはヤジ一つ飛ばない。……忠犬コイズミは飼い主ブッシュにどんな約束をしたのだろう。死ぬまでついていきますとでも言ったか。日本は米国による反テロ戦争のグローバル化のもっとも忠実な随行者と見なされている。社民党はなぜ抗議しないのか。共産党はなぜ退場しないのか。静聴するのがこの場合のエチケットだとでもいうのか。……現役の戦争犯罪者に国会演説をさせていいのか。結局野党もまた、この国がかつてない戦争構造を形成していく過程での、あくなき抵抗者などでは決してなく、ものわかりのいい立会人にすぎないのではないか。」―――米・ブッシュが何をしたのか、日本と世界がそれにどう追随し加担したか、アフガニスタンでは本当は何が起こっているのか、等々。これほどわかりやすく端的にしかも的確に表現している文章にはめったにお目にかかれない。
 そして彼は「畏敬の念を感じ」たというノーム・チョムスキー氏との対談を振り返る。過去の日本の戦争犯罪とこれをろくに告発してこなかった日本の知識人のふがいなさを、仮借ない激しい言葉で指弾され、「『マルスの歌』ほどの良心でお茶をにごすか、いや、それを強引に突破するのか、ここがたぶん思案のしどころだと私は心中つぶやいていた」(P.84「チョムスキー」)。
 辺見氏がおそらくこの間、渾身の勇気をふりしぼって何度もつぶやいたであろう厳しい言葉がその次の章の最後に記されている。それは今年4月16日、有事法制閣議決定の夜に書かれた。―――「ファシズムの透明かつ無臭の菌糸は、よく見ると、実体的な権力そのものにではなく、マスメディアしかも、表面は深刻を気取り、リベラル面をしている記事や番組にこそ、めぐりはびこっている。撃て、あれが敵なのだ。あれが犯人だ。その中に私もいる」(P.191「有事法制」)。ここに彼の真骨頂を見る思いがする。久しぶりに、まがいものではない誠実なヒューマニズムに貫かれた高き知性に触れた気がする。
 そう、私たちとて、例外ではない。米英によるイラク攻撃、大量殺戮が目前に迫りつつある(あるいはもう始まっている)。米・欧の数十万規模のような反戦デモは今の日本では到底すぐには望むべくもないにせよ、せめて骨抜きにされたマスコミ・ジャーナリズムに振り回されるのはやめよう。努力すれば真実は見えないはずはない。目を凝らせば辺見氏のような文筆家もいるのだ。決して沈黙はすまい。歴史の傍観者とはなるまい。小さくとも声を上げ続けよう。この時代ならばこそ、決然と不服従を生きよう。本書はそのための手引書である。

(2002年11月12日 吉岡祈子)