反米左傾化を強めるラテンアメリカに軍事的恫喝
分断と紛争創出の道を追求する米国


米国第4艦隊、58年ぶりに復活

 7月1日、カリブ海と中南米海域を管轄する米国第4艦隊が58年ぶりに正式復活した。米海軍が4月下旬に発表していたものである。第4艦隊は、第二次大戦中1943年に創設され、ラテンアメリカ海域でナチスドイツのUボートの哨戒や船団護衛などを行なった。第二次大戦が終結して主要な任務がなくなったため、1950年に第2艦隊に吸収された。それをこのたび、フロリダ州メイポート海軍基地に司令部を置き、南方軍司令部(SOUTHCOM)の海軍構成部隊として復活させたのである。
 ラテンアメリカでここ数年のうちに次々と反米左派政権が成立し、南米は「米国の裏庭」から「反米帝大陸」に変貌しつつある。南米大陸ではっきりした親米国はコロンビアだけとなった。今それは中米にまで波及しつつある。米国は、分断と紛争創出によってこの流れを押しとどめようとしている。だが、米国の努力にもかかわらず、反米傾向はますます加速する勢いである。
 5月23日にブラジルの首都ブラジリアで開かれた南米12カ国首脳会議では、「南米諸国連合(UNASUR)」設立条約が調印された。2004年にチャベスが提唱して形式的な枠組みとしては04年12月に「南米諸国共同体」が発足していたが、その内実が着々と積み重ねられて今回正式発足となったのである。主権尊重、領土保全、民族自決、連帯、協力などの原則を確認し、社会正義、民主主義、平和、発展という共通の課題に取り組むことを宣言した。12カ国以外の中南米・カリブ海諸国の加盟も呼びかけており、ラテンアメリカ全域の統合を目指している。この「南米諸国連合(UNASUR)」の設立の場で、ブラジルのルラ大統領が「南米防衛委員会South American Defense Council」の創設を提案し、ワーキング・グループが発足した。コロンビアだけが明確に反対を表明したが、軍事面でも南米諸国が結束を固める機運が高まっている。
 このような状況の下で、それに対する米国の対応も次第に露骨さを増している。第4艦隊の復活は、その最たるもののひとつである。

ボリビアに対する露骨な内政干渉

 2006年9月、米国ブッシュ政権は、ボリビア米国大使にフィリップ・ゴールドバーグを任命した。ゴールドバーグは、セルビアからのコソボ分離独立で米国大使として現地で采配を振るった人物である。この段階で米国は、ボリビアの資源豊富な東部諸州の分離独立を煽り支援することで巻き返しを図ろうとする方針を鮮明にしたのである。
 その後1年半にわたって策動してきた結果が、この間の「自治」(=事実上の分離独立)を求めるレファレンダムの動きである。
※ 参照:「ラテンアメリカの加速する反米帝左傾化の中で、米国の妨害と巻き返し策動の焦点となったボリビア東部諸州の分離独立運動

 米国の露骨な干渉の資金源は、ベネズエラの反革命勢力にも大量に資金援助してきたNED(National Endowment for Democracy)とUSAID(US Agency for International Development)である。現在、ボリビアがUSAIDの資金の最大の受領者となっている。なかでもサンタ・クルス州に極度に偏って資金配分されているのである。
 ボリビアに対する内政干渉は、現在、ラテンアメリカにおける米国の策動の重大な焦点となっている。5月から6月にかけて行われた東部4州の分離独立をめざす「自治」レファレンダムは、勝利をめぐる双方の主張が対立しあう形で一定の膠着状態にある。当面、8月10日の大統領、副大統領、各州知事のリコール・レファレンダムまでせめぎあいが続くだろう。


コロンビアを使ったエクアドルとベネズエラへの挑発

 5月17日、米国海軍の航空機がベネズエラ領空を侵犯した。米国軍高官はナビゲーション上の問題があったと釈明したが、露骨な挑発である。その同じ日に、コロンビア国軍兵士60名がベネズエラ国境を越境し、ベネズエラ軍によって阻止された。
 これらの軍事的挑発は、3月1日にコロンビア軍がエクアドル国境を侵犯してFARC(コロンビア革命軍)の兵士20名を殺害した事件と一連のものである。コロンビア政府は、軍がこのときに押収したラップトップ・コンピューターに、チャベスがFARCに武器・弾薬と資金の援助をしてきたことを示す資料が入っていたと主張した。しかしこのときは、周辺諸国が一斉にコロンビアによるエクアドル国境侵犯・主権侵害を重大なものとして非難したため、ウリベ大統領は謝罪せざるを得なかった。そして、コンピューターの資料も信憑性が大いに疑われた。この件について、国際刑事警察機構(インターポール)が調査することになり、その結果が5月になって報告された。インターポールは、資料がFARCのものでありコロンビア政府は手を加えていないと結論づけた。ここぞとばかりに、米国とコロンビアはチャベスによるFARC支援問題を蒸し返した。5月に入っての一連の挑発は、そのような中で行なわれたのである。
 現在、エクアドルのマンタ基地が南米最大の米軍基地で、太平洋岸にあるこの空軍基地からコロンビアのFARCへの空爆や枯葉剤の散布が行なわれてきた。エクアドルのコレア政権は、09年の使用期限を更新しないと明言している。それは大統領選における公約のひとつでもあった。その背景には、現地マンタにおける反基地闘争がエクアドルの全人民的な闘いに発展し、さらに世界的な反基地闘争の重要な拠点となっているという事情がある。米国はマンタ基地を何とか残そうとさまざまな画策を試みているが、手詰まりに陥っている。そこで、コロンビアへの基地移転案が浮上している。コロンビアのベネズエラ国境付近が候補地のひとつとなっている。これは、コロンビアとベネズエラとの間にいっそうの緊張をもたらすものである。しかし、コロンビア政府とFARC(コロンビア革命軍)との闘いの真っただ中に米軍基地を設置することになるという懸念や、コロンビア政府の複雑な内政事情もあって、難航する可能性もかかえている。しかし、有力な移転先は、今ではコロンビアぐらいしかないのが実情である。

 主要な情報源は「ベネズエラ・アナリシス・コム」(http://www.venezuelanalysis.com/)「ボリビア・ライジング」(http://boliviarising.blogspot.com/)「カウンター・パンチ」(http://www.counterpunch.org/)「グリーン・レフト・ウィークリー」(http://www.greenleft.org.au/index.htm)である。これらの記事から得た情報をとりまとめた。その中から、「カウンター・パンチ」に掲載されたニコラス・コズロフ氏の論説がよくまとまっているので、それを以下に翻訳紹介する。
ニコラス・コズロフ氏は、「ウーゴ・チャベス:石油、政治、そして米国への挑戦」(Hugo Chavez: Oil, Politics, and the Challenge to the U.S.Palgrave Macmillan, 2006),「革命!南アメリカとニューレフトの台頭」 (Revolution! South America and the Rise of the New Left Palgrave Macmillan, April 2008)の著者である。

 米国によるラテンアメリカの分断と紛争創出の策動は今にはじまったことではないが、これまでの歴史と根本的に異なるのは、初めて米国が大きな歴史の流れとして守勢に立たされているということである。後退した位置から必死の巻き返しを試みようとしているのである。それを撃退し封じ込める闘いを通じて、ラテンアメリカ全域の革命過程がいっそう前進していくにちがいない。

2008年7月7日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




南アメリカの米軍基地

2008.5.21 ニコラス・コズロフ
(「カウンター・パンチ」http://www.counterpunch.org/kozloff05212008.htmlより訳出)


 記録的な不人気にもかかわらず、ブッシュ大統領は、何か衝撃的なことをたずさえて大統領府を出たいと思っているようである。クーデターでチャベス政権を転覆させることに失敗し、ホワイト・ハウスは今、ベネズエラの大統領に別な手段で圧力を高めたいと考えている。

 5月17日の土曜日、米国海軍の航空機がベネズエラ領空内に迷い込んだ。ベネズエラの国防相グスタボ・ランヘルは、次のように述べた。その航空機は「実際に」ラ・オルチラ島の「上空を飛んだ」。そこは、ベネズエラの軍事基地があり、ウーゴ・チャベス大統領が官舎をもっているところである。そして、その航空機は、戻る前に別の島の上空も飛んだ。米国軍高官は、その航空機に「ナビゲーション上の問題があった」と釈明した。

 「これは、まさに、一連の挑発の最新の段階である。」とランヘルは述べた。

オルチラの領空侵犯から第4艦隊へ

 実際、このところ緊張は高まってきていた。米国海軍は、今まさにカリブ海域で第4艦隊を復活させつつある。この艦隊は、核兵器搭載の航空機を含み、フロリダ州のメイポートを基地にする予定である。

 第4艦隊は、第二次大戦後は、カリブ海水域で何の軍事的行動もなかった。1942年2月、ドイツは、ベネズエラの石油を満載したタンカーをたくさん沈めた。この攻撃は、ベネズエラで民族主義的国家主義的憤怒を引き起こし、カラカスは、いっそう明瞭な形で連合国側に立ち始めた。この攻撃に反応して、米国がこの海域をパトロールし、連合国側に大損害をもたらしていたナチスの潜水艦を追跡した。戦後、カリブ海域をうろつくドイツのUボートがいなくなって、第4艦隊は解体された。

 それでは、なぜ今、第4艦隊を復活させるのか。

 米国海軍は、この動きが海洋の安全保障を確保するために必要であると主張する。しかしながら、その真の理由は、チャベス政権に対して一種の心理的な戦争をおこない、政治的緊張の雰囲気を助長しようとするワシントンの願望と大いに関係がある。

ラップトップコンピューター問題から領土侵犯まで

 邪魔なチャベスを除去しようという努力の中で、ホワイトハウスは、コロンビアとベネズエラの間の緊張を煽ることも追求してきた。コロンビア政府がエクアドル領内のFARCの野営地を攻撃したとき、それを好機に米国南方軍司令部が重要軍事機密をコロンビア政府に手渡した可能性が高い。ゲリラ指導者ラウル・レイエスと20人のゲリラ兵士を殺害した3月1日の攻撃は、ほぼ間違いなく国際テロ行為に該当するが、この攻撃の後コロンビア当局は、チャベスとエクアドルの親チャベス大統領コレアとがFARCを支援するために最大限のことをしていると主張した。

 証拠としてコロンビア当局は、FARCのラップトップコンピューターに見出されたという資料を製作演出した。このコンピューターは、注目に値するほど珍しいことに、その攻撃の中を無傷で無事だったというのである。コロンビア政府が言うには、その資料は、チャベスがFARCに武器、弾薬および3億ドルの援助をおこなったことを証明しているという。国際刑事警察機構(Interpol)は、独自の調査をおこなった後、コロンビアはいかなるファイルも修正または廃棄または創出してはいない、このアンデスの国はコンピューターを扱う際にいつもいつも国際的に認められた方法に従うわけではないけれども、と言明した。当局は、資料はFARCキャンプからのものであると言明した。しかし、調査官たちは、その資料に含まれている情報が完全に正確なものであるということを、確実なものとして証明することはできなかった。

 ワシントンでは、国務省報道官シーン・マコーマックが、国際刑事警察機構の報告をすばやくとらえて次のように述べた。FARCに対するベネズエラの支援を示しているラップトップコンピューターのファイルは「高度に懸念させられる」ものである、と。チャベスは、これらの非難告発をきっぱり拒絶して、国際刑事警察機構の報告を「真剣なコメントに値しない道化師の見世物」と呼んだ。チャベスは、コロンビアとのあらゆる関係および国際刑事警察機構への協力関係が「深刻な見直し」の下に置かれることになろう、と述べた。言葉で修辞法的に敵対者を破壊しようとして、チャベスは、国際刑事警察機構の長官ロナルド・ノーブルを「マフィア」の一員で「攻撃的なヤンキー刑事」だと述べた。さらにもうひとつ印象に残る怒りの爆発として、チャベスは、ノーブル(Noble)の本当の名前は「ミスター・イグノーブルMr. Ignoble」だと付け加えた。

 コロンビアとベネズエラとの関係がもうこれ以上行き過ぎることはありえないほどになったとき、米国海軍の航空機がベネズエラ領空を通過したのとまさに同じその土曜日に、チャベスは、国境に軍を送り領土侵犯を行なったことでコロンビア政府を非難した。この南米の2つの国は、まがりくねった山脈と生い茂ったジャングルを通じて1,370マイル国境を接している。文書声明で、ベネズエラ外相ニコラス・マドゥーラは、60人のコロンビア軍兵士の一団がベネズエラ西部アプレ州で国境から約875ヤード侵入したところで阻止された、と述べた。

グアヒラ地域をめぐる論争

 米国がベネズエラ政府の不安定化を追求しているだろうという不吉な兆候のまっただ中で、ひとつの新しい論争がうずまいている。米国のコロンビア大使ウイリアム・ブラウンフィールドは、最近、米国がエクアドルのマンタ空軍基地をコロンビアに移転することを考慮するだろうと発言した。ニューヨーク・タイムズによると、後の報告で述べられた地域は、ベネズエラ国境に近いグアヒラ地域だった。コロンビア外相フェルナンド・アラウホは、すぐさま否定して、コロンビアはグアヒラに基地をつくることを米国に許すいかなる計画もないと述べた。

 この論争は、これ以上悪いときはなかっただろうと思われるほど最悪のときにもちあがった。

 既に、ベネズエラ側のグアヒラ地域を含むベネズエラの最も西のスリア州で、分離主義者たちの努力の結果として緊張が高まっていた。最近、スリア州の反チャベス派は、連邦政府からの分離独立の実行可能性を研究し提案した。さらにその上、スリア州知事マヌエル・ロサレスは、2006年12月の大統領選でチャベスに負けた対立候補であるが、スリア州の「自治」を支持すると公言した。

 毎週のテレビ番組「アロー、プレジデンテ!」で、チャベスは、スリア州の「自治」へ向けたいかなる動きも対立へと導くであろうと、反対派のリーダーたちに警告した。「私は、ベネズエラを引き裂こうと望んでいる人々に、よくよく考えてみるように忠告する。我々は、我が国の政治的解体を許容するつもりはない。」とチャベスは言明し、そのような試みは、いかなるものであれ軍(force)と直面することになるであろう、と付け加えた。チャベスは、さらに続けて述べた。スリア州の「自治」は、石油の豊富な地域を戦略的にコントロールしようとする米国によって策定され支持された「帝国主義的計画」の一部を構成している、と。

 貧困化された地域としてのグアヒラ地域は、この国境地域を往来するワユーウ・インディアンの居住地域である。この地域は、不毛な砂漠が多く、コロンビアとベネズエラにまたがっている。地理的に隔絶した地域として、グアヒラは、歴史的にも外交的論争に巻き込まれてきた。1928年に、コロンビア当局は、この地域の分離独立計画に多大な関心をもったので、コロンビア下院は秘密会を開いて次のような議論をした。「分離独立運動を刺激することを追求しているサンタンデル州とゴアヒラ州でのヤンキー・エージェントの動きは、スリア州[ベネズエラの石油地域の真っただ中のスリア州]に統合しようとするもので、スリア共和国を形成するだろう。」

 紛糾した歴史の結果として、この地域に米国の存在を根付かそうとするいかなる議論も、不可避的に民族主義的パッションをかきたてる。チャベスは、米国に言及しながら「我々はコロンビア政府がグアヒラを帝国にあたえることを許さない。」と述べた。メディア報道が明らかにしたように、グアヒラ現地の自治体は抗議の声を上げた。現地の先住民自治体パエス市の市長でチャベス支持者のエベル・チャコンは、コロンビアとベネズエラのワユーウ族に、「自治や分離の立場」でもって彼らを引き裂こうとするベネズエラ反政府派の試みを拒絶するように求めた。チャコンは、グアヒラに米軍基地を設置することはこの半球全域の安全保障への潜在的脅威となる、と付け加えた。


マンタからコロンビアへ

 米国は、実際に、エクアドルのマンタ基地を閉じてコロンビアに新たな基地をつくろうと考えている。我々はいかにしてこの要点にたどり着いたか。その問題に、私は、この4月に出したばかりの本『Revolution! South America and the Rise of the New Left』(Palgrave-Mcmillan刊)の中で答えようとしている。

 エクアドルでは、マンタでの米軍基地に対する全般的な大衆の敵意の雰囲気を無視することは困難である。マンタ基地は、麻薬のためにコロンビア領空へ飛行するのに使用されている。この軍事施設は、首都キトから南西160マイルの太平洋岸に位置し、技術的に米国によってコントロールされているのではなくエクアドル空軍が管轄している巨大施設である。

 多くのエクアドル人は、米国がエクアドルをコロンビアの紛争にもっと深く引きずり込もうとしていると信じている。コロンビアの紛争は国境を越えて撒き散らされている。マンタの空軍基地は、1999年に10年間米軍の駐留を認める協定が締結された。そして、ラファエル・コレア大統領は、2009年に期限が切れたら更新しないと、大統領に選ばれる前から明らかにしてきた。

 キトを訪れたときに、私は、市のカトリック大学のキャンパスに立ち寄った。テーブルで、一人の女性が、マンタ基地の抗議のために基地のある海岸へバスで行く人々を登録していた。廊下で、私は現地の活動家グアルデマール・ヒメネスに会った。

マンタの米空軍基地:社会的災厄

 「マンタは、かつては純粋な漁業の町でした。今では、漁師たちは海の一定の部分には近寄れません。そこは、セキュリティーを理由に閉鎖されています。」と彼は説明してくれた。海上で、米海兵隊がエクアドルの船を遮断してきた。何艘かの船を沈めさえした。「海兵隊はエクアドルの沿岸警備隊ではない。」とヒメネスは憤慨して述べた。

 彼は、米国の基地に関係する他の数多くの問題に怒り続けた。たとえば、基地は時とともに徐々に拡大した。この拡大によって、カンペシーノ農民が伝来の土地から排除された。さらに加えて、環境破壊が起こった。現地に限っても、滑走路をつくるためのアスファルトに混ぜる材料をとるために山腹が破壊された。

 マンタ空軍基地は、現地の経済に毎年約700万ドル貢献しているといわれている。しかし、活動家たちは、この地域の真の経済的発展が欠如していることを批判する。海兵隊は、エクアドルの市場では何も買い物をしないし、現地の交通機関も使わない。「彼らが貢献しているのは、現地のディスコと売春だけです。」とヒメネスは厳しく説明した。

 それを受けて私は、こう言明した。「あなたが述べていることは、ほとんど特別なことではありません。それは、私に、他の米軍基地の歴史を思い起こさせます。」と。

 「それは、全世界で繰り返されていることなんですね。ベトナムでも、売春宿が密集していましたね。」とヒメネスは述べた。

 今や、コレアが米国に出て行ってくれと言おうとしているので、米国は、次の候補地を考えねばならない。国防総省は、多くの選択肢をもっているわけではない。南米中で「ピンク・タイド(左傾)」の国が増えて、長期にわたる米軍の存在を受け入れようとはしない。同意するかもしれない唯一の国はコロンビアであるが、こちらはこちらでまた別な理由があって、そのような動きが危険なものとなる恐れがある。

 もし米軍がコロンビアに配置されれば、それは戦争地域の真っただ中に駐留するということになり、FARCの攻撃にさらされるだろう。政治的には、コロンビアに新基地を開くということは、チャベスと国境を接してさらにいっそう敵対するということになる。ペンタゴンがワユーウ族のグアヒラ地域に基地を置くことを決定しようが、コロンビアの別な所にしようが、その設置は、現地の人々にとっては売春やその他の否定的な社会的諸結果を引き起こすだけだろう。まさにマンタと同じように。