[投稿]『エコノミック・ヒットマン---途上国を食い物にするアメリカ---』の紹介(その2)

 「その1」をホームページに公表した後、それを読んだ方から2回にわたって以下のようなメールをいただきました。

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(第一のメール)
 『エコノミックヒットマン』の書評を読んで、まず本書を拾い読みしてみました。そこで著者の看過できない事実誤認があることに気づきました。第33章、ベネズエラのところです。そこを読んで、あれっと思って二度三度読み直しました。明らかに2002年4月クーデターと2002年末から2003年はじめの石油ストとが混線して、時間的経過が全く反対に逆転した叙述になっています。第33章の「注」の6.8.10.を本文とともに確認してみてください。そうすればよくわかると思います。「ニューヨーク・タイムズ」の記事を引用しているのですが、2002年12月の記事の後に2002年4月の記事があって、この順序でことが起こったかのように叙述されています。
 その原因として以下のことが考えられると思います。
1)筆者が完全に記憶違いをしていてそれに気づかないまま執筆した。つまり、著者の真摯さを疑うわけではないが、こういう不正確さも抱えているということも考慮しなければならないという評価。
2)わかっていてまちがった叙述をした。あまり考えられないようには思いますが、わざと雑な叙述にすることで、強大な圧力に抗して出版したことが許容されるように、意図的に振舞ったという評価。
3)いいかげんな叙述を点検することなく執筆するほどいいかげんな著者であるという評価。
 他にもありうるかもしれませんが、全体をもう少しよく読まないとなんともいえません。またじっくりと読んだ上でメールします。

(第二のメール)
 全体を読みました。その結果、信憑性をはっきりさせるには、訳書ではなく原書で読まねばならないということ、もっと言えば、原書で読んで、そこからにじみ出てくる感触をつかみとることができなければならないということを感じました。ただ、この書を評価する観点からすれば、客観的に完全な真実であってもなくても妥当する観点で評価すべきではないかと思います。
 著者の観点からすれば、叙述は完全に「真実」だと思います。著者自身は、真実の告白として誠実に書いたのだと思います。しかし、それが客観的な真実であるかどうかは別問題です。第33章について前回のメールで指摘したように、目を覆うような事実誤認もあります。でも、もう一度全体の流れの中で読み直してみて、著者自身が事実誤認に全く気づかないままに叙述しているのではないかという感じがしました。誠実な感じがしました。その上で次のことを強く感じました。
 この本の内容が事実であっても半ば脚色されたフィクションであっても、どちらであってもかまわない。支配的な体制が衰退・崩壊していく時代=危機の時代には、支配層の中の、すぐれた能力を持ちかつ良心的でもある人物が、良心の呵責に耐え切れずに反体制の言論をし始めるということは、歴史上よくあることである。この書が真実を語っているとすれば、その端的な好例であるし、真実からかなり外れた脚色がなされているとしても、支配層の間の有能な人物の頭脳にこういう事柄が反映されるようになったということを示している。
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 私たちも全く同感です。パーキンスは、アメリカが朝鮮、ベトナム戦争での敗北以降、途上国を自国の支配下におくために軍事面だけではなく経済面からもあらゆる手法を駆使して介入してきたことを描いています。そして、自分たちこそがアメリカの新植民地支配の構造の土台を作り上げてしまったと考えています。実際「エコノミック・ヒットマン」なるものが、ジャッカルなどと共に、アメリカの帝国主義的世界覇権にとって、定性的定量的にどの程度の役割を果たしたのかは一層の検証が必要でしょう。そのような点からすれば、本書は個々のエピソードの積み重ねにとどまっており、先にも指摘されたとおりところどころ曖昧な点や、明らかに事実と異なる点を含んでいます。しかし、パーキンスの問題提起は極めて大きいと言わなければなりません。
 (その1)でも述べられていたように、エコノミック・ヒットマンが完全に過去のものであったとしたら、著者ジョン・パーキンスは自分がやったことについてこれほど良心の呵責にさいなまれることも、危険を冒して告白本を出すこともなかったでしょう。しかし著者が問題にしているのは紛れもなく新しい種類のエコノミックヒットマンの登場であり、現在のアメリカの覇権主義、帝国主義的支配そのもの、そして9.11以降の世界なのです。
 新しい種類のエコノミックヒットマンとは、著者の言葉を借りれば、「タイやフィリピン、ボツワナ、ボリビアなど」の途上国で、栄養失調の子どもや飢餓状態にある人々、貧困のどん底にある人々、絶望した人々を探し出して「ジャケットやブルージーンズ、テニスシューズ、自動車やコンピューターの部品など」何千という商品を作らせる役割を担う人々、「現代の奴隷商人」、すなわちグローバル独占企業の社員たちに他なりません。これは、発展途上国の支配層に取り入り借金漬けにしていくという任務を帯びた古いタイプのエコノミックヒットマンに比べて「どちらが悪辣か」というような議論は無意味であるにしても、グローバリゼーションとネオリベラリズムが席巻する時代は、過去とは比べものにならないくらい破壊力がすさまじく、したがってそれに対する反発、反撃も大きくなるということは間違いありません。
パーキンスが、とりわけエクアドルに思い入れを持っているというのも大きな示唆を与えてくれます。エクアドルでは、石油メジャーが住民をだまして土地を略奪し、環境対策も一切行わないまま石油を採掘し、奴隷労働を強い、有毒な排水や原油を垂れ流し続け、熱帯雨林を汚染し、農作物や家畜、そして住民に深刻な被害を与え続けてきました。これに対して長期にわたって原住民の激しい抵抗が続けられ、ついに2006年には左派政権コレア大統領が誕生し、ベネズエラ、ボリビアなどと共に反米傾向をますます強めています。いわば、帝国主義による石油支配と途上国支配、生態系の破壊と環境破壊、奴隷労働、反グローバリズムと反米闘争−−これら一切がそこに集約されているのです。
 (その2)では、おおざっぱですが、パーキンスの記述に即して、古いエコノミックヒットマンが途上国支配に対して重要な役割を果たすという70年代から80年代はじめと、新しいエコノミックヒットマンが登場してくるという80年代半ばから90年代(これは現代につながる)の変化をみながら、それぞれのエコノミックヒットマンの役割について問題にしてみたいと思います。

2008年4月9日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



グローバリゼーションとネオリベラリズムの時代における、新世代のエコノミック・ヒットマンの凶暴な役割
『エコノミック・ヒットマン---途上国を食い物にするアメリカ---』の紹介(その2)

(1)エコノミック・ヒットマンの登場−−朝鮮戦争の敗北とベトナム戦争の行き詰まりのもとで、アメリカの対途上国戦略の転換

 「ある日、ビジネススーツを着たアイナー・グレーヴという男が、私たちの活動地域の小さな飛行場に降り立った。彼はチャールズ・T・メイン社の副社長だった。メイン社は国際的なコンサルタント企業で、ごく地味な会社でありながら、水力発電用ダムなど数十億ドルもするインフラ建設プロジェクトの資金を、エクアドルや周辺諸国に貸し付けるべきかどうか、世界銀行が判断するための調査を担っていた。」(「エコノミック・ヒットマン」より)

 パーキンス氏が“エコノミック・ヒットマン”にリクルートされたのは、60年代の後半、エクアドルでのことだという。当時パーキンス氏は、徴兵を免れるために平和部隊に入り、エクアドルに配属されていた。
 アメリカの対途上国戦略が大きな転機を迎え始めたのがまさにこの60年代後半である。68年、国防長官としてベトナム戦争を指揮したロバート・マクナマラが世界銀行総裁に就任した。マクナマラは共産主義の勢力拡張を阻むためには途上国での貧困を削減しなければならないとして、途上国の「開発プロジェクト」に多額の融資を始めた。
 それは、ソ連が途上国に対する援助攻勢をかけたため、その影響力の拡大を恐れたアメリカは途上国に対する援助を増大させるも、それはマーシャル・プランのような生産財の援助ではなかった。最初はアメリカの余剰生産物消化のための食料援助、そして“反共ブロック”育成のための軍事援助であった。
※まず、それまでのアメリカの途上国援助戦略を見てみると、第二次世界大戦後、世界で突出した生産力を誇ることとなったアメリカは、自国の余剰生産物、特に農産物のハケ口を求め、食料や衣料といった消費財を中心とした対外援助を実施していた。アメリカの援助政策は、国内経済対策として始められた。
 しかし、ソ連と共産主義圏との「冷戦」の本格化に伴い、アメリカはマーシャル・プランを打ち出して、先進帝国主義向けの援助政策については変更を行う。これは第二次世界大戦で生産力を失ったヨーロッパや、地理上戦略的な位置にある日本に対し、生産財を中心とした援助を行って復興を促進し、対ソ対共産主義圏の陣容を整えようとするものであった。これによりヨーロッパにおける工業生産は急速に復活し、戦前の水準を上回ることに成功した。
 一方で、途上国に対するアメリカの援助政策は、まるで正反対のものであった。アメリカはマーシャル・プランによるヨーロッパ復興を優先し、途上国に対する援助は滞らせた。その後ソ連が途上国に対する援助攻勢をかけたため、その影響力の拡大を恐れたアメリカは途上国に対する援助を増大させた。しかしそれは、アメリカの余剰生産物消化のための食料援助、そして“反共ブロック”育成のための軍事援助にすぎなった。途上国は、軍事援助でばら撒かれたドルを、食料を始めとしたアメリカ製品消費に費やした。結局途上国に対するアメリカの援助は、途上国の経済自立を促す目的でなされたのではなく、アメリカの多国籍企業を潤して、ヨーロッパでの資本投下を促進するために行われていたのである。

 「「核抜きの限定された軍事行動」という試みが開始され、これは結局のところ、韓国やベトナムでのアメリカの敗北をもたらした。私がNSAの面接を受けた1968年までには、もしアメリカが世界帝国の夢(ジョンソン元大統領やニクソン元大統領が夢見たような)を実現したいのなら、イランでのルーズベルトにならった戦略をとる必要があることがはっきりしていた。それこそが、核戦争の脅威なしにソ連を打ち負かす唯一の戦略だった。」(「エコノミック・ヒットマン」より)

(2)巨額融資案件の立案−−世銀やIMFによる途上国の絡め取り

 「アイナーはメイン社の業務の中心はエンジニアリングだが、最近では最大顧客である世界銀行の意向で、エンジニアリングプロジェクトの実現可能性や適正規模を判断するための経済予測評価をするエコノミストを雇う必要が生じていると力説した。」(「エコノミック・ヒットマン」より)

 68年にマクナマラが米政府から世銀へ“転出”し、そして世銀がそれまでほとんど相手にしていなかった途上国援助に力を注ぎ始めたのは単なる偶然といえるだろうか?マクナマラはが就任するまでの20年以上、世界銀行は米欧の銀行や投資会社、企業を相手として、古い植民地のインフラを再建するための投資プロジェクトを貸付の主体としていた。先進帝国主義諸国からの出資によって成り立っていた世銀は、確実にリターンの見込める案件に投資先を限っており、不確実で利益を生むかどうかもわからない途上国に対する「開発プロジェクト」は投資の対象外とされていた。アメリカの朝鮮、ベトナムへの直接の軍事行動が失敗し、途上国を自らの支配下においておくために、この時期にアメリカの世銀を利用した新たな対途上国戦略がスタートしたといえるのではないか。
 そしてそこでは、世銀による急速で巨額な貸付を実行するために、プロジェクトの掘り出しが急ピッチで進められることになった。
 マクナマラの就任前後で見ると、就任前の22年間で708プロジェクト、107億ドルの融資だったものが、就任後の最初の5年だけで新規760プロジェクト、134億ドルが投資された。
 この世銀の急速な投資拡大を支えたのは、世銀の資金調達方法の変化である。マクナマラは、世銀債を発行し金融市場から調達した資金により大規模な貸付を実現した。これができたのは、ニクソン・ショックで溢れた過剰金融資本が新たな投資先を求めていたからである。世銀による貸付は、貸し付けられた国にとっては最優先で返済すべき債務である。だから世銀を通じた途上国へのプロジェクトは、投資家にとってはリスクが低減できるため恰好の投資対象であった。

 「戦略家たちにとって幸運にも、1960年代は変革の時期だった。国際的企業や、世界銀行やIMFなどの国際金融機関が強大な力を発揮するようになったのだ。後者は主にアメリカやヨーロッパの大国によって資金提供されていた。政府と企業と多国籍機関という象徴的な関係が生み出された。」(「エコノミック・ヒットマン」より)
 マクナマラ個人がどこまで本気で「貧困削減」を実現しようとしたのかはともかく、この世銀による途上国「開発プロジェクト」への融資は、伸張していた米欧の多国籍企業に大きな利益をもたらす結果となった。世銀が開発資金を調達し、途上国からの回収リスクを負う。資金を提供する投資家や、開発を請け負うプロジェクト会社は途方もない大型プロジェクトを立案し、実施し、必要な物資を輸出する。大型のインフラ(発電設備や道路、港湾)が整備され、多国籍企業による進出が容易になる。これらが途上国側の負担によって実現されるのである。しかしここでは、途上国の「発展」など考慮されていない。途上国は単に帝国主義諸国の輸出の受け皿になるだけであり、輸入品により自国の産業が駆逐されることも少なくなかった。世銀によるプロジェクト投資は、途上国の貧しい人々を政治的・経済的に開放するために行われたのでない。だから「緑の革命」により高収量の種子が導入されたことで大地主が肥え太ったり、ダム建設や熱帯林開発計画が途上国の支配層に利益を与えたりする一方、種子を導入する資金をもたない小作農民が一層貧困におしやられたり、開発予定地に住んでいた住民らが生活の場所を奪われたのも、当然の結果であった。

(3)ドル危機の克服のための途上国の利用−−オイルダラーの吸い上げと累積債務危機

 「石油危機後の経済成長率は1950年代および60年代の半分に落ちこみ・・・雇用はほとんど増加しなかったので、失業者が急激に増加した。そのうえに、国際通貨システムが大打撃を受けた。・・・固定相場制のネットワークが、根本的に崩壊したのだ。」(「エコノミック・ヒットマン」より)
 ニクソン・ショック以降、過剰な金融資本は最初に外為市場に流れ込み通貨投機が発生したが、まだまだ制約の多かった当時の外為市場では、各国政府が規制を行うと投機が困難になった。行き場を失った金融資本は商品市場に殺到して商品市況が高騰。この背景の下でOPECによる原油価格値上げ・生産制限が行われたこともあり、帝国主義諸国をオイル・ショックが襲った。
 これまで途上国から低価格で資源を輸入し、高価格の工業製品を輸出することで利益を得ていた企業は、原料資源価格の高騰により大きなダメージを受けた。「スタグフレーション」=インフレと景気後退の同時発生に見舞われた帝国主義諸国は、途上国を犠牲にしたこの危機からの脱却を図る。
 
 「原油の輸出停止は世界経済におけるサウジアラビアの地位を高めるとともに、アメリカに自国の経済に占めるその重要性を認識させた。」
 「石油の輸出禁止が終わるとほぼ同時に、米政府は交渉を開始し、オイルダラーを還流するとともに石油の輸出禁止を二度と行わないかわりに、技術援助や武器・軍事教育を提供し、サウジアラビアを現代的な国家に変貌させる手助けをしようと提案した。・・・従来の対外援助とはまるで逆の、あらたな枠組み・・・すなわち、サウジアラビアの金で米企業を雇って、サウジアラビアを建設するのだ。」
 「石油がもたらす金でアメリカ企業を雇って・・・サウジアラビアの人々は最先端のテクノロジーを誇れるようになる。」
 「諸国の・・・指導者たちは自国で同じような開発計画の策定を手伝ってほしいと、私たちに依頼する。そしてOPEC諸国以外の国々は、たいていの場合、資金調達のために世界銀行などから金を借りることだろう。それはおおいに世界帝国のためになる。」(「エコノミック・ヒットマン」より)

 帝国主義諸国は、工業化のためと称して積極的に産油国に投資をさせ、帝国主義諸国からの輸出を拡大した。イラン、イラク、インドネシア、ベネズエラなどは、急速にオイルダラーを吸い上げられ、78年には経常収支が赤字に逆転するほどになった。
 これと並行して、非産油国も狙われた。産油国が手に入れたオイルダラーは、ヨーロッパの金融市場へ多く預け入れられていた。帝国主義諸国はこれを利用し、銀行へ預け入れられたオイルダラーを非産油途上国に対する短期貸付資金へと転用した。そして貸し付けた資金を、帝国主義諸国からの非産油国向け輸出を拡大するために使わせていったのである。借金をさせて自国の製品を売りつけ、またこの過程で工業製品の値上げも行うことで原料価格の高騰を取り込み、帝国主義諸国は貿易収支を改善させた。

 76年、世界銀行の総務会でマクナマラは、債務利払いの山は80年代のはじめにくることを説明しながら、借入国は「信用力の土台となる」高度成長を生み出すために、かなりの額の赤字(輸出を上回る輸入)を継続することが必要で、この赤字と債務利払いをカバーするために、これら諸国は民間源泉から多額の資金を借り続けなければならないと延べ、「この資金の流れが続けば、それは開発のペースを維持し、場合によっては加速する追い風となるだろう」と主張した。そうして民間が多額の資金供給をするための信用をつけるため、世銀が一層貸し付けることを求めたのだ。
 途上国の累積債務問題は、帝国主義諸国が“スタグフレーション”からの脱出を、途上国の借金漬けによって乗り切るために作られたものでもあった。

(4)新世代のエコノミック・ヒットマンの登場−−グローバリゼーションとネオリベラリズムの席巻のもとでの途上国支配の凶暴化

 パーキンスは80年代には、新たな世代の“エコノミック・ヒットマン”が台頭してきたと指摘している。国際的な大企業の経営者や社員らが、手っ取り早く純利益をあげるために、途上国へ進出して搾取工場を建設する。また共産主義の脅威に対抗するなどというイデオロギーなどなくとも、民間の方が効率的という考えが浸透し、各地で民営化が促進されていく。
 「1980年代から1990年代にかけて、重点は起業家精神から規制撤廃へ移行した。・・・社会福祉、環境、その他のクオリティ・オブ・ライフにかかわる問題への関心は、欲望の二の次にされていた。そんななかで、民間企業の成長を促進させることに、大きな力点が置かれていた。・・・世界銀行のような国際機関は、上下水道システム、通信ネットワーク、高圧送電線網など、それまで政府によって管理されていた施設・設備の規制撤廃と民営化を支持して、この発想を容認した。
 その結果、EHMの概念をより大きな集団へと拡大し、広範囲な分野の産業界から、上層部の人々を、昔は私のように排他的なクラブに加入させた少数の人間だけにさせていた仕事へ送りこむことが容易になった。彼らは地球上のいたるところで作戦を展開した。そして、もっとも安価な労働力が豊富な場所、もっとも手にいれやすい資源、もっとも大きな市場を追求した。彼らのやり方には容赦がなかった。かつて活躍したEHMと同じように・・・地域や国を陥れた。豊かさを約束し、国が民間部門を活用すれば負債から脱出できると約束した。学校や高速道路を建設し、電話やテレビや医療サービスを提供した。だが結局は、どこかよそで、もっと安い労働力や手に入りやすい資源を見つけたら、彼らは去っていった。」(「エコノミック・ヒットマン」より)


 70年代後半に産油途上国で対外債務は膨張した。82年にメキシコで債務危機が発生すると、帝国主義諸国から途上国への資本流入は減少し、急速に債務問題が深刻化した。レーガンがドル防衛のために行った高金利政策は、途上国から帝国主義諸国への“援助資金”の返済金利の高騰を招き、多くの途上国を苦境に陥れていた。
 79年、マクナマラは世銀で、初めての構造調整融資とセクター調整融資を導入。これはレーガンのネオリベラリズム路線を先取りするものであった。それは、貿易や投資障壁を取り除くことで外国資本からの投資に対する魅力をもたせること、歳出カットにより政府財政赤字の削減を行うこと、輸出振興により外貨を稼ぐこと、そして外国からの信用を維持するために確実な債務返済を行うこと、であった。この政策の下、輸出振興に得られた外貨収益は優先して債務の返済にあてられていった。80年代、膨れ上がる債務の返済のために、途上国からの資金の流出は流入する資金を上回る規模となった。途上国から帝国主義諸国へ資金が吸い取られていったのである。
 80年代、アメリカでは空洞化が進み、巨額の貿易収支赤字と財政赤字、いわゆる「双子の赤字」が問題となっていった。ドル建ての賃金コスト上昇を前に製造業は海外へ流出し、ラテンアメリカやアジアNIESからの輸入が超過するようになっていた。途上国で生産し自社ブランドで販売するOEM生産・販売が増大していた。多国籍企業による途上国への進出が推し進められていった。アメリカは低コスト=低賃金の生産場所として、地域経済のブロック化が進められていく。先進帝国主義諸国にとっての途上国の位置づけは、自国からの輸出品の市場としての意味合いから、多国籍企業が安価に生産を行い、また現地市場を獲得するものへと変わってきていた。構造調整により公共事業が多国籍企業に切り売りされていった。この過程で、古い“エコノミック・ヒットマン”の役割が相対的に減少し、新たな世代の“エコノミック・ヒットマン”が台頭してきたのである。

 「今日では、男も女も、タイやフィリピン、ボツワナ、ボリビアなど、必死に仕事を求めている人間を見つけられそうな国ならどこへでも行く。悲惨な生活を余儀なくされている人々、すなわち子供たちがひどい栄養失調状態にある、あるいはもっとひどくて、飢餓状態にある、貧民外に暮らし、よりよい生活への希望をすべて失った、明日を夢見ることさえやめてしまった人々を利用するという明白な目的を持って、これらの土地を訪れる。彼らはマンハッタンやサンフランシスコ、あるいはシカゴの豪華なオフィスから、贅沢なジェット機で瞬時に大陸や海を超え、一流ホテルにチェックインして、最高級のレストランで食事する。そしておもむろに、絶望した人々を探しにでかける。
 奴隷商人は現代でも存在する。現代の奴隷商人は・・・単に悲惨な状況にある人々を雇い、工場を建設し、ジャケットやブルージーンズ、テニスシューズ、自動車やコンピューターの部品など、彼らが選んだ市場で売れる何千という商品を作らせればいいだけだ。あるいは、彼らは工場を所有することすら選ばないかもしれない。代わりに、現地のビジネスマンを雇って、汚い仕事をすべてやらせるのだ。・・・現代の奴隷商人は、貧困にあえぐ人々は収入がないよりは一日一ドルでも稼ぐほうがよりよい暮らしができるし、より大きな世界の共同体の一員になれるのだと、自分に言い聞かせる。彼(あるいは彼女)はまた、そうした悲惨な人々は、勤め先の企業が生き残るための根幹であり、彼ら(彼女ら)のライフスタイルの基盤であることを理解している。自分や自分のライフスタイルやその背後にある経済システムが、世界に対してしている仕打ちが、全体からすればどんな意味を持つのか、そして、それがゆくゆくは自分の子供の将来にどんな影響をもたらすのか、考えるために立ち止まることは決してない」(「エコノミック・ヒットマン」より)


(2008年4月2日 大阪H)




[投稿]私たちにとって他人事ではないEHMの物語
『エコノミック・ヒットマン---途上国を食い物にするアメリカ---』の紹介(その1)