日本軍「慰安婦」被害者の名誉と尊厳回復のための
韓国ソウル「戦争と女性の人権 博物館建設基金」
関連情報のページ

 このページでは、日本軍「慰安婦」問題や「戦争と女性の人権 博物館」建設をめぐる動きなどについて、「韓国挺身隊問題対策協議会」のホームページからの翻訳を中心に関連情報を掲載していきます。翻訳文の全責任は署名事務局が負うものです。
(韓国挺身隊問題対策協議会のホームページhttp://www.womenandwar.net/

2008年4月7日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局



「挺対協」の活動紹介

 「この記事には、"○○ハルモニ"という記述が数多く登場します。"ハルモニ(Halmoni)"という言葉は、韓国(朝鮮)語で「おばあさん」を意味しますが、日本軍"慰安婦"被害者たちである韓国のおばあさんたちの活動によって、日本軍性奴隷の実体が世界に知られるようになり、"ハルモニ"という言葉が、日本軍性奴隷の被害者たち全体を意味する言葉(HALMUNY)として国際的に使用されるようになりました。 "○○ハルモニ"という表現には、そのような意味が込められています。また、日本軍性奴隷の被害者たちが、被害を受けられた時は「少女だった」のであり、今は「おばあさんになられた」ということの重さも、この言葉には込められていると言います。」


9月21日(日曜日)
歌手李政美(I-Jongmi)さんと戦争と女性の人権博物館建設のための李政美コンサート大阪実行委員会が『シュイムト(Shuimto:休息所)』訪問、寄付伝達:去る6月、大阪で博物館建設を後援するための李政美氏コンサートを李政美氏ファンクラブなどが共に実行委員会を組織して開催しました。800人座席がぎっしり埋まって、公演を鑑賞して、吉元玉(Kil-Whnok)、李容洙(I-Yongsu)ハルモニも共に参加していました。
 今日午前11時、公演収益と共に後援支援金も別途集めて、「シュイムト(休息所)」で寄付241万円を伝達して下さいました。円為替レートが高くて両替するので25,753,501ウォンになりました。実行委員らを迎えるために、「憩い場では昨日から金東姫局長と安ソンミ幹事が台所でタクトリ湯(鶏スープ)を準備しつつ、ブツン!ブツン!と鶏を切るまで・・・チャプチェ(野菜炒)、チョンポムク(緑豆寒天)など材料を準備しました。今日も朝早く「シュイムト(休息所)」に集まって、食べ物を用意して、一つの卓を準備し、皆が美味しく食べて、幸せな気持ちになりました。それで準備した私たちも幸せでした。
 来る2月28日には、東京で博物館建設後援のための公演日程を押さえているが、その時もうまくいったら良いです。韓国でもこういうイベントがたくさんできたら良いでしょうね。がんばります!!!!
 出逢いが終わって宿舎に帰る方々、仁寺洞(Insadong)に行く方々をお見送りし、京畿道(Kyongido)の利川(Ichon)に行く方々を江南(Kangnam)高速バス・ターミナルまで自動車でお連れしたが、自動車のなかで、「シュイムト(休息所)」の雰囲気が本当に良かったと言い、ハルモニたちが健康で幸せに暮らす姿を見るから、私たちも感動で幸せだとの言葉を伝えてくれます。また私たちと一緒に、同じところを目指して、この道を歩いていく人々が生まれました。ア〜、力が出ますね。

▲ 「シュイムト(休息所)」での伝達式と交流


9月18日(木曜日)
日本第9次アジア連帯会の実行委員会に北側出席のために努力要請:第9次アジア連帯会議が、11月23〜25日に東京で開かれるはずなのに、今回も北側が参加できるか不透明な中で、日本の実行委員会側に日本政府と積極的交渉を通して北側からアジア連帯会議に参加できるように交渉してくれという要請をしました。

9月11日(木曜日)
2008ヨーロッパキャンペーン推進:ドイツ、英国、ベルギーを訪問する二回目の欧州キャンペーンを来る11月2日から行ないます。英国とドイツの場合、決議案採択のための活動を、昨年の欧州キャンペーンの時、他の国と一緒に始めたが、まだ決議案採択につながらないでいて、吉元玉(Kil-Whnok)ハルモニを迎えて、もう一度欧州を訪問するキャンペーンです。英国では、オックスフォード大学校とロンドン大学で、韓国留学生会主催で集会と後援の夕べも行なう予定です。
 昨年のスピーキング・ツアー以後、英国議会に37人の議員が署名して決議案草案(EDM 294)が提出されたので(http://edmi.parliament.uk/EDMi/EDMDetails.aspx?EDMID=34405&SESSION=891)、それ以後の後続ロビーをアムネスティと一緒にするための活動も行います。また吉元玉ハルモニに関係した歌を作った歌手チュリメテュさんも放送および言論インタビューを推進しています。
 ベルギーには、特別に、来年ILO総会で日本軍性的奴隷制が必ず案件として扱われるようにするために、国際労連関係者たちと直接面談する時間をとることにしました。
 ドイツでは、同胞女性たちの助けを得て、キャンペーンの全体日程のために、アムネスティ本部の東アジア担当であるケイティー氏と熱心にメールをやりとりしています。



9月10日(水曜日)
第830次水曜デモ、挺対協事務局主管で実施:もう各学校が始業を迎え、休み中ずっと三三五五集まった学生たちの姿は随分減りましたが・・・しかし水曜デモは、リレーのように毎回誰かの空席を他の誰かが満たしてくれるように続いていっています。
 今日は、日本からきた学生たちが韓国の人々の空席を満たしてくれました。毎年学校で熱心に日本軍「慰安婦」問題を勉強しながら、水曜デモも着実に参加している神戸女学院大学を中心に、甲南大学と地域の色々な学生たちや市民たちが大きな群れをなして訪ねてきました。また早稲田大学から学生たちが訪ねてきました。神戸地域の学生たちは、「日本人として本当にこのままで大丈夫ですか?」と書かれた大きな垂れ幕を持って、ハルモニたちの前にでてきて、加害の歴史を越えて、歴史の真実と人権を訪ねて水曜デモを訪れたことを話しました。
 そして韓国で、交換学生として生活しているクリスタルというアメリカ人の友人もまた訪ねてきました。少し気恥ずかしそうに、慎重にハルモニたちの前に立って、彼女は告白します。自分の亡くなった祖母も「慰安婦」だったと・・・。多分、自分がこの席に来たことをご存知ならば、本当に喜ばれるだろうと語り、一瞬、皆の心を粛然とさせました。
 また他のお客さんも訪ねてきました。民主労働党代表姜基甲(Kang-Gigap)議員は、いつものように白い道袍(Topo:外出用民俗服)姿で水曜デモの場を訪れ、ハルモニたちの歴史を、共に胸を痛めながら、国会議員としてこの問題を解決していくという決意を新たにしました。笑いながらこの闘いを継続していこう、共に行こう、と話す姿に胸が痛みもしました。
 最後の声明書朗読は、毎週水曜デモを忘れない劇団ナビ(Nabi:蝶々)の俳優金ヒョンジョン(Kim-Hyonjong)氏が、朗々としてかつ力強い声で読み継ぎました。顔より心がさらに美しいハルモニたちの強固な友人です。


▲ 第830次水曜デモ


9月7日(日曜日)
宮古島の日本軍「慰安婦」追悼碑除幕式開催:午後4時、与那覇さんが提供した土地に「アリランの碑」と「平和の碑」が立てられました。そしてそこにトラジ(Toraji:桔梗)の花が咲きました。高校生たちが「アリラン」の歌を演奏して、昔、朝鮮から連れられてきた女性たちが歌った「アリラン」の歌を、今も記憶しているとして、宮古のお婆さんたちは、「アリラン」の歌を歌詞一つ違わないで歌いました。
当時、宮古で少年だった与那覇さんが、朝鮮から連れられてきた女性たちが体験した苦痛を忘れないで記憶し、その記憶を宮古の住民たちと沖縄本土の住民たちと、東京の女性たちと、そして挺対協と共に分ち合い、追悼碑建設の夢が現実しました。与那覇さんは、朝鮮人「慰安婦」たちが洗濯をして帰り道に、しばらく座って休んだ姿を記憶していました。そしてその場所に碑をたてるべきだとの夢を抱いて、その夢を一人でも実践に移すために努めてきました。いよいよ今日、その碑の除幕式が始まりました。
 宮古島市長も参加され、激励と追慕の挨拶をして下さいました。「アリランの碑」を囲んで「平和の碑」が立てられました。その碑文は、日本軍性奴隷被害をこうむった11カ国言語で書かれました。その碑文には、日本軍「慰安婦」被害者たちの苦痛を記憶しながら、今でも全世界で続く戦時性暴行被害者と痛みを分ち合うように望みながら、彼らの尊厳回復のために努力するという誓いが入っています。
 「アリランの碑」には、「アジア太平洋戦争当時、この付近に日本軍慰安所があった。朝鮮から連れられてきた女性たちが、井戸で洗濯して帰り道に、ここでしばらく休んだ姿を記憶している。悲惨な戦争が再び起きないように、世界の平和と共存を願う心を抱いて、この碑を後世に伝えたい。」と彫られています。
 遠くここまで連れられてきて、恐ろしさによって、空腹によって、軍人たちの暴力によって、住民たちの「朝鮮婢」という愚弄の中で、鋭い苦痛を体験しながら生きなければならなかった、そして怨恨に深くしみた死骸にならなければならなかった女性たち、その女性たちの慟哭の声が聞こえるようで、涙が止めどなく溢れ出ました。このように歴史的なことが、私たちの努力によって成し遂げられたのだし、喜ばしいことだと、気持ちを何度も切り替えようと努力しましたが、溢れる涙は止まりませんでした。「アリランの碑」周辺に植えた紫色のトラジ(桔梗)の花が、今日に限ってより一層高貴で優雅に見えました。


▲ 宮古島の日本軍「慰安婦」追悼碑除幕式


9月6日(土曜日)
宮古島の住民たちと一緒に行った日本軍「慰安婦」証言集会:午後1時30分から宮古島の住民たちと一緒に、証言集会を持ちました。宮古島の追悼碑建設経過報告が宮古島実行委員会からあって、尹美香(Yun-Mihyang)代表の挺対協活動紹介、朴スニ(Pak-Suni)ハルモニの証言、尹貞玉(Yun-jongok)先生の発言の順で進行しました。朴スニ・ハルモニは、海外で初めて証言をすることなので、証言をしながら随分泣かれて、話し終えた後には頭が痛いと言って行事の場所の外に出て行って休まなければなりませんでした。
 すべての発言が終わって質問を受ける時間に、一人の男子住民が、今日証言をなさった方の内容を聴けば、強制的に連行されたというのに強制連行の証拠がどこにあるのか、謝罪して賠償することを要求しているのに、それの証拠がないのに謝罪して賠償しなければならないのか、という質問をしました。
 尹美香代表も答弁を通して、すでに発掘された軍文書でも十分に日本軍が強制的に連行して、女性たちを性奴隷化させたということが暴かれたし、そういう諸事実は、日本言論にも報道された。そして何よりも、1993年、日本政府が河野談話を通して強制連行と強制性を認めた。何よりも被害者がこのように生きていて、自身が経験したのを証言したが、もうこれ以上の証拠が何が必要なのか、証拠を被害者らと被害国の民間団体に出せというのでなく、日本政府が真相糾明するように要求しなければならないと答えました。
 続けて尹貞玉先生も答弁を通して、強制性に対する証拠を出せと要求した質問に対して反論しました。それ以外にも、宮古島住民の中に、教師として仕事をしているという方と牧師様とバウネット・ジャパンの東海林得路子さん、中原道子さんも、各々答弁をして、質問に対して反論しました。

▲ 宮古島証言集会


宮古実行委員たちと一緒に行った交流会:証言集会が終わった後、ある食堂に宮古島実行委員たちと東京実行委員、那覇、韓国の参加者たちが一緒に夕食をしながら、各自の紹介と共に、今日の集会に対する感想を分かち合いました。朴スニ・ハルモニは、今日、内に秘めた話を打ち明けたので、すっきりとして気持ちが良いように見えます。


ヤフー・オークションで突撃一番コンドーム競売参加、落札:沖縄の那覇にある「戦争資料館」で突撃一番コンドームと軍刀、手榴弾、水筒などの展示品の寄贈を受けたが、寄贈を受けたコンドームは中のゴムがみななくなったままリングだけ残っていて、原形が保存された突撃一番コンドームがあれば良いと考えました。ところでちょうど、ヤフー・オークションでその物品が競売で販売されていて、古賀さんをして競売参加をお願いし、証言集会が終わり、交流会が終わった後、皆が休みにホテルに入った時間、金ブジャ先生と一緒にホテルのロビーで競売落札を待ちながら、競売がしばらく進行中の古賀さんの携帯電話を一緒に見守りました。そしてついに私たちが落札に成功しました。



9月5日(金曜日)
戦争資料館訪問、「戦争と女性人権博物館」に資料寄贈を受けることに:今日は、沖縄本土から宮古島に発つ日だが、昨日夜に古賀さんを通して、戦争資料館を訪問することを約束したので、朝からバタバタしました。ホテルのロビーでチェクアウトをし、荷物を預けて降りて行くと、平和会の宜野座映子さん古賀さんなどが自動車を持って私たちを案内してくれました。私たちにはいつも有難い映子さんは、前回訪問の時好きだっものを覚えていて、手作りのパンと英子さんの近所で買えるチャプサルトック(Chapssaltok:餅米で作った餅)を買ってきてくださいました。そして、挺対協に後援支援金1万円までもくださいました。
 移動する途中で、辺野古米軍基地反対闘争についても、この間の経過を教えてくださいましたが、随分と難しいといいます。
 戦争資料館に到着すると、入口から部屋全体にぎっしりといっぱい詰まるようにして、手榴弾、薬瓶、水筒、軍刀、長刀、食器などが保管されています。国吉さんが私たちを案内します。しばらく説明を聞いた後、尹美香(Yun-Mihyang)代表が「戦争と女性の人権博物館」建設について説明をし、日本軍「慰安婦」女性たちと関連する遺品で発掘されたのがあれば、手助けして欲しいと言ったところ、直ちに、あれこれの遺品を直接選んで下さいます。映子さんも同行しながら、新しい遺品を選択して同意を求め、中原先生も一役かわれました。特に、ハルモニたちが軍人らから暴行を受けた時、たくさん使われたという軍刀や軍靴と関連したものなどを要請すると、少し躊躇された後、軍刀を下さると言います。朴スニ(Pak-Suni)ハルモニは、戦争遺品等を見ながら、過去の経験が思い出せるのか涙ぐみます。突撃一番コンドームもくれました。机の上にいっぱい遺品を積み上げ、一緒に写真も撮りました。

▲ 「戦争資料館」にて


那覇空港から宮古へ:戦争資料館でとてもたくさん時間をとったので、昼食を市内ですることにしていたけれど、直ちに空港に行きました。宮古行の飛行機の出発手続をして、皆一緒に空港内食堂で昼食をしました。そして・・・宮古に出発しました。今回も金ブジャ先生は、飛び回る他はありませんでした。韓国一行中のカン・カラム(Kang-Karam)さんと友人が、今日、空港で私たちの一行に会うことにして、飛行機のチケットを中原先生が持っているのに、私たちが出発する直前まで会えなくて、どうにもならなくて、金ブジャ先生がチケットを持って放送をして・・・一歩遅れて飛行機が出発する直前、私たちが飛行機に乗るために待っている所に到着しました。昨日、仁川空港での状況を知っている私たちは、笑ってはならない気の毒な状況にもかかわらず、出てくる笑いを止められなかったです。
 宮古空港に降りると、追悼碑を建設する土地を寄贈された与那覇さんをはじめとして、宮古実行委員たちが出迎えくれています。洪ユンシン(Hong-Yunsin)さんも、前もって到着して準備をしていて、私たち一行を迎えてくれます。朴スニ(Pak-suni)ハルモニと尹貞玉(Yun-Jongok)先生は、きれいな花束をプレゼントとしてもらいました。


宮古島慰安所踏査:宮古島に到着して、ホテルに荷物を置いて、直ちに宮古島にあった慰安所を踏査しに出発しました。現在まで、沖縄には130個所の慰安所が確認されていて、宮古島には16個所の慰安所があったと調査されています。今日の踏査で一行は、慰安所を記憶している生存者たちに直接会って、その方たちの案内の下、慰安所があった所を訪問しました。ある所は住民の家で、一つの部屋を慰安所として使っていて、私たちはその家を訪問して、そのことを記憶しているお婆さんとその家族たちと一緒に会って、写真で記録を残したりもしました。夕食の時間になって、長い一日が終わりました。

▲ 宮古島の日本軍「慰安所」跡踏査


9月4日(木曜日)
宮古島追悼碑除幕式出席のために仁川(Inchon)空港から沖縄に出発:朝7時30分、仁川空港で会うことにしたが、容易でありません。朴スニ(Pak-Suni)ハルモニと尹貞玉(Yun-Jongok)先生は、姜珠慧(Kang-Juhe)事務局長が自動車で空港までお見送りして、空港の前で待機していてうまく会いました。朴ヘスン(Pak-Hesun)、黄スニョン(Hwang-Sunyong)先生も既に出てきて待っていました。あとは金ブジャ(Kim-Buja)先生と黄ジョムスン(Hwang-Jomsun)先生だけに会えば良いけれど・・・見えないので列を作って待つことにするけれど・・・黄ジョムスン先生は、春川(Chunchon)から一時間前ぐらいに到着して待っていたが、私たちが探せなくて、一歩遅れて会って合流しました。
ところで・・・私たちの順番になったが来ないのでやむを得ず、金ブジャ先生を残して手続を終えました。そして現れたが、今度は旅券の名前と飛行機のチケット予約の名前が合わなくて、どうにもなく、他の方々を先に出国手続をしに中に入れ、金ブジャ先生と尹美香(Yun-Mihyang)代表がこちらに走り、あちらに走りして・・・最終締め切り時間である8時30分を少し回って、やっと旅行社から名前を変えたという連絡を受けました。
「あ〜、幸いだ。行けるようになりました」。金ブジャ先生を始めとして、一同安堵のため息をつきます。そのように朝から大騒動をして、飛行機に乗って沖縄に到着すると、東京から来られた中原さん、池田さん、沖縄の高里さんが空港で私たちを待っていました。


沖縄戦争犠牲者たちの遺骨発掘、具志堅さん懇談会:「沖縄時間」があるということを、今回初めて知りました。夕方9時にホテルのロビーで金ブジャ先生と朴ヘスン先生と一緒に、古賀さんと具志堅さんが来るのを待っていました。約束時間の15分後、古賀さん来ました。そして・・・30分ほど経過した時、具志堅さが到着しました。古賀さんに尋ねたところ、沖縄時間は、1時間30分ずれる場合もあると言いますね。ウヮ〜。
今日も発掘作業があったとして、トンネルに入って直接遺骨を発掘し、不発弾を収集するなどの活動について経験を聞かせてくれます。特に遺骨を収集することについて話される時は、目に涙が溜まったりもします。遺骨収集の中に女性たちのものもあるのかと尋ねたところ、女性たちのものもあると言います。「戦争と女性の人権博物館」の建設現況について報告し、ひょっとして、資料収集を助けてもらえるかと尋ねたところ、快く助けることがあるのなら、喜んでやると言ってくださいます。そして対話中に、日本軍「慰安婦」だった朝鮮女性を、終戦時に米軍が占領した当時、米軍のための「慰安婦」としてまた使ったという証言がは入ったビデオテープについても教えてくれ、そのテープを求めたいと言ったところ、古賀さん方に送ってくれるといいます。
他の遺品の中でも、「戦争と女性の人権博物館」に必要なものを提供して下さるという回答ももらいました。


日本の第9回アジア連帯会議実行委員会から来た連絡:坪川さんからメールがきました。11月23〜25日に東京で開かれる第9回アジア連帯会議にヤーン・オヘロン・ハルモニを招請したら良いというオーストラリアの友人らの意見を伝えたところ、これについて議論をし、ハルモニを招請することにしたといいます。ハルモニの証言は、日本の議員たちに大きい影響を与えるだろうと期待していますが、ただ、ハルモニの航空費と宿泊費は日本側で負担するが、団体活動家らの経費は負担が難しいと言います。そして米国のワシントン挺身隊対策委員会の崔ジョンボム(Che-Jongbom)代表にも、アジア連帯会議招請状を送るといいます。アジア連帯会議の内容以外にも、日本でもILO専門家委員会に報告書を送ったという報告ももらいました。



9月2日(火曜日)
東京の梁澄子先生が、10月中旬に博物館関連の集いを組織:10月18日(土曜日)、東京で「輝け9条! 世界へ未来へ フェスティバル2008」で、挺対協が主催し、第9回日本軍「慰安婦」アジア連帯会議の実行委員会が共同主催し、オール連帯が協賛する「日本軍『慰安婦』問題の立法を通した解決のために」というシンポジウムがあります。
 東京で、「戦争と女性の人権博物館」共同建設推進委員長として活躍してこられた梁澄子(Yang-Jingja)先生と相談して、17日に博物館関連の集りを持つことにしました。「日本の女性たちの戦争と平和資料館(WAM)」で開催されるでしょう。
 新年の2月28日、東京で、博物館建設基金募金のための李政美(I-Jongmi)さんのコンサートをすることになりましたが、これを準備しながら、博物館関連勉強もして、また良い方法を議論するための集りになるでしょう。
 合わせて、9月20日には、戦争責任資料センターで行うシンポジウムに、尹美香(Yun-Mihyang)代表が参加して、各国議会決議案関連活動について報告することを、梁澄子先生が交渉して、そのようにすることにしました。

日本関西フォーラムから、博物館建設に3万円後援:8月に、東京と大阪、福岡、北海道などを巡回しながら持った関西フォーラムから、挺対協博物館建設のために3万円を後援して下さいました。ありがとうございます。



「挺対協」の活動紹介           08-09-03

挺対協、民主労総・韓国労総と共にILO(国際労働機構)に報告書提出
ILO協約29号――'強制労働禁止条約'違反事例である
日本軍'慰安婦'問題解決再度呼び掛け/来年会期個別議題採択の可能性高まって

平和の挨拶を伝えます。

 先週金曜日(8月31日)、本会は、韓国労働組合総連盟、全国民主労働組合総連盟と共同で、ILO基準適用専門家委員会(Committee of Experts on the Application of Conventions and Recommendations)に、日本軍'慰安婦'問題解決のための呼び掛けと要請を盛り込んだ報告書を提出しました。今回の報告書には、去年各国であった日本軍'慰安婦'公式謝罪決議案採択と国連人権理事会での報告書採択、そして日本地方議会での請願採択など、国際社会の声と奮い立たせる成果を盛り込んでいます。また生存者たちの状況と彼らの要求を伝達しながら、日本軍'慰安婦'問題解決のためILOの役割を強く要請しました。

 ILO協約の中の29号に該当する強制労働禁止条約は、女性に対する強制労働禁止と強制労働に対する補償義務および強制労働を押し切った責任者を刑事処罰しなければならないという内容が明記されています。1995年から、挺対協と韓国の諸労総、各国労働者グループが一致協力して、日本政府が日本軍'慰安婦'制度という性的奴隷制度を通してこの協約に違反したことをILOが判断してくれることを要請してきて、これに96年ILO基準適用専門家委員会は、日本軍'慰安婦'問題を性的奴隷制と規定、強制労働禁止条約に対する違反という判断を下すと同時に、日本政府が早い日時のうちに補償策を用意することを希望するという結論を下したわけであります。

 しかし毎年ILO総会の度ごとに、労働者グループの支持にもかかわらず、日本政府のロビー活動と使用者グループの反対にあって、日本軍'慰安婦'問題が個別議題に採択されることには失敗してきました。だが今年5月末から6月中旬まで開かれた97次会期で、各国労働者グループの強力な遺憾表明と積極的な支持および世界世論の友好的な雰囲気の中で、来年にはこれまでになく個別議題採択の可能性が高まっています。今回提出された報告書を、やはり2009年のILO総会での進展した成果のための努力の一環として、挺対協は、今後国際社会で日本政府の問題解決を要求する活動をより一層熱く継続しようと思います。これに積極的な関心と報道を要請申し上げます。

(担当者:安アン・ソンミ幹事 02-365-4016,010-3824-4190)  [終り]

韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 尹美香(Yun-Mihyang)[常任] 韓グギョム(Han-Gugyom][役職省略]

《挺対協HP》より訳出
http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1204



<<826次水曜デモおよび世界連帯集会>> 2008年8月13日(水)

手に紫色の風船を持って集まった参加者たち

 どんな時の水曜日よりはるかに多くの人々が日本大使館前に集まりました。馬山[Masan]、平沢[Pyongtek]、水原[Suwon]などから休みを迎えた学生たちが三々五々群れをなして、あるいは何十人かずつ共に訪ねてきました。
 12時になって、崔グァンギ[Che-Gwangi]さんの司会で力強く「岩のように」を合唱して、韓グッキョム[Han-Gugyom]共同代表の開会の辞で扉を開けました。グループ歌手「ウリナラ[Uri-Nara:わが国]」は、アルバムの準備で忙しい中にも暇を見つけて訪ねてきて、「日本がくる」という興の湧く歌で、始まる興味をかきたててくれました。


パフォーマンス『ハルモニの夢2』
 最初の発言は、世界聖公会G.F.S 17カ国の会員たちと共に来られた李ヨンエ[I-yonge]先生が引き受けてくれました。各国の会員たちを紹介して、この席を訪ねるようになった理由と、連帯の気持ちを伝えました。髪の色も言葉も違ったが皆が、真剣な目つきで集会中ずっと熱い関心と歓呼で共にしました。引き続き、この間水曜デモを通して感動的な公演をお披露目した「ハルモニの夢」パフォーマン・スチームが、今回の集会のために新しく準備したクッ(*1)「ハルモニの夢2」を通じて、全身で公演を繰り広げました。ハルモニたちの歴史を通して、参加者たちが皆、自分を振り返るようにする内容を入れて、約10分ほど公演を行って、最後には問題解決を念願する意味で、一人ずつ出て、平和の足型印を押す手順を持ちました。ハルモニたち、そして水曜日ごとに共にしてきた人々の足取りが、今後も堂々と力強く続くであろうことを見せてくれる時間でした。

平和の足型(文書では「足型印」となっているが、写真では、手形を押している)
 次に民主労働党の郭貞淑[Kwak-Chongsuk]議員が進み出て、日本軍「慰安婦」問題解決のために、そして女性と弱者たちのために一生懸命に闘うという連帯発言によって共にしました。

 引き続き戦争と女性の人権博物館建設のために日本でも物心両面の手助けをしてくれてきている「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」の吉岡祈子さんもマイクを取って発言をしました。震える声で日本軍「慰安婦」問題を解決しない日本政府を糾弾し、日本でも一生懸命に共にして行くことを誓いました。

 熱い雰囲気を集めて、いつも特別な集会の時ごとに歌を通して連帯の力を見せるグループ歌手「パダッ・ソリ[Padak-Sori:最下層の声」の公演が続きました。非常に楽しい歌のリズムに合わせて、ハルモニたちは、お一人お二人と立って、ひょいひょいとオッケ・チュム[Okke-Chum](*2)を踊りながら、興が乗る舞台を作りました。

 次に、一緒にやっている諸団体の名前を皆呼んで、最前列を守りながら歴史の生き証人になるハルモニたちの名前も皆呼びながら、お互いを励まして歓迎する時間も持ちました。引き続き「蝋燭少女」(*3)が登場し、学生たちの立場でこの問題をどのように見つめるかを凛々しく語り、男女の学生が舞台の上に上がってきて、今日の声明書を朗読しました。戦争企図を止めずに、日本軍「慰安婦」問題に対する責任を回避している日本政府を、自国民の人権蹂躙さえ無視して過去の歴史問題を成り行き任せに蓋をする韓国政府を、そして女性と弱者を苦痛に追い込むすべての戦争勢力を糾弾する皆の意志を盛り込んで、解放63周年の真の解放を夢見る声明でした。そのように集会が終えようとする時、参加者たちの頭上に大きな垂れ幕が広げられました。今日の集会の主な叫びだったMV OUT!(軍国主義と女性暴行アウト:Militarism and Violence against women OUT)と共に、女性暴行、人権蹂躙、歴史歪曲、戦争などが書かれた軍国主義の象徴、日本の自衛隊旗でした。ハルモニたちが解放の羽ばたきを思う存分開くその瞬間を念願しながら、熱い気持ちで垂れ幕を、いや戦争と女性暴行を、バリバリとアッと言う間に破ってしまいました。そして最後に、ハルモニたちの高貴な念願と名誉を象徴する紫色の風船を空の上に浮かべながら、今日のすべての手順を締め括りました。
 ジリジリと焼け付くような真夏の日差しが参加者たちの背筋にずっと刺さる蒸し暑い夏の天気だったが、皆の額に宿った汗の玉くらいは片手でスイスイと拭いてしまいながら、最後の瞬間まで席を守りました。解放63周年、日本軍「慰安婦」問題解決に共にして下さったすべての方々に、感謝と熱い連帯の挨拶を伝えます!

<<海外からの声>>
※オーストラリア
 ソウルの日本大使館の前がこのように熱い雰囲気に熱せられている時、地球のかなたの所々でも、日本軍「慰安婦」問題解決を叫ぶ声が噴出してきました。尹美香代表,チョ・シヒョン法律委員と共にシドニーまで飛んで行った吉元玉ハルモニは、オーストラリアの大学生たちと現地市民らを相手に勇気ある証言をしながら、去年、米国とオランダ、カナダ、そしてヨーロッパ連合議会で採択された日本軍「慰安婦」問題謝罪要求決議案のドミノ風をオーストラリアでも継続しました。
 12日から16日まで、オーストラリアで行なわれている現地キャンペーンは、吉元玉[Kil-Wonok]ハルモニとオランダ被害者ヤーン・ハルモニが共にして、挺対協の尹美香[Yun-Mihyang]代表をはじめとして、日本軍「慰安婦」被害者と共にするオーストラリアの友、アムネスティ・インターナショナル・オーストラリア支部、日本平和女性会、そしてオーストラリア韓国人同胞らが力を集めて、メルボルン市庁広場での連帯集会、モネシュイ大学でのセミナー、戦争と女性の人権博物館建設後援行事、そしてオーストラリアの議員たちを相手にしたロビー活動などを展開しました。

※ドイツ、イギリス
 ヨーロッパ大陸では、「プロジェクト700」という名前で集まった在独ベルリン日本女性会、在独韓国女性会、在独平和女性会、世界韓民族女性ネットワーク・ドイツ地域など、4つの団体が、13日の夕方ベルリン中心街に位置するヴィルヘルム・カイザー教会の前で、黒い服と黒いプラカードを持って日本軍「慰安婦」問題解決を要求する沈黙デモを繰り広げました。また国際アムネスティ英国支部の主催で、ロンドンでもキャンペーンが行なわれました。

※アジア −− 台湾、日本、インドネシア、フィリピン
 アジア諸被害国の連帯はより一層熱い雰囲気で熱せられて、フィリピンとインドネシア、台湾などで集会と多様な文化行事を繰り広げました。特に台湾では、伝統追慕儀式である《Pudu》を通して、日本軍「慰安婦」犠牲者たちを追慕する灯を作り、参加者たちの要求と追悼の辞を盛り込んで浮かべる行事を繰り広げました。台湾の言論も多くの関心を見せて、昨年各国で採択された決議案の成果が、次には台湾で形成されなければならないと報道しました。

 日本では、特別な蝋燭の灯集会が開かれました。10日の夕方、500人余りの参加者たちが集まった中で、靖国反対のための集会が開かれた後、引き続き蝋燭の灯を持って共に行進をしながら、日本軍「慰安婦」問題解決のスローガンを叫んだのです。

 日本人参加者の話によれば、幸い過激右翼たちは現れなかったけれど、一時間あまり反対の話を並べ立てる男性と「慰安婦」問題は北朝鮮の日本人拉致問題と連結させなければならないという特別な(?)意見を提示して行った人もいたといいます。13日には、東京と福岡、大阪でも連帯集会が開かれて、ハルモニたちの写真展示と声明書朗読、ビラ広報キャンペーンなどを繰り広げながら、日本の市民たちの良心と人権警戒心を呼び起こす小さいけれども力強い叫びが続きました。

 インドネシアとフィリピンでも、日本軍「慰安婦」支援会とロラス・カムパニェラ、マラヤ・ロラス、リラ・フィリピナなどの団体が、多様な文化行事と集会を通して、声を一層高めました。

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1201

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(訳者注)
(*1)クッ[Kut]:本来は、巫女が行う祭祀であり、ここでは、それが芸術として再構成されたものである。
(*2)オッケ・チュム[Okke-Chum]:直訳すれば「肩踊り」であるが、肩を独特な形で動かしならが踊る韓国・朝鮮の伝統的民俗舞踊
(*3)蝋燭少女:今年春から夏に掛けて、韓国全土を揺るがした米国産牛肉の輸入制限撤廃に反対する大国民運動の象徴マスコットで、幼い少女が蝋燭の灯を持った構図である。この運動に最初に火を付けたのが女子高生たちであったことを図案化したものである。




解放63周年日本軍「慰安婦」問題解決のための世界連帯集会
および第826次定期水曜デモ声明書


 解放の感激を迎えてから、いつのまにか63年。しかしこの席では、私たちは相変らず真の解放を望むのだと号泣して叫んでいる。様々な収奪と圧制の下、声を殺して呻吟しながら倒れていかなければならなかったこの土地の民衆と犠牲者たちは、まだ終わらない戦争を継続しているのだ。ここのこの席で16年余りの歳月を守ってきた日本軍「慰安婦」被害者たちの人生こそ、真の解放を夢見てきた戦いの記録でなくて何だろうか。そして問題解決に共にしてきた私たち女性たちと市民たちの力は、強い者たちが作った歴史に対抗して、平等と平和を叫んできた崇高な歴史に他ならない。

 小さな叫び同様だったこの歴史の始まりは、いつの間にか世界を動かし、去年、米国下院議会を始めとして、オランダ、カナダ、ヨーロッパ連合議会で、日本軍「慰安婦」問題に対して日本政府の公式謝罪を要求する決議案が相次いで採択された。今年は、国連人権理事会でフランスをはじめとする人権理事国の問題解決要求が盛られた日本人権状況定期検討報告書が採択されるに至った。そして日本の良心ある市民たちの努力に力づけられて、宝塚と清瀬の市議会で、日本政府の責任履行を訴える意見書が採択され、この正義の松明はより大きく広まって、ついには日本軍「慰安婦」犯罪の主体である日本政府を動かしてしまうだろう。

 日本軍「慰安婦」被害者たちはもちろん、戦争犯罪犠牲者たちの傷がまだ癒える前に、歴史を歪曲して領土侵奪まで企てる日本政府の厚顔無恥は、単に韓国だけでなくアジアの平和を脅かしている。また今この瞬間にも、被害者たちが苦痛を受けている現在の問題であり、決して再発してはならない未来の問題でもある日本軍「慰安婦」問題と対日過去清算問題を、実用外交という外見の下で、埋めてしまおうとする韓国政府は、やはりその責任を痛感して積極的に問題解決の先頭に立たなければならない。

 日本軍「慰安婦」と名前だけ違うだけで、この時間にも戦争が起きている所のどこでも、苦痛を受けている地球村のあちらこちらの女性たちを記憶しながら、日本軍「慰安婦」被害者たちが真の解放の羽ばたきをするその瞬間まで、私たちの闘争と連帯は続くことを、明言する。

 解放63周年の光復節を迎えて、世界各地で今日この行動を共にしている女性たち、そして熱い熱望で女性暴行の中止と平和を叫ぶ世界市民すべての名によって、次の通り要求する。

 日本政府は、国際機構と各国議会の勧告通り、日本軍「慰安婦」犯罪に対する責任を認め、被害者たちの前に公式謝罪し、法的賠償をせよ!
 半世紀が越えるまで日本軍「慰安婦」問題という反倫理的犯罪を謝罪せずに責任さえ回避している日本政府のふるまいは、被害者たちの人権を現在も踏みにじっていることを明確にしつつ、国際社会と共に私たちの正当な要求を叫ぶことは、今後も燎原の火のようにさらに広まって燃え上がるようになるだろうことを記憶せよ。

日本政府は、戦争犯罪の清算と正しい歴史の記述を通して、平和に対する意志を明言して履行せよ!
 植民支配と戦争犯罪による被害者たちの苦痛の前に、心より謝罪して法的責任を履行し、正しい歴史記述によって育ちゆく世代に平和教育を実施し、アジアに戦雲を助長するでたらめ行動を直ちに止めよ。

韓国政府は、反人権的・没歴史的態度を捨て、日本軍「慰安婦」問題の解決に、直ちに先頭に立て!
 韓国政府は、日本軍「慰安婦」被害者たちの苦痛を減らすために先頭に立つことはおろか、高齢の被害者たちが世界各地を巡りながら勇気ある証言をして作った成果さえ水の泡にしてしまう反人権的外交政策を撤回し、速やかに問題解決の先頭に立つことを促し要求する。

軍国主義と帝国主義によって女性と弱者たちの人権を蹂躙する戦争勢力は、直ちに戦争行為を止めよ!
 幼い女性たちを戦場の性奴隷へ追いやるおぞましい女性暴行犯罪を生み、今も多くの人権蹂躙を行っている世界の軍国主義者たちは、直ちに戦争行為を止め、平和と人権が保障される世の中を作る仕事に参加することを促し要求する。

女性と弱者たちの真の解放を夢見ながら!

2008年8月13日

解放63周年日本軍「慰安婦」問題解決のための世界連帯集会および第826次定期水曜デモ参加者一同

{参加者が持ち帰った声明書から翻訳}



7月23日(水)
雨が1,2滴落ちては止み、823次水曜デモを劇団『水曜日』(*1)主管で始めて・・・



 午前11時、日本大使館の前で宝塚市会議員らと記者たちとのインタビューがありました。安ソンミ[An-Sonmi]幹事は、11時から日本大使館の前で忙しく記者たちの間を行き来しながら、今日も日本大使館の前は車の壁で遮られたまま、通行が不自由です。
11時30分、ハルモニたちを乗せたワンボックス・カーも車の壁を突き抜けて到着し、高校生たちや大学生たち、修道女さまも到着して、大使館の前は人々でぎっしり埋まりました。
 11時55分、劇団『水曜日』があらかじめ準備した布で作られた幕をムンサン女子高学生たちが前に立って掲げて舞台を作り、「水曜デモをご存知ですか?」という歌を劇団『水曜日』の団員たちが韓国語で歌います。雷のような拍手が涌き起こり、続いて司会者がハングル(*2)で直接進行をします。劇団『水曜日』の団長さんが挨拶をして、直ちに尹美香代表に博物館建設後援支援金91,000円を伝達して下さいました。
 挨拶の言葉は、ナヌムの家の村山一平さんが通訳しました。続いて宝塚市議会副議長さんの挨拶と、宝塚市議会での日本軍『慰安婦』問題の解決を促す請願紹介代表議員の発言があり、「ハルモニたちは私たちの希望」という演劇が行なわれました。演劇は、初めから最後までハングルで行なわれました。誠意と努力が十分に読みとれて余りありました。演劇が終わって、『京義[Kyongi]線に乗って』の歌に合わせて皆が踊って、本当に素敵な舞台でした。
 田中ひろみさんが声明書を読んで、マイクは尹美香[Yun-Mihyang]代表に渡され、経過報告とスローガン提唱、『岩のように』の歌とスローガンを叫びながら、今日の823次水曜デモを通して確認して作った希望と意志を表現して、水曜デモを終えました。

《挺対協週刊便り》第119号より
http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=114&SN=0&SK=&SW=

[訳者注]
(*1)劇団『水曜日』は、宝塚市の市民劇団。日本軍「慰安婦」問題や在日韓国人・朝鮮人差別問題の解決のための取組を長年に渡って行っている。今年3月の宝塚市議会の「慰安婦」問題に関する意見書採択にも大きな力を及ぼした。
(*2)「ハングル」は、韓国・朝鮮の固有文字であるが、ここでは、韓国語・朝鮮語の総称として用いられている。


7月16日(水)
822次水曜デモ、『女性の電話』京畿[Kyongi]地域共同主管



 朝から電話が鳴り響きました。「今日、予定通りに水曜デモをしますか?」、「日本の独島(日本名:竹島)領有権と関連してデモが特別に行われるのかですか?」。そして10時頃に掛かってきた電話は、「こちらは鍾路[Chongno]警察署ですが、今日12時に民主労総と高麗[Koryo]大総学生会が記者会見を日本大使館でするということで、大使館前が閉鎖されました」。予想はしていましたが、今日のデモは順調でないという予感がしました。
いつもと違って30分早く事務室を出発し、11時頃日本大使館の前に到着すると、大使館周辺は、すっかり戦闘警察車が不法駐車しています。元の韓国日報の建物に沿って入っていくと、そちらも戦闘警察などのバスによって塞がれていて、狭い町角には戦闘警察たちが道を防いで立っています。車の壁の間から鍾路警察署職員たちと言い争った挙げ句、「挺対協の水曜デモは入れるようにする」として許可されます。ただ、「他の人たちは入ってこないようにする」といいます。
 今日は、カナダから教師たちが40人、台湾からも『慰安婦』被害者2人を含む10人、新館中学校学生たちもくるといって、京畿地域『女性の電話』からも実務者たちが水曜デモを主管するためにくるのに、誰が誰なのかどのように確認するのか、と警察の過剰反応に抗議します。最小限の国民の要求を伝達することさえなぜ警察が立ち上がって防ぐのかと、李容洙[I-Yongsu]ハルモニも、そばで警察に叫びます。車の壁の間を通り抜けて日本大使館の前に集まった参加者たちは、12時定刻に日本大使館正門前で、雨が降る中で822次水曜デモを開きました。
金浦[Kimpo]『女性の電話』の事務局長は、流ちょうな英語力でカナダから来た教師たちに、時には韓国語で、時には英語通訳までしながら、デモをリードしてくれました。台湾から来られた方々は、台湾語でピケを作って一緒に立ちました。シングァン[Shingwan]中学校の教師と学生たち130人、クァンヤン[Kwangyang]高等学校の学生たちも大挙参加しました。
 雨がどっと降る中でも、姜日出[Kang-Ilchul]、李玉善[I-Okson]、金順玉[Kim-Sunok]、「チュニ[Pe-Chuni]、吉元玉[Kil-Wonok]、李順徳[I-Sundok]、李容洙、長ジョムドル[Chang-Jomdol]の各ハルモニが参加して、参加者たちにとって『岩のように』居て下さいました。スピーカーは、今日に限って天気のせいなのかうまくいきません。民主労総の記者会見が終わるやいなや、スピーカーを借りたのですが、それも天気のせいなのか乾電池のせいなのか、切れたりついたりして、また鍾路警察署の助けを受けます。挺対協の水曜デモにおいてのみ見られることだと思います。雨に降られながら、水原[Suwon]『女性の電話』の常勤者たちが『岩のように』の歌に合わせて踊ります。ハルモニたちも力強くついて歌います。
 尹美香[Yun-Mihyang]代表の経過報告は、多分これまでのデモの中で最も短かった報告だったようです。海外で推進されている連帯キャンペーンなどについて伝えられ、日本で市民たちが行なっている活動などについての知らせを共有しました。そして力強いスローガンと叫び声で経過報告を整理しました。
 最も早く自由発言に立った李容洙ハルモニは、「私たちは国が無くて被害に遭った。ところで国を見つけたのに、過去に対する徹底した糾明がなされないでいる」と話し、「李明博[I-Myongbak]大統領が、日本に行って福田総理にした話を見れば、本当に憤りが爆発する」と言い、「親日派ではなく、一つの国の大統領が、どうして、私たちの民族の恥辱的な過去の歴史に対する話をしないと言い、謝罪をする必要がないというような姿勢を示せるのか」と糾弾しました。
 イングァン中学校3年生の尹ヒョンスク[Yun-Hyonsuk]さんは、自由発言を通して、「私たちは当時の時代状況をよく知らないが、その時期の痛みを伝え聞けば目がしらが赤くなる」と言い、「日本政府はハルモニたちに対して肉体的・精神的な賠償はもちろん、真実が込められた謝罪を最大限ハルモニたちが生きておられる時にしなければならない」と強調しました。台湾から来た被害者ハルモニのウ・スメイさんは、日本政府に謝罪と賠償を要求して、歌で彼女の心を伝えました。『カナダ歴史教師集い』のジョージ ホールさんは、「私たちは、慰安婦ハルモニたちのいきさつをカナダに持って行って真の歴史を教えるために韓国に来た」と述べ、「カナダの学校に帰って、ハルモニたちから聞いて習った歴史を学生たちによく教えてやります。」と語りました。水原『女性の電話』の金ギョンヒ[Kim-Gyonhi]理事は、「世界のどこの国が、政府と権力を動員して幼い女性を掠め取って弾除けとして押し出し、性暴行をした場合があるのか」述べ、「慰安婦ハルモニたちは、歴史の証人としてできるだけ長く健康に暮らされなければならず、韓国の若い娘たちも恥辱の歴史を忘れずに、日本政府の謝罪を受け取らなければならない」と話しました。
 そして最後に、水曜デモの声明書の発表を通して、▲日本政府は世界各国の決議案を受け入れて戦犯国家としての法的責任を履行すること、▲韓国政府は国民の意思を受け入れて日本軍慰安婦問題解決に積極的に行動し、実用と国益を越える人権優位の政策を実施すること、などを要求しました。

《挺対協週刊便り》第118号より
http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=113&SN=0&SK=&SW=


7月9日(水)
821次水曜デモ、祥明(Sangmyong)大学生たち主管で開催

 今日のデモは、祥明大学の学生たちが主管しました。アニメーション学科などの学生たちが1カ月後、日本の靖国神社で、靖国神社参拝および右翼らの歴史わい曲に対して抗議をし、筆とペンで真実を知らせるキャンペーンを推進しながら、日本軍『慰安婦』問題に対する勉強もし、また直接水曜デモも主管するようになりました。
 今日も変わることなく、修道女さまも来られ、学生たちも参加しました。日本の大阪から92年水曜デモを始めて以後、1年に一度以上は必ず水曜デモに参加して顔なじみである労働者たちも共に参加しました。憩い場『ウリ・チプ』(*1)のハルモニたちがデモに参加することができなくて、『ナヌムの家』から李玉善[I-Okson]ハルモニと「チュニ[Pe-Chuni]ハルモニ、金スノク[Kim-Sunok]ハルモニ、朴玉善[Pak-Okson]ハルモニが参加しました。
 『岩のように』の歌で力強く水曜デモを始め、尹美香[Yun-Mihyang]代表の経過報告、日本の大阪から参加した労組員たちの発言、祥明大学生の自由発言がありました。
 サンフランシスコでヘウォン[Hewon]鎮魂クッ(*1)を主題として博士学位論文を準備しつつ、1年間大邱[Tegu]嶺南[Yongnam]大学校で英会話講師として仕事をしている李イニ[I-Ini]さんが自由発言のマイクを握りました。発言をしかけてやめ、「ハルモニたちがこのように暑い日にも水曜デモに参加したのを見ると胸が痛い」と言って涙を浮かべ、「私が、近頃ここにきて、蝋燭集会に行って習った歌があるが、『愛も名誉も』という歌の歌詞に、『歳月は流れても山川は分かる』という部分が本当に良いです。それで私は歌を歌いたいです。」として歌い始めます。特に30年以上になる友人、戦争と女性人権博物館建設委員で熱心に後援者を集めてきておられるイム・ケジェ[Im-Keje]先生も一緒に出てきて歌を歌います。歌詞も完全に知らないながらも、記憶を訪ねて行きながら歌う歌、それでより一層感動的でした。
 司会を引き受けた学生は、デモの司会を引き受けたのが初めてだと随分緊張したと言いながら、スローガンを読み飛ばし、声明書を読んだ学生も、司会者の音頭に参加者が合わせて叫ばなければならない「私たちの主張」を本を読むようにそのまま読んで降りて行きました。声明書朗読の後、もう一度『岩のように』の歌を歌って、「これで821次水曜デモを終えます」と司会者が宣言をしたのに、参加者たちは席を外そうとは思いませんでした。何か不足だという感じがしたのでしょうか?
 結局は、尹美香代表がまたマイクを握り、「帰ろうとすればちょっと空しいでしょうか?では私がもう一度スローガンを叫んでみます。ヘソに力をお入れになって、では気合いを入れましょう」と言い、「日本政府は、日本軍『慰安婦』被害者に公式謝罪せよ!」と音頭をとるので、参加者たちも、「謝罪せよ!謝罪せよ!謝罪せよ!」と叫びます。またもう一つスローガンを叫びます。「李明博政府は、大運河を作らずに、戦争と女性人権博物館建設を支援せよ!」。参加者たちも、「支援せよ!支援せよ!支援せよ!」と叫びます。そして最後の10秒コールで水曜デモを終えました。今やっと人々は帰る気になり動きます。垂れ幕を掲げてハルモニたちと挨拶を交わします。
[訳者注]
(*1)クッは、巫女が行う祭祀。供え物をして、巫女が踊ったり呪文を唱えたりしながらトランス状態に入り、霊界と意志疎通するという。

《挺対協週刊便り》第117号より
http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=112&SN=0&SK=&SW=


7月2日(水)
820次水曜デモ、気まぐれな雨脚の中、傘をたたんでまた開いて・・・

 ソウル『女性の電話』が主管した820次水曜デモ、若い女性たちがたくさんきました。天気が良くない中でも、ソウル『女性の電話』で「家庭暴力相談教育」を受けている教育生たちがたくさん参加して、水曜デモの場の雰囲気を明るくて晴れやかにしてくれました。デモを始める前、姜珠慧[Kang-Juhe]事務局長の音頭でスローガンを叫んでみます。「日本政府は、日本軍『慰安婦』被害者に法的に賠償せよ」「李明博大統領は、被害者から歴史を学べ!」
 定刻12時、デモを始めます。今日の司会は、顔はとても幼く見えるけれども、声には力と年輪が見られるソウル『女性の電話』常勤者が引き受けました。『岩のように』の歌に、相談教育生たちの踊りによって、開始から女性たちの熱気は、大使館の前の曇る天気を忘れさせてくれました。ハルモニたちは、黄色い雨具に黄色いチョッキを着て、もしかしての土砂降りの雨のために、黄色い傘を準備して前列に座っておられます。突然雨がドッと振ります。急いで傘を開いてみると、雨はすぐに止みます。そんなことが何回か繰り返されました。
 今週の経過報告は、尹美香[Yun-Mihyang]常任代表が引き受けました。大阪で行なわれた市議会決議案採択のための活動、25日に採択された東京清瀬市議会の請願、オーストラリアとドイツ、英国で推進されている決議案推進活動、合わせて、戦争と女性人権博物館建設がもう目の前に、その現実が迫ってきているという報告をしました。いつものように、尹美香代表の経過報告は、スローガンでまとめられました。「日本政府は、国際機構の勧告のとおり、日本軍『慰安婦』被害者に法的賠償を行え!」「賠償せよ!賠償せよ!賠償せよ!」「韓国政府は、自主外交を実現せよ!」「実現せよ!実現せよ!実現せよ!」
 「李明博政府は、大運河を作らずに、戦争と女性人権博物館建設を支援せよ!」「支援せよ!支援せよ!支援せよ!」
 自由発言へと続きます。ソウル『女性の電話』相談員、教育生たちの自由発言は、「同じ女性として生存者たちとの連帯、孫娘としてハルモニたちとの連帯が、どれくらい強い力になっていることか。すでに私たちは勝っているということを確認できた。」というものです。自由発言を受け継いで、教育生たちは歌と踊りによって、ひとしきり水曜デモの場を、非常に楽しいながらも参加者たちに力与えてくれました。
参加者たちを紹介して自由発言申請を待ちましたが申請者がなく、鄭チュンスク[Chong-Chunsuk]ソウル『女性の電話』代表が声明書を読みました。ところで、ソウル・チャムシン[Chamsin]高等学校に通う男子学生が自由発言を一歩遅れて申請し、声明書が終わって自由発言の機会を与えました。「自分は、政治家になるのが夢なのに、現在、政治家たちが誰も、日本政府にハルモニたちの問題と関連して、一言もいわなくて腹が立つと言い、日本政府は謝罪すべきだ」と発言しました。自由発言が終わって10秒間コールによって今日の思いと決意を確認すると同時に、日本政府に、私たちがあきらめないでまた引続きこの席にくるという事実を知らせました。

7月1日(火)
東京清瀬市で宝塚市に引き続き、日本軍『慰安婦』問題に対する決議

 去る3月、日本の兵庫県宝塚市議会で、日本政府に日本軍『慰安婦』問題の解決を要求する地方議会最初の請願が採択されたのに続き、東京の清瀬市議会でも「『慰安婦』問題に対して政府の誠実な対応を要求する意見書」が採択されました。
 この便りを今日、日本から伝え聞きました。市民団体『清瀬子どもと教育ネット』が、『慰安婦』問題に対する意見書提出を要求する陳情を市議会に提出し、これが6月25日の市議会本会で、日本政府の公式認定と謝罪、賠償、歴史教育などを要求する内容の決議として可決されるに至ったのです。
 22人の議員の中で、自由民主党議員たちだけが反対票(8人)を投じ、共産党5人、公明党4人、新風党4人、自由民権党1人が賛成し、宝塚に引き続き二番目に、地方議会での『慰安婦』問題解決を要求する意見書が採択されました。今回の意見書は、各国議会で採択された『慰安婦』決議案はもちろん、この前の国連人権理事会の日本人権状況定期検討(UPR)で、フランス、オランダ、南北韓(*1)などが慰安婦問題解決を要求したことを指摘しながら、日本政府の誠実な対応を促しています。

《挺対協週刊便り》第116号より
http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=111&SN=0&SK=&SW=

[訳者注]
(*1)韓国では、大韓民国を「南韓」、朝鮮民主主義人民共和国を「北韓」と呼び、併せて「南北韓」と呼びます。ですから、「南北韓」は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の両者を指しています。


6月21日(土)
在日同胞歌手李政美さんの博物館建設基金のためのチャリティーコンサート開催

 在日韓国人李政美さんの博物館建設のためのチャリティー・コンサートが日本の大阪で初めて開催されました。「つながる歌、つながる舞、つながるいのち」という題名で、大阪のエル・シアターで800人以上が参加した中で、パンソリとサルプリ舞、小鼓舞が、李政美さんの歌と観衆の関心の中でひととことに集まって、大阪に鳴り響きました。
 「つながるコンサート実行委員会」、「大阪大学付属病院看護士労働組合」が共同主催で開かれた今回のコンサートに対する関心は、すでに一月前に800席全席が売り切れるほど高かったです。実行委員会に共に参加した方清子[Pang-Chongja]さんは、「私の周辺の人々にはチケットを1枚も売ることができませんでした。むしろチケットが不足するから、チケットを売らないで、と言わなければなりませんでした」と言います。
 李政美さんの情熱と李政美さんを好きな人々の支持と協力、そして日本軍「慰安婦」問題の解決を願う女性たちの思いが一カ所に集まって、素敵な公演が造り出されたという感じがしました。そしてこの日の行事には、韓国から吉元玉[Kir-Wonok]ハルモニと李容洙[I-Yongsu]ハルモニが参加して、舞台に上がって参加者たちに博物館建設のためにこのような素敵な公演を開いてくれた李政美さんと実行委員会に感謝の挨拶をして、最後の舞台でもやはり李政美さんとすべての出演者と一緒に、ハルモニたちも一曲ずつ選んで、踊りもふんわりと踊りました。
 通訳は、わざわざ東京から大阪まで訪ねてきた梁澄子[Yang-Chinja]さまがして下さいました。

6月22日(日)
堺市女性団体協議会の集会
 日本も梅雨なので朝から雨が降ります。李容洙[I-Yongsu]ハルモニと吉元玉[Kil-Wonok]ハルモニは、韓国の民族衣装をきれいに着飾って、私たち皆、手に手に荷物カバンなどを持ってホテルを出ました。堺市女性団体協議会の建物で集会がありましたが、約300人の会員が参加しました。91年、金学順[Kim-Haksun]ハルモニを迎えて証言を聞いたというこの団体は、ロビーに金学順ハルモニの証言集会関連資料を展示していました。
 今日の集会の司会は、女性団体代表であり市議会議員である山口さんがしました。山口議員は、かなり以前から日本軍『慰安婦』問題に対する関心を持って活動してきて、また北京世界女性大会への出席など、永らく女性人権活動家として仕事をしてきたといいます。
 李容洙ハルモニの長い証言に続いて、吉元玉ハルモニは核心的な部分だけを発言して、尹美香[Yun-Mihyang]代表の発言、そして参加者から質問と激励の発言を伝え聞きました。この集会でも、博物館建設のための募金活動が行われ、約16万円が集まりましたが、10万円は山口議員が出されました。

堺市市民集会
 午後遅く、堺市議会決議を採択させるための市民集会が開かれました。約120人が参加し、この集会では吉元玉ハルモニが先に長い証言と発言をして、李容洙ハルモニが発言しました。そして尹美香代表は、残った時間を活用して、日本の草の根市民運動が今どれくらい重要な役割をしなければならないか、日本の市民運動が国際世論を受け継いで堺市議会を動かし、市議会を通して日本の国会と政府が変化することができるように行動してくれることを要請しました。堺市市民集会でも博物館建設募金をして、7万円を伝達して下さいました。

6月23日(月)
宝塚市役所で宝塚市会議員らと交流会
 堺市議会の共産党所属の若い男性議員が直接車を運転して、私たちを宝塚市役所まで連れて行ってくれました。ウーン・・・。韓国でも受けることが出来ない恐縮さに身を置くところを知らず・・・。代りに車中でとても幸せな眠気時間を持てました。
 宝塚市役所に到着すると、田中ひろみさんをはじめとして、井口さんら劇団『水曜日』のメンバーたちがすでに来ていました。私たちの同胞女性であるチョ・ジョンスン[Cho-Jongsun]さんと今日の通訳を担当する文ミリョン[Mun-Miryong]さんも来ていました。そして、市議会決議案をリードした北野聡子議員をはじめとして、10人余りの議員たちがいました。自民党議員も一緒にいました。
 チョ・ジョンスンさんは、博物館の寄付も伝達して下さいました。お二人のハルモニは、他の集いの時とは違って、たくさん笑いました。他の集いではこれから始めなければならないので、お二人の証言と要求が明らかでなければならなかったのですが、宝塚ではすでに決議案を採択させたので、お二人のハルモニは、感謝しますという挨拶と、他の市においてうまく行くように支援して欲しいという要請をして、最後に劇団『水曜日』が、「水曜デモをご存知ですか?」の歌を韓国語で歌い、記念撮影もして、お互いの連帯を確認する時間を分かち合いました。

日本軍'慰安婦'問題解決を要求する6.23集会(西宮)
 午後6時から集会が始まりました。160人余りが参加して、学生たちの姿もたくさん見られました。先に、宝塚市議会の請願採択をリードした議員お二人が出て報告をし、ハルモニたちの証言が始まりました。ずっと続くハルモニたちの証言があまり荷が重く、結局、吉元玉[Kil-Wonok]ハルモニは、証言をしかけてやめ、しんどくて舞台から席に降りてきました。
 皆の発言が終わって今後の行動指針を討論する時間に、参加者たちの決議で阪神連絡会を結成しました。今回の集会でも博物館建設募金が行なわれ、10万7千円が集まりました。集会場には一月ほど前に水曜デモに参加して、『憩いの場』(*1)にも来られた田中ひろみさんの夫君が来られて、贈り物も下さり、ある女性労組では無農薬緑茶を通訳される方々に準備してくださいました。

[訳者注]
(*1)『憩いの場』ウリ・チプ(わが家)のことで、被害者ハルモニたちが共同で暮らす施設の一つ。

6月24日(火)
茨木市で北摂ネットワークの地方議会議員たち及び市民らと一緒に交流会
 茨木市役所で北摂ネットワーク地方市議会議員たちと一緒に会いました。あらかじめ準備された弁当で昼食をとりながら、ハルモニたちの言葉を聞いて、尹美香[Yun-Mihyang]代表から北摂ネットワーク地方市議会で決議案採択をリードして欲しいという内容の発言を聞きました。議員から、韓国政府ではどのようにしているのかについて質問もあって、これに対して女性省と外交通商部の業務を区分して説明したりもしました。もちろん外交通商部の無関心と責任回避については批判し、これに対してハルモニたちが憲法裁判所に憲法訴訟を起こしたことまで報告をしました。今日のお昼交流会のために、北摂ネットワークで活動している同胞女性のシン・チョンオク[Shin-Chonok]さんがボランティアをしてくれました。

北摂ネットワーク集会
 夕方6時、北摂ネットワークの集会がありました。北摂ネットワークで活動する西村さんが司会を引き受けられました。ハルモニたちを追慕する黙祷を始め、実行委員代表の発言があって、お二人のハルモニの発言が行なわれました。李容洙[I-Yongsu]ハルモニの発言は、やはり証言をするには時間が不足するということで、連行過程と船に移動中に日本軍人たちから受けた経験、神風特攻隊である軍人から習った歌を歌いながら証言を終えました。ところで吉元玉[Kil-Wonok]ハルモニは、いよいよ今日は健康が最悪で、証言をしている間も息が詰まり、唇も開かず、気力が萎えて、途中で止めるように言いましたが、結局はハルモニが市民たちに伝えたい言葉をまとめて終えられました。その後は外のソファに行って休みました。
 尹美香[Yu-Mihyang]代表の発言に続き、今日の要請文をシン・スンジャ[Sin-Sunja]さんが朗読しました。そして場所を移して夕食をしましたが、実行委員代表が自ら天ぷら作ってきて下さり、プルコギの準備もしてきて下さいました。吉元玉ハルモニは、食事をするあいだもお疲れで、ほとんど眠りながら無意識的に食事をされたのですが、食べ物が体の中に入ると活気が戻って気力を整え始め、ホテルに帰る時になるとハルモニの体調はとても良くなりました。原因は糖尿でした。午前の温泉浴以後、お昼を少し召し上がって夕方まで召し上がらなかった状態で集会をしたので・・・。
 今日集いでも博物館募金が行なわれ、67,064円が伝達されました。交流会が終わって、在日同胞女性イム・チュンジャ[Im-Chunja]さんは、挺対協に後援支援金10万円を伝達して下さり、大阪実行委員会でも博物館のために募金された1万6千円を伝達して下さいました。

《挺対協週刊便り》第114・115合併号より



817回水曜デモ、挺対協事務局主管で行なわれる  (6月11日)
http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1182


▲挺対協事務局主管で開いた817次水曜デモ 写真:尹美香

 今日の水曜デモは、申請した主管団体がなく、挺対協事務局でやりました。
他の時とは違って、最も早く日本大使館の前に挺対協旗を立てました。いつもの時と同じように、日本大使館の前には戦闘警察のバス二台が、日本大使館の塀を防いでいて、戦闘警察官たちが、日本大使館の正門を守って立っていました。そして戦闘警察官たちが出てきて、ポリスラインを設置しました。
 姜日出(Kang-Irchul)、朴玉善(Pag-Okson)、李玉善(I-Oksin)、「チュニ(Pe-Chuni)の各ハルモニ、李順徳(I-Sundok)ハルモニそして順徳ハルモニの友人のハルモニが、最前列に座りました。
 その後に修道女さまたちもお立ちになり、日本の東京から来られた方々、ナヌム(Nanum:分ち合い)の家と挺対協でボランティアしている青年たち、歴史学徒だと自己紹介した女子大生とまた他の大学生たち、劇団ナビ(Nabi:蝶々)の会員たちがナビ・ピケット(注2)を持って立ちました。
 挺対協実行委員である李ギョンヒ(I-Gyonghi)文化広報委委員長は、はやくも、数カ月になった幼い子どもと一緒にデモに出てきています。他のデモの時とは違って姜珠慧(Kang-Juhe)事務局長が司会をして、尹美香代表が経過報告をしました。大学生の自由発言、日本からこられた方の自由発言も続いて、私たちの決意を集めて声明書を読みました。そして818次水曜デモで会うことを約束しました。

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(注2)集会の写真をよく見ると分かるが、蝶々の模様をあしらったプラカードの一種。


挺対協旗を作って (6月10日)
 挺対協も旗を作りました。午後7時にソウル市庁広場で行なわれる6・10抗争21周年を迎えての蝋燭デモに参加するための準備を、旗を作ることから始めました。薄紫色の布地に蝶々を描いて、韓国挺身隊問題対策協議会の文字を書きました。
 ウーン....素朴ながらも独特です。
 これに先立ち女性諸団体は、狂牛病の危険がある米国産牛肉輸入全面再協議要求女性宣言発表記者会見を開催しました。女性たちは、宣言文発表を通して「6・100民主抗争21周年をむかえた今日、私たち女性は、87年に独裁打倒を叫びながら民主主義の歴史を作っていった経験と、2008年に蝋燭の灯り文化祭によて点火された真の参加民主主義の新しい歴史的経験を盛り込んで、全面再協議がなされるその日まで、道路で生活の中で、蝋燭の灯りを明かしていくだろう。」と宣言しました。

吉元玉ハルモニ、東京市民集会で証言 (6月10日)
 今日は、日本の東京の参議院会館で、吉元玉ハルモニと中国の被害者ハルモニが国会議員たちと秘書たちがいる席で証言をする公聴会の日です。
 吉元玉ハルモニは、証言で、13歳の折に、術策によって「慰安婦」として連行された後、何も知らない女の子に軍人たちを押し込んで、拒否すると殴り、泣くと殴り、痛くて泣けばだからといって殴るなど、暴力の中でずっと強姦にあっていたことを証言しました。
 横根(注1)という性病に罹ってラッパ管を塞いでしまい、子ども産めないようにさせて、そのことによって20代の折に子宮を摘出するほかはなかったという話。解放されたのに、故郷である平壌(Pyongyang)に帰ることができず、今まで一人で生きてきた話...、そして大変だが水曜デモに欠かすことなく参加すること、痛いながらもヨーロッパ議会に行って証言もして思うことは、真実を明らかにするためにということ、米国でも私たちの手助けをしてやると言った。
 しかし重要なのは日本政府が変わることだ。日本政府が一日も早く謝罪して賠償することができるように、皆さんが努力してほしい。それを私がお願いするためにここまできた。ただ一度だけでも、あなた方が直接この被害にあったと考えてみてほしい。そして積極的に努力してほしいと要請しました。

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(注1)性病などのために、ももの付け根のリンパ節に生じる腫れ物



日本の民主・共産・社民・新党日本と無所属議員ら、参議院に「慰安婦」問題の解決を図る「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」共同提出  (6月10日)
 2002年から8回目の提出として、昨年の米国、オランダ、カナダ、ヨーロッパ連合議会の「慰安婦」決議採択後は初めて、法案を提出したとの知らせがきました。
 提案者は、岡崎トミ子、円より子、千葉景子、神本恵美子、喜納昌吉、直嶋正行、福山哲郎(以上民主)、紙智子(共産)、福島みずほ(社民)、田中康夫(新党日本)、糸数慶子(無所属)、川田龍平(無所属)の12議員。賛同者は、民主24、国民新党1、共産6、社民4議員の合計35議員です。


▲参議院に法案提出 写真:尹美香


816次水曜デモ、韓国教会女性連合会が主管 (6月4日)


▲ 写真:816次水曜デモ 撮影:尹美香(Yung-Miyang)「挺対協」常任代表

 今日も雨が降った止んだりの中で、水曜デモが行なわれました。近頃は、大学生たちが明け方まで蝋燭デモに参加するからなのか、水曜デモに大学生たちの参加が低調そうに見えます。ここ何週か、参加者が30人程度に留まっています。
 今日のデモは、韓国教会女性連合会が主管しました。韓国教会女性連合会の実務者たちと教師委員の委員長さま、委員らが共に参加し、雨が降ったり止んだりする中でも力強く進めました。
 "アマレッツ"(注1)が、「人」「顔をしかめないでよ」の歌を歌って、雰囲気をかきたててくれました。挺対協でボランティア活動をとてもがんばっているフミさんが、自由発言として、まず日本大使館に向かって、「自分は日本にいる時、日本軍「慰安婦」問題について知らなかったのだが、これは日本政府が誤った教育をしているためだ」と言い、「日本大使館は、毎週水曜日こちらで水曜デモが開かれるからよく分かっていることだ」と言い、「日本政府と国民に正しく知らせて、真実が分かるようせよ」と発言しました。
 今日も変わることなく、劇団ナビ(Nabi:蝶々)、大学生たち、修道女さまたちが参加され、日本の宝塚で井口さんなどと共に活動している方々も参加されました。
 「チュニ(Pe-Cuni)ハルモニ、李玉善(I-Okson)ハルモニ、姜日出(Kang-Ilchul)ハルモニ、朴玉善(Pak-Okson)ハルモニ、李容洙(I-Yongsu)ハルモニ、吉元玉(Ikl-Wonok)ハルモニ、李順徳(I-Sundok)ハルモニが参加しました。

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(注1) キリスト教系の「監理教(Kamnikyo)大学」の学生サークル
http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1176



李明博政府スタート100日時局宣言 (6月3日)
 午前11時に環境財団レイチェル・カースン・ルームで開催された"李明博政府スタート100日に際して、社会元老および各界要人100人の時局宣言文発表記者会見に参加しました。
 参加者たちは記者会見文を通して、李明博大統領が就任した後の100日の間、民主主義が後退していることを憂慮して、非道徳な内閣と大統領府秘書官らの辞退要求と、米国の狂牛病牛肉輸入交渉を全面再検討して全面的再協議に入ることを促し求めました。
 また反生命的企画である大運河建設の完全白紙化と、放送の独立性と公共性保障、学生たちに競争だけ強要する学校自律化措置、医療保険民営化、公共部門民営化政策を直ちに打ち切ることを促し求めました。
http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=109&SN=0&SK=&SW=



チョップル少女(Choppul-Sonyo:ロウソクの灯の少女)(*1)、第815次水曜デモに現れる(08-06-05)
 第815次水曜デモを反米女性会の主管によって開きました。水曜日ごとに雨が降り、天気が意地悪なのは何故なのか...。ところで不思議にもデモを始めると雨が降りませんでした。
 雨がたくさん降って、「ナムヌ(Nanum:分ち合い)の家」のハルモニたちもこられなかったし、李容洙(I-Yongsu)ハルモニも来られませんでした。それでいつもの時のように吉元玉(Kil-Wonok)ハルモニと李順徳(I-Sundok)ハルモニが強固なしんばり棒になって座っておられ、スローガンも一番力強く叫びました。
 近頃最も流行っている歌「大韓民国は民主共和国だ」も歌って、李明博政府の外交政策、米国のBSE牛肉の輸入政策などに対して糾弾もし...。天気が曇って皆の声が土に落ちて、空へ高く鳴り響かせるのに大変でしたが、最近の希望的な諸変化と、この諸変化を嫌う人々の恐れに対して、知らしめるデモでした。
 まもなく,李明博(I-Myongbak)大統領の顔の仮面をした人が、ボクシング・スタイルで登場。「勉強をしない人が大運河に反対する」「ハルモニたちの痛みを胸に埋めろ」などと妄言を吐き出します。この姿を見た「チョップル少女」が、ボクシング・スタイルで登場。スイング、ストレート、そして強打を放ちながら妄言を続けている李明博大統領を打ち負かします。
 パフォーマンスが終わり、この様子を見ておられた吉元玉ハルモニが発言を申請され、「子どもが殴られるのを見ている父親は胸が痛くないのか、李明博大統領が日本に行ってあのように言い、胸が痛かっただろう」と仰り、巧妙に李明博大統領の偏狭な外交政策をあざ笑っておやりになりました。
 ハルモニは大統領を家族と思っているのに、大統領はハルモニを何ほどに感じておられるか、ほんとにもう...訊ねたいです。
 反米女性会張スジョン(Chang-Sujong)執行委員長が順番の最後に声明書を読んで、水曜デモが終わったことを知らせると、空から雨が降ります。
李順徳ハルモニが口を開かれ、大きい声で「ありがとうございます。私たちの仕事をみな終わらせて、雨が降るようにして下さって」(*2)。私たちは皆笑いました。ハルモニのその姿がどんなに可愛いいか....。

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(*1)米国産牛肉制限撤廃反対闘争の中で、大流行している「キャラクター」。単独では、左のような構図だが、集会では大抵右のようにスローガンを持ったポーズが多い。今回の米国産牛肉制限撤廃反対闘争が中高生のローソク集会から始まったことを象徴するキャラクターである。
(*2)李順徳ハルモニは熱心なキリスト者。

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1175



大阪のトンギル・マダン(Tongil-Madang:統一の広場)で、日本軍「慰安婦」写真展及び戦争と女性人権博物館の広報活動、博物館募金のための歌手李政美(I-Jongmi)さんの大阪公演の広報活動を展開
 今年が第15回目になりました。大阪で、毎年「トンギル・マダン」の行事を開催してきましたが、今年も変わりなく行なわれました。在日民主女性会の方清子(Pang-Chonja)さんをはじめとして、会員たちがブースで「慰安婦」問題の広報と博物館建設のための広報行事を行ないました。
 この行事に、韓国からは北韓(*3)の子どもたちへの豆乳支援事業をやっている孫美姫(Son-Mihi)本部長が参加して、挺対協でもイム・ジヨン(Im-Jiyong)ボランティア参加し、広報ブースの準備および撮影などの活動をしてきました。
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(*3)韓国の民主運動では、朝鮮民主主義人民共和国のことを「北韓(Pukkan)」あるいは「北(Puk)」と呼び、大韓民国のことを「南韓(Naman)」あるいは「南(Nam)」と呼ぶ。これは日本で、大韓民国を「韓国」、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶのとは意味が異なる。日本の場合は、「韓国」は国名であるのに対して、「北朝鮮」は地域名に過ぎない。

http://www.womenandwar.net/bbs/index.php?tbl=M101&cat=&mode=V&id=108&SN=0&SK=&SW=




第814次水曜デモ、韓国女性団体連合が主管しました。(5月21日掲載)
 韓国女性団体連合(以下女性連合)が主管した第814次水曜デモ、一騎当千のエネルギーを持って参加した女性連合の実務者たちは、うら若い女性の力が何であるかを見せて余りありました。
 司会を引き受けたハンファンジュヨン(Hanhwangjuyon)活動家は、初めて水曜デモの司会を引き受けるといいながら、「失敗しても、可愛いいと見てやって下さい」と言って始めましたが、一度の失敗もありませんでした。
 李ヨンス(I-Yongsu)ハルモニは、デモを始めるやいなや彼女に、「今日は第何次の水曜デモですか」と尋ねてくれ、と言います。ハルモニの要請通り司会者は、「李ヨンス・ハルモニ、今日は第何次の水曜デモですか」と尋ねます。ハルモニは、「は〜い、第814次です」と力強い声で答えます。このようにして私たちは、ハルモニによって、皆ひとしきり笑って第814次水曜デモを始めることができました。
 岩のようにどっしりとした歌に合わせて、女性連合金ミラン(Kim-Miran)組織部長と日本の憲法9条連の吉川さんが一緒に踊り、続いて姜珠慧(Kang-Juhe)事務局長が、国連人権理事会実務グループの日本政府人権状況検討報告書採択活動と国連人権理事国選出問題、日本の女性たちの活動などについて経過報告をしました。
 経過報告の後、参加団体紹介がありました。変わることなく、劇団ナビ(蝶々)の団員たちが参加していて、大邱(Tegu)から上京してきた女子学生たち、延世大学の学生たち、アムネスティの活動家たち、フランス放送局記者と演出家も一緒に行動しました。
 姜日出(Kang-Ilchul)ハルモニ、李玉善(I-Okson)ハルモニ、朴玉善(Pak-Okson)ハルモニ、李ヨンス(I-Yongsu)ハルモニ、吉元玉(Kil-Wonok)ハルモニ、「チュニ(Pe-Chuni)ハルモニが参加して、最前列に座りました。
 女性連合活動家たちが、「私たちが作ります」という歌に合わせて、力がむくむくと湧き出る律動を見せてくれ、全州(Chonju)の金パンス(Kim-Pansu)老の自由発言、李ヨンス・ハルモニの自由発言につながりました。
 李ヨンス・ハルモニは、日本は暇なら暇潰しとして妄言をしながら、竹島が日本の土地だというが、竹島は「チュット(Chukto)」だが、チュットは泰安(Tean)半島(忠清南道)にあるのに、その土地が自らの土地だと言い張るのか、と日本政府をからかってくれました(注1)。
 それだけでなく、李明博大統領の外交を批判しながら、米国に行っては狂牛病牛肉の輸入を承諾すると、その次に日本で行っては謝罪要求はしないと言い、いったい何処の国の大統領なのかわからないと仰いました。
 李ヨンス・ハルモニの自由発言を受け継いで、やはり金ミラン女性連合組織部長が声明書を朗読し。第814次水曜デモは終わりました。
http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode= V&id=1174より

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(訳者注1)韓国では、日本名「竹島」は独島(Tokto)である。ところで、漢字で「竹島」、韓国語の発音ではChuktoなる島が、忠青南道(Chungchong-namdo)の泰安半島に囲まれた湾の中にある。そこで、李ヨンス・ハルモニは、「竹島(Chukto)というのは、忠青南道にあるが、それが日本領だというのか?」とジョークを飛ばされたのであった。



日本軍「慰安婦」被害者たちの声を無視する日本政府が人権理事国としての資格を持っているのかを問う(5月20日掲載)

 去る5月5日から19日まで、国連人権理事会国家別人権状況定期検討(Universal Periodic Review)において、日本の人権状況について検討がなされました。ここで、フランス、オランダ、南北韓(注2)などが、日本政府に向かって、日本軍「慰安婦」問題解決を要求し、フィリピン、中国なども人身売買と歴史問題に対する言及を通して、これを指摘しました。
 そしてこのような諸国家の勧告と質問を盛り込んだ国連人権理事会実務グループの報告書が採択されました。
 今回採択された報告書は、来る6月2日から13日まで開かれる全体会議で議論された後、最終決議によって確定する予定です。
 日本政府は、この全体会議で実務グループの勧告を受け入れるのかどうかについて、立場を明らかにしなければなりません。
 国家別人権状況定期検討の中で、各国の勧告と質問に対する答弁で日本軍「慰安婦」問題に対する責任を回避する態度を繰り返した日本政府が、国連人権理事国としての資格を持っているのかどうかについて憂慮を表明するために、韓国挺身隊問題対策協議会は次のような声明を発表して各国政府代表に伝達します。
 国連人権理事会理事国選挙は、来る5月21日国連総会(ニューヨーク)で開かれ、今回の選挙では15の理事国を新しく選出するようになります。
 この中で、アジア地域では4つの理事国の席をめぐって競争を繰り広げるようになり、日本と韓国などが再信任を問う予定です。
 この他にも、バーレーン、パキスタン、スリランカ、東ティモールなどが候補国です。
 付け加えて、人権理事会理事国は、地域別に理事国数を割り当てた後、該当地域で過半数の得票を得る国の中で、票をたくさん得た国順に選出され、3回連続の担当は禁止しています。
添付:声明書
担当:安ソンミ(An-Sonmi)幹事(02-365-4016 / 010-3824-4190).
韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表尹美香(Yun-Mihyang)(常任) 韓グギョム(Han-Gugyom)((職任省略)

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(訳者注2)韓国の民主運動では、朝鮮民主主義人民共和国のことを「北韓(Pukkan)」あるいは「北(Puk)」と呼び、大韓民国のことを「南韓(Naman)」あるいは「南(Nam)」と呼ぶ。これは日本で、大韓民国を「韓国」、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼ぶのとは意味が異なる。日本の場合は、「韓国」は国名であるのに対して、「北朝鮮」は地域名に過ぎない。


声明書全文

日本軍「慰安婦」被害者たちの声を無視する日本政府が
人権理事国としての資格を持っているのかを問う


 5月21日、国連人権理事会の理事国選出を控えて、私たちはアジア地域の候補に名乗り出た日本政府が、果たして人権理事国としての資格を持っているのか問わざるをえない。
 去る5月5日から19日まで行なわれた国家別人権状況定期検討(Universal Periodic Review)で、日本の人権状況に対する定期検討がなされた。この席で各国政府は、第2次大戦中に日本政府によって強行された日本軍性的奴隷犯罪を解決しろとの勧告と質問を提出した。フランス政府は、「慰安婦」問題が第2次世界大戦中に起きた強制売春であることを明確にし、この間数回なされた国際社会の勧告のとおり、「慰安婦」問題に対する「恒久的な解決策(lasting solution)」を見出すことを促した。オランダ政府も、国連人権条約機構など国際社会の関連勧告を守るために、日本政府がどんな措置を取ったのかと質問した。北韓もやはり、「慰安婦」問題は、もちろん過去に日本政府が被害をもたらせた諸国家に対して具体的な措置を取ることを強力に促し、韓国政府もやはり、「慰安婦」問題に対する国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)と拷問防止委員会(CAT)そして特別報告官の勧告を誠実に履行することをより強力に要求した。またフィリピンと中国もやはり、「人身売買」と「歴史的な問題」に対する言及を通して、迂回的に「慰安婦」問題を指摘した。
 しかしこのような各国政府の勧告と質問に対して、日本政府は、「慰安婦」問題に対する真相と法的責任を否定する既存の態度を繰り返しつつ、これにういて1993年に謝ったことがありながら、サンフランシスコ平和条約と韓日請求権協定などによって既に法的に解決されており、昨年活動を終了した国民基金(女性のためのアジア平和国民基金)を通じて、相当な補償をしたと主張した。だがこのような日本政府の答弁は、「慰安婦」問題に対する真相と法的責任を否定する既存の態度を繰り返すことに過ぎない。
 この間、国連人権条約機構などと特別報告官は、数回の調査と勧告を通して日本政府の義務履行を要求し、最近では米国、オランダ、カナダ、ヨーロッパ連合議会において、日本政府が被害者たちが望む賠償と責任措置を取っていないことに注目しながら、日本軍「慰安婦」決議案を採択するに至った。
 日本政府が、人権擁護国であることを自任しながら、人権理事国としての再信任を国際社会に問うのなら、「慰安婦」問題に対する国際社会と国連人権機構の勧告を尊重する姿を見せてこそ当たり前だ。しかし今回の検討を控えても、国家報告書に「慰安婦」問題について全く言及しなかったのみならず、人権理事国選出のための自発的公約にもこの問題に対する履行約束を入れなかった。第2次大戦が終わって半世紀が過ぎた今日まで、問題の解決を見ることができずに目を閉じなければならない日本軍「慰安婦」被害者たちは、日本政府のこのような法的責任の回避と犯罪否認により、現在まで明白に人権侵害を受けている。16年を越えて毎週水曜日ごとに通りに出て、名誉回復と正義実現を叫ぶ被害者たちの訴えの前に、日本政府は、黙して答えずで一貫している。高齢の被害者たちが皆目をとじる前に、日本政府は一日も早く問題解決のために行動に出なければならない。
 日本政府は、国連人権理事国になるために、自ら国際社会で人権先進国であると過大に宣伝しているが、自国の戦争犯罪によって人権侵害を受けた被害者たちを、67年が過ぎるのに相変らず人権回復を受けられずにいる数多くの戦争被害者たちを無視したまま、日本政府は国連人権理事国になることができない。
 日本政府が本当に人権先進国に生まれ変わることを望むのなら、日本軍「慰安婦」問題の解決に向かった誠実な意志を国際社会に見せてくれることを促し求める。日本軍「慰安婦」問題に対する正しい解決は、今も地球村のあちこちで続いている戦時下の女性暴行を根絶させるための意味のある歩みになるであろうし、日本国内の根本的な人権侵害要素の除去と人権状況改善の礎石になるであろう。

2008年5月20日

吉元玉(Kil-Wonok)、李ヨンス(I-Yongsu)他、日本軍「慰安婦」被害生存者100人
韓国挺身隊問題対策協議会
韓国女性団体連合、韓国女性民友会、KNCC両性平等委員会、平和を作る女性会、キリスト教大韓監理会女宣教会全国連合会、キリスト女民会、新しい世の中を開く天主教女性行動隊、梨花民主同友会、全国女子大生代表者協議会、キリスト教大韓監理会全国女教役者会、大韓キリスト教長老会全国女教役者連合会、女性教会、日本軍「慰安婦」ハルモニと共にある統営・巨済市民の会、韓国教会女性連合会、韓国キリスト教長老会女信徒会全国連合会、韓国キリスト教長老会女教役者協議会、韓国女神学者協議会、韓国挺身隊研究所、韓国女性のホットライン連合、韓国女子修道会修道院長連合会、挺身隊ハルモニと共にある市民の会

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017& mode=V&id=1173より


------------------------------ (以上、5/23 更新)


李明博(I-Myongbak)大統領訪日に際しての記者会見文
(韓国語の「決議文」の下に、この日本語の「決議文」が掲載されており、それを以下に転載する。明白なミスプリは、署名事務局の責任において訂正した。また「イ・ミョンバク」は「李明博」とした。)

李明博大統領は、日本政府に日本軍「慰安婦」問題解決を強力に求め、正しい過去清算を通じた日韓関係定立のため努力せよ!!

4月15日から李明博大統領は、就任後初めての海外歴訪でアメリカと日本を訪問することになった。これを前に13日午前10時、李明博大統領は、米日歴訪と関連した対国民記者会見を持ち、「今回の訪問は、新政府が追及する実利外交の第一歩」だとしながら「伝統的友邦国との関係をより強固にし、東北アの平和と共同繁栄のための方案について深みのある意見を分かち合うもの」であると明らかにした。加えて、国益を最優先にする実利主義外交を強化するものだという立場を強調した。

しかし、李明博大統領が言う『実利外交』について、この間正しい過去清算と真の日韓関係定立のため努力してきた、日本の植民地下での被害者と市民団体としては大きな憂慮をせずにはいられない。

李明博大統領は、すでに1月17日の外信記者会見で「成熟した日韓関係のため『謝罪せよ』『反省せよ』という話はしたくない」という発言をしており、以降3・1記念日の記念式でも「歴史の真実を無視してはならないが、いつまでも過去に縛られ未来の関係まで放棄するわけにはいかない」と危険な歴史認識を表したためだ。

すでに80を超えた高齢の日本軍「慰安婦」被害者は、去る17年間正義実現と名誉と人権回復のため各国を巡回し、街頭に出て日本政府の責任ある問題解決を求めてきた。このような被害者と市民の声に各国でも応答し、昨年にはアメリカ、オランダ、カナダ、EU議会で日本政府の謝罪と法的責任を求める決議案が通過されるに至った。

私たちは、今回の李明博大統領の訪日で、正しい過去清算を通じた真の日韓関係が定立されることを望む。

日本植民地下での被害者は、今回の大統領の訪日に自国の国民の人権が実現され、過去の傷が洗い流される真の『国益』優先の外交活動を繰り広げてくれることを希望する。このような高齢の日本軍「慰安婦」被害者の切な願いを理解し、李明博大統領が日本軍「慰安婦」問題解決に日本政府が責任ある姿勢で臨むことを促すよう望む。

真の未来志向的日韓関係は、『実利』を超え『人権と正義』が優先されなければならないことを忘れず、今回の李明博大統領の初訪日外交が、新政府は真の国民の政府であるということを見せてくれる第一歩になることを懇切に願う。

2008年4月14日

日本軍「慰安婦」被害者104名
韓国挺身隊問題対策協議会、ナヌムの家、アジア平和と歴史教育連帯

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1149

08-04-14 UP



李明博大統領の訪日に際する記者会見
― 李明博大統領は、日本政府に、日本軍『慰安婦』問題解決を促し、歴史歪曲問題にきっぱりと対処せよ!


○ 平和の挨拶を伝えます。
○ 来る4月15日から、李明博大統領は、米国と日本を訪問することになります。
 大統領就任後、行われる初めての海外歴訪を通して、大統領が主張してきた実用外交を繰り広げると強調しています。
○ しかし大統領が語る『実用外交』は、多くの憂慮をもたらしています。
 すでに当選者となった時期から、「成熟した韓日関係のために、『謝罪せよ』、『反省せよ』という言葉を言いたくない」という発言によって論議を生んだし、大統領就任後、三一節(Samilchol)[注1]記念演説では、「韓国と日本も、互いに実用の姿勢によって未来指向的関係を形成していかなければならない」と語ったことがあるためです。
○ 日本軍『慰安婦』被害者たちは、李明博大統領の発言があった後、「どういう資格で謝罪を要求しないというのか」として、怒りを顕わにしています。
 挺身隊対策協は、依然として日本の戦争犯罪によって人権を侵害されている多くの被害者たちが、堂々と生きている現実において、「過去は問わないでおこう」式の政策が、実用であるかのように語る大統領の歴史観に、深い憂慮を表しながら、真の韓国・日本間の未来指向的関係のために、日本軍『慰安婦』問題の解決を日本政府に要求することを促し求める記者会見を開催します。
○ 日本軍『慰安婦』問題の解決をはじめとして、韓国・日本間の正しい歴史の定立と被害者たちの人権回復が成されるように、積極的な報道を要請致します。
(問い合わせ:安(An)ソンミ(Sonmi)マスコミ広報担当 02-365-4016,011-9878-4190)

-- 記者会見概要 --
・日時:2008年4月14日(月)午前11時30分
・場所:大統領府の前(景福宮(Kyongbokkung)後門近く)
・式次第:記者会見趣旨説明、参加者紹介、記者会見文朗読など
韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表ユン(Yun)ミヒャン(Mihyang)〔常任〕 韓(Han)グギョン(Gugyom)〔職責省略〕

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1148

08-04-13 UP

[注1]三一節は、1919年3月1日に起こった独立運動を記念する韓国の祝日で、毎年様々な行事が行われている。



再び仁川(Inchon)から悲報が飛び込できました。
仁川に住んでおられた呂(Yo)ポクシル(Pokshil)ハルモニが亡くなられました。
ハルモニは、1922年全羅南道(Chollanamdo)、長興(Changhung)で生まれ、早くお母さんと死に別れ、トンセン(Tongseng:弟か妹)と一緒に、病に罹ったお父さんをお世話しているさなか、18歳になった年に家に押しかけてきた巡査たちに強制連行されました。
中国の慰安所で性的奴隷生活を強要され、劇的に帰還して苦しい生活を送っておられましたが、最近入院されていた仁川赤十字病院で、昨日夕方7時頃、目を閉じられました。
ハルモニの行く道が寂しくないように、多くの方が弔問して冥福を祈って下さるようお願いいたします。
ハルモニ、安らかにお眠り下さい!
葬儀室:仁川赤十字病院
連絡:カン・ジュヘ(Kang-Juhe)事務局長(011-9119-4050)

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1147

08-04-04 UP


金ウムヂョン(Kim-Umjon)ハルモニ(Halmoni:おばあさん)の冥福を祈ります。
 1924年慶尚南道(Kyongsangnamdo)昌寧(Changnyong)で生まれた金ウムヂョンおばあさんは、17才の時、良いところに就職させてくれるという言葉にだまされて、中国に連れて行かれ、3年間『慰安婦』としてあくどい苦痛にあいました。
 帰国後も苦しい生活を送っていたが、今日明け方1時頃、恨(Han)が多い人生を後にして眠りにつきました。
 多くの方々が、おばあさんの最後の行く道にご一緒して下さり、冥福を祈って下さい。
葬儀場:慶尚南道、馬山(Masan)新馬山:延世(Yonse)病院葬儀場
http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1144
08-04-03UP

第807回水曜デモ
 韓国性暴行相談所の主管によって、第807回水曜デモが開かれました。朝からしとしと降る雨に、雨具と傘などを取り揃えながら、情けない気持ちで空を見上げたが・・・。

 日本大使館の前に集まった皆は、『花雨』が降っていると言い、喜んで一つの心になって人権と平和を歌いました。

 岩のように力に満ちた始まりを告げて、カン・ジュヘ(Kang-Juhe)事務局長の経過報告を通して、挺身隊対策協が一週間駆けてきた内容を皆と共有しました。引き続きピジャメ連帯で活動している趙ヤックトル(Cho-Yaktol)さんが、「平和とは何なのか」という歌を歌いました。

工場から追い出された労働者が、元職復職するのか平和
お化け、ヒキガエル、サンショウウオが生息地失わないのが平和
行きたいところに障害者も行けるようにするのが平和
この土地を作ってきた農民たちが(これ以上)奪われないのが平和
性売買、性暴力、性差別も、これ以上存在しない世の中

 このように続く歌詞の内容を吟味しながら、皆が一つの心になって歌いました。そして、韓国アナバプティストと一緒にオーストラリアから来た宣教師の方々が出てきて、水曜デモが行っている正しい道、おばあさんたちの勇気に対して、熱い連帯のメッセージを送りつつ、共に行動することを約束しました。
 各大学から訪ねてきた学生たちと「苦しい情熱の娘修道女会」、「黄海道(Hoanghedo)クッ(Kut)(*1)保存伝授会」、「劇団ナビ(Nabi:蝶々)」、そして多くの参加者たちの意志を盛り込んで声明書を朗読した後、第807回水曜デモの幕を下ろしました。
 一緒に食堂へと席を移し、情をわかつ席・・・。李ヨンス(I-Yongsu)おばあさんは、心楽しいと言い、歌の一小節を自唱され、オーストラリアから来た参加者たちは、お返しの意味で、歌一節をまた歌いました。
 雨が降っても雪が降っても、水曜デモは、ずっと楽しく、そして熱く続きます。

http://www.womenandwar.net/bbs/?tbl=M017&mode=V&id=1145

08-04-03 UP

(訳者注1)黄海道クッ(?:Kut)は、朝鮮の黄海道に伝わる民俗舞踊である。それは、元々は巫女が祭祀として踊りながら呪文を称え、魂を降臨させる行為であったが、それが民間の民俗舞踊と化したものである。