紹介:「ベネズエラ革命 ウーゴ・チャベス大統領の戦い」
ウーゴ・チャベス演説集 翻訳・解説伊高浩昭 現代書館 定価2200円+税


 ここで紹介するのは、ベネズエラ大統領ウーゴ・チャベスの、2002年12月から2003年1月にかけての約1ヶ月の間の演説をまとめたものである。
 2002年4月11日に起こったクーデターとその劇的な逆転劇の顛末は、番組紹介「チャベス政権:クーデターの裏側」に詳しいが、この演説集では、そのクーデター未遂の後も執拗に続けられているクーデター勢力の策動と、それをうち砕いて「ボリーバル革命」を達成しつつあるベネズエラ人民の力強い姿が生々しく語られている。
(それ以降の今日の国民投票を巡る動きは「米国はベネズエラから手を引け」に詳しい。)


<「愚か者め、兵士が人民に武器を向けるとは!」
−ベネズエラの人々の心の中に生き続ける英雄ボリーバル>


 「ボリーバル革命」、ベネズエラの革命はこう呼ばれている。それは、現在ベネズエラで進行している過程そのものであり、「ベネズエラ人民の五〇〇年にわたる戦いと犠牲を総括する偉大な機会」(「日本語版への序」より)である。それは、チャベスの大統領就任によって達成されたわけではなく、今も国家権力の中で、軍隊の中で、政治、経済、マスコミ、あらゆる社会生活の中で、旧来の特権にしがみつく寡頭制との闘いが続いている。
 その名の由来であるラテンアメリカ解放の英雄シモン・ボリーバルの姿は、今もベネズエラの人々の心の中に生き続けている。チャベスは、今日のファシズムともいえる「地球を破滅させかねない野蛮な新自由主義」との闘いの武器を、そのボリーバルの思想に見出した。

 シモン・ボリーバル(1783~1830)は、ベネズエラのカラカスで、裕福なクリオーリョ(現地生まれのスペイン人)の家に生まれた。彼は、若い頃からフランス啓蒙思想に親しみ、アメリカ独立革命(1776~1783)、フランス大革命(1789)、ハイチ独立(1804)に影響を受け、インディオ、黒人、メスティーソ(白人とインディオとの混血)、ムラート(白人と黒人の混血)を団結させ、ラテンアメリカをスペインの植民地支配から独立させ、自由で平等な社会を実現することを目指した。ラテンアメリカ全体の解放が彼の視野に入っていた。したがって、彼はベネズエラだけでなく、ラテンアメリカ北部の広大な地域を駆けめぐり、現在のコロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの独立のために大きな役割を果たした。
 彼は、君主制を憎み、ナポレオンの皇帝就任を嫌悪した。その平等主義に基づき、奴隷制の廃止を打ち出し、自らの奴隷を他に先がけて解放した。彼の財産はすべて解放の事業に費やされ、最後は不遇のうちに病没した。既得権を手放そうとしない他のクリオーリョの妨害によって、ベネズエラの奴隷制度の廃止は彼の生きているうちに実現されることはなかった。
(参照:『シモン・ボリーバル』神代修 著 行路社 2400+税)

 ベネズエラの革命は、反グローバリズムの運動においても大きな注目を浴び、2003年1月ブラジルのポルトアレグレで行われた第3回世界社会フォーラムでは、「ボリバリアーナ革命連帯会合」が開催された。
 チャベスは、その会合においてベネズエラの歴史と現情勢を語り、それを深く研究することを呼びかけた。
 「過去二世紀にわたり、ベネズエラは改革の先駆者だった。200年前にベネズエラで革命運動が起き、南米の半分の地域に拡大していった。200年も前にベネズエラに革命の旗がたなびき、ラ米[「ラテンアメリカ」の略語]でスペイン帝国のくびきを断ち切ろうとした最初の国の一つとなり、一群の男女が前衛を構築した。(中略)次にシモン・ボリーバルが現れて、ミランダの旗を受け継ぎ、これを戦場に掲げた。ベネズエラ軍は国境を越えたが、それは他国の人民を支配するためではなく、自由の旗をもたらすためだった。ベネズエラ兵はボリーバルに従って、自由と南米統合の理想を掲げつつ、徒歩で、ロバとともに、時には裸足で、カリブ海沿岸からペルー高地まで何千キロの道のりを踏破した。行く先々でコロンビア人、エクアドール人、ペルー人、ボリビア人の兵士が同行した。南米大陸人民統合の理想のため、犠牲の血が流れた。ベネズエラの独立戦争は20年近く続き、多くの苦しみを味わった。ボリーバルはスペイン人によってでなく、既に支配を固めていた寡頭勢力によって裏切られベネズエラから追放されて死につつあった。(中略)寡頭勢力は土地と資本を我が物とし、奴隷は相変わらず奴隷でしかなかった。そこでボリーバルは死の床で、『かくも多くの戦をし、多大な犠牲を払ったのは、主人を取り替えるためだったのか?』と自問した。スペイン人は去ったが、寡頭勢力という別の主人がやってきたのだ。」

 このボリーバルの生き方と思想を受け継ぎ、未完に終わった彼の事業を完成させることが、チャベスにとって、またベネズエラの人々にとって、目指すべき革命の具体的な姿として現れた。しかし、植民地からの政治的独立が主要な課題であったボリーバルの時代と現代との違いをチャベスはしっかり意識している。「私たちは新しい時代に入りつつあり、政治的独立でなく、貧困の鎖から私たちを解き放つため経済的独立を図ろうと戦っている。」

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、社会主義世界体制が崩れ、資本主義の勝利が宣言されようとしたまさにその時、ベネズエラでは貧しい人々が蜂起した。「1989年の2月27日にはカラカスで人民蜂起があり、何十万もの貧しい人民が丸腰ながら街に出た。彼らはIMFに押しつけられた新自由主義の包括政策に反逆したのだ。当時の政府は弾圧を命じ、街頭で虐殺が展開された。カラカス以外でも虐殺があり、いまも正確な死者数は把握されていない。」
 チャベスは、ベネズエラ軍人として、ボリーバルの後継者たることを自認していたが、この事件を契機に、ボリーバルの思想を真に実践することの意味を深く考えさせられることになった。
 「私は当時制服をまとった軍人で、街頭への出動を命じられたが、神のおかげだろうか、ちょうど風疹にかかって静養していた。しかしながら、軍人であるが故の衝撃を受けていた。私たちは長年、ボリーバルの栄光を受け継ぐ陸軍、自由を鍛え上げるベネズエラ軍などと言ってきた。ところが、自らの権利を申し立てた人民の虐殺に陸軍が駆り出されるという恐ろしい衝撃に見舞われた。」
 「その時、ボリーバルの思想が生々しく現れて動悸を打っていた。それはボリーバルの『愚か者め、兵士が人民に武器を向けるとは!』という言葉であった。」
 チャベスがこう言った時、聴衆から拍手と「ボリーバルは生きている! 戦いは続く!」という叫びが湧き起こった。それに答えてチャベスは言う。
 「そのとおり、ボリーバルは生きている。ネルーダは、そのことを『カント・ネヘラル』で言っている。チリ万歳! 『人民が目覚める百年ごとに、私は目覚める』と、ボリーバルはネルーダを通じて言ったのだ。」

 ボリーバルが生涯を通じて闘い続けた二つの主要な敵(植民地支配者であるスペイン本国と特権を維持しようとするクリオーリョ)は、今日、米国およびベネズエラ国内の寡頭勢力として、存在し続けている。それらが、ベネズエラの真の解放を妨げているという状況は、二〇〇年前も今日も共通している。違うのは、今日のベネズエラでは人民の側が権力を握り、その権力は日増しに拡大しつつあるということである。「ボリーバル革命」は、これまでの世界のどの政体も経験したことのない新たな革命過程であり、今日もまだベネズエラにおける寡頭勢力とのせめぎ合いは終わっていない。この革命がどのような様相を示すのかもまだ定まってはいない。しかし、革命を圧殺しようとする勢力が攻撃を仕掛ければ仕掛けるほど、革命は深化していく。その方向性を変えることはできない。
 このチャベスの演説集において、そのことがつぶさに語られている。


<「私たちは薪で料理しているけれど、構わない」
−石油サボタージュにも屈しないチャベス支持者>


 二〇〇二年四月のクーデター未遂事件の後、大がかりな反チャベス運動として現れたのが、二〇〇二年末から行われた石油産業でのサボタージュであった。サボタージュを行った者は、石油生産を停止させて国民生活を疲弊させ、タンカーの運航を停止させて石油の輸出ができないようにした。
 しかしながら、チャベスを強固に支持する貧困層は、そもそも生活が不自由になったからといって、それで屈するような人々ではない。これまでの政権下で長い貧困生活を耐え抜いてきた人々なのだから。
 貧しい家庭の主婦がチャベスに言う。
 「チャベス、私たちは薪で料理しているけれど、構わない。私の息子は決して降伏しない。もし二年間薪で料理しなければならないとしたら、二〇年間薪を使う。しかし、この祖国の尊厳は、誰も私たちから奪うことはできない」と。

 「ボリーバル革命」とは何なのかが際だつ言葉である。以前の政権はこうした人々に貧困を押しつけていたばかりではない。人間的な尊厳も奪い取っていたのである。彼女は求めていたものを手にした。それはもはやいかなることがあっても彼女から奪うことはできないだろう。
 チャベスは演説の最中に、聴衆の一人に向かって直接呼びかける。
 「君の家では薪で料理しているのだろう。よろしい。私も薪を使っている。」
 このような、聴衆との直接対話は、この演説集を魅力あるものにしている点の一つである。

 石油サボタージュは、単に生産を停止しただけではない。驚くべき犯罪行為が行われるところであった。コンピュータで制御されている石油統御システムの最高温度の設定を六〇〇度から八〇〇度に変えていたのである。これを知らずに石油生産を再開させれば、石油生産設備は爆発など大惨事を引き起こしていたはずである。しかしながら、石油生産の再開に携わった技術者は、それを十分に点検し、惨事を未然に防ぐことに成功した。

 サボタージュを呼びかけたスポークスマンたちは、「生産現場に留まった技術者や労働者は能力がなく、政府が人的損出と被害の責任をとることになる」と主張していたが、実は「彼ら自身が電脳機器や機械装置に細工をし、爆発が起き、物理的被害、安全への害、労働者の生命への害が出るようにし向けていたのだ」。
 責任をとる羽目になったのは、サボタージュに関わった旧役員たちだった。チャベスはこの事件を期に、「功労階級」と呼ばれる特権層を1000人、石油公社から追放した。4月のクーデター後、それに関わった将校を100人、軍隊から追放したように。そして、石油生産再開のために寝食を忘れて尽力した労働者・技術者との厚い信頼関係を築き上げた。
  

 <「蛇のようにしたたかに、鳩のようにうぶに」
−人民の尊厳のために戦う者の殉教者キング牧師>


 反チャベス勢力の犯罪行為は、石油サボタージュにおける惨事の準備だけではない。多くのチャベス支持者たちが実際に殺害されている。2003年1月5日のカラカスの演説においては、そのようにして殺された二人の青年への深い悲しみを表明する。

 「私はベネズエラ人民に、希望や夢の中にうずく祖国を感じつつ、同胞が暴力によって死ぬたびに、深い痛み、悲しみ、怒りを表すよう訴えたい。あたかも同胞の命が、政治目的や小権力によって計量されるかのように、巧妙な計算の結果、人々は死んでいく。私は全ベネズエラ人が、殺害犯人に対する無処罰を断固拒絶することを確信する。」
 犯罪者への毅然とした態度と被害者への限りない共感と同時に、4月のクーデターの後でも示された冷静さと穏やかさが示される。
 「犯罪者たちが国を破壊する策謀をやめるまでに、幾つの家庭が喪に服さなければならないのか。涙や血がどれだけ流されなければならないのか。私たちは復讐はしない。今日の行事は、間違いを犯した人々を許す深い意思を表すものだ。」

 演説の最後に、チャベスは、黒人差別に反対して戦い、暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を引用する。それは、キング牧師の言葉であると同時に、チャベスが「わが最高司令官」と讃えるイエスの言葉でもある。
 「イエスは、弟子たちが、困難で敵意に満ちた世界に向かい合うことを知っていた。その世界で弟子たちが強情な役人、非妥協的な旧秩序擁護者とぶつかることを知っていた。イエスは弟子たちが、伝統主義の長い冬によって心が硬くなった冷たく横柄な人々と遭遇することを知っていた。それらをしっていたがため、〈汝らを、狼の群の中の羊たちのように送り出す〉と言い、弟子たちに行動方法を示した。次に弟子たちに、イエスは〈蛇のようにしたたかになれ。だが鳩のようにうぶになれ〉と言った。」
 「私たちは、蛇の冷酷さと鳩の平和な穏和さを組み合わせるべきだ。精神の強さと、心の優しさを。蛇の資質があって鳩の資質が欠けていれば、私たちは冷たく邪悪で利己主義になる。鳩の資質を持ち蛇のそれがなければ、感傷的で活力がなく意志薄弱となる。だから二つの性格を合わせもつべきなのだ。」
 チャベスは、この言葉に、ベネズエラの革命を遂行する人々がもつべき資質を見出す。


<「あの世でなく、この地上で、私たちは平等に生きる」
−キリストを信じる革命家チャベス>


 チャベスの演説において特徴的なことの一つは、彼がキリスト教徒であることが至るところで率直に表明されている点である。ベネズエラにおいては思想信条の自由は保障され、チャベスがキリスト教徒であるからといって、ベネズエラ国民がキリスト教徒になることは当然ながら要求されてはいない。
 チャベスはイエスを「私の最高司令官イエス」と呼ぶ。これは、聖書に頻出する「万軍の主」という言い方に基づくものであると思われるが、チャベスが軍人出身であることを考えると、イエスが彼にとってどのような存在であるかが想像できる。イエスの言葉は彼にとって、革命の魂そのものをなしている。
 「私たちは神とともにその道を歩み、キリストが予告した神の王国を実現させたい。だが、あの世でなく、この地上で、私たちは平和、正義、尊厳の下で、皆が兄弟姉妹のように平等に生きるのだ。これが私たちの道であり、そこに向かって進もう。」

 その一方、ベネズエラの「キリスト教社会党」(COPEI)は、チャベス政権にとって野党である。「キリスト」を掲げているからといって、即、同志にはなりえない。チャベスは彼らに対して、「一部の反政府勢力にファシズムと狂気の行動をやめさせ、合法的、平和的な抗議行動をするよう彼らを導き、民主主義の道を歩ませるよう指導力を発揮すべきだ、と断固言い続ける。」同時にチャベスは、「ベネズエラは民主的な野党勢力を必要としており、それが登場することを願う!」と彼らに呼びかける。野党勢力との意見の違いは、彼らが憲法の枠内で行動する限りは、むしろ喜ばしいものだとチャベスは考えている。

 チャベスがフィデル・カストロと知り合ったのは、1994年のことであった。その時のことをチャベスはこう語る。
 「私は何かを話したが、そのころ既に、ボリバリアニズムのイデオロギーが輪郭をみせていた。フィデルは私に応えて、『あなた方はベネズエラで、尊厳や平等のための戦いをボリバリアニズムと呼んでいるが、ここでは社会主義と呼んでいる』と言った。だが、驚いたことに、フィデルは『あなたがたがボリバリアニズムと呼ぶことに同意する。だが、クリスティアニズムと呼んでも同意する』と付け加えたのだ。」

 チャベスは、カストロの言ったことになぜ驚いたのだろうか。ここで特に触れられてはいないが、この時のチャベスの考えは次のようなものであっただろうと思われる。カストロは共産主義者である。共産主義者というものは神を信じない。したがって、神を信じる者に対しては、冷淡なもしくは敵対的な物言いがなされるはずだ、と。ところが、チャベスに示されたのは、この上ない共感と信頼に満ちた言葉であった。チャベスは、唯物論者である共産主義者は、自分は神を信じないという信念をもっているが、同時に、神を信じるか否かで人々を分裂させようとはしないものであるということを知らなかったのであろう。一方、カストロがキリスト者に対してこのような信頼を示すというのは、ラテンアメリカにおいて「解放の神学」を奉じる人々のような、徹底して貧困層の立場にたち、現世の解放のために果敢に闘う人々と接してきたからであると考えられる。

 ニカラグアのエルネスト・カルデナル神父は、「解放の神学」の草分けの一人であり、サンディニスタ解放戦線の一員ともなった。彼は「神との一致とは、農民たちと共にあることである」と考え、日曜のミサごとに農民たちと聖書について討論した。ソモサ独裁政権の下で貧困と抑圧を強いられていた農民たちは、自分たちの生活実感に基づいて、聖書について自由に語り、「しばしば多くの神学者のそれよりもはるかに深い」解釈を示した。彼らは、カストロやゲバラへの共感を示しながら、聖書の言葉に、自分たちが置かれている状況からの解放の指針を見出し、実践する。
 「聖書の預言者たちは、未来を預言した人々と言うよりも、むしろ現在の悪を訴えた人々だったんだ。彼らは宮殿におけるお祭り騒ぎや、秤やお金の誤魔化しや、貧しい人々の労働を犠牲にして安く買い叩くことや、寡婦や孤児に対する詐欺行為や僧侶たちの非道さや、殺人や、彼らが売春と呼んでいた王の政治や、外国の帝国主義に反対して、抗議したんだ。同時に彼らは未来をも、迫害されている人々に到来する解放をも預言した。キリストがここで言っているのは、私たちの運命も、預言者たちのそれに似たものでなければならないということなんだ。」
(参照『愛とパンと自由を ソレンチナーメの農民による福音書』 E・カルデナル著 新教出版社2000円+税)

 この演説集の「解説」において訳者の伊高氏は、チャベスが「クリスティアニズムを強調することで、ボリバリアニズムと共産主義ないし社会主義を区別する意図があると受けとめることができる」と述べているが、私が思うに、実際にチャベスがキリスト教を革命家としての自分の血肉にしているからではないか。チャベスの敬意と共感に値する革命家として様々な共産主義者たちが登場するのも、そのためと思われる。チャベスはレーニンから帝国主義について教わり、ネルーダの詩に魂を高揚させる。エリュアールの詩で知識と自由とを讃え、グラムシの言葉で情勢を説明する。2002年4月のクーデターで捉えられた時、死を覚悟したチャベスの脳裏に浮かんだのは、イエスと同時にチェ・ゲバラの姿であった。歴史的にキリスト教の影響力が強いラテンアメリカにおける革命的伝統と様々な諸勢力の現実の歩みは、このような独特で魅力ある革命家を生み出したのである。


<キューバとベネズエラが切り拓くもう一つの世界>

 ベネズエラは、キューバとの緊密で良好な関係を維持し続け、それが両国の発展に資すことを実地に示してきた。それだけではなく、ベネズエラとキューバの協力関係は、ラテンアメリカ全体、世界全体に、米国が世界に押しつけてきた新自由主義ではない別な選択肢があることを如実に示すものともなっているのである。それは、ボリーバルの主張したラテンアメリカ主義・国際主義の見地にもかなうものである。

 一方、カストロの暗殺をも含めたありとあらゆる手段でキューバの圧殺を図ってきた米国は、このようなキューバとベネズエラの関係の緊密化に危機感を覚えている。ホワイトハウスの西半球特使オットー・ライヒは「ベネズエラ=キューバ枢軸」は「拡大しつつ、そして進化しつつある。そしてそれは民主主義と人間的諸権利の促進に貢献するものではない」と述べている。("THE STREET JOURNAL"2004年2月2日号による)

 このような米国やベネズエラ国内の反チャベス派によって、キューバはベネズエラから輸入した石油の代金の支払いを滞納しているというキャンペーンが、執拗に行われている。「チャベスはキューバに石油を贈っているのだ」と。
 しかし、これは、事実に反している。2000年にキューバとベネズエラの間に両国協力協定が結ばれたが、その条件は、他の中米・カリブ諸国と結んでいる協定の条件と同じかやや有利さの劣るものであった。しかも2002年4月のクーデター未遂、12月の石油サボタージュで、原油の輸出がストップし、キューバは大損害を蒙った。にもかかわらず、ベネズエラ石油公社が要求してきた支払い遅延金を支払った。「キューバは、その責任が自国側には一切なかったにもかかわらず、ベネズエラ・ボリバリアーノ政府の置かれていた困難な立場に最大限配慮して受け入れた。」(2003年1月9日キューバ外務省声明)

 むしろ、キューバはベネズエラに対して医療や教育の分野などで大きな恩恵をもたらし、ベネズエラの方もそれを感謝をもって受け取っている。
 両国間に定められた医療協定では、当初ベネズエラがキューバの医療に対して対価を支払うことになっていた。しかしカストロはこう言った。「チャベス、協定に基づき、あなたたちは手術代や薬品代を支払わなければならないが、キューバは一切支払を受けない。なぜなら兄弟人民への医療手当であり、それがキューバと人民と政府を偉大にするからだ。」キューバはけっして富のありあまっている国ではない。米国の経済封鎖が続く中、多大な経済的困難を強いられているのである。このような清廉さ、高潔さと無縁な生活を送ってきた人には、まったく理解しがたいことであろう。しかし、それが、キューバとベネズエラの真実なのである。この本に掲載されているキューバ外務省の見解からもう一言引用しておこう。
 「いかに嘘を流そうと、いかにキャンペーンを張ろうと、キューバの連帯と寛容さとキューバ人民を知っているベネズエラ人民と世界に、真実が隠されることはない。悪辣で憎むべきファシズムにはそのことがわからないのだ。」

 ラテンアメリカの真実の一端を知るために、ぜひこの本を一読してほしい。

2004年4月23日 木村奈保子